面接において「自己PR」なんかいらない

ここ2回の記事では「卒業後就活」について書いているけれど、このようなことを書くと「日本の就活はダメ、その点海外の就活は素晴らしい」という海外礼賛者に思われそうな気がしている。しかし、僕には「海外の就活は素晴らしい」という気持ちは無い。なぜなら僕は、海外の就活事情について大して知らないからである(笑)「卒業後に就活してもハンディキャップにならない」、「大学の専攻と入社後の仕事がつながっている」などの漠然としたイメージはあるが、それらはあくまでイメージであり知識じゃない。


日本の就活のおかしさを指摘する際には、海外の就活事情に詳しくないよりは詳しい方が良いに決まっている。だから勉強しようとは思っているのだが、一方で海外の事情に詳しくなると自分が「海外では〜だから、日本の就活はおかしい」という文脈を用いてしまいそうで、それが少し怖いと思っている。海外の事情関係なしに、おかしい慣行をおかしいと指摘するのが理想なので。


そんな自分の中の理想に沿った問題提起の一つが、面接における「自己PR」の不毛さである。自己PRは日本に限らず海外の就活においても定番ともいえる行為のはずだが、面接にて自己PRを語ることは、どうも日本人には合わないように思えるのだ。だから、いかに海外企業で自己PRの重要性が語られていようが、日本の就活(特に面接の場面)では自己PRはいらないとの立場に僕は立つ。


就活の自己PRについて一番辛らつなことを言っていると思われるのが作家の曽野綾子さんで、彼女は以下のように述べている(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31782?page=2)。

自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露できる人は、他者の視点で自分を見ることができていないということです。だから平気で『自分はリーダーに向いています』なんて面接で言ってしまう。周囲は『出しゃばりな奴だな』と思っているかもしれないでしょう。自分のことをこうだと思い込むと、結局は自分勝手で幼稚な自己表現しかできなくなると思います

また、「就活のバカヤロー」では、大手広告代理店でリクルーターをしていた人の声が載っている。

印象に残る学生と言うのは、わざわざ自分から○○のような人間だとは言いません。会った後に、あいつは○○だったなと自然に評価されるものですよね

著者の石渡さんもこの意見に同意しており、就活生の自己PR・自己分析を否定している。


しかし、曽根さんとリクルーターの声を見て、あることを言いたくなった人も少なくないと確信している。そう、「就活生に自己PRを求めているのは、他ならぬ面接官の皆さんですよね?」と(笑)自分で自己PRを求めておいて、いざ就活生が自己PRをしたら「痛いわー」とか言い出す社会人。一体何を考えているんだろう。いい加減、自分がどれだけおかしなことを言っているか気づいて欲しいものだ。


人にもよるだろうけれど、就活生だって好き好んで自分の強みを語っているわけじゃないだろう。面接官が求めてくるからそれに答えているだけで。まさか企業は、「自己PRをしてください」との要求に対して「自分の長所を人前で恥ずかしげもなく披露することは私には出来ません!」との答えを求めているわけではあるまい。ちなみに、自己PRを求められた際の石渡さんの答えは「自分はバカ学生だった。勉強もサークルもろくにやってこなかった。でも、将来は○○な仕事で世界を変えたいと思っている」というものなのだが、現状の就活でこんなことを言ったらアウトになる可能性の方が圧倒的に高いはずだ。


就活生は面接官に求められて、仕方なく自分の強みを語っている。そして面接官は「就活生の自己PR痛いわー。普通、自分で『私は○○のような人間』だとは言わないから(笑)」と思っている。そんな状況下では、もはや自己PRなんか面接の場で語らせる必要なんか無いんじゃないか。


代わりに「新入社員はなぜ『期待はずれ』なのか」という本の第5章で紹介されている「雑談面接」が当たり前になれば良いと僕は思っている。この本はあまり読者からの評判が良くないのだが(笑)、その中でも5章だけは一定の評価を受けている。「雑談面接」とは志望動機や自己PRは不問で、徹底して過去の行動事実を浮き彫りにし、それを評価対象にする形式の面接だ。実際にヒューレット・パッカード(HP)社では、このような形式の面接が行われているらしい。自己PRを聞かずとも面接が成立する一例といえる。


加えて雑談面接には就活生・面接官共にマニュアルに頼らない、自然な会話をしやすくする効能があるように思える。「○分間で自己PRをしてください」との質問は、「はい、私の強みは○○です。学生時代、私は〜な活動に取り組み・・・」というテンプレを答えることにつながりやすい。就活生のマニュアル依存が批判されるけれど、自己PRを求める質問に対しダイレクト且つ簡潔に答えようとすると、どうしてもテンプレ通りのものになるのは避けられない。それに対して雑談面接だと用意してきた答えを喋ることは少なくなり、自然な会話が成立しやすくなるのは想像に難くない。


ヒューレット・パッカード社が「雑談面接」をしているからといって、他の海外企業が同じ形式を採っているとは限らない。もしかすると海外でも就活生に自己PRを求めるのが普通なのかもしれない。しかし海外で「雑談面接」がそれほど主流じゃないとしても、それが日本で主流になっちゃいけない理由は無い。もし日本では、就活生・面接官共に「自己PR」なんか茶番でしかないと思っているのなら、雑談面接がメインになるのがお互いのためになるのではないか。


人気ブロガー「ちきりん」は「もうひとつのゼロベース思考」という記事で「既存制度を前提とせずに、あるべき論(あるべき姿)を考えよう」と主張していて、この考えは就活のあり方を考える際にも有用だと思った。就活において「自己PR」は当たり前のものとされているが、それは本当に就活生が自分の能力・適性をアピールするのに役立っているのか。あるいは、面接官が就活生の能力・適性を審査する際に役立っているのか。僕はどちらも「ノー」だと思ったので、面接において「自己PR」なんかいらない+代替策として「雑談面接」が良いとの主張をした。僕の感覚では就活の有識者は「基本的には現状維持がベスト」との立場の人が多くて、「あるべき論」はただの理想論として切り捨てられる傾向が強い(しかし、ちきりんの見解に従えば、それはただの「思考停止」とのこと)。僕はもっと「自分がゼロから就活のあり方を作っていいよ」と言われたつもりで色々考えたいと思う。

面接において「自己PR」なんかいらないとの考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村
関連記事

「学生に勉強する時間を!」と訴える就活デモ参加者が、結果的に自分で自分の首を絞めようが知ったことではないはずだ

前回の記事では「卒業後就活」に「学生が在学中に学業や、留学などのその他活動に専念できる環境が整う」、「企業が、エントリーしてきた応募者が大学で何を学んできたのかを厳しく問う形式にすることで意欲・能力がある人を採用しやすくなる」という長所があるとの考えを記した。これは就活デモなどでよく主張される「就活のせいで勉強できない!(正確には「就活のせいで勉強する時間が削られる」という意味の訴えだと僕は思っている。いくら就活があっても勉強する時間を少しも確保できないとは思えない)」という訴えに応えることにつながる。


個人的にはおかしなことだと思っているのだが、「ゆとり」と評される就活デモ参加者が「学生に勉強する時間を!」と訴えて、社会人代表を気取っている感のある就活・人材コンサルが「新卒一括採用だからこそ、学生は勉強しなくても就職できるんじゃないか!」と主張しているところが面白い。一体どちらが「ゆとり」なのかって感じもする。加えて、非難されるのは概ね前者の訴えという点に日本の危うさがあるように思う。


もっとも、就活デモが掲げる「学生に勉強する時間を!」という主張に、例えば「どうせ就活がなくても、お前らは勉強しないでしょ?遊びたいだけなんでしょ?」との反論がなされるのも分からなくは無い。例えば去年行われた「就活ぶっこわせデモ」の公式ブログでは、文面・中身共に適当な文章が掲載されることもあり、本当に学業に打ち込んでいる人の主張とは思えないことも多々あった(そういえば、結局彼らが何を考えていたのか、よく分からないままで終わってしまいましたね)。


加えて、このブログの過去記事「常見陽平さん&海老原嗣生さん『どうせ文系の学生の多くは勉強なんかしないんだから、文系の学生については学生の本分が就活に侵食されてるとは言えないんじゃないですか?』」で紹介したように、常見陽平さんと海老原嗣生さんら数活の有識者も「就活が無くても、多くの学生は勉強なんかしない」との感覚を抱いていることも無視できない。もしかすると、就活デモ参加者の本心はただ騒ぎたいだけで、勉強なんかどうでも良いというものなのかもしれない。


しかし、「学生に勉強する時間を!」との訴えの説得力を考える際に「本当に主張者は勉強する気があるの?」と疑問を感じることには大して意味は無いのではないか。仮に就活デモの訴えに共感し「卒業後就活」の形を採る企業が増えれば、その企業は同時に採用選考にて従来より「大学で何を学んできたのか」を厳しく審査する可能性が高い。そのような状況下では、口では「学生に勉強する時間を!」と主張しながら実際は遊びまくることしか考えていないデモ参加者は困難な状況に陥るわけだが、それはそれで良いのではないか。単純に自業自得な訳だから。


もしかすると「本当に就活デモ参加者は勉強する気があるのか?」を気にする人は、強いて言えば「学生に勉強する時間を!」と訴えていた人が、学生時代の成果を厳しく審査する企業に対して「求める人物像の高度化反対!ゆとりにゆとりを!」と再度デモをしてくる可能性を想定して面倒臭い話になることを危惧しているのかもしれない。しかし、そんな一貫性に欠ける訳が分からない訴えは無視すればよい。「いや、あなたたち『学生に勉強する時間を!』と言ってたじゃないですか。そして実際に在学中に学ぶ時間は確保されたんだから、企業が学業の成果を厳しく聞くのは当たり前じゃないですか」と返せば良いだけの話。「学生に勉強する時間を!でも、企業は学生時代の成果を厳しく聞かないで下さい」との訴えは、さすがに擁護できません(笑)


そんな訳で「どうせ就活デモ参加者は勉強なんかしない」との意識を前提に「学生に勉強する時間を!」との訴えを退ける姿勢には反対の立場だ。正直「大学で勉強する時間を奪わないでくれ」という、どう考えてもまともな訴えが退けられるとしたら、そもそも「企業は、学生の学業の成果なんか根本的に興味ない!(あるいは、学業が大事じゃないとまでは言わないが、もっと重要視したい要素があり、その要素に比べれば学業の成果はどうでも良い)」という、誰もが分かりきっているけれどあまり口に出さない理屈しか考えられない。もしかすると企業(社会人)は、自分たちが学業の成果に興味を持たないことを隠すために「いやー、私たちは学生にもっと勉強して欲しいと思っているんですが、どうせ学生は勉強しないですから、就活システムは現状のままが良いんじゃないでしょうか」と言う、つまり学生をスケープゴートにすることで「学生に勉強する時間を!」との訴えを退けようとしていたりして・・・。


「学生に勉強する時間を!」と訴える就活デモ参加者が、結果的に自分で自分の首を絞めようが知ったことではないはずだとの考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村
関連記事

なぜ「大学で専門知識を学んでいない人」の利益を考えて、新卒一括採用を支持するのか

就活の現状を評価する際に、あるいは改善案を考える際に重要になるのが「現状の慣習を貫くことで、あるいは特定の案を実行することで、誰にどのようなメリットがあるのか?」という視点を意識することだと思っていて、実際にプロ・アマチュア問わず就活について意見を述べる人はこの視点を多かれ少なかれ意識していると思う。そして「誰のメリットを一番考慮すべきか」という価値判断の違いが原因で、就活を巡る議論はしばしば混乱する。


例えば「新卒一括採用」の話について。新卒一括採用を否定する人の代替案は様々なものがあるのだが、ここでは「新卒一括採用はダメ。大学卒業後に就活をするような仕組みにするべきだ」との主張を取り上げる。この主張をもう少し詳しく言うと「これまで企業は採用選考で学業の成果を軽視してきたけれど、今後は企業が在学中の学生を選考することを止めて、学生が在学中に学業や、留学などのその他活動に専念できる環境を整える。その分大学で何を学んできたのかを厳しく問う形式にする」というものになる。


それに対して、新卒一括採用の良さを主張する人は「新卒一括採用という慣行があるからこそ、大学で専門知識を学んでいない人が採用される可能性がある」と反論する。実際に常見陽平さんの著書「くたばれ!就職氷河期」にこのような理屈が書かれている。加えて常見さんは「大学4年間を、就活のことなど考えずに学業やその他活動に専念し卒業後に能力開発を行う、海外を旅して知見を広げるなどの行為は人間を豊かにする。この考えを私は否定しない。ただし普通に考えれば分かると思うが、これができるのは、もともと自立していて意欲が高く、それなりの経済力がある学生である。勝ち組が、ますます勝ち組になるという構造になる」とも述べる。常見さんの議論は「新卒一括採用」を支持する理屈の代表的なものといって差し支えないと思う。


前者の主張は「大学できちんと学業を修めた人や、その他活動に打ち込んだ人」が「採用選考の場で、活動の成果がきちんと評価される」という利益を受ける。その他にも「全就活生」が「企業の求める人物像が曖昧な状態の、ふわふわとした就活に時間を費やさずに済む」という利益を受ける(面接官という「人」が就活生という「人」を評価する以上恣意的な要素を完全に排除することは出来ないが、それでも恣意的な要素の介在を薄めることはできる)。それに対して後者の主張は「大学で専門知識を学んでいなかったり、特に何もしてこなかった人」が「面接で人間性を評価されれば職を得ることができる」という利益を受けることができる。


どちらの主張も一理あるかもしれないが「卒業後就活」と「新卒一括採用」は両立しないわけで、どちらの主張がより優れているかの価値判断をしなければならない。この点について個人的には、新卒一括採用を支持する議論を耳にする際にいつも思うのが「え、なんで大学で何かに打ち込まなかった人の救済を第一に考えなければいけないんですか?その価値判断、おかしくないですか?」ということ。要は新卒一括採用支持者は「大学で専門知識を学んでいなかったり、特に何もしてこなかった人」のメリットを考えた上で自己の主張を展開しているように僕には思えるのだけれど、なぜそのような人たちのメリットを考える必要があるのかについての理屈をきちんと考えているかが疑わしいのだ。


もう一度常見さんの理屈を引用すると、卒業後就活にすると「もともと自立していて意欲が高く、それなりの経済力がある学生(勝ち組)が、ますます勝ち組になるという構造になる」ことを危惧しているが、それの何が問題なのか。自立していて意欲が高い人材が評価されて、そうでない人は評価されない構造はフェアだろう。経済力に関しての話は分からなくは無いけれど、経済力が無ければ企業が魅力を感じる有意義な体験が出来ないかと言えばそうではないと思うので、あまり説得力を感じないというのが正直なところだ。


誤解しないで欲しいが、今までの話は「大学時代に何もしない人は、職を得られないことで苦しんで当然」との主張ではない。加えて上では述べなかったのだが、常見さんは「卒業後就活」を導入することで「大学を卒業した職務未経験者が職探しの際に第二新卒者と競合することになる」との問題点も挙げていることも、議論をフェアにするために述べておきたい(上で挙げなかったのは少し卑怯でしたかね・・・)。とりあえず大学時代に怠けて職を得られなかった人について述べると、彼ら・彼女らに対しては職業訓練・既卒インターンシップなどのフォローが必要で、加えてそうしたフォローに携わる企業が得をするような仕組みを充実させることが必要だと思う。ただ、あくまで原則としては「学生時代に一定の活動に打ち込んだ人や、成果を出した人がより評価されやすいような仕組み」である方が就活生にも、そして就活生の意欲・能力をなるべく正確に測りたい企業にとっても良いと思う。


現在の就活は少なからず只の「嘘つき大会」になってる側面があって、それは「自分は大学で何もしていないけど、嘘をつくことで何とか就活を乗り切りたい!」、「大学ではとにかく遊びまくって、就活は先輩からアドバイスをもらって適当に乗り切ればいいやー」等と思っている人が得をする可能性が高い形になっていることを意味する。そして、そういう人たちの利益を尊重すべきかを考えた時に僕は「そんな必要は無い」としか思えなかったので「卒業後就活」を割と推している。第二新卒者との競合についての話については、ちょっと考えてみます(笑)


今回は「新卒一括採用」を取り上げたけれど、他にも「誰のメリットを一番考慮すべきか」という価値判断に接した際に「え、なんでそんな人の利益を第一に考えた慣習を支持されるんですか?」と疑問に感じずにはいられないことがあるかもしれない。ある主張がなされるに至った価値判断の背景にツッコミを入れると、案外日本の就活を巡る議論も錯綜せずに済むだろう。


なぜ「大学で専門知識を学んでいない人」の利益を考えて、新卒一括採用を支持するのか?との疑問に共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村
関連記事

ブログランキングの不正に勤しむ、ランキング上位の人たち

少し前に「不正でブログランキング上位に食い込もうとする人の気持ちが分からない」という記事にて、ズルをしてブログ村のINポイントを稼いでランキング上位に食い込もうとする人の存在について取り上げた。ここでいう「ズル」とは「ブログ村の利用規約違反」のことであり、僕が指摘したブログは利用規約に反する「ランキングUPなどのために、不正なリンク(騙しリンク)を行ったり、クリックを強制する行為」を行っていたことにより、ブログ村からポイントを没収されていた。


ブログを始めてから「どのようなブログが支持されるのか」を検討するために、ブログ村の様々なカテゴリーのランキング上位のブログを見てみたけれど、正直「なんで、このブログはこんなにINポイントを得ているのだろう?」と疑問に思わずにはいられないサイトを多く目にした。もしかしたら、僕と同じような疑問を抱いている人もいるかもしれない。


ズルでランキング上位に食い込もうとする人に1位を取られた経験から、他にもブログランキングの不正があるのではないかと漠然と考えていた。そこで調べてみたところ(「調べた」といっても「ブログランキング 不正」と検索しただけですが笑)、むしろ上位のブログはランキング不正をしていて当たり前ともいえる状態であることが分かった。


ここでいう「不正」とは利用規約が禁じる「ランキングUPなどのために、システムを利用しまたは示し合わせた上で手動にて定期的に友達や仲間同士でクリックし合う行為」のことである。良い記事を書いて共感を得たことの証として読者の皆さんにランキングに協力していただくのではなく、自分がどういう記事を書くかは関係なく最初からランキングポイントを稼ぐことを目的としている人が少なからずいる。


一番明確に不正をしていると断言できるのは「ブログランキング応援団」とかいうコミュニティに入っている人たちだ。コミュニティの説明によると「ランキングバナーをなかなかクリックしてもらえない・・毎日自分でポチっとしていませんか?そんなあなたを応援します!!そしてこのコミュに入っている人で応援しあう!という目的のコミュです」とのこと。具体的には「はじめまして。相互応援よろしくお願いします。お返し応援には必ず行かせて頂きますので、よろしくお願いします」みたいなことを言ってスレッドを立て、それに対して「本日5/8応援させて頂きました!!今後も宜しくお願いします(^^)」と反応している人たちがいる。ここでいう「応援」とはランキングのバナーをクリックすること。これは明らかに規約が禁じる「示し合わせた上で手動にて定期的に友達や仲間同士でクリックし合う行為」に該当している。


他にも「あし@」、「おきてがみ」などのツールもブログランキング不正を助長しているらしい。不正をしているブログを通報する活動をしている(そんなブログがあったんですね!)「きよし君のブログ 2 〜 相互クリック調査隊 〜」の記事によると、「置手紙はブログパーツのひとつで、メッセージや訪問履歴を残すことができます。健全に使っていれば何も差支えがないんですが、置手紙ユーザーの殆どが相互クリックをしているのが現状です(中略)置手紙ユーザーには暗黙のルールがあり、訪問履歴を置手紙に残せばランキングを応援した合図になります。こうやって複数人がグルになって相互クリックをし合っています。ポイントが入ればランキング上位になり、より多くの訪問者が期待できるからです」とのこと。


そして実際に、この掲示板(http://spider2.bbs.fc2.com/)に「おきてがみ」を活用しているブログが載っている。いくつかのブログを見てみると、確かにポイント数の割にアクセス数やコメントが少なすぎる怪しいブログが多い。断言は出来ないけれど、恐らく不正をしているのだろう。


勿論ブログ村の規約に違反しているからといって、それがどうしたという話。ただ僕みたいに「上位のブログには、何か支持される要素があるに違いない!文章力かネタか・・・」と思っている人がいるのならば「いや、彼ら・彼女らは単にズルしているだけですよ」と言いたい。「ブログランキング不正」の可能性について知らなかった頃は「僕のブログとランキング上位のブログ、一体何が違うんだ!なんでこんな写真が載っているだけのブログがこんなに支持されているんだ!」みたいなことを思っていたので(笑)今思うと、そんな真面目に考えるだけ損だったが・・・。このブログを読んでくださっている方で「ブログ村」などのランキングに参加されている方は、ランキング上位の多くは不正だと認識されると良い&「ブログランキング応援団」に参加するより、自分の記事の中身の向上が先だという気持ちでいるのが良いと僕は思う。


「ブログランキング応援団」に参加するより、自分の記事の中身の向上が先だという気持ちでいるのが良いという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村
関連記事

バカな面接官が就活生・企業に与える不利益を可視化するべきだ

一昨日このブログに「あきれた面接官」と検索してアクセスしてくださった方がいてどういうことだろうと思っていたのだが、どうやら日経が「就活生は見た あきれた面接官」という記事を載せていたことが原因のようだ。これは、面接で就活生に不愉快な思いをさせる面接官について取り上げた記事だ。


会員限定の記事なので詳しくは書けないが、記事では「『ゆとり世代だから』とダメ出しする面接官」、「面接中にタバコで離席する面接官」、「同じ質問を2度する面接官」、「居眠りする面接官」、「面接に遅刻してくる面接官(しかも謝罪なし)」などが取り上げられていた。いずれもマナーの悪いバカな面接官ばかりで、こんな人たちが就活生を審査する立場についている不条理はどうにかならないものかと思う。もしかしたら、昨日・一昨日と触れた就活生の自殺、あるいは就活が原因の鬱病は、こうしたバカな面接官にも少なからず責任があるかもしれない。


しかし一方で、単に「あきれた面接官がいました!」と報じることにどの程度意義があるのかというと、それは疑問に思う。「面接官が本当に失礼で、就活生が嫌な思いをしています」と問題提起しても、恐らく「世の中、どうしようもない奴はいくらでもいるんだから、ちょっと嫌な思いをしたからって社会問題にしようとするんじゃない」と返されるのがオチだ。


だからこそ、「面接官の〜な行動により、就活生が単に嫌な思いをするという気持ちを超えた不利益を蒙っている」との文脈を用いて面接官の行動を批判する姿勢が大事になると思っている。僕もこのブログで「バカ面接官」というカテゴリーを作り、そこでどうしようもない面接官の存在について触れているが、なぜ面接官に言動・行動の改善が求められるのかを記すよう心がけている。


例えば過去記事の「こんな面接官はバカだ〜「褒め殺し面接」をした挙句に落とす面接官〜」では、「一緒に働きたい」「次の選考も頑張ってください」と言った挙句に落とす面接官を批判した。その理由として、次の選考に進めるという合理的な期待を持ちながら落とされることにより、就活生が単にムカつくというレベルを超えて、精神的に大きなストレスを抱えることにつながることを挙げた。相性が大事と言われる就活で「一緒に働きたい」と言われて落とされる苦しみにより鬱になる可能性はゼロではないと思うし、加えて面接官に「一緒に働きたい、と就活生に言った挙句に落とす」必要性があるとも認めがたい。だからこそ、不毛にも関わらず就活生を過度に傷つける言動を認めることはできないという考えから、このような記事を書いた。


あるいは「こんな面接官はバカだ〜エントリーシートの内容を踏まえないで質問をしてくる面接官〜」では、面接官がエントリーシートの内容を踏まえない無駄な質問をすることを批判したが、これには面接にて不毛なやり取りをすることは就活生の時間(面接時だけでなく、面接対策の時間も含む)を奪うことにつながるという理由がある。特に面接が立て込んでる3月・4月辺りは1日に何社もの選考・説明会に参加する予定が入っている人も珍しくないわけで、そんな就活生の「時間」という利益を面接官の無駄な行為で奪われることはクソでしかない。


就活生の時間を無駄に奪うことは認められないという文脈からは、日経の記事にもある「同じ質問を2度する面接官」、「居眠りする面接官」、「面接に遅刻してくる面接官」なんかは批判の対象になる。就活生は同じことを何度も答えるほど、あるいはおっさん・おばさんの寝顔を眺めるほど、そして遅刻してくる面接官を無駄に待つほど暇じゃない(今回の記事とは関係ないが、就活生が面接に遅刻して、面接官を待たせることも同様に非難されるべきだとは思っている)。


以上は単なる例示で、他にも面接官が改めるべき行為はあるだろう。今回の記事では「面接官の行動が就活生に不利益を蒙らせる」という文脈を多用したが、バカな面接官は企業にとっても有害な存在だ。企業のイメージダウンにつながる危険性もあるし、そもそも「会社に必要な人材を見極めるために、一人一人の能力・適性を審査する」という面接官の職務も果たしていない訳だから。正直今回の日経の記事がどれほど信憑性があるのかは少し疑わしいが、もし記事に出てきた面接官が実在するなら、彼らの言動・行動により企業・就活生がいかなる不利益を蒙るのかを可視化することが重要だ。


バカな面接官が就活生・企業に与える不利益を可視化するべきだという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村
関連記事
main_line
main_line
ブログランキング
おかげさまで、ブログ村の「就職バイトブログ」のカテゴリで「1位」を取ることが出来ました。この場を借りて、お礼を申し上げます。これからも記事を多くの人に読んでいただけたらと思いますので、もし宜しければ、今後ともランキングへのご協力を宜しくお願いいたします。
twitter
主に、ブログの更新情報をお届けするアカウントです。もし宜しければ、フォロー、あわよくばリツイートをお願いいたします。
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
プロフィール

Author:lingmu
FC2ブログへようこそ!

最新トラックバック