面接において「自己PR」なんかいらない
ここ2回の記事では「卒業後就活」について書いているけれど、このようなことを書くと「日本の就活はダメ、その点海外の就活は素晴らしい」という海外礼賛者に思われそうな気がしている。しかし、僕には「海外の就活は素晴らしい」という気持ちは無い。なぜなら僕は、海外の就活事情について大して知らないからである(笑)「卒業後に就活してもハンディキャップにならない」、「大学の専攻と入社後の仕事がつながっている」などの漠然としたイメージはあるが、それらはあくまでイメージであり知識じゃない。
日本の就活のおかしさを指摘する際には、海外の就活事情に詳しくないよりは詳しい方が良いに決まっている。だから勉強しようとは思っているのだが、一方で海外の事情に詳しくなると自分が「海外では〜だから、日本の就活はおかしい」という文脈を用いてしまいそうで、それが少し怖いと思っている。海外の事情関係なしに、おかしい慣行をおかしいと指摘するのが理想なので。
そんな自分の中の理想に沿った問題提起の一つが、面接における「自己PR」の不毛さである。自己PRは日本に限らず海外の就活においても定番ともいえる行為のはずだが、面接にて自己PRを語ることは、どうも日本人には合わないように思えるのだ。だから、いかに海外企業で自己PRの重要性が語られていようが、日本の就活(特に面接の場面)では自己PRはいらないとの立場に僕は立つ。
就活の自己PRについて一番辛らつなことを言っていると思われるのが作家の曽野綾子さんで、彼女は以下のように述べている(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31782?page=2)。
しかし、曽根さんとリクルーターの声を見て、あることを言いたくなった人も少なくないと確信している。そう、「就活生に自己PRを求めているのは、他ならぬ面接官の皆さんですよね?」と(笑)自分で自己PRを求めておいて、いざ就活生が自己PRをしたら「痛いわー」とか言い出す社会人。一体何を考えているんだろう。いい加減、自分がどれだけおかしなことを言っているか気づいて欲しいものだ。
人にもよるだろうけれど、就活生だって好き好んで自分の強みを語っているわけじゃないだろう。面接官が求めてくるからそれに答えているだけで。まさか企業は、「自己PRをしてください」との要求に対して「自分の長所を人前で恥ずかしげもなく披露することは私には出来ません!」との答えを求めているわけではあるまい。ちなみに、自己PRを求められた際の石渡さんの答えは「自分はバカ学生だった。勉強もサークルもろくにやってこなかった。でも、将来は○○な仕事で世界を変えたいと思っている」というものなのだが、現状の就活でこんなことを言ったらアウトになる可能性の方が圧倒的に高いはずだ。
就活生は面接官に求められて、仕方なく自分の強みを語っている。そして面接官は「就活生の自己PR痛いわー。普通、自分で『私は○○のような人間』だとは言わないから(笑)」と思っている。そんな状況下では、もはや自己PRなんか面接の場で語らせる必要なんか無いんじゃないか。
代わりに「新入社員はなぜ『期待はずれ』なのか」という本の第5章で紹介されている「雑談面接」が当たり前になれば良いと僕は思っている。この本はあまり読者からの評判が良くないのだが(笑)、その中でも5章だけは一定の評価を受けている。「雑談面接」とは志望動機や自己PRは不問で、徹底して過去の行動事実を浮き彫りにし、それを評価対象にする形式の面接だ。実際にヒューレット・パッカード(HP)社では、このような形式の面接が行われているらしい。自己PRを聞かずとも面接が成立する一例といえる。
加えて雑談面接には就活生・面接官共にマニュアルに頼らない、自然な会話をしやすくする効能があるように思える。「○分間で自己PRをしてください」との質問は、「はい、私の強みは○○です。学生時代、私は〜な活動に取り組み・・・」というテンプレを答えることにつながりやすい。就活生のマニュアル依存が批判されるけれど、自己PRを求める質問に対しダイレクト且つ簡潔に答えようとすると、どうしてもテンプレ通りのものになるのは避けられない。それに対して雑談面接だと用意してきた答えを喋ることは少なくなり、自然な会話が成立しやすくなるのは想像に難くない。
ヒューレット・パッカード社が「雑談面接」をしているからといって、他の海外企業が同じ形式を採っているとは限らない。もしかすると海外でも就活生に自己PRを求めるのが普通なのかもしれない。しかし海外で「雑談面接」がそれほど主流じゃないとしても、それが日本で主流になっちゃいけない理由は無い。もし日本では、就活生・面接官共に「自己PR」なんか茶番でしかないと思っているのなら、雑談面接がメインになるのがお互いのためになるのではないか。
人気ブロガー「ちきりん」は「もうひとつのゼロベース思考」という記事で「既存制度を前提とせずに、あるべき論(あるべき姿)を考えよう」と主張していて、この考えは就活のあり方を考える際にも有用だと思った。就活において「自己PR」は当たり前のものとされているが、それは本当に就活生が自分の能力・適性をアピールするのに役立っているのか。あるいは、面接官が就活生の能力・適性を審査する際に役立っているのか。僕はどちらも「ノー」だと思ったので、面接において「自己PR」なんかいらない+代替策として「雑談面接」が良いとの主張をした。僕の感覚では就活の有識者は「基本的には現状維持がベスト」との立場の人が多くて、「あるべき論」はただの理想論として切り捨てられる傾向が強い(しかし、ちきりんの見解に従えば、それはただの「思考停止」とのこと)。僕はもっと「自分がゼロから就活のあり方を作っていいよ」と言われたつもりで色々考えたいと思う。
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日本の就活のおかしさを指摘する際には、海外の就活事情に詳しくないよりは詳しい方が良いに決まっている。だから勉強しようとは思っているのだが、一方で海外の事情に詳しくなると自分が「海外では〜だから、日本の就活はおかしい」という文脈を用いてしまいそうで、それが少し怖いと思っている。海外の事情関係なしに、おかしい慣行をおかしいと指摘するのが理想なので。
そんな自分の中の理想に沿った問題提起の一つが、面接における「自己PR」の不毛さである。自己PRは日本に限らず海外の就活においても定番ともいえる行為のはずだが、面接にて自己PRを語ることは、どうも日本人には合わないように思えるのだ。だから、いかに海外企業で自己PRの重要性が語られていようが、日本の就活(特に面接の場面)では自己PRはいらないとの立場に僕は立つ。
就活の自己PRについて一番辛らつなことを言っていると思われるのが作家の曽野綾子さんで、彼女は以下のように述べている(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31782?page=2)。
また、「就活のバカヤロー」では、大手広告代理店でリクルーターをしていた人の声が載っている。自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露できる人は、他者の視点で自分を見ることができていないということです。だから平気で『自分はリーダーに向いています』なんて面接で言ってしまう。周囲は『出しゃばりな奴だな』と思っているかもしれないでしょう。自分のことをこうだと思い込むと、結局は自分勝手で幼稚な自己表現しかできなくなると思います
著者の石渡さんもこの意見に同意しており、就活生の自己PR・自己分析を否定している。印象に残る学生と言うのは、わざわざ自分から○○のような人間だとは言いません。会った後に、あいつは○○だったなと自然に評価されるものですよね
しかし、曽根さんとリクルーターの声を見て、あることを言いたくなった人も少なくないと確信している。そう、「就活生に自己PRを求めているのは、他ならぬ面接官の皆さんですよね?」と(笑)自分で自己PRを求めておいて、いざ就活生が自己PRをしたら「痛いわー」とか言い出す社会人。一体何を考えているんだろう。いい加減、自分がどれだけおかしなことを言っているか気づいて欲しいものだ。
人にもよるだろうけれど、就活生だって好き好んで自分の強みを語っているわけじゃないだろう。面接官が求めてくるからそれに答えているだけで。まさか企業は、「自己PRをしてください」との要求に対して「自分の長所を人前で恥ずかしげもなく披露することは私には出来ません!」との答えを求めているわけではあるまい。ちなみに、自己PRを求められた際の石渡さんの答えは「自分はバカ学生だった。勉強もサークルもろくにやってこなかった。でも、将来は○○な仕事で世界を変えたいと思っている」というものなのだが、現状の就活でこんなことを言ったらアウトになる可能性の方が圧倒的に高いはずだ。
就活生は面接官に求められて、仕方なく自分の強みを語っている。そして面接官は「就活生の自己PR痛いわー。普通、自分で『私は○○のような人間』だとは言わないから(笑)」と思っている。そんな状況下では、もはや自己PRなんか面接の場で語らせる必要なんか無いんじゃないか。
代わりに「新入社員はなぜ『期待はずれ』なのか」という本の第5章で紹介されている「雑談面接」が当たり前になれば良いと僕は思っている。この本はあまり読者からの評判が良くないのだが(笑)、その中でも5章だけは一定の評価を受けている。「雑談面接」とは志望動機や自己PRは不問で、徹底して過去の行動事実を浮き彫りにし、それを評価対象にする形式の面接だ。実際にヒューレット・パッカード(HP)社では、このような形式の面接が行われているらしい。自己PRを聞かずとも面接が成立する一例といえる。
加えて雑談面接には就活生・面接官共にマニュアルに頼らない、自然な会話をしやすくする効能があるように思える。「○分間で自己PRをしてください」との質問は、「はい、私の強みは○○です。学生時代、私は〜な活動に取り組み・・・」というテンプレを答えることにつながりやすい。就活生のマニュアル依存が批判されるけれど、自己PRを求める質問に対しダイレクト且つ簡潔に答えようとすると、どうしてもテンプレ通りのものになるのは避けられない。それに対して雑談面接だと用意してきた答えを喋ることは少なくなり、自然な会話が成立しやすくなるのは想像に難くない。
ヒューレット・パッカード社が「雑談面接」をしているからといって、他の海外企業が同じ形式を採っているとは限らない。もしかすると海外でも就活生に自己PRを求めるのが普通なのかもしれない。しかし海外で「雑談面接」がそれほど主流じゃないとしても、それが日本で主流になっちゃいけない理由は無い。もし日本では、就活生・面接官共に「自己PR」なんか茶番でしかないと思っているのなら、雑談面接がメインになるのがお互いのためになるのではないか。
人気ブロガー「ちきりん」は「もうひとつのゼロベース思考」という記事で「既存制度を前提とせずに、あるべき論(あるべき姿)を考えよう」と主張していて、この考えは就活のあり方を考える際にも有用だと思った。就活において「自己PR」は当たり前のものとされているが、それは本当に就活生が自分の能力・適性をアピールするのに役立っているのか。あるいは、面接官が就活生の能力・適性を審査する際に役立っているのか。僕はどちらも「ノー」だと思ったので、面接において「自己PR」なんかいらない+代替策として「雑談面接」が良いとの主張をした。僕の感覚では就活の有識者は「基本的には現状維持がベスト」との立場の人が多くて、「あるべき論」はただの理想論として切り捨てられる傾向が強い(しかし、ちきりんの見解に従えば、それはただの「思考停止」とのこと)。僕はもっと「自分がゼロから就活のあり方を作っていいよ」と言われたつもりで色々考えたいと思う。
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