学校教育が「社畜」を生み出す土壌になっているだって?
和田実さんという方が書いた「社畜を“育む”学校教育?"やりがい""自己実現"という洗脳が社員を蝕む」という記事では、日野瑛太郎さん著の「あ、"やりがい"とかいらないんで、とりあえず残業代ください」で提起されていた議論が紹介されている。その議論とは、簡単にいえば「人が"社畜"へと洗脳されていく過程がある」というものだ。
こうした議論は今野晴貴さん著の「ブラック企業」でもなされていて、日野さんの本に書かれている議論は今野さんの議論と結構重複している。具体的には「就活や新人研修で洗脳がなされることで、人が違法行為を受け入れるようになっていく」という主張などが共通している。ただ一方で、僕が見落としているのでなければ日野さんの本のみで主張されていることもあって、それが「学校教育が社畜を生み出す土壌になっている」というものだ。
その具体例の一つとして挙げられているのが職場体験だ。本では次のように書かれている。
このように感じているので、職場体験への評価としては児美川孝一郎先生が「キャリア教育のウソ」という本で展開している主張の方が個人的にはしっくりくる。児美川先生は、労働政策研究・研修機構が全国の20代半ばの若年者を対象に実施した「学校時代のキャリア教育と若者の職業生活」という調査を紹介しながら、職場体験というイベントが生徒に「気づき」をもたらすことは確かだけれども、その気づきが学生の中に定着し後々にまで影響を与えるのかというとそういう訳ではないと主張している。要は、現在の職場体験の問題点は体験が「一過性のイベント」に留まり、そこで得たことが風化してしまう点にあるのだという。
何をもって「一過性」と言えるのかというと、具体的には中学生の時はほぼ全員が職場体験に取り組むにも関わらず、高校生になると3割弱しか取り組んでいないという事情が挙げられるらしい。即ち、(僕もその一人だが)多くの人にとって「職場体験」とは中学の時に一度やって、その時点では何となく楽しめたり気づきを得られたりしつつも、結局のところその時の経験は後にほとんど忘れてしまっている・・・という性質の体験になってしまっていると言える。
上述の「学校時代のキャリア教育と若者の職業生活」という調査では、「中学時代に将来の進路や職業について学習したこと」が「かなり役立っている」と答えた人はわずか1.9%で、「やや役立っている」と答えた人も16.2%に留まるという結果が出ているそうだ。逆に「ほとんど役立っていない」と答えた人は32.9%で、「あまり役立っていない」と答えた人も25.1%いる。児美川先生はこのデータも踏まえて「職場体験の教育的効果は小さいのではないか?」と主張していて、確かにこうしてみると、現在の職場体験には「社畜を生み出す土壌になっている」と言えるほどの影響力は無く、その問題点は「何となく行われている、あんまり意味が無いイベントになっている」と捉えるのが妥当なのではないかと個人的には思っている。
現在の職場体験の問題点は、体験が「一過性のイベント」に留まっていることなんじゃないか?という意見に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします
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こうした議論は今野晴貴さん著の「ブラック企業」でもなされていて、日野さんの本に書かれている議論は今野さんの議論と結構重複している。具体的には「就活や新人研修で洗脳がなされることで、人が違法行為を受け入れるようになっていく」という主張などが共通している。ただ一方で、僕が見落としているのでなければ日野さんの本のみで主張されていることもあって、それが「学校教育が社畜を生み出す土壌になっている」というものだ。
その具体例の一つとして挙げられているのが職場体験だ。本では次のように書かれている。
冒頭で触れた和田さんは、記事の最後で「著者は戦後から社畜化教育の歴史を振り返るが、歴史を見れば、明治期の"軍人勅諭"や"教育勅語"に見られる"滅私奉公"の思想が、戦後は"国"から"会社"へとその対象を変えたにすぎないことは明らか」と言っているので、恐らく日野さんの話の大部分に同意しているのだと思う。ただ僕は、特に引用部分の最後「いつしか生徒たちは"お金よりも、やりがいの方が大事だ"という価値観が正しいと考えるようになります」という点に違和感を覚えた。単純に「本当に生徒たちはそんな価値観を持ってるの?」という感覚もあるけれど、それ以上に(これはこれで問題がある気がするが)「職場体験で得た気づきが生徒の心に残っているものだろうか?」という疑問がある。学校教育の目玉である職場訪問・職場体験でも、強調されるのはこういった労働の「自己実現」「社会貢献」といった側面です。「仕事にやりがいをもって取り組む大人たちの姿」や「人や社会の役に立つことで金銭以外の喜びを得る大人たちの姿」をたくさん見せられて、子供たちは「働くことはお金のためだけではない」ということを学ばされます。このように、「働くことはお金のためだけではない」と教えられているうちはまだいいのですが、あまりにも「仕事で得られるお金以外のもの」が強調されすぎているため、いつしか生徒たちは「お金よりも、やりがいの方が大事だ」という価値観が正しいと考えるようになります
このように感じているので、職場体験への評価としては児美川孝一郎先生が「キャリア教育のウソ」という本で展開している主張の方が個人的にはしっくりくる。児美川先生は、労働政策研究・研修機構が全国の20代半ばの若年者を対象に実施した「学校時代のキャリア教育と若者の職業生活」という調査を紹介しながら、職場体験というイベントが生徒に「気づき」をもたらすことは確かだけれども、その気づきが学生の中に定着し後々にまで影響を与えるのかというとそういう訳ではないと主張している。要は、現在の職場体験の問題点は体験が「一過性のイベント」に留まり、そこで得たことが風化してしまう点にあるのだという。
何をもって「一過性」と言えるのかというと、具体的には中学生の時はほぼ全員が職場体験に取り組むにも関わらず、高校生になると3割弱しか取り組んでいないという事情が挙げられるらしい。即ち、(僕もその一人だが)多くの人にとって「職場体験」とは中学の時に一度やって、その時点では何となく楽しめたり気づきを得られたりしつつも、結局のところその時の経験は後にほとんど忘れてしまっている・・・という性質の体験になってしまっていると言える。
上述の「学校時代のキャリア教育と若者の職業生活」という調査では、「中学時代に将来の進路や職業について学習したこと」が「かなり役立っている」と答えた人はわずか1.9%で、「やや役立っている」と答えた人も16.2%に留まるという結果が出ているそうだ。逆に「ほとんど役立っていない」と答えた人は32.9%で、「あまり役立っていない」と答えた人も25.1%いる。児美川先生はこのデータも踏まえて「職場体験の教育的効果は小さいのではないか?」と主張していて、確かにこうしてみると、現在の職場体験には「社畜を生み出す土壌になっている」と言えるほどの影響力は無く、その問題点は「何となく行われている、あんまり意味が無いイベントになっている」と捉えるのが妥当なのではないかと個人的には思っている。
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