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「社会問題を解決したい。でも、いざ問題が解決に向かうのは困る」という矛盾した感情~「自らの手で強引に問題を作る」動きに歯止めをかけよう~

分野を問わず社会問題の解決のための活動に携わる人は多くいると思う。それはNGO・NPOという形かもしれないし、学生団体という形かもしれないし、あるいは就活デモのように一時的に共通の目的の達成に向けて共に活動するという形かもしれない。いずれにしても、そのような活動に携わる人たちは世の不条理に憤りを覚え、その不条理の撲滅を目指していることは間違いない。


ただ、就活デモに携わった経験を持つwilliam yaminさんから次のようなコメントを頂いた。

別に誰がという話ではなくあくまで一般論ですが、もっと深刻な状態として、ある問題に対する政治活動なり執筆活動なりで一度生活が成り立ってしまったら、むしろこのまま問題が解決しない方が自分にとっては得だという心理状態に陥っても不思議じゃないだろうな、というのも就活デモやってた時に感じたことです。社会問題の解決や啓発などを本業にするのはなんだかかっこいいし、やりがいもあるかもしれませんが、皮肉なことに自分が解決したいと思っている問題のお陰で食べられるという構図も生まれてしまう

このコメントを見た際に真っ先に思い浮かべたのが「め組の大吾」という漫画で主人公の朝比奈大吾が抱いた葛藤である。朝比奈大吾は消防士として活躍し、且つ仕事にも誇りを持っている。しかし一方で「もしこの世から火事が無くなったら、自分の存在価値は無くなるのではないか?」という葛藤を抱えていた時があったのだ。その葛藤を同僚に吐露した際には同僚と殴り合いの喧嘩に発展してしまうが、朝比奈大吾が抱いたような思いに共感できる人も少なからずいるのではないだろうか。


william yaminさんは「皮肉なことに自分が解決したいと思っている問題のお陰で食べられるという構図も生まれてしまう」と述べたわけだが、これが進むと「自らの手で強引に問題を作ってしまう」という構図も生まれかねない。どういうことかというと、一般的には「それは、さほど問題じゃないでしょう」と捉えられる事象をわざわざ「問題」として規定するという行為が起きかねないということだ。


そんなことをして何のメリットがあるのかというと、活動者が「社会問題の解決に取り組む自分」をより長期的に維持できるという点が挙げられる。実際に活動に取り組んだwilliam yaminさんが「社会問題の解決や啓発などを本業にするのはなんだかかっこいいし、やりがいもあるかもしれない」と述べているので、そのような状態に身を置ける時間を長引かせれば、それが自分の幸せにつながってしまうという側面があると言えるのではないか。且つ、朝比奈大吾が抱いたのと同じような「この社会問題が解決されたら、自分の存在価値は無くなるのではないか?」という不安からも解放される。


ここまで他人事のことのように考えを述べてきたけれど、他ならぬ僕も就活問題に関して「自分で強引に問題を作っている」動きをやってしまっている可能性がある。実際、過去記事の「"ウチが第一志望ですか?"いう質問を1次面接の段階でするのはおかしくないか」には「私は別にそこまで不自然さは感じませんが……」、「タテマエがバカバカしいのは分かるんだけど、セクハラみたいに就活生を傷つける質問ではないしねえ・・・」というコメントが寄せられている。言うまでもなくこれらは「あなたが指摘していることって、別に取り立てて問題にすることじゃないですよね?」という趣旨のコメントだ。僕としては「"ウチが第一志望ですか?"という質問を1次面接の段階ですること」という行為を問題に感じたからこそ記事で取り上げたという意識なのだが、もしかすると無意識のうちに「"就活問題を批評する自分"をできるだけ維持するために、多少強引にでもこの行為を問題視してしまおう」と感じていたのかもしれない。


「自らの手で強引に問題を作る」動きを活発化させている当の本人が、自分の問題提起のおかしさに気づいていないということは十分あり得る。加えて問題提起をした当の本人からすれば「普通の人が気づいていない問題を自分は可視化することが出来ているぞ・・・」というバカな自己評価をしている場合がある・・・ということが自分のブログ執筆という経験から言える(笑)だからこそ誰かが行った問題提起をすべて是とするのではなく、問題にする必要性が感じられない主張を却下するという、問題提起に対するフィードバックが非常に重要となる。そうすることで「検討・解決すべき問題」と「取り立てて議論する必要がない問題」の仕分けが進み、重要性が高い事項に関する議論が進むのではないだろうか。

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若者支援団体は、若者からのありとあらゆるクレームを受け入れるべきなのか~既卒者カフェを活動中止に追い込んだかもしれない要素~

このブログでも取り上げたことがある「既卒者カフェ」さんが活動を終了したそうです。なぜ活動を中止することになったのか、その理由は書かれていない。ゆえに以下書く事はあくまでも僕の推測が大いに含まれていることをご了承頂きたいが、活動中止の理由の一つは「既卒者カフェと利用者間のトラブル」にあると考えている。


しばらく前に、当ブログのライターページに、これまで何度も投稿してくださった「すみ」さんという方が次の文章を送ってきてくださった(ちなみに、僕の判断で記事の公開をお断りしました)。

この間、既卒者カフェ様のアカウントにおいて、情報、サービスの求人がありました。僕はこの求人に興味を持ち、「詳細が知りたいですw」とリプライを送りました。すると、既卒者カフェ様から「なぜ「w」をつけるのですか…?それではちょっと紹介できません。」とのリプが。言い方にすこしカチンときてしまい、ついつい棘のあるリプを返してしまいましたが、そこで感じたのは、なんで「w」という文字一つで、ここまで言われなければならないのだろうかということです。その後のツイートのやり取りにおいて「ウチは公共の団体でも民間企業でもありません。その中でも求人の紹介となると信頼と信用の関わり合いになります。細かい所とは思いません。詳細の問い合わせはHPからとあるように、「各種お問い合わせ」からお願いします。Twitter上で行うことではありません。」そこで疑問に感じたのは、「w」という言葉尻だけを捉えてなぜ、信頼、信用の関わり合という話になるのか、ということです。

既卒者カフェ(正確には代表の山口さん)が、「すみ」さんから見て些細な理由で求人情報の開示を断ったということがあり、これをきっかけに両者の間で言い争いが起きていた。この点に関して、確かに山口さんの対応にも大いに疑問があったのだが、一方で3月2日からはじまる「すみ」さんの既卒者カフェを批判する一連のツイートの中でも「これは既卒者カフェが活動をやめても仕方がない」と感じられる発言があり、この点が今回の既卒者カフェの活動中止に大いに関わるものだと僕は思っている(山口さんは決してそうは言わないでしょうが)。


僕の感覚では、例えば次のようなツイートは正当な批判だと思う。

ツイート削除(3.25)

これらは当初の「求人情報を公開しなかった」という事実と関連する批判ではないけれど、「既卒者カフェに~な問題点があって、それを是正するべきだ」という意思が伝わり、既卒者カフェもこれを無視するのは妥当ではないものだと思う。ただ問題なのは、このような正当な批判に加えて次のようなつぶやきもあったことだと思う。

ツイート削除(3.25)

恐らくこのツイートが大きな原因となって既卒者カフェは「すみ」さんをブロックすることになるのだが、このことがきっかけに既卒者カフェに対して、正当な批判と共に次のようなブーイングがつぶやかれる。

ツイート削除(3.25)

これは各々で判断が分かれるだろうけれど、僕が山口さんだったらこのようなことを言われたら、あるいは言われているのを見つけたら既卒者カフェの活動は絶対にやめます(笑)自分にとって耳が痛いことでも、「組織運営に関して~な点が問題があるので、それを是正してください」という声は聞けるけれど、さすがに「あの人、既卒者を利用しているんじゃないか?」とまで言われてまで時間と労力を割いて既卒者の活動をすることは出来なくても仕方がないと思う。もしかすると「若者支援団体は、誹謗中傷に近い声も聞き入れて活動をするべきだ」という意見もあるかもしれないけれど、僕はそうは思わない。さすがに人格批判をされてまで既卒者のために活動を続ける責務なんかはあってたまるかと思う。


「すみ」さんのブロックを通じて、他にもこんな声が発せられる。

ツイート削除(3.25)

これは一見正論のように見える・・・というかほぼ正論なのだけれど、場合によっては「異を唱える者を排除」することが認められる例もあるのではないか。その例として、上で取り上げたような「既卒者を利用しているんじゃないか?」という形での異議申し立てを受けた場合は含まれるのではないかと僕は思う。こうした異議申し立てを排除することをもって「宗教みたいなもの」なんて言われたら、僕が山口さんの立場だったら「ふざけるな、こっちはサンドバッグじゃないんだぞ」と言ってきっぱりと活動をやめます(笑)


再度断っておくと、山口さんの対応には問題はあったし、また今回主に批判した「すみ」さんのつぶやきにも正当なものは多く含まれていた。ただ、「すみ」さんの批判ツイートの中で人格批判もなされていたことは大いに問題はあると思うし、これが既卒者カフェの活動中止につながっていると僕は思っている。そして今回の出来事が、利用者の若者支援団体に関する関わり方を考えるきっかけになることを願っている。僕の目から見て、今回既卒者カフェという若者支援の場を中止に追い込んだのは、他ならぬその活動で恩恵を受けるはずの利用者の声だったと思うので。何も利用者は若者支援団体に対して「このような場を与えてくれて、本当にありがとうございます!」と過度に感謝をする必要は一切ないと思うけれど、一方で批判を述べる際に最低限の注意をするなどのことは意識するべきではないだろうか。

※元々は「ツイート削除(3.25)」の箇所にはツイートが引用されていたのですが、最終的に僕の判断で消去いたしました。そのため記事の脈絡が掴みにくくなっていますがご了承ください。ツイートが消去されるに至った事情は、僕のコメント返信を見れば分かると思いますので、興味がある方は見てみてください。

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三菱樹脂事件という「企業の採用活動の自由」に関する判例~「あなたは就活デモに参加していたから不採用」と企業が考えるのもOKか~

このブログでは、「企業の~な採用活動はおかしい」というダメ出しをする記事が多い。しかし一方で裁判所は、企業の採用活動の自由を広く認めている。企業の採用活動の自由について裁判所が見解を示したのが、三菱樹脂事件というケース。憲法を勉強したことがある人は絶対に一度は耳にしたことがあるはずの、とても有名な判例である(「カクさん」さんが「不採用の理由が分からずに苦しむ就活生をサポートする役割を担うべきなのは企業ではない」という記事のコメント欄でこの事件を紹介していますが、僕もそれ以前からこの事件の概要は大体は知っていた・・・ということを一応書いておきます笑)。


これは三菱樹脂株式会社に採用された人(以下、X)が、在学中に学生運動をしていたにも関わらず入社試験でそのことを隠していたという理由で3ヶ月間の試用期間終了時に本採用を拒否されたことに異議を唱えた事件。Xは裁判所に対して本採用の拒否が有効であるかどうかを争い、地方裁判所・高等裁判所はXの言い分が正しいと判断したのだが、その判断は最高裁によって覆された。


細かい理屈を書くと記事を読むのをやめてしまう人が現れかねないので(笑)いきなり結論の一部を大雑把に書くと、この事件で最高裁は「企業が誰を採用して、誰を不採用にするかはその企業の自由。だから、企業が特定の思想・信条を有することを理由に採用を拒否しても、それは当然に違法行為とはみなされない。さらに、企業が労働者を採用するか否かを決めるにあたっては、応募者の思想・信条を調査することも問題ない」と判断している。憲法の22条や29条上、企業は営業・その他経済活動を行う自由が認められており、その自由の一環として企業には「自分が採用したいと思った人と契約を結ぶ」ことが認められているといえる。


確かに企業が国から「この人を採用しなさい」なんて強制されたらたまったものではないので、この権利が尊重されるべきことは疑いようがない。しかし、この裁判所の判断に対する批判は強かったらしい。例えば、憲法学者の芦部信喜先生は、「絶対的に保障される思想・信条の自由について判決のように考えるのは疑問だ」と裁判所の判断を批判し、且つ「学説上も批判的な立場が有力である」と他にも判決の内容に異議を唱える学者がいることを示唆している。


芦部先生の見解としては、三菱樹脂事件における裁判所の見解を貫くと「~な活動に参加したいけれど、その活動に参加していたことがバレたら就職に不利になってしまう・・・」という萎縮効果をもたらす危険性があるということだと思う。その具体例として考えられるものの一つに就活デモが挙げられる。例えば就活デモをやりたいが、デモの企画者となるなら実名を晒さないと参加者が怪しがって集まらなくなるかもしれない。しかし、就活デモのホームページを作ってそれに実名を載せ、それを企業に見られたら就職がどうなるか分からない。だから、やっぱりやるのは止めたほうが良いという自制心が働いてしまう、と。


三菱樹脂事件で裁判所は「法律その他による特別の制限」がある場合には、企業の採用の自由が制約されるとも判断しているが、労働政策研究・研修機構によれば「思想・信条:思想や信条(考え方)を理由として採用しないことに関しては、明確にこれを禁止する法律の規定がありませんので、原則として認められることになります」ということなので、企業が応募者の氏名を検索した上で「この人、就活デモに参加してたみたいだから、雇うのを止めておくか」と判断することは法律上問題はないということになるのだと思われる。もっとも、その不採用理由を応募者に正直に伝えたら民法上の不法行為にあたる可能性が出てくるようだが。


このケースから伺えるのは、企業の採用活動の自由を貫くと、一方で応募者の利益が損なわれる場合があり、両者の利益の調整が必要になるということだ。あまりにも企業の自由を認めると、極端な話「女性は子供を産んで辞めるだろうから、いらないよ。男女雇用機会均等法なんか必要なくね」ということにもなりかねないし、それは性別が自分の努力でどうこうできるものではないことを鑑みると非常にまずいと思う。かといって、企業に過度に「応募者間の平等」を求めても、それは企業からしたら「私たちが採用したいと思った人を、素直に採用させてくれよ」と考えるに違いない。もっとも何をもって「企業の採用活動の自由と、応募者の利益の調整ができている」といえるかは分からず、それは現在考えているところだ。


企業の採用活動の自由と、応募者の利益の調整を考えることが必要だという考えに共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「アホ大学のバカ学生」の就活デモ評はでたらめなのでご注意を

昨日、新宿で就活デモが開かれた。デモでの訴えの内容は「雨空の新宿に響く "私たちは就活の奴隷じゃない"」という記事で確認できる。また、デモの様子はこちらのurlで見ることが出来る(http://www.ustream.tv/recorded/27214553#utm_campaign=t.co&utm_source=27214553&utm_medium=social


twitterで「就活デモ」と検索すると、案の定「就活デモとか暇人かよ」、「新宿で就活デモやってるらしい。後輩の諸君、お願いだからああいうことしないでね笑」など否定的な反応も見られた。でも、それは個人の感想だから別に良い。問題なのは、就活デモの目的・活動内容を誤った形で記し、それを本に掲載している人。そう、石渡嶺司さんである。


石渡さんは、今年のデモについて次のようにつぶやいている。
石渡さんは現在の就活のあり方に異議を唱える「就活のバカヤロー」の著者の訳だが、就活デモに対しては上のような反応だ。ちなみに、このブログによくコメントをくださるwilliam yaminさんは就活デモの活動に携わった経験を持つ方だが、彼は石渡さんと1対1で話した時に石渡さんから「"そんなことやったって何も変わらないんだから無駄な努力はやめるべき"といった具合に現状を変えようと行動を起こすこと自体を否定する発言」を多くされたらしい。


勿論、石渡さんが就活デモに反対するのは石渡さんの自由だから問題ない。正直、「"就活のバカヤロー"を出した割には、現在はただの就職指導の人みたいになってますね」という気持ちを石渡さんに対して持たずにはいられないが、彼がどのような仕事をするのかも彼の自由なのでそれも問題ない。石渡さんに対しては「(石渡は)どうせ就活についてはステークホルダーだから(だから、就活デモに反対しているんだろ)」という意見も寄せられたらしいが(http://reiji0.exblog.jp/15247836/)、それは筋が違うと思っている。


しかし、石渡さんの著書「アホ大学のバカ学生」における就活デモの評価は全く気に入らない。なぜなら、その本にはあたかも就活デモが「自分が就職できないことを社会に責任転嫁する活動」であるかのように書かれているからだ(石渡さんは本で、去年行われた「就活ぶっこわせデモ」について言及している)。


石渡さんの理屈としては、そもそもデモとは「個人ではどうにもならない大きな問題に対して世論に訴える手段」であり(冷静に考えて、この記述もおかしい気がする)、この点「内定の出る出ないは個人の問題」なので、デモとして訴えるトピックとしては不適切なのだということ。その上で、就活が厳しいと言っても過半数の人は内定が取れているということも言っていた。


しかし、ほんの少し就活デモについて調べれば、デモには内定者もいるということ(http://hosyukakumei.blog.fc2.com/blog-entry-8.html)、まだ就活を本格的にはじめていない大学3年生の方も参加していたこと(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-94.htmlで触れた朝日新聞の記事にて)、訴えの内容には「学生に勉強する時間を」「大学は就活予備校じゃない」などその訴えが通ったところで個人の内定を保証しないものが含まれていたこと(http://news.nicovideo.jp/watch/nw138804)がすぐに分かる。石渡さんが書いた就活デモに関する記述は、恐らく本当に最低限の調査すらなされないで書かれたものだと思う。本の記述を見る限り、石渡さんの中ではじめから「就活デモとは~な活動だ」というイメージが決まっていて、それをそのまま書いただけとしか思えなかった(良かったら、本屋でアホ大学のバカ学生の第4章を立ち読みしてください)。別に就活デモに反対するのは良いのだが、あんまり適当なことを書かないで欲しい。こんな記述が含まれている本を出すなんて、まともな仕事じゃない。


しかも、就活デモが「就職難を社会に責任転嫁する活動」と評価する根拠が、就活デモと無関係の、某左翼政党関連のシンポジウムにおける学生の発言と言うのもおかしなところ。確かにその学生は「自分は高い向上心があるが、企業はそれを相手にしなかった。だから就職難だ」と言っていたようなので、その学生の姿勢を批判するのは妥当だと思う。しかし、なぜその学生の発言から「就活デモの姿勢は~なものだ」と言えるのか。本を読んでも、僕にはそれが全く分からなかった。


就活デモに賛成するか、否定するかは個人の自由だ。しかし、石渡さんのように「就活デモって、どうせ~な活動なんでしょ」というイメージをもって、短絡的にデモの内容を決め付けることは止めるべきだ。せめて一度、就活デモについて書いた記事や動画を見て、その上で評価をするべきだと思う。


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見るからに単なる自己満足の「就活デモ」であっても、外部の人間がそれを否定する必要は無い

今年も勤労感謝の日に就活デモが開かれる。僕が知る限り、勤労感謝の日に開かれる就活デモは2009年に行われた「就活くたばれデモ」が始まりで、その後2010年の「就活どうにかしろデモ」、2011年の「就活ぶっこわせデモ」、「カルト就活やめなはれデモ」と続き、今年の就活デモに至る。それぞれのデモの主催者・参加者は異なるが、全体としてみれば何だかんだで今年で4年目を迎える息の長い活動になりつつある。


本来ならばこの記事で「このデモは~なことを訴えようとしているんです!」という告知が出来たらと思っていた。しかし、デモの公式twitterアカウント「@d2012_shukatsu」に載っているホームページのurlをクリックしたら、まさかの"forbidden"の文字が(笑)また、デモのfacebookページを見てみても(http://www.facebook.com/d2012syukatsu)、「交流会のお知らせ」はあれども肝心の主張内容は載っていなかったので、なんとも言いようがないというのが正直なところだ。まだデモまで日数はあるので、当日までに何かしらの見解が発表されるのかもしれない。


一つ分かっていることは、今年のデモは「お祭り色」が強いものになるということ。事実、就活デモのtwitterを見ると次のようなツイートを確認できる。デモの企画者のアカウントも少し覗いてみたけれど、その人個人も「デモは社会を変える手段ではなくて、そういう意見もあるという発信だとおもっているので、お祭騒ぎと変わらないと思います」という見解を示していた。それに加えて、デモの企画者が就活デモの公式ホームページを見れない状態を放置していることを鑑みると、多分今年のデモの企画者・参加者は各々の問題意識を文章化するなどして「就活には、こんな問題があるんですよ!」と人々に気づかせることには消極的で、あくまでも現在の就活に対する不満を吐き出す「場」を作ることに力を入れているといえる。


誤解しないで欲しいが、僕はそれが悪いことだとは思わない。勿論可能ならば、去年本田由紀先生が「就活ぶっこわせデモ」にアドバイスしたような、「できるならば、そうした声をあげることが、できるだけ実質的な問題の是正につながるように、試みていただきたいと思います。現状の問題点や改善の方向を、デモに参加せず外から見ている人たちにもわかりやすい形で提示することや、より広い範囲の人々からも賛同してもらえるような観点で取り組むことが、おそらく有効だと思います」という心構えを持つことが望ましい(http://hosyukakumei.blog.fc2.com/blog-entry-44.html)。しかし、wikipediaには「デモ活動は、公の場で集団で自らの意思や主張を示す行為である(中略)主張されるテーマは、政治や経済・社会に対するものなど多岐に渡り、それらは個人的な主張から、社会問題を示して世間にアピールすることを目的とするものまで、さまざまである」と書かれており、これが正しければ、別に「デモをする=社会に埋もれている問題点を示すことで、社会をより良くする」という構図に必ずしも乗る必要は無く、単に「俺たちは現在の就活にムカついているぞ!」という意思表示をする目的で行われるデモ、悪く言えば「自己満足」のデモであっても全然問題ないと言えそうだ。去年僕は特に「就活ぶっこわせデモ」に対して、「デモをやるんだったら、外部の人にも問題を理解してもらえるような、説得力のある主張を練り上げる必要があるのではないか」という批判をしたが、それは筋違いのものだったと今では思っている。


もしかすると、「"リクルートスーツを着て鎖に繋がれる集団パフォーマンス"なんかされたら、就活生が皆馬鹿だと思われるし、非常に迷惑だ」と感じる人がいるかもしれない。しかし、そういうパフォーマンスを通じて意見を表現する権利を就活デモ参加者から奪えないことは事実なので、この点に異議を唱えるのは難しい。また、このパフォーマンスの実行を通じて馬鹿だと思われるのはデモ参加者のみであり、きちんとした形で問題提起をすればそれはそれできちんと評価されるだろうとも思っている。実際、去年の就活ぶっこわせデモには「酷すぎる」「馬鹿」という評価が下される傾向があったが、そのデモ後に発売された「これが論点! 就職問題」には就活シンポジウム実行委員会作成の「就活生からの就活改革・第一次提言」が収録されている。だから、今年の就活デモには個人的にはあまり共感しないけれど、逆に共感する人はその活動にどんどん参加していけばよいと思っている。


不幸なのは、デモ活動などを通じて「実質的な問題の是正」につなげようとする人たちが今年の就活デモに参加してしまうこと。実際、去年の就活ぶっこわせデモが開いた「就活の問題を考える院内集会」の準備に際して、関西の参加者たちが「就職活動の問題点を改めて再考して申し入れ内容の考案、プレスリリースや各種案内の文書作成、議員事務所への個別の勧誘」などの仕事を引き受け集会を実りあるものにしようとしていたのに対して、関東の参加者たちには「カップルが成立すればよいだとか、就活なんかしなければいい」という意識を持っている人が多かったことから、関西の参加者の一人が「いずれにせよ、彼ら(注:関東の参加者たち)とは私は今後いかなる形でも関わりたくはありません」とコメントしてくださっている(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-190.html)。この例からも分かるように、あまりにも意識が違う人たちと共に活動をしても得るものは少ないし、単なる時間の無駄に終わりかねない。幸いにも、今年の就活デモのスタンスはtwitterを見れば大体感じ取れると思うので、参加した後で「こんなはずじゃなかったのに・・・」と後悔する可能性は低いと思う。このデモに魅力を感じる人は参加を決めれば良いし、「このデモはクソ過ぎるだろ」と感じる人は、デモを否定するよりはそのデモを無視して、別の形での問題提起を模索すれば良いだろう。

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