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「既卒3年=新卒扱い」から見る、採用担当者のビジョンの欠如

前回の記事で、「卒業後3年までは、新卒の採用枠に応募できるようにする」という方針を採る企業が続出しているということを書いた。企業が、既卒者に対しても募集の範囲を広げたことについては評価をすべきだと思う。


ただ正直、政府に言われてこうもあっさり採用方針を変更する企業が続出するとは思わなかった。どうしても新卒として入社してもらわないと困るから、大学に在籍する留年生からの応募は受け付けて、既卒者からの応募を受け付けなかったんじゃなかったのか。今まで企業は採用活動を行う際に、一体何を考えていたんだろうか。


例えば、高島屋が「多様かつ優秀な人材を確保する」ために、卒業後3年以内の人にまで募集対象を拡大することを決めたということを、以前どこかの記事で読んだ。それだったら、政府から要請をされる前に、最初から既卒生にも門戸を開いておくべきだっただろうという話だ。もちろん、高島屋が述べる理由はただの建前に過ぎないのかもしれないけども。


さらに目を引いたのは、筑邦銀行のケースだ。既卒3年以内を新卒と同じ採用枠にすることを「他行の動きも踏まえて決めた」という。企業社会の常識が分からない僕からすれば、なんで自社の採用方針を他行の動向を見た上で決めるのか不思議だ。自社がどんな人物に募集をかけるかは、自分で決めれば良いじゃないか。


学生に個性が足りないという企業側こそ、案外「横並び意識」が強い。なぜどこも卒業後「3年」までの人間に門戸を開くのだろう。「公務員試験は30歳くらいまで門戸を開いているから、政府の言うことをただ鵜呑みにしないで、30歳くらいの大卒まで募集の幅を広げよう」みたいな企業が出てきても良いんじゃないか。例えば、シャープみたいに「既卒3年以内」という制限も特に設けず、既卒者を一律新卒者採用枠で受け付けるという方針を採ることを決めた企業はもっと社会で評価されても良いと思うけれど(ただし、「年齢制限などはありませんが、同学年の方より年齢を重ねているのであれば、それに見合う経験やスキルなどを身につけられている必要があると思います」とシャープのホームページには書いてある)、そういった企業は一部だ。


とにかく「横並び意識」が強いだけの企業が学生に対して、「個性が足りない」とか「将来のビジョンをきちんと持て」と言ってるわけだから、おかしな話だ。そういった企業は「友達がこの企業受けると言ってたんで、僕もこの企業を受けることを決めたんです・・・」という学生こそ採用するべきだろう。そのほうがお似合いじゃないか。


結局、今までは「雇用問題」の中でも特に「新卒採用」に関する問題が語られることが少なかったから、企業がなぁなぁな採用活動を行っても誰も何も言わなかったのだと思う。だから採用担当者も、何も考えずに・・・というのは言いすぎだけど、例年と同じような方針・手法で採用を進めていけばよかった。ただ、そのような時代ももう終わる。意識を改めないといけないのは就活生だけじゃなくて、採用担当者を始めとする社会人も同様だ・・・というコンセンサスが社会に根付くことが必要だ。それは、ひいては「社会全体で、どのような人材を生み出すのか、あるいは人材をどのように育てていくのか」という大きな問いにつながる。

実は採用担当者は、採用に際しての「ビジョン」なんか欠片も持ち合わせていないのでは?という考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「新卒一括採用」崩壊により、既卒生は救われるのか

今週は、主に「新卒一括採用」に関わることについて書いていきたいと思います。


去年辺りから、企業が新卒者を一括で採用する方式を意味する「新卒一括採用」という考え方に対する批判が高まってきたような気がする。


約1年前、朝日新聞が社説にて新卒一括採用の問題を取り上げた(「脱・就活―「新卒一括」を変えよう」という名の社説である)。社説の全文は、茂木健一郎さんのホームページ(http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/09/post-fcf9.html)に載っているので興味がある方はぜひ。ちなみに、社説の中で新卒一括採用を批判する箇所を抜粋すると、「まず、企業は新卒者を一括で採用する方式へのこだわりを捨てるべきだ。右肩上がりの時代に、終身雇用や年功序列とともに定着したのが、新卒一括採用だった。だが、そのモデルは崩れつつある。柔軟な採用・雇用が多くの企業に根づき、既卒市場が活性化すれば、優秀で、幅広い人材の活用につながる。それは企業にもプラスになる。政府はより強力な誘導策をとれないか」という箇所になる。


時が経ち、現在では「卒業後3年までは、新卒の採用枠に応募できるようにする」という方針を採る企業が続出している。「既卒、フリーター、ニート、就職への道」というホームページを見てみると、「2011年9月現在、既卒者を採用している大企業が50~60社ほど紹介されている(http://www.dekirukotokara.com/kisotudaikigyou.html 情報の正確性については保証しかねます)。企業・政府の動きを見ると、新卒至上主義は徐々に崩壊している・・・と評して差し支えないのかもしれない。


ただ、これまで無駄に「新卒一括採用」にこだわってきた日本企業たち。そう簡単に意識が変わるなら苦労はしない。「世間体を気にしたり、国からの援助を得る目的で既卒者を募集するようになったのだ」という批判的精神をもって企業の動向を見つめる必要がある。


例えば、「既卒者は企業の選考に応募はできるが、既卒者であるという理由で、ろくに審査されないで落とされる」という事態が起きるかもしれない。企業は就活生に対して不採用の理由を説明する必要が無いので、採用担当者が「あ、この人既卒なのか。一応既卒も募集はしたけど、ウチ新卒の子しかいらないしな・・・。落とそうっと。」という風にあっさりと落としても、企業としては「厳正な選考の結果」落としたことに出来るし、その真偽を問われることは無いわけだ。これでは、新卒至上主義からの脱却を果たせていないし、むしろ既卒者に無駄な希望を抱かせるだけタチが悪い。


大学卒業後すぐに就職をしなかった人、いわゆる既卒者の就職活動が厳しくなるのは「自己責任だ」と一蹴する人も多い。しかし、企業が既卒者に対して門を開いたことを受けて「卒業後の就職活動」を選択した人が「既卒者であること」のみを理由に選考に落ち続けた場合、それも「自己責任」といってしまっていいのか。僕はおかしいと思う。


問題(今回の記事だと新卒至上主義)に対する対策そのものがなされないことよりも、むしろ、一見すると問題を解決するための制度が整ってきているが、その解決策に実効性が無いという方が深刻な事態といえると僕は考える。後者の事態だと、「もう問題を解決するための制度は整ってきてるんだから、後は黙って見守ろう」というように、問題に対する危機感を保ちにくくなる。企業に対する監視の目は、厳格であるに越したことは無い。


茂木さんは自身のホームページにて、「もし私が政策立案者だったら、そもそも、採用時に年齢、学歴、性別などの「資格制限」をもうけることを、原則禁止する立法を提案するでしょう。採用試験で応募者の資質を検証するプロセスにおいて、要素の一つとして学歴(新卒か、既卒かなど)を考慮することは構わない。しかし、学歴について、新卒、ないしは卒業後3年以内であることを、形式的要件として求めることは「違法」であると、明確に規定すべきと考えます」と述べる。既卒者の挑戦の機会を、実効的に確保するためには、このくらい厳格な法規制が必要なのかもしれない。


ただ気になるのは、新卒至上主義の問題を語るときに、学生・既卒者をいかに保護するのかという点は語られるけれども、企業の採用活動の自由をどの程度制限しても問題ないのかという点について触れる媒体が少ないということだ。まぁ、このような問題意識を抱く僕がただの馬鹿なのかもしれないけれど(笑)ただ、企業が好き勝手に採用活動を行うことが許されないのと同様、学生・既卒者の言い分が100%通るということも無いと思ったほうが良い。上手く妥協点を見つけることが必要だ。


最後に。ところで、上で既卒者の応募を受け付ける企業が増えてきたということを書いたけれど、既卒者の応募を受け付けることに決めた企業は、エントリーシートに「既卒者の方はお答えください。卒業後、あなたが得たことは何ですか?」みたいな質問等を新たに盛り込んだりしているのだろうか?もし、典型的な「学生時代頑張ったことは何ですか?」みたいな、学生時代のエピソードを聞き出すような設問ばかりだったら、既卒生の応募は上辺だけだと判断してよいと思う。学生は「既卒者と比べて優れている、将来の伸びしろ」、既卒者は「学生にはない、卒業後の経験」を武器を互いにアピールできてこそ、書類選考において対等な勝負ができる。既卒者も学生時代のエピソードだけしかアピールできない状況では、年齢を考慮されてあっさりと落とされるに決まっている。既卒者を受け付ける企業のエントリーシートの設問の内容を見ることで、その企業が本気で既卒者を受け付けているのか、それともただの建前に過ぎないのかが図れるのかもしれない。


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英語面接導入のススメ

このブログでは、就職活動のシステムそのものや、社会人の方々の態度などを批判することが多いけれど、今回は趣向を変えて、「どうしたら、より良い選考が実現できるのか」ということについて考えていきたい。批判ばかりではなく、たまには建設的な意見を述べるべきだと思ったので。


今回の記事で取り上げたいのは既存の就職活動のシステムの改善案ではなく、「面接」という場をより効果的なものにするための案である。題して、「面接において、英語で質疑応答をする」という案。この案には、主に2つのメリットがあると考えている。


第一に、学生の「英語で自分の意見を伝える能力」を高精度で確かめられるということがいえる。


帰国子女や英語が堪能な人が面接官に対して腹立つことの一つとして、面接官の方が「TOEICの点数が高いからと言って、あるいは留学をしたからと言って、実際に英語がしゃべれるとは限らないぞ!」と決めつけてかかることが挙げられるだろう。勿論この意見は間違ってはいないのだが、かと言って、面接官の方が実際に英語で質問して、こちらの英語力を確認するという機会は少ないからタチが悪い。


英語力に自信のある就活生は、TOEICの点数という薄っぺらい要素でアピールするよりも、実際に英語での問答を通じて自分のリスニング力・スピーキング力をアピールしたいと考えているはずだ。中には「TOEICの点数を褒めてる暇があったら、英語で何か質問してくれよ・・・」という不満を持つ人もいるんじゃないか。英語面接を行うことで、英語力をアピールしたい学生のニーズに応えることができる。また、社会人の側も「あいつは留学経験があって、且つTOEICの点数も高いくせに、実際は全然英語喋れないじゃないか!」という不満を嘆くリスクを軽減できる。就活生、社会人双方にとってメリットはあると思う。


この点、採用担当者や面接官の中には、「うちは人物重視で選考するから、学生の英語力なんてどうだっていいよ」という人がいると思う。そこで英語面接を行うことの第二のメリット、「学生の人間性を、より正確に判断することができる」という点について書きたい。こちらの方が第一のメリットより重要である。


面接官や採用コンサルタントの中には、「学生は面接官からの質問に対してマニュアル通りの返答しかしないから、本当の人間性が分からない」という風に言って呆れる人がいる(この点については反論があるので、また今度記事を書きたいと思っているけれど、とりあえず置いておく)。それだったら学生に対して、日本語で面接を進めている最中に突然英語で、「あなたは、この困難をどのように乗り越えたのですか?英語で答えてください」などといった質問をしてみると良い。


当たり前だが、学生は日本語の答えしか準備していない。そのような状況下で面接官から突然英語で質問された場合、よほど肝っ玉が座った人で無い限り、学生が面接用に作り上げた「優秀な人物像」は崩れ去ると思う。そして動揺の中、どれほど冷静に面接官に対して返答ができるのか。英語面接には、このような「冷静さ」「度胸」という人間性・能力を測ることができる効果があると思う。


誤解しないでほしいのだが、英語で流暢に答えることまでは求めない。自分が知っている単語を使って、どれほど正確に自分の考え・経験を伝えることができるのか、あるいは伝えようと努力するのかという点を重要視するのだ。このような基準を設ければ、例えば、英語で質問されてオドオドしている学生や、ただ笑ってごまかそうとする学生に躊躇無くマイナスの評価を下せる。また、社会人の方々が嫌っている「コンパばかりに明け暮れて、勉強しない学生」は、そもそも最低限の英語力も備えていないと思われるので、そのような学生を落とすことも容易となるはずだ。


以上、考えられる2つのメリットを述べた。勿論、英語力の有無だけで選考の合否を決めるのはナンセンスだ。ただ、先に述べた2つのメリットを考えると、実際に英語面接を行い、評価の一要素とするくらいなら良いのではないかと思う。


問題があるとすれば、面接官の側が必要な英語力を備えているのかという点だが、この点も問題は無いはずだ。ただでさえ社会人は近頃の学生を馬鹿扱いできるほどの能力を備えている上、企業の援助により充実した語学研修も受けている。そのような人達が、面接にて英語で質問できないなんて考えられない。特に、新卒採用で学生に対して730点以上の取得を義務付ける武田薬品工業は、さぞかし英語力が高い社員の方々ばかり有していると思うので、ぜひ英語面接の導入を検討してみてください。

マニュアル通りのことばかり言う就活生に嫌気が差している面接官は、ただ嘆くだけでなく、英語面接を行ってみるなどの工夫をしてみるべきではないか?という考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「企業の選考開始時期」の定義

ジャーナリストの森健氏が書いた「就活って何だ」という本を読んだ。内容としては、大手企業15社の人事部長が、各々の「採用活動における意図」について語った本である。今日は、この本の中で疑問を感じた点について書いていきたいと思います。


僕が問題だと思った箇所は、東海旅客鉄道株式会社の人事部長の以下の言葉である。

うちの総合職の面接は基本的には1対1。時間も30分から1時間はかける。選考に膨大な時間をかけています。選考の前段階で社員と1対1で話す機会を設けることもあります。この段階では、JR東海はどんな会社かを理解してもらうことに比重を置いているんです。こんな会社で、使命はこうで、こういう人がいると。担当するのは、入社数年を経過した社員です。―(中略)―さらに当社への理解を深めてもらおうという場合には、いくらか年次の高い社員と会ってもらいます。社歴が長くなる分、話す内容もより踏み込んだものになります。―(中略)―こうして選考に入る前の段階では学生さんの持ち味を引き出してあげることに力点を置きつつ、人事部面接からは、そうして引き出された学生さんのよさを見極めていきます。

既に就職活動を行った人ならイメージがわきやすいと思うけれど、いわゆる「リクルーター面接」について語った文章である。リクルーター面接の詳しい説明は省くけれど、簡単に言えば、雑談形式でリラックスした形で行われる面接である。僕は東海旅客鉄道株式会社の選考を受けていないので確証は無いのだけれど、面接がいかに雑談形式で行われようが面接は面接なので、原則として社員を満足させる受け答えができなければその時点で選考不合格となる。僕は、某電力会社のリクルーター面接を受けたときに、社員の人から「これは本当に選考とは関係ないので、リラックスして話してくださいね!」と言われたけれど、某掲示板を見てみると、次の面接の連絡が来た人と来なかった人に分かれていたので、実際は選考だったということがあった。社員の言うことを簡単に信用するべきではない・・・ということも言いたいけれど、今日の話においてはあまり重要ではない。


僕自身は雑談形式で行われる「リクルーター面接」も「選考」の一環だと信じていた。だって、受け答えの内容次第では次のステップに進めなくなるのだから、学生の立場からしたら「選考」としか思えない。


ところが、東海旅客鉄道株式会社の人事部長は「リクルーター面接」を「選考の前段階」であると言っている。つまり、リクルーター面接そのものは「選考」とみなしていないこととなる。人事部長の言葉を見ると、「さらに当社への理解を深めてもらおうという場合」のみ年次の高い社員との面談が実施される訳で、そうでない人は選考不合格となる(と思われる)以上、立派な「選考」だと思うのだけれど、このような見方は穿っているのでしょうか。


問題となるのは、「大学卒業予定者・大学院修士課程修了予定者等の採用選考に関する倫理憲章」との関係だ。倫理憲章においては、「面接等実質的な選考活動については、卒業・修了学年の4月1日以降に開始する」と定められている。仮に、各企業の人事部が「リクルーター面接は、倫理憲章の規定に規定されているような、面接等実質的な選考活動には該当しませんよ。だってこれは、ただ学生さんたちに会社のことを知ってもらうための機会に過ぎないんですから!」などと言い出したら、就職活動の早期化に全く歯止めがかからなくなる。実際には学生をふるい落とす場となっているし、また、学生だってそう簡単に企業の選考プロセスから外れたくはないから、学業などを差し置いてリクルーター面接の準備に必死に取り組むことになるはずだ。


某電力会社の例からも分かるように、社員はリクルーター面接において、この面接が学生を選考からふるい落とす場だということを曖昧にするどころか、むしろ積極的に嘘をついて「選考ではない」と学生に伝える。もちろん、「選考だと言ってしまえば、学生の素の姿が分からなくなる」という社員の方々の意見も分かる。でも、「リクルーター面接は、学生と社員がお互い素でお互いのことを分かり合っていく場なんだ」というきれい事を盾に、選考活動を実質的に早期化するのは卑怯だと思う。リクルーター面接における「建前」を廃して、倫理憲章にある「面接等実質的な選考活動」の定義をきちんと確立することが必要だ・・・と僕は思うのですがいかがでしょうか(笑)

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リクルートスーツと個性

会社説明会においても面接においても、就活生が身にまとうのはリクルートスーツ。就職活動を行うにあたって切っても切れない服装であるのだが、そんなリクルートスーツに対しても「気持ち悪い」という声が上がっている。


社会人の側としては、若者にもっと各々の個性を発揮してほしいと考えているようで。就職活動の話ではないけれど、以前どこかの新聞が、25年前と現在のJALの入社式の写真を示しながら、「25年前の新入社員の服装に対して、現在の新入社員は皆リクルートスーツを着ていて個性がまったく感じられない。このままでいいのか」という内容の記事を載せていた。世の中であまりおおっぴらに言われることは無いけれど、社会人の仕事は自分のことを棚に上げて若者を説教することなので、この記事を書くことで確かにその仕事を果たしたと思います、はい。皮肉はともかく、リクルートスーツの着用が若者の無個性さの象徴であるという捉え方が社会の中にあるようだ。


服装の件に限らず、就活生は社会人から「みんな同じような感じでつまらない」という文句をよく言われる。そういうあなた方はどうなんですか・・・ということは正直思うけれど、今日は個人的にこの点より気になることを書きたい。


例えば、未熟な僕が「個性が大事なんですか!じゃあ、会社の社運がかかったプレゼンをやる際にも、スーツみたいな個性が見えない服装じゃなくて、私服を着てありのままの自分で勝負してきます!」とか言ったら、恐らく社会人の方は「馬鹿、やめろ!」と止めることだろう。必要か不必要かはともかく、現実として「社会の常識」(この言葉が意味することも、よく分からないが)というものが日本の社会には存在しており、それに反するような行動をしたら、「社会人失格」の烙印を押されてしまう。個性が大事だということは正しいと思うけれど、それでも、各々の個性は社会のルールを守った上で発揮されなければならない。普段はおしゃれな学生(僕のことではない!笑)すらも会社説明会や面接の場においてリクルートスーツを着用する理由も、リクルートスーツ以外の服装を着たら「社会の常識」に反すると思い、自分の評価にマイナスになるような振る舞いを避けようと考えているからだろう。


社会人にとって都合の良いことに、会社説明会や面接において着用が許される服装の範囲は多くの場合曖昧にされている。そこで、就活生が安全策をとってリクルートスーツを着てくれば「個性が足りない!」と説教できるし、逆に少し変わった服装を着てくれば「常識が欠けている!」と説教できる。また、採用ホームページに「会社説明会には、楽な格好でお越しください」と書いても、本当に楽な格好で行けば「常識がない」と判断されかねないし、スーツで来社すれば「融通が利かない堅い奴だ!」とみなされかねない。「就職活動における服装」を語る社会人は、じゃんけんに後出しして勝っているのにドヤ顔をする小学生のように僕には見える。


正直に言えば僕自身も、皆がリクルートスーツを身に纏い入社式に臨む姿や、会社説明会や面接に参加する姿は、まるでどこかの怪しい宗教の行事に参加しているみたいで異様だと感じる。ただ、就活生は別に各々の個性を発揮すること自体を目的に面接に臨んでいるわけではない。あくまで基本は「内定を得ること」が目的なのであって、各々の個性を発揮することは、自分の特性を面接官に伝えて、彼ら・彼女らから一緒に働きたいと思ってもらえるようにするための手段に過ぎない。ほとんどの就活生がリクルートスーツ以外の服を着ないのは、別に彼らが自分の意思を持たない思考停止人間だからじゃない。先に述べたように「社会の常識」に反しないためでもあるし、リクルートスーツ以外の服を着ることで周囲から浮いてしまい、面接官からマイナスの評価を受けることを避けることに理由がある。まぁ、「内定を得るという利益から目をそむけてでも伝えたい個性があるんだ!」と息巻く人材がほとんどいないのはさびしいことかもしれないけれど、別にそういう人材は社会人の中にもいないでしょう。


そもそも、就活生がリクルートスーツ以外の服を着ることで面接官からマイナスの評価を受けると考えているということは、何を意味するのか。はっきり言って、社会人の方々は就活生の側からなめられているのだ。就活生の側は社会人の方が発する「多様な人材を求めています」という言葉なんか信じていない。「どうせ社会人は、多様な個性を受け入れる意思も能力も備えていないでしょ」と皆が考えているからこそ、リクルートスーツという無難な服装を選択しているんじゃないか。もし、面接官が多様な個性を受け入れる度量の広い方々ばかりだと就活生達が考えているなら、無個性でつまらない服装であるリクルートスーツなんか誰も着ないはずだ。もし着たら、「私は常識に囚われる、つまらない人間なんです」と宣言するようなものだからだ。しかし、現実として社会人の側はなんだかんだで無難な人材を求めるので、就活生もそのニーズに合わせて無難なリクルートスーツに身をまとい、日々企業を訪ね歩くわけだ。


ただ、仮に企業の側が積極的に「リクルートスーツを着てきた学生は、即座に選考から落とします!自分の個性を最大限に活かせるようなファッションで面接に臨んでくださいね」というアナウンスを行ったら、それはそれでデメリットもある。「こんなファッションが人事に受ける!」というキャッチコピーでセミナーを開いて金儲けに走る人間が現れたり、信憑性の無い噂がキャンパス内に飛び交ったり・・・。馬鹿な面接官が「今日のファッションのポイントは?」などと問いかけて、話も盛り上がり、面接という場がただのファッションショーと化す可能性も考えられる。さすがにこれは極端な例だけど、ここまでくると、もはや「大学生」を対象に新卒採用を行う意味はあまり無いし、大学で学ぶことの意義や意味もほとんど無視されているといえるし、日本という国はどこへ向かっていくのかと心配にもなる。ただ、このフィクションの事例が現実になってもおかしくないくらい、今の就職活動のシステムは腐ってるんだよと、高校生や中学生くらいの子達に分かってもらえたらと思う。まぁ、高校生や中学生の子達がこのブログを読んでるわけは無いのだけれど(笑)


就活生がリクルートスーツ以外の服を着ることで面接官からマイナスの評価を受けると考えているということは、面接官が「どうせ社会人は、多様な個性を受け入れる意思も能力も備えていないでしょ」と思われていることの証なのではないかという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「就職活動が厳しくなっている」という言葉が意味するもの

前回の記事で、「就職活動のおかしさ」という言葉の定義の意味が分からなくなった旨を書いた。思うに、就職活動という世界においては、様々なフレーズの定義が曖昧にされていると考えるようになった。


例えば、「就職活動が厳しくなっている」という言葉について。去年の12月の毎日コミュニケーションズのニュースリリースによると(http://www.mycom.co.jp/news/2010/12/2012_11.html)、就職活動環境について「多少厳しくなる」+「かなり厳しくなる」と回答した割合が前月比10.1pt増と大幅に増加したと記されている。ただ、ここでいう「厳しくなる」という言葉がどういう事態を意味する言葉なのか、その意味は多義的だし非常に曖昧なもののように感じる。


就職活動の厳しさを語る際には、「以前と比べて大学生の数が増えたにもかかわらず、企業の採用人数は減少している」という話が語られることが多い。しかし、当然それだけではないだろう。


例えば、「以前は語学力が求められることは無かったが、現在はTOEIC800点以上無いと書類選考や面接を突破することが難しくなる」、「以前はOB訪問をしなくても特に問題なかったが、最近はOB訪問の有無が面接に受かるか否かを左右する」、「以前は希望する企業の説明会や選考に容易に参加できたが、最近は企業の説明会の予約が困難である」、「以前は志望動機を適当に述べても受かったが、最近では面接において志望動機を厳しく問い詰められる」、「別に学生に求められる能力は以前と比べて変わっていないが、やはり学生の数が増えたので運の強さも以前より求められるようになった」など、就職活動が厳しくなったという言葉からイメージできる事象は様々で、確固たるものはない。


ここで言いたいのは、現在の就活生に厳しい基準を課すなということではない。ただ単純に「就職活動は厳しくなっているから頑張らないとダメだ」というメッセージを現在の就活生が聞いても、そのメッセージが具体的に意味することが分からず、漠然とした不安を感じるだけだと思うのだ。そのような不安と向き合うのが就職活動なんだ!と社会人の方々は言うかもしれないけど、このような不安と向き合うことの意味や意義がよく分からないし、加えて、就活生の不安に付け込んで高価な教材を売りつけたり、セミナーを開いたりしてお金を奪うハイエナみたいな社会人が暗躍する可能性もある。就職活動が厳しくなるという言葉の定義づけをしたほうが良い気がするけれど、そもそも社会人や内定者も「就職活動はどんどん厳しくなるよ」という言葉をなんとなく使っているだけで、その意味については特に考えていないのかも知れない。


ところで。就職活動が厳しくなるという言葉の意味の具体例を上に記したけれど、この具体例の中身を逆にしたら中々滑稽なものになることに気がついた。具体的には、「現在はTOEIC800点以上無いと書類選考や面接を突破することが難しいが、以前は語学力なんて無くても内定をもらえた」、「最近はOB訪問の有無が面接に受かるか否かを左右するが、以前はOB訪問をしなくても特に問題は無かった」、「最近は企業の説明会の予約をすることが困難で、そもそも選考に参加することすら神経を使わなければならないが、以前は希望する企業の説明会や選考に容易に参加できた」、「最近では面接において志望動機を厳しく問い詰められるが、以前は志望動機を適当に述べても受かった」など・・・。各企業それぞれ事情があると思うので採用基準を厳格化するのは仕方ないかもしれないけど、せめて就活生が不満を言わないことをいいことに、「今の学生は甘いんだよ」とか言うのは止めてもらいたいものだ。就活生に甘える一部の社会人は、本当に格好悪い。


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「日本の就職活動はおかしい、茶番だ」という発想が、そもそも社会人・政治家にあるのか

地味に、ブログをマイナーチェンジしています。これからまた、ブログのタイトルすら変わるかもしれません(笑)まだまだ方向性を模索しながらも、更新は続けていきたいと思います。


●「日本の就職活動はおかしい」という感覚

今更僕が語るまでも無く、現在の日本の就職活動はおかしいという声が段々強まっている。
試しにgoogleで「就職活動 おかしい」「就職活動 馬鹿らしい」「就職活動 茶番」「就職活動 気持ち悪い」、「面接官 ムカつく」などと検索してみたら、実に多くのページがヒットして面白かった。もちろん、就職活動というものを全面的に否定するのは間違っているかもしれないけど、現実として多くの人が現在の就職活動のシステムや、採用活動に参加される社会人(面接官)に不満を抱いている場合が多い、という事実から目を逸らすべきではないだろう。


ちなみに興味本位で英語で「job hunting sucks」(訳せば「就職活動 クソ」)とgoogle検索をしてみたところ、"8 Reasons Why Job Hunting Sucks"(就職活動がクソな8つの理由)"というページや"Top 10 Reasons Job Searching Sucks"というページにたどり着き、国を問わず、就活生にとって就職活動とはクソな営みと感じるものなのだということを実感した。ただ、他国においても就職活動のシステムがおかしいからといって、日本においてもおかしいままで良い理由は見当たらない。日本お得意の横並び主義を、マイナスな形で実行する必要は無いはずだ。


●政治家「日本の就職活動がおかしい?何言ってんの?」
就活生、あるいは最近の新入社員の方々のみで構成されるコミュニティにおいて「日本の就職活動っておかしいよね?」という問題提起をすれば、「そうそう!」と共感してもらえること請け合いだろうと思う。もちろん、就職活動のどのような点がおかしいかと感じるかは人それぞれだろうが、概ね「新卒一括主義にとらわれている日本企業って馬鹿だよね」とか、「何で会社説明会の予約ができないと、そもそも選考に参加できないんだ!」とか「合否連絡くらいきちんと伝えろよ!」とかいうようなことが言いたいんだろうなということは想像がつく。少なくとも、「現在の就職活動には、おかしい点がある」という認識は就活生を通じて広まっている。就活くたばれデモなどは、その現われといえる。


一方で、現在の就職活動を就活生として経験していない社会人や、そもそも就職活動をしていない政治家の人たちには、そもそも「現在の就職活動のシステムに問題がある」という可能性すら考えたことがないのではないかと雨宮処凛さんの記事(http://www.magazine9.jp/karin/110302/)を読んで考えた。その雨宮さんの記事には「就活が抱える問題に関する院内集会」における政治家の発言が書かれていて、その発言が実にピントはずれの馬鹿馬鹿しいものに感じられたのだ。

そうして集会の後半では、国会議員が次々とコメント。宮本岳志議員(共産党)や福島みずほ議員(社民党)、吉川沙織議員(民主党)など様々な国会議員がコメントしたのだが、最後の最後に発言した民主党の首藤信彦議員の発言がある意味ですごかった。「ここは資本主義の国なんですよ!」「キャピタリズムなんですよ!」「株式で回ってるんですよ!」「お父さんから株貰って株主総会出て下さいよ!」などなど。言いたいことはわかるのだが、その威圧的な言い方がどうにも恐ろしげで、もし私が大学生で「就活」しなくちゃいけなくて、面接でこんなオジサンが出てきてこんな言い方されたら、もう一瞬で心が折れて二度と就活なんてできなくなるな・・・と思ったのだった。

僕はこの院内集会に参加しておらず、会の全体の流れを知っているわけではないので、この記事で問題にしようとしている首藤信彦議員の発言が本当に馬鹿なものかどうかは確信は無い。でも、就職活動のあり方・システムの問題の話をしているはずなのに、なぜ株式総会うんぬんの話が出てくるのか僕には分からなかった。思ったこととしては、首藤信彦議員が馬鹿だということではなく、彼に、「日本の就職活動のシステム」というものを社会問題の一つとして定義する発想がそもそも無かったのかもしれないということだ。年配で、(且つ恐らく)就職活動を経験したことのない政治家に、現在の就職活動のシステムに問題があるという可能性を頭に浮かべることを期待するのは酷だろう。


また、マスコミにも問題がある。マスコミが就職活動の問題を取り上げる際には、大抵、「現在の就職活動の問題とは、具体的には学生の就職難のことを意味するんですよ!」とでも言いたいかのように、専ら内定を取れずに苦しむ学生らをニュースにおいて取り上げる。そして、「就職活動の問題=就職難」というレッテルが貼られることで、企業の採用活動の手法などによって学生が苦しめられているという別の側面が覆い隠される。このような状況においては、就職活動のシステムに問題があると言われても何を意味しているのか分からない社会人・政治家が発生するのは致し方ないことだ。


●「就職活動のおかしさ」って、結局何なんだ

単に日本の就職活動を「おかしい」「茶番だ」と社会人たちに訴えても、あまり効果は見込めない。そもそも「おかしい」「茶番だ」というのは客観的事実ではなく、ただの一個人の感想に過ぎない。就職活動のシステムに問題が生じているか否か、そもそも興味も問題意識も持っていない社会人らに対して就職活動のおかしさを語っても、就活生が一体何を伝えたいのかすら分かってもらえないだろう。


それに、社会人から「現在の就職活動がおかしいって・・・それってあなたの主観ですよね?私は就職活動を通じてとても人間として成長できたと思うし、すごく勉強になったと思いますよ!あなたが就職活動に不満を抱いてる理由は、結局あなた自身の努力が足りなかったからなんですよ。もっと頑張れ!」と言われてしまえば、就活生が再反論することは不可能に近い。前の記事でも書いたが、社会人と就活生だったら力関係でいえば社会人の方が圧倒的に上なので、就活生と社会人の主観と主観のぶつかり合いだったら間違いなく社会人が勝つ。


ここまで書いてみて、ブログを書いている自分自身も「就職活動のおかしさ」というフレーズの定義が分からなくなってきた。「就職活動のおかしさ」って何なんだ?もっと言葉の定義付けを徹底しないといけない。既存の就職活動のシステムを維持することで、具体的にどんなデメリットが生じているのかということをもっと追求していかないと、社会人・政治家たちの心を動かすことは難しい。だから僕はブログという場で活字を通じて、「就職活動を取り巻くおかしさ」という言葉の意味を解きほぐした上で問題提起をしたいと考えているわけである。

「日本の就職活動はおかしい、茶番だ」という発想が、そもそも社会人・政治家に無いのではという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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就活生に甘える社会人は、いつ就活生に殺されてもおかしくない

愚かにも、記事を書きはじめたばかりの未完成の段階で、記事を公開設定でアップしてしまいました・・・。ドジすぎる・・・。


今回の記事は当初、「社会人は自己の採用活動に関して、内省や自己訂正能力を身につけるべきだ」という名のタイトルだった。ところが、記事の中身を具体的に考えていくうちにある事件を思い出したので、今回はそちらの事件について今更ながら触れてみたい。はじめに断っておくと、全体的にどす黒い内容の記事となりました(笑)

●就活生バス横転事件
半年ほど前に、就職活動に悩む学生がバスジャック事件を起こしたことを覚えている人はどれだけいるだろうか。
恥ずかしながら僕自身の記憶からは消えかけていて、ブログのネタ探しをする過程で「そういえば、こんな事件あったなぁ」ということを思い出した程度である。事件の中身としては、22歳の男性が大阪から鹿児島に向かっていた高速バスのハンドルを奪い横転させ、12人に怪我をさせたというものだ・・・と雨宮処凛さんの記事に書いてあった。(urlは、http://www.magazine9.jp/karin/110302/)最終的には、不起訴になったみたいですね。


この事件に対する反応としては、「普通の就活生は、こんなことしない。事件を起こした奴はただのキチガイだ」という加害者に否定的なものや、「自分も就職活動をした身として、辛さはすごく分かる」という加害者に肯定的なものまで様々だった。僕自身は、両方とも妥当な意見だと感じた。辛いのは分かるが、他人を巻き込んではいけない。現在の就職活動は確かに過酷かもしれないが、それを乗り越えている人も大勢いる。自分に足りなかったところを見つめなおし、頑張って立ち直ってほしい・・・というのは嘘ではないが、今日の記事ではそういうことを書きたかったわけではない。


●「人・社会のせいにするのは良くない」と語る方々は、ものすごく善人で、ものすごく卑怯者だ
このバス横転事件に対する反応として目に付いたのは、「人・社会のせいにするのは良くない」「就活生はみんな苦しんでいるんだから、他人を巻き込んで事件を起こすのは甘え」みたいな内容を書いているブログやtwitterだった。確かに、見ず知らずの他人の命をも危険にさらした就活生は責められるべきだ。


でも、その就活生にストレスを与える原因となった就職活動そのもののあり方が見直されるべきだという意見や報道が殆どなされなかった点は問題だ。確かに、「就活生の側が未熟でした。だから、事件起こしちゃいました」という構図は分かりやすいけれど、就活生の未熟さだけを事件の原因とするのはさすがにおかしい。この点、先に挙げた「人・社会のせいにするのは良くない」という意見は、「大人の意見」として実に社会に受け入れやすいと思う。しかし、社会のせいにしちゃだめだ、頑張れ!という言葉には、「こんな事件起こっちゃいましたけど、企業側でなにかを変える気持ちはありません。学生達がただただ気持ちを強くもって頑張ってください」というエクスキューズが含まれているような気がして、僕はそのような言葉を発する人を卑怯者としか思えない。


別にバスジャック事件を起こした就活生を全面的に擁護するつもりは無い。ただ、就活生による凶行を防ぐためには、「就活生自身が気持ちを強く持ち、自己の未熟さを克服する」ということと「企業側が、就活生に過度なストレスを課すこと無い就職活動のあり方を、社会全体で考える」ということの双方を並行して行わなければならないと思うのだ。これは最近の就活生なら分かると思うのだが、就職活動においてストレスとなる要素は、内定を得ることができないという状況だけではない。各企業の採用時期の重なりすぎや、新卒を逃したときのプレッシャー、選考の合否連絡が企業から来ない(合否連絡がきちんと来れば、スケジューリングが多少しやすくなる)など、企業の採用活動の手法そのものから生じるストレスというものもあるのだ。バスジャックをしてしまった就活生も、内定を得られていないという状況以上に、各企業のやりたい放題の選考手法にストレスがたまってしまったのではないかと想像している。


●就活生に甘える社会人は、いつ就活生に殺されてもおかしくない
もちろん「企業は、どのような人材をどのような条件で採用するかを原則として自由に決定できる」と最高裁も言っているので(三菱樹脂事件だったか?)、学生の要望を完全に満たす採用活動を行うことはできないし、むしろ僕は行うべきではないとすら思う(この辺は、就活デモなどを行っている方々と意見の相違がある点かもしれない)。ただもう少し、採用時期・新卒一括主義の再考とか、履歴書の形式の改善とか、学生の立場に配慮した採用活動を行うべきなのではないかとは思う(あんまり書くと、今後のブログのネタがなくなるので、この辺で控えておきたい笑)。具体的には、企業・学生それぞれが、就職活動において自己の要望をどこまで妥協し、調整しあうかという点がが今後議論されるべきだと僕は考えている。どのような利益の調整がなされるべきかについて明確な答えが自分の中にあるわけではないが、少なくとも現時点においては、企業のパワーが学生に比して強すぎるということは確信している。だから、企業の採用活動を法的に規制する余地はないものかということを、最近はよく考えている。


ただし。


別に企業が自己の採用活動に関して内省も自己訂正もしないとしても、僕らにはどうすることもできない。社会人の方々が「近頃の学生は甘い!」とドヤ顔をしたければ、いくらでもすれば良い。ただその代わり、近い将来、第二・第三の就活生によるバスジャック事件、あるいはそれ以上残虐な事件が起きるリスクはどうしても高くなるだろう(断っておくと、これは別に僕自身による殺人予告では無いですよ(笑)いや、本当に)。また、就職生の凶行の餌食になるのは採用活動を行っている主体である、スーツを身をまとった社会人の方々だと思うので、就活生に甘えて学生の立場を無視した好き勝手な採用活動を続けることで、「就活生から、ある日突然命を奪われる」というリスクを自分達自身が進んで高めることになるのだということを、社会人の方々はもっと認識されたほうが良い。自分は殺されないとしても、仕事で涙を流しあった同僚や、自分の面倒を見てくれた上司、仕事の愚痴を言い合った同僚の命が奪われるかもしれないと書けば、より危機感を持っていただけるだろうか。これは決して脅しの文章ではないし、就活生による殺人を煽っているわけでもない。ただ、僕みたいなポンコツでも想像できる事態について、優秀であるはずの社会人の方々が殆ど危機感を抱いていないことについて、純粋におかしいと思うだけだ。


また、5年後や10年後。就職活動が易化することは恐らく考えられないので、その頃の就活生は現在の就活生よりも、さらに過酷でストレスフルな状況に置かれているであろうことは容易に想像できる。2011年時点で、新入社員・内定者・学生でいる立場でいる若者たちも、このまま就職活動のあり方が変わらなければ、未来の就活生に殺されうる立場となるかもしれませんね。就活生、特に就職留年生・無い内定者に未熟な点があるのは否定しようが無い事実だけど、就職活動の歪みの原因を過度に就活生に押し付けたらどうなるのか・・・。現実に事件が起きてしまっても、社会人の方々が「学生は甘い!」と言い続けるのか、それとも世の中は変わるのか。あまりにも不謹慎だが、僕はこの点に興味を持っている。


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社会に物を言いたい学生ら・無い内定者らは、社会における自分の立ち位置を認識すべきだ

前回の記事で、就活をして内定をもらえなかった人のことを「ダメ人間」、学生のことを「未熟者」と記しまくり、こんなにボロクソに書いていいのだろうかと心配していましたが、そもそもこのブログへのアクセスがほとんどありませんでした(笑)


今のところ批判の声は無いとはいえ、今後読む人が、「内定をもらえなかった人や学生を馬鹿にしすぎ。そもそも、お前は何なんだ」ということを思われるかもしれません。ただ、もし現在の就職活動のあり方について、社会人の方々に異議を申し立てたい学生・無い内定者がいるとすれば、まずは自分の社会における立ち位置を認識しておかなければならないと思うのです。

●社会人「俺たち・私たちは、学生なんかより偉い」

全ての社会人がそうだとは思いませんが、学生という身分の者を見下す社会人の方々は相当多いと思う。


例えば、「近頃の学生は・・・」「最近の新入社員は学生気分が抜けてない」とか言う言葉などから、社会人の方々が学生らを短絡的に見下しているのがなんとなく伝わってくる。特に、「学生気分が抜けてない」という言葉を使うプロ社会人の方々は、「学生」=「考えが甘い、未熟者」とでも思っているのではないか。また、僕自身はあまり経験は無いけれど、偉そうな態度をとる面接官に出くわしてしまった就活生らは「なんでこんなに見下されなければならないのか」という思いを抱いたこともあるのではだろうか。


そのような現状が良いか悪いかは置いといて(本当は置いときたくないのだが)、現実として学生と社会人の力関係は、「社会人>>>(越えられない壁)>>>学生」と表しても大げさではないくらい、圧倒的に社会人の方が上である。事実、社会人の方々は学生とは比較にならない責任を背負って日々仕事に取り組んでいるわけで、社会人が学生らを下にみなすのも無理がないことのように思う。


そのような現実がある中で、例えば学生が「就職活動の時期が早すぎる。もっと勉強させろ!」という主張をしたとしても、社会人からは「さすがゆとり世代、考え甘すぎwww」という反応をされるのがオチな様な気がする。どんな正論と思われることを学生が述べても、社会人様の手にかかれば「未熟で、甘い意見」とみなされる可能性すらあるわけです。なぜなら、「仕事をしている社会人の方が、学生なんかより偉い」という構図が存在するのが今の日本の社会だから。


学生ですら社会における評価が低いのが現在の日本の社会ですから、ましてや、無い内定者の社会における評価なんて言葉では表せないくらいボロクソなものでしょう。学生時代の頑張りや、周囲に対するやさしさなどの長所が仮にあろうが、社会人様からすれば関係ない。なんだかんだいって社会人も学生も、大企業に行けた人を「優秀」と評価し、内定を得られなかった人を「努力が足りない、問題児」と短絡的に見なすのが現実だから。


僕は、現在の就職活動のあり方を批判する声はあってしかるべきだと思っているし、だからこそこのようなブログを書いているわけですが、ダメ人間・未熟者達の声を、社会人たちの方々がどのように捉えるのか。この点について、想像力を働かせる必要があると思う。学生らが自己の権利を闇雲に主張しても、社会人たちは「甘い!」の一言で退けることができる。なぜなら、社会人たちの方が学生達や無い内定者よりも社会における立場が上だから。
ブログなどで問題提起をする際にも、あるいはデモなどで具体的な行動を行う際にも、この点から目を背けることを避けてはならないと思う。

●自分のストレスを発散させたいのか、それとも既存の仕組みを変えたいのか

そもそもこのブログを始めたきっかけはぜんぜん立派なものではなく、学生を苦しめてることに目を背けてやたらと偉そうにしている社会人たちを馬鹿にして、就職活動があまり上手くいかなかった憂さ晴らしをしようという、どうしようもないものでした。


でも自己満足に満ちた主張をして良いのは、社会において力を有する者だけだというのが、ブログを書かないでいた期間を経て分かってきた。もし力を有していない場合は、意見を受け取る側(就職活動の問題で言えば、企業の採用担当者などになるだろうか)の考えを把握した上で自己の主張を通すようにしなければ、単なる骨折り損になってしまうだろう。


この記事のブログのタイトルだけを見れば、「学生達は、社会人に対して生意気なことを言うなよ」という風に読み取れるかもしれない。あるいは記事全体を読んで、「学生らは社会人に対して迎合すべきだ」という風に本文を受け取る人もいるかもしれない。しかし、僕が思うのはむしろ逆だ。社会において立場が弱い学生ら・無い内定者の意見を確実に社会に届けるために、社会人の方々の考えを把握する必要があると思うのだ。現実として、仮に日本の就職活動のあり方を変える必要性が生じた場合には、現在企業等で働く社会人の方々の行動・意識改革が必要不可欠となるわけで、社会人の方々の考え・感情を無視した意見主張は、単なる未熟者のわがままという風に捉えられかねないだろう。


●まとめ
今回の記事では社会人の方々を立ててきたけれど・・・。一方で社会人の方々は、自己の学生に対する優位性を良いことに、採用活動をやりたい放題行っているというのが僕の考えだ。その点について、次回の記事で自分の考えを書いていきたい。

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「就職活動のおかしさ」を指摘できるのは、「優秀な社会人・内定者」ではなく、「ダメ人間」や「未熟者」だ

現在、就職活動のあり方に疑問の声を投げかける活動も行われています。具体的には、デモとか行われてたんですね!僕自身は、ブログで「企業の採用活動のおかしさ」を中心に就職活動のあり方に対する自分の考えを細々と発信していこうと考えていただけだったので、その行動力・エネルギーに驚かされました。


でも、これで「就職活動」が少しでもよい方向に変わるのかというと正直疑問に思ったのも事実です。


就職活動のあり方に疑問の声をあげている人って、就職活動があまり上手くいかなかった、社会における「ダメ人間」とみなされる人が多いような気がするんですよね。企業で働く「優秀」な社会人の方々が、果たしてそのような「ダメ人間」の人たちの声に耳を傾けてくれるのか。


ある意見の妥当性を判断する際には、意見の中身そのものという要素よりも、どのような立場の人が意見を発したかという要素によって決まってしまうこともあるような気がします。少なくとも社会人の方々は、内定を何社も勝ち取った「優秀」な人の「就職活動は、本当に勉強になりました!」という声と、内定を得ることができなかった「ダメ人間」の「現在の就職活動はクソだ!」という声とだったら、おそらく前者の意見に賛同するような気がします。「ダメ人間は甘えたことを言ってないで、さっさと職見つけろ!」とでも言われそうです。


そんな社会人の方々の声を想定しつつ、それでも僕は「現在の就職活動のあり方に大いに問題がある」という考えを支持したいと思います。僕が思ったのは「もし現在の就職活動に問題があるとしたら、その点に疑問を投げかけられるのは、就職活動が上手くいかなかったダメ人間や、社会において未熟とみなされる学生の人たちだ」ということです。


社会人や内定者の人たちは仕事を遂行する能力や対人コミュニケーション能力には長けているのでしょうが、優秀であるからこそ逆に、現在の就職活動のあり方について批判する発想を持ちにくいのだと思います。「内定を得て企業で働いている優秀な自分たちの意見が正しい。内定を得ることができなかった奴らが就職活動のあり方に文句を言うのは、ただの甘え」という発想に囚われているのではないかと感じることがあります。


また、テレビによく登場する有識者の人たちも、彼ら自身が就職活動を経験していないので頼りになりません。正直、就職活動の辛さや理不尽さは実際に経験した人しかわからないと思う。また今度書くと思いますが、「知らないうちに、いつの間にか企業の選考から落とされていた」ということもあるなど、有識者の人たちには想像すらできないと思います。


内定が無いダメ人間だろうが、社会人から勝手に未熟者とみなされる学生だろうが、就職活動のあり方に疑問を感じた場合は、どんどん発信していくべきだと思います。もし企業への批判の声がなくなり、社会人たちが好き勝手に各々の採用活動を行いだしたら、その分求職者である立場が弱い学生らが著しく苦しめられる可能性があるからです。


生意気に書けば、企業に勤める社会人たちは文句を言わない学生たちに甘えて、好き勝手に各々の採用活動を行っているというのが現状です。今後は、原則として企業の採用活動の自由を尊重しつつ、一定程度企業の採用活動に対して法的に何らかの規制を行い、「求職者の人権(自分でも、この言葉の意味はよく分かってませんが笑)」
を守るという発想が生まれるべきだと思います。


今後も細々と、できれば具体的に、就職活動のあり方に疑問を投げかける記事を書いていこうと思います。

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