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マイナビ2013の広告が気持ち悪すぎる

twitterで見つけたのだけれど、「考えるすべての就活生に」という題のマイナビ2013の広告が気持ち悪すぎて笑えるものとなっています。

マイナビの駅の広告がちょっとこわい。そういえばみんな同じ服なんだよね、就活生って。 ... on Twitpic

僕も今日駅でこの広告を見かけたのだけれど、思わず笑い出しそうになりました(笑)このブログ初の画像掲載がこんなものになってしまうとは・・・(画像をクリックすると、引用元に飛びます)。一体、なんなんですかこれ。


僕が見る限り、映っている就活生(もしかすると就活生じゃなくて内定者とかなのか?)皆が同じようなリクルートスーツを身にまとい、同じようなポーズをしている。しかも、そのポーズと言うのが、ウォルター・アイザックソン著の「スティーブ・ジョブズ」という本の表紙のジョブズの姿とほぼ同じだから、もう訳が分からない。「無個性」の象徴ともいえるリクルートスーツに身を纏いながら「個性」の象徴ともいえるジョブズのポーズを皆で一緒にとるという「無個性」さ。毎日コミュニケーションズの人たちも、この広告を作る際に何も疑問に思わなかったのだろうか。


この広告は、もう「コント」といっても言い過ぎではない。スティーブ・ジョブズも天国でコーヒーでも噴き出しているんじゃないか。そんなに人を笑わせるんじゃないって。あるいは、あまりに不気味すぎて開いた口が塞がらないでいるかもしれませんね。ここまで訳が分からない広告を作られると、酷い書き方になるけれど、就職情報会社は就職活動を「遊び」、就活生を「おもちゃ」とでも思っているとしか僕には思えない。


就活ぶっこわせデモの陰に隠れがちだけれど、京都で行われた「カルト就活やめなはれデモ」の意義・ネーミング共に実に的確なものだったのだなぁと再認識した。この画像に写っている一人一人は決して無個性な人たちではないと思う。しかし、毎日コミュニケーションズ(など、就職情報会社)の手に掛かれば、こうして下手な宗教顔負けの「カルト」の世界の構成員となってしまう。就活ぶっこわせデモの主張に全て同意するわけではないけれど、「リクナビつぶれろ、マイナビつぶれろ」というのは、今回の広告を見て気持ちとしては少し同意できるようになってしまった。


改めて、この広告のタイトルは「考えるすべての就活生に」というものだけれど、考える就活生はこんな広告を見たらドン引きするに決まっている。この写真に写っている人たちも、なんでこんな広告作りに協力したんだろう。仮に広告に写っている人が毎日コミュニケーションズの内定者・社員だったら、クビを切られるのが怖くて参加するのは分かる。しかし、一般の就活生が参加しているとしたら、一体何を考えているんだと思う。普通だったら、「スティーブ・ジョブズのポーズをとってこっち向いてくださいねー」と言われた瞬間、帰ることを決めるだろう。


毎日コミュニケーションズとしては、これが唯一の「理想の就活生」、ひいては「理想の社会人」の姿なのだろうか。企業の採用担当者は概ね「多様な人材が欲しい」と言っているような印象があるから、就職情報会社が作る広告にも、もっといろんな表情、いろんなポーズ、あるいは意気込みを書いたプラカードを持っている就活生などがいてもいいはずではないか。しかし実際には、なんで日本人は北朝鮮をバカにしているんだという疑問を投げかけたくなるくらい、皆「同じ」。広告を作るにあたって一体性というものも考えたのかもしれないけれど、あそこまで多くの人数の就活生に同じような服装、同じようなポーズを取らせる広告を作るのは少々やりすぎな気もする。一体、どうなっているんだ。


僕はこのように思うのだけれど、一方でこの広告を見て素晴らしいと言う人、あるいはやる気を出す人もいるのかもしれませんね。怖い話だけれど、感覚は人それぞれなので。ただ、twitterではこの広告を気持ち悪いと感じる人は多いみたいで、大いに安心しました。


やっぱり、「カルト就活やめなはれ」ですね。少し前の記事にも書いたけれど、就活生は自分が「カモ」であることを自覚して、本当に信頼できる人のメッセージに耳を傾けるべきだと思う。少なくとも、就職情報会社のアドバイスに耳を傾けるよりは、OB訪問でもして(この言葉は嫌いだけど)社会人の話を聞くようにしたほうが良いいのかもしれない。就職情報会社が考える「理想の就活生」になっても、何の意味もないはずだから。


<補足 12.3に記述>
コメント欄でもいくつかご指摘を頂いたけれど、ジョブズの件については確かに早とちりだったかもしれない。「トオリスガリさん」、「あああ さん」、「たろうさん」、ご指摘有難うございます。そして、その点に関しては駄文を読ませてしまって申し訳ありませんでした(特に、毎日コミュニケーションズの方にはご迷惑をおかけいたしました)。しかし、ロダンの「考える人」は、拳を握っていませんでしたっけ?ジョブズは論外としても、別に「ロダンの」考える人を意識したわけでもないかもしれませんね。毎日コミュニケーションズ、オリジナルの「考える人」像の可能性もありますね。その点は分かりませんが。

ただ、この広告に写っている就活生のポーズがジョブズではなくても、この広告が「もうコントだろ、これ」という思いや、訳が分からない広告だろという思いが別に消えるわけではないので(気持ち悪いと感じた理由としては、ジョブズのポーズをしているからというよりは、あれだけ多くの就活生が広告に写っているのに、皆が同じような服装、同じようなポーズをしているからという点が大きいので)、その点は訂正するつもりは無いです(笑)

そして、atomさん、本当にアドバイス有難うございました。

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常見陽平さんと「ゆとり」という言葉

昨日、常見陽平さんの「ゆとり世代」に関するツイートを目にして驚いた。まずは、そのツイートの中身を紹介したい。
あなたが言うかそれを!ということを思ったのは僕だけでしょうか?(笑)確かに、常見さんは「ゆとり世代」を悪く言う論調には反対する姿勢を示していた気がしますが。


しかし、「ゆとり世代」への批判はそこまでしていなくても、自分の記事の中で「ゆとり」という言葉を悪い意味、未熟だと言う文脈で使っていたことは多かったような気がする。


例えば、「採用担当者のゆとり化を何とかしろ(http://www.jinjour.jp/column/42393.html)」という題の記事とか。だらしない採用担当者を「ゆとり」と評して、「ゆとり」という言葉を悪い意味で使っている(こういう姿勢が、ゆとり世代への低評価につながりそうな気もするけれど・・・)


驚いたのは、「私が人事だったころ 採用担当者黄金時代とイマドキの「ゆとり採用担当者」(http://www.s-shiori.com/con3/archives/2011/05/post-77.html)」という記事。常見さんが採用担当をしていた07年~09年は採用担当者の「黄金時代」だったのに対して(へー、すごいですね)、最近の採用担当者の姿勢はなっていないという内容の記事。少し長いけれど、最近の採用担当者の姿勢を批判する記述を引用したい。

2009年採用の後半戦から市場が変わり、買い手市場になってきたわけですが、そこで採用担当者の数が減ったり、異動が相次ぎました。

気づけば魂もスキルも伝承されていないと感じることがよくあります。

学生に対して横柄な対応をする企業も増えたかな、と。

合同企業説明会のブースを見て回っても、服装や、話し方、ブースの設営から運営まで、「これはないんじゃないか?」と思う瞬間がよくあります。

フケのついたスーツ、タメ語や間違ったビジネス用語、プロジェクターの台形補正がされておらず、椅子が曲がっているブースで学生に話を聞かせ、選考の日程にも有無を言わせず、内定を出す際にはその場で各社を辞退させるようにせまる採用担当者が散見されます。

いかがなものでしょうか?
もちろん、企業を選ぶ際は採用担当者だけで見てはいけません。ビジョンやビジネスモデル、組織風土、任される仕事など着眼点は多数ですが、「この採用担当者は、大丈夫なのか?」という視点を持つこと、そして、しかるべき手段で意見を言うことは学生にとって大事なのではないでしょうか。

就活の問題は大きなことから小さなことまでありますが、取り合いになるような学生が物申せば、意外にじわじわと変わるのではないかとも思っています。

「戦友」との再会で考えたことでした。

詳しく読みたい方は上に記したurlにアクセスしていただくとして・・・。記事の本文には特に「ゆとり」という記述は出てこないんだけれど、なぜわざわざタイトルに「ゆとり」とかつけたんでしょうね?僕には、その必要性がよく分かりません。これらのような記事を見て、常見さんも「ゆとり」という言葉を悪い意味で積極的に使っているじゃないかと思っていたわけです。


例え「世代」の話をしていなくても、「ゆとり」という言葉を悪い意味、未熟だと言う文脈で使うだけで、それがひいては「ゆとり世代」への理不尽な低評価につながるんじゃないかと僕は感じた。これは考えすぎだろうか。


さて、常見さんは「ゆとり世代」に関して具体的に何を言っていたんだっけ・・・ということを調べるために、古本屋で105円で買った常見さん著の「就活格差」という本に目を通してみた。すると、何だかんだで常見さん自身も「ゆとり世代」を馬鹿にしているんじゃないか?と思わせる記述を目にした。


「就活格差」という本には「ゆとり世代」がやってきたという章があるのだけれど、その中に「未熟だけど優秀なゆとり世代」という見出しがある。まず、どのようなことをもって未熟なのかと言えば、「大人とのコミュニケーションの機会が少なく、マナー面などは非常に未熟だといえ、人間としても自立していない部分が多い」とのこと。


ボロクソに書かれているけれど、じゃあ、どうして「優秀」だともいえるのかと思い、次の記述に目を通した。すると、「しかし、未完成であるがゆえに大化けする可能性も秘めている」と書いてあるだけ。少なくとも「未熟だけど優秀なゆとり世代」という見出しの中には、他にゆとり世代を好意的に書く記述は無い(と感じた)・・・。これって褒めてるどころか、むしろバカにしていると感じたのは僕だけでしょうか?


ゆとり世代が「優秀」でもあると記したのは、体裁を整えるためだけのような気がする。大人とのコミュニケーションの機会が少なく、マナー面などは非常に未熟だといえ、人間としても自立していない部分が多い人間がどうやって大成するんだ。訳が分からない。


まぁ、「大化けする可能性」というのがどのような意味なのかにもよりますね。現在の大人にはない発想を活かして仕事で活躍する・・・という意味ならまだ話は分かる。しかし、仮に「ゆとり世代は本当にどうしようもないな。そのどうしようもない段階からまともな社会人になれたら、大化けしたって言えるんじゃないの?」という意味だったら、ふざけてますね。ちょっと悪意がある解釈だけれど。


「ゆとり」という言葉を広めていたと思ったら、「ゆとり世代」「ゆとり教育世代」という言葉がだいぶ消えたことに喜んでいる。ゆとり世代の味方をしているかと思えば、実は結構バカにしているように見える。常見さんの「ゆとり(世代)」という言葉に対するスタンスがよく分からない・・・と感じた夜でした。


常見さんの「ゆとり(世代)」という言葉に対するスタンスはブレブレで、何を考えているのか分からないという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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就活ぶっこわせデモへの、僕が賛成できない批判集

23日に東京・京都で就活デモが行われたわけだが、特に就活ぶっこわせデモに対しては批判が殺到している。その中で、僕の中で納得できない批判がいくつかあったので、それぞれ取り上げていきたい。


①「内定くれよデモ」と勘違いする姿勢
デモを見た人の中には、就職に失敗した負け惜しみとしての行動だと受け取った人も多いようである。この点、ニコニコニュースによると、「学生に勉強する時間を」「(就職に必要とされる)『人間力』ってなんだ」「"就活メイク"ってなんだ。"就活に強いボールペン"ってなんだ」「リクナビつぶれろ、マイナビつぶれろ」「(採用活動の)早期化反対」「ゆとりにゆとりを」「大学は就活予備校じゃない」という訴えがデモにおいてなされたことが分かるが、これらの不満(問題点)が解消されてデモ関係者の方々が内定をとることにつながるのだろうか。僕にはよく分からない(ただし、「(就職に必要とされる)『人間力』ってなんだ」というメッセージに関しては、内定くれよという訴えとつながりうることは分かる)。


仮に、「新卒一括採用反対!」という訴えのみを内定が無いまま卒業しようとする人がしていたならば、「俺らを働かせろ!」というデモなのではないかという解釈をすることは分かる。でも、現実には他の訴えもしているわけだから、今回のデモを「内定くれよデモ」と単純に捉えることはおかしいと思う。


また、朝日新聞を見ると、まだ選考に参加していない、都内の私立大3年の女子学生も就活のおかしさを訴えようとしていることが分かる(「女性は笑顔でなければダメだと言われ、講座の最後には大声で『内定取るぞ』と言わされる。就活のおかしさを伝えたかった」 と女性は朝日新聞のインタビューに答えた http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY201111230310.html)。確かに就職に失敗したストレス発散として参加した人も居るかもしれないけど、就職活動のあり方について疑問の声を上げようとしていることは、この朝日新聞の記述からも分かるのではないか。なんで、こうも「内定くれよ」デモとみなすのかが僕には理解が出来ない。


②ろくにデモの概要を調べもしないで、デモの目的を決めつける姿勢
「就活に強いボールペンってなんだ」ということが知りたくてgoogle検索をしたところ、「浅見加奈の思考回路」というブログの記事(http://asamikana.blog.fc2.com/blog-entry-6.html)にたどり着いた。


引用元の記事を読んでいただければ分かるが、そもそもこのブログの管理人は「就活ぶっこわせデモ」を就活制度そのものを廃止することを目的としたデモだと解釈しているのだけれど、その解釈に至るまでにやったことといえば「就活ぶっこわせデモ」のブログの記事を一つ読んだだけ。それで、デモの狙いが全て分かったような気になっている。しかも、その受け止め方は間違っているという(笑)名称は「就活ぶっこわせデモ」だけど、別に就活制度そのものを廃止することを目的としたデモではないことは、もう少し記事を読めば分かるはずだ。


確かにデモ関係者の主張の訴え方にも問題はあると僕も思うけれど、このようにちょっと調べただけで全てを分かったような気になって、ある行動の評価を短絡的に下す姿勢には反対だ。デモ関係者が何が言いたいのか正確に分からないこと自体は問題ない(僕にも、分からないところはある)。また、デモの概要を理解するために、「就活ぶっこわせデモ」のブログの記事を全て読むわけにもいかないというのも分かる。皆さん、忙しいでしょうから。


ただ僕は、デモ関係者の主張内容が分からないのに、なぜ、その分からない主張内容を「甘え」とみなせるのかが分からない。①に記したこととも関係するけれど、どうせ短絡的に「内定くれよ」、「働きたくない」デモだと決め付けているんじゃないか。主張内容分からないんじゃなかったんですか?なら、なぜそのまま「主張内容が分からない」という感想で終わらせず、「甘え」「甘え」と叫ぶのか。訴えの表現の仕方が「甘い」という評価なら理解できるけれど、大してデモ関係者の考えを調べようともしないで彼らの目的を勝手に決め付ける姿勢には、僕は賛成できない。


③「自分が採用担当だったら、デモやるような学生を採用しない」という姿勢
この点、プリンシプルのない日本という本で白州次郎は「彼ら(左傾的思想のある学生)の思想がお気に召さないのなら尚更、会社に採用してやって、その性根を叩き直してやるという気概と親切を持ってこれら青年に対処してもらいたいと願うのは、月の世界に旅行し渡いと希望するようなものであろうか」と書いている。さすが、「自分が採用担当だったら、デモやるような学生を採用しない」と言ってる人とは器が違う。


白州次郎は、「御偉方諸氏もみんな一度は若かったのだ。昔の若かった時代のことを思い出して見て下さい」とも書いている。しかし残念ながら、現在では大人どころか若者までもが「デモなんかする人は、就職できない」ということを言っています。物事の考えがとことん均質化している日本人が「グローバル人材」なんか目指して良いんでしょうかね。全く身の丈にあっていないように思える。無理するのはやめたほうが良いんじゃないですか。


「デモしている暇があったら、勉強しろ」という姿勢
こういうことを言い出したら、デモ行為なんか一切出来なくなるんじゃ・・・。別に、勉強もデモも両方やればいいんじゃないか。


多分デモで「就活のせいで勉強できない」という訴えを言葉どおり受け取っているから、「勉強したいんでしょ?デモなんかしてていいの?」という批判をしている人がいるのかもしれない。これはデモ側の表現の仕方にも問題があるとは思うけれど、「勉強する時間が全く取れないよー」という嘆きというよりは、「なんで大学に授業料払っている状況下で、授業をサボって企業の説明会や選考を受けなければならないんだ」という訴えでしょう(この訴え自体には「それなら、選考を受けなければいいだろ!」とかいう批判が寄せられそうだけれど)。デモのメッセージ自体は確かに分かりにくいけれど、同時にメッセージを受け取る側の想像力、デモの意図を読み取ろうとする姿勢も欠如しているような気がする。


また、「デモしている暇があったら」という言葉から、なんとなく「デモ」という行為そのものを無駄とみなしている姿勢が感じられる。このような声をあげる人は、ちょっと「デモ行為」そのものに対する嫌悪感が強すぎるのではないか。


自分達が社会人になってから、企業の内部から変えればいいじゃん!という姿勢
この意見のようなスタンスを採るのも確かに一つの方法かもしれないけれど、それと同時にデモもやっても良いんじゃないですか。


多分この発言をする人は、別にデモ関係者が企業に入社して採用担当者になっても、どうせ何も変えられないだろうと思っているような気がする。「やれるもんなら、やってみろ!どうせ、出来ないだろうけど」という気持ち。


僕は今回のデモを通じて、少なくとも企業の側が、自分達(企業)の側に問題があるかもしれないという可能性について少しは考えるのかなと思っていたけれど、少し考えが甘かった・・・というか企業の側を過大評価しすぎたようだ。よくデモ関係者に対して、「社会のせいにするな!甘えるな!」という批判を見るけれど、企業の側も就活生の側に甘えている可能性は本当に「0」なのでしょうか?


⑥「私は雇用問題に関心があるが、就活ぶっこわせデモの主張が見えてこない。具体例を示せ」という姿勢
そもそも現在の就活のあり方に問題が無いと考えている人が、就活の問題点を訴えようとする団体に対して「一体、どのようなことを訴えるの?」ということを聞きたくなるのは分かる。だって、そもそも就活に問題があるということがイメージできないのだから、問題があると言う証拠・具体例を示せと言いたくなるのは当然のことだ。


しかし、雇用問題に関心があるという人が「具体例を示せ」と要望するだけで終わるのはいかがなものか。雇用問題に関心があるんですよね?じゃあ、自分が具体例を文章の形にしてデモ関係者に送る(しかし、実際に送った方は無視されたらしいが・・・)、あるいはコメント欄に自分の文章を残すと言うことも出来たのではないだろうか。具体例を示さないデモ関係者の姿勢を非難したくなる気持ちは分かるけれど、一方で自分がどのような行動をしているのかといえば、何もしていないわけで。これは僕にもいえることだけれど、雇用問題に関心がありながら外野から非難するだけの人は、自分がバカにしている就活ぶっこわせデモ以下の取り組みしかしていないということを自覚するべきだと思う。


今後も気がついたら加筆修正していきます。ただ、誤解しないで欲しいのだが、デモに対する批判が一切ダメという話ではない。「主張内容に反対」、「何が言いたいのか分からない」、「もう少し戦略を立てて進めるべきだった」など、デモの主張内容・進め方に対する批判はあって当然だと思う。ただデモの概要をろくに知ろうともしないにも関わらずデモに対する評価を下そうとする姿勢(何を伝えたかったのか分からないと感じたなら、分からないってただ言えば良いんじゃないか)、デモ行為というものに対する厳しい姿勢については個人的には賛成できなかったので、今回記事の形にしたと言うわけです。まぁ、あくまでデモ関係者でもない僕個人の感想なので、この感じ方が全てというわけではありませんが。


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「大学受験予備校」と「就活ビジネス」、その違いとは

就活ぶっこわせデモにおいては、「"就活メイク"ってなんだ。"就活に強いボールペン"ってなんだ」、「リクナビつぶれろ、マイナビつぶれろ」というような、所謂、就活ビジネスに対する批判もなされた。


なぜ、就活ビジネスに対する批判がなされたのか。これを理解するに当たっては、京都で行われたカルト就活やめなはれデモのブログ(http://syukatudemo1123kyoto.blog.fc2.com/blog-entry-10.html)を見るのが適切だ。引用すると、

こうしたら内定がとれる」といった就活ノウハウ本、「やればできる論」などを展開する気休めのセミナーなど、さまざまな媒体でアプローチしてきます。こういったビジネスのすべてがそうであるというわけではありませんが、中には、高額な料金を設定し「こういう心持で行うべきだ」といった精神論を説いたり、果てには合宿を行い滝行までさせる、非常に宗教的な"修行"を提供しているものもあります。就活生の不安の増大=市場の拡大のため、大学生の生活圏(ネット含む)には、「もう企業にエントリーした?」「内定が出る人出ない人」…など、不安を煽ったり追い詰められている心理を掴むような広告に溢れています。

引用箇所の中で一番重要なポイントは、「学生の不安を煽る、追い詰める」という箇所である。その不安に付け込んで、「学生からお金をとるなんて」「学生を食い物にして」という批判がなされているわけだ。就活の栞というホームページの、「就活予備校」の増加で、問われる大学の意義という記事(http://s-shiori.com/con3/archives/2011/07/post-92.html)で、常見陽平さんが就活ビジネスへの参入が過熱化している現状を記しているので、良かったら読んでみてください。この記事の内容には、結構納得いく人も多いのではないかと思う。


就活ビジネスに対する批判があること自体は理解できるのだが、一方で、大学受験予備校などに対する批判はさほどなされていないのに、なぜ就活予備校などの存在は責められるのだろう・・・という問題意識を抱いていた。この点常見さんは、ここ(大学受験予備校へ)の出費は相当なものですが、すっかり定着しているために就活での有料塾ほどは叩かれません。(中略)大学に入る力、大学の勉強で身につく力、就活で求められる力、社会に出てから求められる力には断層があるので、有料のサービスに対する期待が学生や親の間で高まるのもしょうがないという意見を示している。


この意見にはほぼ同意したいのだけど、一つ付け加えるなら、大学受験予備校と就活予備校には一つ決定的な差があるのではないかということ。具体的には、大学受験予備校では「大学受験予備校における努力が、大学受験成功というゴールに結びつく可能性が強い」のに対して、「就活予備校における努力が、内定を得るという結果に結びつくかどうかは、かなり疑問の余地がある」という特徴の違いがあるのではないかと考えている。


大学受験に関しては、各大学の受験の傾向というのは大体決まりきっているため、受験に成功するためのノウハウも確実に予備校のテキスト・講義に凝縮されているだろうという推定が働く。しかし一方で、「就活においては正解がない」と評されることが多い。「正解がない」はずなのに、なぜこの講師は「正解」があるかのごとく喋っているのだろう・・・という疑問を抱く人が相当数いるのではないか。


最近では、読売新聞で、お寺で開かれた就活塾について取り上げられていた(滝行で内定獲得へ 大阪の寺で「就活塾」 http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn110124_1.htm?from=tw)。就活生が正座しながら坊さんに木刀で叩かれたり、滝に打たれたり・・・。「内定獲得」とこれらの行動に一体どんな因果関係があるというんだ。むしろ、このセミナーを受けるべきなのは、就活生よりも「カリスマ内定者」のような気がするのですが(笑)就活における「正解」がないという事実が曖昧にされているからこそ、こんな意味が分からないセミナーもまかり通ってしまうんですね。


常見さんは、納得のいく内定のために就活予備校・セミナーのようなサービスが必要だと感じて、フィットすると思ったなら自分の意思で使えばいいという意見を示している。要は、就活ビジネスに「価値を感じるかどうか」を、先輩の意見などを考慮しながら自分で判断することが大事だということ。この意見は確かに一理あるのだけれど、就活ビジネスに意味があったか否かを判断できるのは一定程度就活を体験した人だけではないか。即ち、就活を始めたばかりの大学3年生に就活ビジネスの必要性を冷静に判断できるのか。この点に、疑問がある。


昨日の京都新聞においても、民間の就活講座を受講するなどして「しっかり準備しないと怖い」と述べる就活生の声が載っている(「就活短縮、12月開始 学生の意識「二極化」http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20111126000019)。就活生が抱えている不安・ストレスは相当なものだ。内定者・社会人の中には、どうも自分がこのような不安を抱えていたことも忘れて、調子に乗っている奴が多すぎるなと個人的には感じる。自分だって、びびってたくせに。就活生にとって至れり尽くせりのシステムを作る必要は無いと思うけれど、就活生が抱えている不安・ストレスに対する想像力を保つ必要はあるように思う。


就活ビジネスに反対している方も多いと思うけれど、一方でそのようなビジネスが成立している現状があることを認めないといけないだろう。即ち、就活ビジネスに対する需要も供給もあると。詐欺に近いような就活支援企業、就活予備校みたいなところは潰れることを願うとしても、就活ビジネスを一括りにして全面的に批判することは難しい。


では、今回の就活デモの訴えは何の意味も無かったのかといえば、僕はそんなことは無いと思う。デモのメッセージを受け取る人の解釈にもよるとは思うけれど、就活ビジネスに対する批判的な意見を叫ぶことは重要だと思う。さもなければ、就活生の不安に付け込むクズみたいな社会人が増える一方になってしまうから。酷い言い方になるけれど、就活生は自分が「カモ」であることを自覚するべきだと思う(突き詰めれば、人間皆誰かの「カモ」ですしね)。その上で就活ビジネスに対する疑いを持ち、その疑いを払拭するだけの内容のセミナーにのみ参加すればよいのではないか。就活ビジネスを一方的に責めたり、そのようなビジネスの規制を叫ぶよりは、就活生に「就活予備校のような所が語る内容が全てではない」というメッセージを届ける方法を模索するほうが意義があるように感じる。

就活ビジネスを一方的に責めたり、そのようなビジネスの規制を叫ぶよりは、就活生に「就活予備校のような所が語る内容が全てではない」というメッセージを届ける方法を模索するほうが意義があるという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「顔採用をやめろ!」という声について考える

前回の記事で、実質「顔採用」について取り上げたので(一番伝えたいことは、「どのような人材が社会において有利に生きられるのか」という人物像を、子供に対してアナウンスする方法を発見する方法論だけれど)、続けて「顔採用をやめろー!」というシュプレヒコールについて考えてみたい。


就活ぶっこわせデモの中で「顔採用をやめろ!」という声があがったのだが、これは具体的にどのようなことを意味するのか。この点、就活ぶっこわせデモ@東京中継 デモ行進①(http://www.ustream.tv/recorded/18693719)という動画を見てみると、17分30秒あたりに、先頭を歩く女性が「顔写真いらなくね」というプラカードをもっている姿が映っている。だとすると、就活ぶっこわせデモにおける「顔採用をやめろ!」というメッセージは「エントリーシートに顔写真を貼ったら、ブサイク・ブスが不利になる。これは不公平だ!」という訴えだと解釈できる。


海外の履歴書だと、写真は容姿差別や人種差別に繋がるので添付禁止ということになっているらしい。一方、日本のエントリーシートだと、手書きのエントリーシートにはもちろん写真を貼り付ける欄があるし、webエントリーでも写真をアップロードしなければならない場合もある。多分本人確認を確実に行いたいというのが理由だろうけれど、穿った見方をすれば応募者の顔をチェックすることで、採用担当者の労力を削減することを図っていると僕は思う。ブサイク・ブスのエントリーシートなんか、読むだけ無駄だ!と思っていたりして。


加えて、就活ぶっこわせデモでは「(企業は選考応募者の)採用基準を明確にしろ!」という訴えもなされている。この点も考慮すると、「面接で落とした理由を私達にちゃんと教えてね。ただし、顔で落としたというのは無しで」という考えをデモ関係者が持っていることが導きだせる。純粋に、話の中身だけ考慮して選考の合否を判断してくださいということか。


この訴えは、少し厳しいような気がする。面接官が応募者の容姿を気にするのは、人間である限り仕方がないのではないか。本当に、就活生の「話の中身」だけで人間性を審査しようとしたら、面接官と応募者が向き合う「面接」という手法は採れない。電話面接か。でも、電話面接だと替え玉受験が余裕で出来てしまいそうな気がする。


あるいは、面接官と応募者の間に仕切りを作って、互いの顔を見えないようにするか。加えて、このようにしたら今度はかわいい声をしている方が有利になるので、音声も変える。「ワタシガ、ガクセイジダイニガンバッタコトハ・・・」全部ロボットのような声にする。内定が出るまで、就活生も面接官も互いにどのような顔をしているのか分からない・・・いや、どう考えてもこんな選考はおかしいだろう。


「顔採用をやめろ!」という訴えは実現可能性が低いものと言わざるを得ない。ただ僕は、「部分的顔採用撤廃」なら良いと思っている。分かりやすく言い換えると、「書類選考」の段階においては顔写真を貼らないということが望ましいのではないかと考えている。


特に手書きのエントリーシートの場合、書き上げるだけでもそれなりの時間・労力を要する。それは受け入れるとしても、せっかく書き上げたエントリーシートを「こいつ、ブサイクだから」という理由でろくに書面の中身も審査されないで落とされたら、就活生からしたらたまったものじゃないだろう。


書類選考は純粋に文章の中身で審査する。そして通過者には、面接時に写真と身分証明書のコピーか何かを提出させればよいのではないか。こういう風に採用を行っている企業もどこかにあると思うのだけれど、ちょっと思い浮かばない・・・。そして面接になったら、あとは面接官の裁量に任せるしかない。容姿が原因で不利になるじゃないか!という人も居るかもしれないけれど、そこは就活生の側も受け入れなければならないのではないか。人間である以上、面接官が応募者の容姿を気にするのはある程度仕方が無い。差別に厳しい海外でも、さすがにそこは仕方が無いと思っているんじゃないか(実際はどうか正確には分かりませんが)。


少し残酷なようだけれど、前回の記事で書いたように、「見た目も意識しないと、単にモテないだけじゃなくて、仕事に就くことすら難しくなる」というアナウンスを幼い段階から投げかけることが必要だと思う。「顔採用をやめろ!」というより、仮に「顔採用」の壁に当たってもくじけないメンタルを培っておくべきではないかと。容姿などが冴えない人は生きている価値が無いとかそういう話ではないけれど、現実には容姿・見た感じの雰囲気により競争の勝敗が分かれる場合があるのだから(「競争」という言葉を忌み嫌う人も居るかもしれませんが、競争が現実にあるのに、その事実を覆い隠して人間皆平等だと言うほうが僕は残酷だと思っています)、現実を早い段階で認識させる。そこから、自分は一体何が出来るのかということを模索する。「教育」とはこのようなものではないかと僕は思う(顔採用から教育の話に、見事にそれてしまいました!笑)。


「書類選考」の段階においては顔写真を貼らない形式が良いのではないかという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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バカ面接官「賢いブサイクより、バカなイケメンが欲しい」~顔採用は避けられない~

今年の2月に「所さんの目がテン!」という番組の中で、「ホントに顔採用はあるのか?」という検証が行われたことを、みなさんご存知でしょうか?僕はこの番組を見ていたわけではないけれど、この検証結果がかなり衝撃的なものだったらしい(あくまでテレビなので、やらせの可能性は大いにあります。以下の記述もそのつもりで読んでいただければと思います)。


実験の概要、結果を番組ホームページから引用します(全文を読みたい方は、番組ホームページのライブラリーから、2011年2月19日放送の回のページにアクセスしてください)。

実際の企業の採用担当の方3名に、4人の女性を面接してもらいました。しかし、この4人は仕掛け人。2人は容姿端麗なプロのモデルで、2人は普通の女子大生です。さらに、モデルの2人には、あえて知識や教養がないように見える受け答えをしてもらいます。そして、面接官に、もし2人だけ採用するならと、選んでもらった結果、なんと全員がモデルの2人を選んだのです!(中略)男性でも、モデル2人と普通の学生2人で同じ実験をしてみると、今度は2社ともに面接官全員がモデルの2人を採用したのです!

ちなみに実験の参加者が写っている写真を発見しましたので、引用します。実験の中身については、こちらのページにも詳しく書かれています(http://matome.naver.jp/odai/2132289606601051201)
顔採用


ここで、「あえて知識や教養がないように見える受け答え」とはどのようなものだったのか。あるサイトによると、「今の首相の名前を間違える」とか「報告、連絡、相談のほうれんそうの意味を全部間違える(訪問、連携、掃除と答えていたらしい!)」というものだったようだ。ここまでバカな答えをしても「モデルのルックス」があれば採用されるという結果に、「まさかの衝撃www 」との声が上がっている(http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-3679.html、http://itaishinja.com/archives/2271099.htmlなど参照)。


実験結果を受けて、専門家は「日本の企業の場合、能力だけではなく、仲間としてうまくやっていけるかという関係も重視するため、第一印象が採用に影響を及ぼす」と答えたらしい。しかし、この実験を見る限り、第一印象は「重要」どころか「全て」と言っても良いんじゃないか。


僕は、企業がどんな人材を好み、誰を採用するかは各企業の自由でよいという考えを持っていた。しかし、この実験結果を見ると、自分の考えを覆したくなる気持ちが芽生える。面接官が、就活生の第一印象・・・というか見た目などを重要したがる気持ちはすごくよく分かるのだけれど、それでも超えてはいけないラインというのもあるのではないか。同じ程度のレベルの受け答えをした就活生2人のうち1人を選ぶ局面において、面接官が「見た目の良い人」を採用することは理解できる。しかし、いくらルックスが良くても、ここまでバカな受け答えをする人を選ぶのは、面接官のスキルに問題があるといっても言い過ぎではないだろう(断っておくと、実験に参加したモデルの人たちは「あえて」知識や教養がないように見える受け答えをしたのであって、本当にバカなわけではないです)。


「顔採用」といえば、去年サイバーエージェントの内定式の様子を書いたブログが炎上したことを覚えているでしょうか(「サイバーエージェント社の内定式がリア充すぎると話題に」http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-958.html参照)。内定式の様子を撮った写真などは依然としてネットに残っているのだけれど、確かにリア充の集まりと評したくなる気持ちも分かる(断っておくと、別にサイバーエージェントの内定者が酷いことをしたとか、そんなことは無いと思います)。


サイバーエージェント、「喜び組」が支えるサークル組織という記事(http://www.mynewsjapan.com/reports/1088)によると、特に女性に関しては「見た目重視」の採用を行っていると言うことが書かれている。藤田晋氏は「採用面談の時にもよく学生の笑顔を見て判断しています。…最後に契約を結んでもらえるのは、雄弁に語る人よりも笑顔がかわいらしいために、どこか安心感が持てる人の方だったりします」と「藤田晋の仕事学」という本の中で語っている。いや、お前が単にかわいい子が好きなだけだろという突っ込みもできるけれど、自分が採用する立場だったら「笑顔」に惹かれたり、だまされたりすることが無いとは言い切れないので、あまり強くはいえない。


確か、就活ぶっこわせデモにおいても、先頭を歩いていた女性が「顔採用やめろ!」と叫んでいた気がする。この「顔採用をやめろ!」という訴えを通じて、誰に対してどのようにして欲しいかまでは僕には分からない。


僕も、「所さんの目がテン!」で登場したモデルのような、いくらルックスが良くてもあまりにもバカな受け答えをする人は落とす・・・という我慢を各面接官にはしてもらいたいと感じている。しかし、面接官も人間だから、かわいい、かっこいい人を採用したがるのも分かる・・・というか当たり前といっても良いかもしれない。バカなイケメンを採用するために「現在の総理大臣なんか知らなくても、仕事には関係ない!」とか強引に採用するための理屈を編み出しそうですね。一方でブサイクに対しては、「現在の総理大臣の名前すら間違えるなんて、なんて常識の無い奴なんだ!」とか言い出しそうだけれども。


「顔採用をやめろ!」とまでは僕は思わない。そもそも、「顔採用の是非」というトピックにもあまり興味は無い。ただ、本当に「所さんの目がテン!」で登場した専門家が言ったように「日本の企業の場合、能力だけではなく、仲間としてうまくやっていけるかという関係も重視するため、第一印象が採用に影響を及ぼす」のならば、子供に対しても、「見た目も意識しないと、単にモテないだけじゃなくて、仕事に就くことすら難しくなる」というアナウンスを投げかける必要があるように思う。しかし、「ブサイク、ブスは社会で生きていくにあたって不利になるぞ!」ということを言ったら、なんて酷いことを言うんだ!という非難を浴びそうなので、このようなアナウンスを伝えることは重要であるはずにもかかわらず、非常に難しい。


学校においては、見た目などに気を使わなくても勉強が出来れば高い評価を得ることが出来る。僕も中学くらいまではガリ勉だったから分かるつもりなのだが、「別に僕は格好よくないけど勉強はできるんだから、それでよいだろ」という考えを持っている人は進学校などに少なくないと想像している。しかし現実には、大学の新卒採用においては学力が高い人よりも、バカだけれども見た目や人当たりが良い人の方が好まれる。「勉強さえ出来ればよい」という考え自体がバカなことは賛成だけれど、間違った方向のみに努力し続ける人に対して何か声をかけてあげる方法くらいは考える人がいても良いと思う。


現状を肯定するか否かは別として、「どのような人材が社会において有利に生きられるのか」という人物像を、子供に対してアナウンスする方法を発見する必要があるように思う。しかし、さすがに学校で先生が、「ブサイクやブスは社会で生きていくのが難しくなりますよー」ということは言えないだろう。保護者からのクレームはまず避けられない(笑)重要な問いだと思うのだけれど、他の人がこの問いについてどのように考えるのか、そもそもこのような問いを設定すること自体に異議を唱えるのか、顔採用がまかり通る現状を非難するのか、これらの点に興味がある。


「いくらルックスが良くても、あまりにもバカな受け答えをする人を採用するのは止めてくれ!」と思ってくださる方、「見た目を意識しないと、単にモテないだけじゃなくて、仕事に就くことすら難しくなる」というアナウンスの必要性について共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「就活生を舐める企業に恥をかかせる」という方向性

23日に東京・京都で就活デモが行われました。デモ関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。


そして、現在の就職活動のあり方に疑問を投げかける活動は、別にデモに参加しなくても出来る。僕のように、ブログで駄文をつらつらと書くことも、その方法の一つである。


僕は就活ぶっこわせデモのように「新卒一括採用の見直し」など、制度面・社会の構造面に着目した批判をこれまで殆どしていない。関心がないとかではなくて、このような問題への自分なりの着地点が未だ見えていないので、中々自分が納得のいく記事が書けていないのである。


ただ、ブログを書き始めてから今日まで、一貫して変わっていない考えがある。それは、「企業は採用活動を、もっと就活生の都合を配慮した上で行うべきだ」ということだ。「採用活動」という言葉の定義も曖昧だけれど、ここでは「書類選考や面接の場面など、(言葉は悪いけれど)就活生をふるい落とす局面」という風にイメージしていただければ嬉しい。


例えば、選考の不合格者に対する合否連絡のあり方に疑問を投げかける記事を過去に何回か書いた。例えば、「合否連絡を期限までに伝えない「社会人失格企業」(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-69.html)」という記事では、就活生に伝えた合否連絡の期限を過ぎても不合格者には連絡をせず、その後1週間近く遅れてとくに弁解もなく不合格の通知をする企業の存在を紹介した。また、「知らない間に選考を受けていて、知らない間に落ちていた(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-27.html)」という記事では、不採用通知を受け取らずに不採用となる「サイレントお祈り」や、リクルーター面接において、就活生が自分が選考に参加していたことすら知らされず、社員からニコニコ笑われて選考から落とされるケースについて取り上げた。


稚拙な表現で申し訳ないけれど、これらの態度は明らかに就活生を舐めきっているものだと僕は感じている。採用活動に携わる社会人の振る舞いの質の程度が低すぎるのだ。エントリーしてきた就活生に対して合否連絡すらしないのは、「え、本当にそれで社会人名乗ってんの?」という気にもさせられる。また、このような倫理的側面を別にしても、合否連絡が伝えられないことで就活生は、面接の予定が入るかどうかすら分からない、スケジュール的にも精神的にも不安定な状態に置かれてしまう。


「そんなの就職活動でよくあることだ、我慢しろ!」という説教を受けそうだけど、そんな説教をしている暇があったら、自分達の社会人基礎力とやらを見直したほうが良いんじゃないか。「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」は社会人の基本なんでしょ?なんで自分達は守れないの?・・・という話をこれまでにも何度か書いてきた。


また、ほとんど反響がなかった記事だけれど(笑)、「採用担当者様、電話連絡を止めていただけませんか?(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-60.html)」という記事に書いたことも、個人的には問題があると思っている。就職活動において企業が突然非通知で電話をかけてくることは当たり前とみなされがちだけれど、この点について疑問を投げかけた。企業が勝手にかけてくる電話に出られなければ、そもそも選考プロセスにも参加できない場合もある上、非通知でかかってくるから、折り返し電話することも出来ない。いずれ企業からまた電話は掛かってくる場合は多いと思うのだが、今度はその電話がいつ来るのかというストレスを就活生は抱えることになる。


これも、「そのくらい我慢しろ!」というご意見を頂きそうだけれど・・・。そもそも、電話をかけるという行為自体失礼な行為と言えるのに(「憂鬱でなければ仕事じゃない」と言う本の中で、見城徹さんも言っていた笑)、ましてや非通知でかけてくるなんて、企業は一体どこまで失礼な行動をとれば気が済むんだ・・・という考えを僕は持っている。必要な連絡は、連絡をする時期を極力事前に明示した上で、メールや各就活生のmy pageに送ればそれでいいんじゃないですか?


今まで書いたことは全て僕の感覚に過ぎない。その感覚を他者に押し付けるつもりはない。ただ、もし僕と同じような感覚の人が増え、例えば「合否連絡をしない企業なんて、ロクな企業じゃない!」という声が大きくなり、「就活生を舐めた採用活動をする企業なんてふざけてる」というコンセンサスが社会に根付けば、ひいては企業も就活生の都合を無視した好き勝手な採用活動を行うことが出来なくなる可能性はある。


これは僕のオリジナルの考えではなく、少し前に、ブログ「無能の就活」の管理人さんがtwitterを通じて「就活生を舐めきった企業」の情報を集めようとしていた行動を見て、僕も「就活生を舐めきった企業を晒すことで、企業の採用活動のあり方も変わり、就活生が無駄なストレスを抱えなくてすむようになるかも」ということに気づくことが出来たのだ。


ここで、ヒューマン・ライツ・ウォッチという国際人権NGOのホームページに紹介されているインタビュー(http://www.hrw.org/news/2008/06/01-0)を一部引用したい。なぜ急に国際人権NGOの話が出てきたのかという人もいるかもしれないけれど、ぜひ引用部分を読んで欲しい。

私たちはこれまでも被害者や目撃者、政府関係者ら広範囲な人々へのインタビューをはじめとする、詳細な調査を何度も実施し、多数のリポートを発行してきました。間断なく続けてきた目的は、チベットの現状を世界に知らせ、中国政府に自分たちの行動がいかに恥ずべきことか認識してもらうためです。恥をかかせることで行動を改めさせ、民衆に加えられている抑圧を減らすのです。

ここで重要となるのは、人権侵害を行っている中国政府に自分たちの行動がいかに恥ずべきことかということを知らしめるか、ひいては恥をかかせることで行動を改めさせて問題の解決を図る・・・というアプローチである(この話の詳細を知りたい人は、ぜひヒューマン・ライツ・ウォッチのホームページにアクセスしてください)。このアプローチは、企業の採用活動のあり方を批判する際にも有効ではないかと僕は考えている。


「企業が選考の合否連絡をしないこと」、「いきなり非通知で連絡をしてくる」など、好き勝手に採用活動を行う企業の姿勢を批判する。そして、彼らに恥をかかせる。企業も所詮体裁が大事だから、結果、採用活動の進め方を改める方向に動く・・・可能性も少しはある。「新卒一括採用」の問題と比べてスケールが小さいものかもしれないけれど、これも「就職活動のあり方を改善する」ための一つのやり方なのではないかと考えている。またデモを行う人がいるのならば、「○○会社さんは、エントリーしてきた学生に対して、連絡もしないで落とすんですよ!」とか言ってもいいかもしれませんね。名誉毀損にならないか心配ですが・・・。企業名を実際に晒すことに問題はないのか・・・という点がよく分からないので、ひとまず僕は「企業のこんな行動は問題じゃないか?」という自分の考えをこのブログで書き続けていきたいと思います。

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「新卒一括採用批判論」進化の必要性

東京・京都で行われた就活デモの中でなされた主張の一つに、「新卒一括採用」に対する批判があった。僕もこのブログで何回か「新卒一括採用」に関する記事を書いたけれど、未だに僕自身、新卒一括採用という方式に賛成か反対か結論が出せていない。


「新卒一括採用」を批判するスタンダードな主張としては、「新卒を逃したら、就職できるチャンスが著しく減ってしまう!その結果、不安に駆られて高価な就活セミナーに行ってしまう人や、精神的に苦しめられる人が大勢生まれてしまう」というものだと思う。この主張の中身はよく分かるけれど、一方で「新卒一括採用」を批判する理由として、「新卒を逃したら就職できない」というものを掲げることが現在でも適切なのだろうか・・・という点に疑問を持っている。


21日の日本経済新聞の社説(「新卒一括」が招いた就職難 http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE1E4E4E7EAE1E7E2E0E3E3E3E0E2E3E38297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8D8D)によると、経団連の会員企業の7割弱が既卒者の応募を受け付けているという。そのような状況下で、「新卒を逃したら就職できない」という主張は適切なものといえるのか。


ここまで読んで、「企業が形だけ既卒者の応募を受け付けるようにしているだけで、実際に採用する気はないだろう!」と言いたくなる人がいるかもしれない。実のところ、僕もそう思っている。日本経済新聞の社説によると、既卒者を受け付けている企業のうち、7月時点で既卒者に内定を出したのは2割に満たないという。企業が体裁を整えるためだけに既卒者の応募を受け付けているとしたら、それは最低な行為だと思う。


しかし、各企業が形だけ既卒者の応募を受け付けているのか、あるいは真剣に選考を行ったうえで落としたのかということを、部外者である僕達がいかにして判断できるのか。加えて残酷なことを書くと、企業もボランティアで採用をしているわけではないから、自分達が雇いたいと思う人材ではなければ、雇わないのは当然のことだろう。「既卒者にも内定を出せ!彼らは一体どうすればよいんだ!」というヒューマニズムに訴える主張も、あまり効果は無いような気がする。「いや、その既卒者の方はうちには縁がないと思いますので・・・」とか言われたら、それに対して反論することは難しい。誰だって、一緒にいたくない人と一緒にいるのは嫌じゃないですか。


また新卒一括採用には、もう一つ「期間限定性(学生が4年生になったばかりの、4月~5月に各企業の選考が集中している状態。それを逃すと、企業の選考を受けるチャンスが減る)」という問題点があるように思われている。しかし、常見陽平さんは「新卒一括採用廃止の先に希望はあるのか?(http://www.s-shiori.com/con3/archives/2011/11/post-119.html)」という記事で、「採用時期を多様化する、後ろ倒しにしたからといって学生は上手く就活できないのではないか」という自論を展開している。


常見さんによると、今年は大震災の影響で、企業の採用時期の遅延化・分散化が起きていたと。これにより、大手と中堅・中小が混ざったスケジュールになったのだが、決まらない学生ほど、様々な業界を少しずつ受け、気づけばどこにも決まらない・・・という状況に陥っていたと。


これは、多くの就活生を見ている常見さんの意見なので、信用して記事の中身を引用させていただきたいと思います(いつもは、けなしてばっかりなのですが・・・笑)。「期間限定性」という問題点を除去しても、また次の問題点が発生しうるという可能性については自覚すべきだと思う。


後は、ユニクロの採用方針の見直しのニュースを聞き気がついたのだが、「新卒一括採用の見直し」は「既卒者も企業の採用試験に応募できるようにする」ということを意味するのではなく、大学1年生などの人を採用することも「新卒一括採用の見直し」といえる。そもそも「新卒一括採用の見直し」の定義自体が一つではないわけだから、デモなどで漠然と「新卒一括採用反対!」と叫ぶことにはあまり意味が無かったのかもしれない(昨日のデモで実際に「新卒一括採用反対!」と叫んでいたかは分かりませんが)。


少し前と比べて、就職活動(というより、企業の採用活動?)のあり方はずいぶん変わったように感じる。ゆえに、従来の就活批判の論理が、現在では既に妥当しない的外れなものとなるということもあり得る。昨日のデモは、「就活について問題があることを知ってもらいたい!」という問題提起という側面が強かったと認識しているけれど、就活批判をする人はいずれ自分達の「ゴール」を明確にして、そのゴールから逆算して必要なことを訴えていくべきだと思う。これはブログを書いている僕に突きつけられた課題だとも思うので、意識していかなければならない点だと考えている。

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「就活ぶっこわせデモ」、「カルト就活やめなはれデモ」の訴えが就活の問題点の全てではない

本日、「就活ぶっこわせデモ」、「カルト就活やめなはれデモ」が行われることは前回の記事で書いた。改めてこれらのデモのブログを読み直したところ、2つのデモに共通する点とは「新卒一括採用という採用方式の見直し」であるように僕は感じた(http://hosyukakumei.blog.fc2.com/blog-entry-4.html、http://syukatudemo1123kyoto.blog.fc2.com/blog-entry-7.html参照)。


「就活ぶっこわせデモ」、「カルト就活やめなはれデモ」のブログを少し読めば、これらのデモが決して「私たちに内定をくれ」という内容のデモではないことが分かる。しかし、「就活ぶっこわせデモ」のブログの記事のコメント欄を見ると、つい最近でも「デモをしようとする人たちは、自分達が内定取れないのを社会に責任転嫁しているだけだ」という中身のトンチンカンな批判が寄せられている。このような批判をする人は、まずは自分の読解力を身につけ直しましょう(考え自体は正しいと思うけれど、デモへの批判内容としては不適切)。


「就活ぶっこわせデモ」、「カルト就活やめなはれデモ」の訴えの内容を批判する気はないけれど、一つ書きたいことがある。


「就活ぶっこわせデモ」も「カルト就活やめなはれデモ」も、現在の就職活動に問題があると感じていて、その問題点を解決して、より良い就職活動のあり方を発見しよう・・・ということを目的としてデモを行うことを決めていると思う。ここで、「就職活動のあり方が改善された」とは、具体的にどのような状態を意味するのか。この言葉の多義性に注意をしなければならないと僕は考えている。「就活ぶっこわせデモ」も「カルト就活やめなはれデモ」も、特に新卒一括採用の見直しについて訴えるのだろうけれど、考えるべき就職活動の問題点が新卒一括採用というトピックのみになってしまってはならないと思う。もっと様々な可能性を考えるべきで、そのために「就職活動のあり方が改善された」という言葉に含まれる様々な意味を各人が発見していく必要がある。


例えば、「就活ぶっこわせデモ」、「カルト就活やめなはれデモ」の主張のみを考えれば、「就職活動のあり方が改善された状態=新卒一括採用という採用方式が見直されて、既卒者でも内定をもらいやすくなった状態」という風にイメージできる。


しかし、他にも「就職活動のあり方が改善された状態」が考えられるだろう。例えば、就職難と言う問題に関心がある人は、「就職活動のあり方が改善された状態=皆が内定をもらえる状態」と言う風にイメージするだろう。


あるいは、企業の採用活動の進め方に問題意識を抱くことも考えられる。例えば、このブログでも、「就活生に対して、選考の合否連絡を伝えない企業が多く存在する」という問題点に触れたことがある。そこで、「就職活動のあり方が改善された状態=企業の採用活動が、就活生の立場を考えた上で丁寧に進められる状態。具体的には、例えば企業が就活生に対して選考の合否連絡を確実に行う状態」というようにイメージすることが可能だろう。


また、企業の面接の進め方など、具体的な選考の場面における訴えも考えられる。例えば、「就職活動のあり方が改善された状態=面接官個々がスキルアップされた状態。エントリーシートに書いてある設問をそのまま聞くような、スキルの低い面接官は存在してはならない」ということも考えられる。


もっと大胆なことを言えば、「就職活動のあり方が改善された状態=従来の書類審査・面接による選考が終わり、インターンを経た上での採用が主流となっている状態」ということも考えられる。これだと、そもそも既存の就職活動の枠組みを壊す大胆な主張ながらも、ミスマッチの危険性の軽減・なぜ自分が選考に落ちたのか理由が分かりやすくなる等のメリットもありそうだ(勿論、デメリットもあることは分かっています)。


僕が挙げた具体例自体に賛否はあるだろうけれど、要は、「就職活動のあり方が改善された状態」という言葉からは実に様々なことをイメージできる余地があるのだ・・・ということを伝えられたならば嬉しい。就職難や新卒一括採用というメジャーなトピックの検討のみで思考を止めてしまうのは、僕は勿体無いと思う。


デモを行う人たちは、自分達の主張する意見が全てだ!とは全く思っていなくて、むしろ自分達の問題提起をきっかけにして、出来るだけ多くの人に就活の問題点について考えて欲しい・・・という風に願っている。つまり、今日のデモが成功するか否かは、実のところデモ関係者の方々の努力よりも、デモ関係者ではない「僕」や「あなた」が現在の就職活動が抱える問題についてどれだけ問題意識を持てるのか・・・という点にかかっている。少なくとも僕は今後も、このブログを通じて就職活動の問題点を表現していくつもりだ。

追記
就活ぶっこわせデモの様子を、ustreamを通じて見ました。
参加していない僕が言うのも失礼かもしれないけれど、あのデモを見て、「よし、就職活動の問題について考えるぞ!」という人が果たしているのだろうか。なんとなく「ノリ」だけでデモをやっているように感じられて、少しがっかりしました・・・。特に「ゆとり(世代)にゆとりを」という訴えはあり得ないだろうと思う。部外者から見たら、「甘え」としか捉えられないだろう。


デモの様子だけ見たら、「こんな奴らのいうことなんて聞いてもしょうがないだろう!」と感じる人がいるのは分かります。しかし、就活ぶっこわせデモの主張内容自体には、妥当なものもあると思う。「現在の就職活動に問題がある」という言葉に納得・イメージが出来ない人も多いと思いますが、一度、「現在の就職活動に問題がある」という可能性について考えていただければと思います。考えを変えろとは言いません(僕にそんな権限は無いです!笑)。ただ就職活動に関する自分の「固定観念」をこの機会に一度点検していただけたら、就活批判ブログを書いている僕としても嬉しいです(僕は、デモ関係者ではありません)。


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就活デモ関係者・批判者のミス&就活デモ成功祈願

いよいよ明日、東京で「就活ぶっこわせデモ」、京都で「カルト就活やめなはれデモ」が行われる。関係者の方々は、多かれ少なかれプレッシャーを感じていると思う。


僕は、デモという行動をとることを決断して、就活における問題点を社会に訴えようとするデモ関係者の姿勢を支持したい。何かに対しておかしいと思うことだけなら誰でもできるが、その違和感を訴えるために「デモ」という行動をとることが出来る人はなかなかいないだろう。デモ関係者の方々の熱意と勇気は素晴らしいと思う。


ただ、僕が知る限り、両方のデモ(特に東京の「就活ぶっこわせデモ」)には少なくない批判が寄せられている(僕自身も、2つほど就活ぶっこわせデモに関する批判記事を書いた)。「デモなんかしたって、何も変わらないよ!甘えるな!」という批判は取りあげる価値すらないので無視するとして、主な批判としては「デモを通じて、どのような主張をしたいのかが分からない」というものがあったと思う。


確かに、「就活ぶっこわせデモ」、「カルト就活やめなはれデモ」共に自分の公式ブログにおいて、現在の就活のどのような点に問題があるのか、どのような主体にいかなる改善を求めるのかという点について説得力のある主張を示さなかった。これは、小さくないミスだと思う。恐らく、今回のデモはメディアにも取り上げられるだろう。しかしその後、デモの存在を知った人が「デモについて、もっと調べてみよう」と思ってデモの公式ブログにアクセスし、その際に具体的な主張が殆ど何も書かれていなければ、就活に関わる問題について関心を抱く余地はなくなるのではないか。デモ参加者の行動が無駄になってしまう危険性があるし、その危険性を放置したのはデモ関係者の方々に他ならない・・・。


しかし一方で、デモ企画者・参加者には、外野から批判する僕らのような人たちとは違って「実際に行動を起こす」という強みがある。「就活ぶっこわせデモ」のツイートを見ると、既に新聞社からも取材を受けているようだから、彼らの行動を通じて「現在の就活に問題があるかもしれない」と考える人は増えるかもしれない。実際に行動を起こす人と、外野から批判しているだけの人。どちらが「就活の問題点を社会に認識させる」ということに貢献しうるかは、考えるまでも無く明らかだと思う。


そして、文章を書きながら就活デモ批判者(あくまでも、「デモで、どのような主張をしたいのかが分からない」という内容の批判者)、そして僕自身のミスに気がついた。就活デモのブログに説得力のある主張が掲載されていないというのなら、他ならぬ批判者自身が、その「説得力のある主張」の例を就活デモ関係者にメールか何かで送ってもよかったはずだ(勿論、その主張がデモ関係者の問題意識と合致するかは、また別の話だが)。勿論、本来デモ関係者自身も、自分の問題意識を具体的に言語化することを試みるべきだった。しかし、就活デモのブログの内容に満足がいかないならば、単にそれを批判するだけでなく、自分自身で適切な行動をとればよかったのではないか。


仮にデモ関係者の方々が、「デモを通じて社会に向けて声を上げれば、その声は社会に通じる」と思っているならば、それは違うだろうと言いたい。「現在の就職活動はおかしい!と熱く訴える熱意」と「就職活動のおかしさの中身を論理的に突き詰めていく冷静さ」。これらは車の両輪のようなもので、どちらが欠けても就職活動の問題点を社会に認知させることはできない。両方の視点を並行して持ち続けることが必要だ。


そして就活デモ関係者が、熱意・行動力はあるが、就職活動のおかしさの中身を論理的に突き詰めていく姿勢に欠けている場合、それに気づいた誰かが自身のブログか何かで、説得力のある主張を掲載すればよい。あるいは、ブログで就活の問題点を文章の形で表現することはできるが、実際にそれを街中で訴える熱意が無い場合、実際に行動を起こす熱意を持つデモ関係者に任せればよい。それぞれの行動に、それぞれ強みと弱みがあるのだから、互いが互いを補うという方向に動いていけばよいのではないか。


僕自身はデモには参加しないけれど、このブログの更新を通じて「就職活動はおかしさの中身を論理的に突き詰めていく冷静さ」という輪を回転させることに、微力ながら貢献していきたい。そして、明日のデモの成功を心から祈っています。

明日の就活デモは、ぜひ成功して欲しいという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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