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稀に見る糞試合「日本 VS ウズベキスタン」~格下を侮る日本人は、もう「日本人は謙虚だ」という言葉を使うのを止めるべきだ~

三浦和良選手の著書「やめないよ」には「過去の格下を見くびるな」という章がある。その中で「過去の格下だった相手が、今も弱い保証なんてどこにもない。何より日本が、一番それを証明しているんじゃないかな」という記述がある。今でこそサッカー日本代表はアジアでもトップクラスといえるだろうが、カズ選手が代表にいた頃はタイに勝つのも楽ではなかったという。日本が成長しているのは事実だろうが、他の国も同じように成長していっているわけで、タイトルどおり「過去の格下を見くびってはいけない」というメッセージが込められた、サッカーに詳しくない人にとっても勉強になる章である。事実、僕は勉強になった(笑)


「やめないよ」は結構売れたわけで、この「過去の格下を見くびるな」という章を目にした人も多いはず。それでも、今回のウズベキスタン戦に際して「香川選手や長友選手がいなくても勝てるでしょ」という意見もネットで多く見られた。僕はサッカーについて詳しいわけではないが、正直ヨーロッパのリーグでプレーしている選手がいなくても、悪くても引き分けで終わるのではないかと思っていた。カズ選手のメッセージは、すっかり僕の頭から抜け落ちていたらしい。


今日の試合は、選手の所属クラブの格だけを見たら日本の圧勝だろう。しかし、勝っていたのはまさに所属クラブの格だけ。実際の実力、少なくとも今日の試合で表現された実力はウズベキスタンの圧勝だった。パスの精度・玉際の強さ・スピード・・・。大人と高校生くらいの実力があったといっても言い過ぎではないと感じるくらい、実力に差があったと思う。特に後半の最後の方は、日本代表は完全にウズベキスタンの「玩具」と化していた。あれは、もう「試合」ではなかった。1-0というスコアで終わったことすら奇跡。


キャプテン・長谷部選手は2012年の目標として「W杯最終予選全勝!!」というものを掲げていた(http://news.livedoor.com/article/detail/6177777/)。しかし、後出しじゃんけんをしている自分が卑怯に思えるけど、今日の試合の出来では最終予選全勝どころか、正直「え、日本って最終予選に進出するの?」という気すらしてしまう。特に、今日の試合でミスが多かった長谷部選手は「最終予選中、一度くらいスタメンから外されてもおかしくないのでは?」と思わせる出来だったと僕は感じた。勿論、今日調子が悪かっただけだと信じているし、また、出来が悪かったのは長谷部選手だけじゃない。


ただ僕は、今日の試合を通じて、よく「日本人は謙虚」だと言われるけれど、それは必ずしも正しくないのかもしれない・・・ということを認識するべきなのではないかと思っている。日本人は、あくまで自分たちが格上と認めた相手に対しては謙虚な姿勢を見せるけど、自分たちより下と見なしている相手は心のどこかで舐める。「W杯最終予選全勝!!」という、今となっては滑稽となってしまった目標を掲げた長谷部選手も、他の選手も、「ウズベキスタン相手なら、負けることはないだろう」と考えていた僕ら応援していた人達も(僕だけですか?笑 でも、さすがに、あそこまで日本代表がボロボロになると予測できた人は殆どいないのでは・・・)、根本的なところで相手を舐めている。


本来、自分より実力が劣っていると見なす相手をもリスペクト出来てこそ「謙虚な姿勢」といえるわけで、そもそも「日本人は謙虚」というフレーズすら根本的に間違っているのかもしれないと思い始めている。ただ、選手は今日の敗戦を通じて、戦術面(僕は、戦術面のどこがどのように悪かったのかまでは分かりません笑)・精神面共に修正するはず。ファンにとってはサッカーは「娯楽」であり、あまりに堅い気持ちで観戦するのはおかしいのかもしれないけれど、それでももう少しチームを客観的に見る視点が必要なのではないかと感じた。これは何もサッカーに限る話ではなく、何事においても相手を舐める姿勢というのは排除すべきだということを、今日の試合から勝手に学んだ。


今日の男子・サッカー日本代表はただただ弱かったし、ウズベキスタンを舐めていた僕らも、ただただバカだった。


「日本人は謙虚」と言われるけれど、案外格下を舐めている。そのような姿勢を是正するべきだという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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就活デモという場ではバカにされる訴えも、院内集会という場で訴えれば高評価される・・・?

前回の記事で、「(就活ぶっこわせデモのメンバーが)3月中旬には国会内で就活に関する集会を行うらしい」と書いたが、実はこのような院内集会は去年も開かれていた。主催者は、2010年に行われた「就活どうにかしろデモ」のメンバーであった。


そもそも院内集会とは、議員会館内の会場で国会議員の方々に当事者の生の声を届けるためのイベントのことを言う。そうは言っても、国会議員の方のみが参加されるのではなく、去年は東京大学大学院教授で「ニートって言うな!」の著書でも知られる本田由紀さんや、「生きさせろ!難民化する若者たち」の著書で知られる雨宮処凛さんもゲストとして参加していた。(http://syukatudemo.blog77.fc2.com/blog-entry-71.html)。去年の集会の様子は、雨宮処凛さんの記事(http://www.magazine9.jp/karin/110302/)に詳しく書かれている。


意外だったのだが、その他に常見陽平さんも参加していたこと(http://blog.livedoor.jp/yoheitsunemi/archives/51352851.html)。就活デモ系の運動には関心を示さない人かと思っていたので、少々驚いた。


そうは言っても、常見さん自身は就活デモ自体にはあまり良い心象を抱いていないということが、石渡嶺司さんのブログから伺える(http://reiji0.exblog.jp/15247836/)。

ある論客は、「(就活デモのような)ああいう手合いはスルーした方がいい」とお話されていました。実際、就活デモ実施時点では沈黙。それが、今年2月に就活デモが参議院会館で院内集会を開催したときには「立ち上がった学生たちの勇気には拍手をしたい」と表明されていました。いやあ、人って変わるんですね(嫌味)

ここでいう「ある論客」というのが常見さんのことと思われる。常見さんは院内集会にも参加しているし、且つ院内集会の感想について書いた記事にて「まず、立ち上がった学生たちの勇気には拍手をしたい」と書いている。石渡さんは、「本音ではこんな活動バカだと思ってるくせに、自分のイメージを崩さないために、学生に対して聞こえの良いこと言いやがって」というような思いを常見さんに対して抱いているのかもしれない(笑)


常見さんは自身のブログで去年の院内集会を「学生たちの想い、問題意識が痛いほど伝わってくる実に気持ちのこもったイベントだったと思う」と評している。しかし、雨宮処凛さんの記事によると、去年の院内集会で訴えられたことは「なんで落ちたか教えてくれ!」、「手書き履歴書は嫌だ!」、「(説明会・面接を)平日は勘弁してくれ!」という「心の叫び」系のものに過ぎず、これは「就活デモ」における訴えと殆ど変わらないように思える。訴えの内容自体は変わらないのに、デモという場で訴えれば「ああいう手合いはスルーした方がいい」と評価し、院内集会という場で訴えれば「学生たちの想い、問題意識が痛いほど伝わってきた」と評価する常見さんの姿勢は確かに少しおかしいように思えた。


石渡さんが言う常見さんの態度の変化については、常見さんが「就活デモはバカ、しかし『院内集会の開催』なら理解できる」と考えていれば説明がつく。恐らく、漠然と「デモはただのお祭り騒ぎというイメージがあるけど、院内集会を開くという行動からは、問題について真剣に考えているという熱意が伝わる」と感じている人は他にもいるのではないだろうか。このように感じる気持ちも分からなくは無いけれど、問題は訴えがどのような場でなされたのかではなくて、訴えの内容自体ではないかと僕は思う。仮に「デモなんてただのお祭り騒ぎなんだから、そこで訴えられていることなんて大したこと無いでしょ」という先入観を持つ人が多くいるなら、それについてはおかしいと言いたい。


僕の想像だけれど、就活デモのひとたちにとっては、国会議員の人たちに声を届けることは「おまけ」で、あくまでも大事なのはデモ活動なんじゃないかと思う。就活の問題を訴える際に「デモ」という形式が採られるのは、「現在の就活の歪みを生み出している責任は、自分には関係ないと考えている人たちも含め、私たち一人一人にある」というメッセージを伝えるためなのではないだろうか。「自分には関係ない」という人にも問題について関心を持ってもらうためには、(恐らく)閉鎖的な環境で行われる院内集会よりも、街中で大声で訴えるデモ行為の方が適しているとデモ参加者は考えているのではないか。勿論、中には単にデモという場を利用してバカ騒ぎしたいと考える人もいるのかもしれないけれど・・・。


確かにイメージとしては、国会議員を巻き込む「院内集会」の方が利口な活動のように思える。しかし、大事なのは「利口な活動」を行うことそれ自体ではなくて、社会問題の存在を広く皆に認知してもらうことのはず。そのために「デモ」という行為はものすごく重要なはずで、「デモで訴えられていることなんか大したこと無い」という先入観が多くの人に根付いているかに見える現状は是正されるべきだと思う。


「デモなんてただのお祭り騒ぎなんだから、そこで訴えられていることなんて大したこと無いでしょ」という先入観にとらわれず、あくまで訴えの「中身」に注目するべきだという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「選考に落とされ続けている人は、企業から心を踏みにじられている」という分かりやすい構図を掲げて問題提起をする姿勢、もう止めるべきでは?~就活に関する議論が不十分な点が問題だ~

「自分という存在を全否定されたような気がして……。心が壊れちゃいました」


2月24日の朝日新聞デジタルに掲載された「否定され続け、壊れる心〈シューカツは今〉」という記事は、ある学生のこのような発言から始まっている。就活を始めて1年が過ぎ、(恐らく)50社以上受け続けたにも関わらず内定をもらえなかったことから、精神的に限界を迎えていたという。


この記事では、題名どおり、主に就活がうまくいかないことを苦に心を病む人たちの存在にスポットを当てている。具体的には、全国の「新卒応援ハローワーク」にいる臨床心理士に対して月に約500件の相談があるという事実や、「就職失敗」を理由に自殺した大学生・専門学校生が2010年に53人(2007年の約3倍)となった事実などが取り上げられている。


記事には、多くの人を精神的に苦しめる現在の就活に異議を唱える人の声も載っている。それが、去年の秋に行われた「就活ぶっこわせデモ」の実行委員長である小沼克之さんの声である。彼は「わずかな面接時間に、自分の何を判断できたのかと疑問を感じた」、「就活がうまくいかないと努力が足りないと言われるが、働きたい学生の心を押しつぶす就活の仕組み自体がおかしい」 と述べる。3月中旬には国会内で就活に関する集会を行うらしい。


朝日新聞の書き方が悪いのか、それとも小沼さんの訴え自体が悪いのかは分からないが、どうも「選考に落とされ続けている人は、企業から心を踏みにじられている。そのような状況を是正するべきだ」というメッセージが記事に込められているように見える。僕は「現在の就活がおかしい」という姿勢には賛成なのだけれど、そのおかしさを証明するための主張として「選考に落とされ続けている人は、企業から心を踏みにじられている」というものを掲げるのはおかしいと思っている。


確かに「何十社もの選考に落とされる」のは辛いに決まっている。しかし、就活というのは企業が応募者を「選抜」する場である以上、どうしても落ちる人というのは出てきてしまう。ひいては、何十社もの選考に落とされる人が生まれてしまうのは仕方が無いと思う。企業からしても、採用試験を受けに来た応募者を落とす権利があるのは当然のことだ。このような考えから、「選考に落とされ続けている人は、企業から心を踏みにじられている」という訴えには「甘さ」があるのではないかと感じる。


以前コメント欄で「デモの主張にも企業側に改善の余地ありの点と企業側に文句言っても仕方ない点とがあるかと思いますが、その選択もせず毎年デモやっては解散して・・・の繰り返しだとまともに相手されないのも当然です」というご意見をいただいたことがある(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-149.html#cm)。僕もこの意見に賛成で、自分たちの請求を通すために必要な訴えを絞り込まずに、「選考に落とされ続けている人は、企業から心を踏みにじられている」という分かりやすい構図を掲げて問題提起をする姿勢はもう止めたほうが良いのではないかと思っている。純粋に問題解決のために逆効果だと思うし、それがひいては就活問題を訴える人たちの心をも疲弊させると思うから。


「企業側に改善の余地あり」の要素を確定するに当たっては、「現在の就活には問題がある」と考える人の主張と「現在の就活には問題は無い」と考える人の主張をぶつけ合うことが有効だと思う。しかし、僕の感覚では就活に関する「議論」は依然として不十分である。それぞれが、それぞれ言いたい意見を言っているだけで終わっているような気がする。


例えば「新卒一括採用」の件に関して、就活デモでは「新卒一括採用反対」という訴えが主になされていたと思うけれど、一方で「新卒一括採用反対論」に対する反論を主張している有識者もいる。もうデモが終わってからしばらく経っているわけだし、その反論に対する再反論をしても良いんじゃないかと思うけれど、実際には就活デモ関係者はその反論を無視するに留まっている印象がある。これでは、主張が通らなくても仕方が無い。


就活のあり方を変えるためにデモ・国会内での集会という行動をとれることは確かに凄い。しかし、行動だけではなく妥当性のある主張が表現されないと、現在の就活に異議を唱える活動に対する疑念の目は消えないと思う。


ただ、一番説得力が無いのは朝日新聞ですね。今日取り上げた記事には、

「学生がブラック企業の誘いになびいてしまうのは、企業の新卒重視の採用方式が一向に変わらず、『就職は新卒の時期を逃すと、チャンスがぐっと狭まる』という不安が大きいためでもある」

という記述がある。しかし、朝日新聞社の採用ホームページを見ると、応募資格の項目に「2013年3月に大学または大学院を卒業・修了見込みの方が中心」と書かれていることが分かる。やはりマスコミの就活報道は「奇麗事」の寄せ集めに過ぎないのだなと実感した。


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企業は就活生に対して面接で落とした理由を説明する必要は無い

就活をしていて苦しいと感じることの一つが「面接に落ちた理由が分からない」ことである。特に、褒め殺し面接の合否に関しては、面接を受けた就活生は面接官から「素晴らしい!」と褒められまくった訳で、それでも選考に落とされているということに「なんで褒めまくったくせに落としてんだよ、あの面接官」と不信感を抱く人もいるかもしれない。


このような不満を持っている人が少なくないからか、企業に対して不合格理由の開示を請求することを訴える動きもある。例えば、このブログで何回も取り上げている就活生組合作成の「就職活動基本法」第14条は「合否の理由について、就活生が証明書を請求した場合においては、事業主は遅滞なくこれを交付しなければならない」と規定している。同様に、2010年に行われた「就活どうにかしろデモ」の公式ブログにも、「合否の理由について、応募者からの求めにより選考基準に照らし合わせた説明をすること」と書かれている。


また、就活に関する専門家である常見陽平さんも「くたばれ!就職氷河期」という本の中で「企業は採用試験の通過基準を開示するべきだ」、「(特に最終面接に近づくにつれ)不合格の理由も伝える」という提言をしている。これらの意見を見ると、企業は極力、就活生に対して不合格の理由を説明するよう努力すべきだとも思える。


以前は僕も、これらの意見に賛成の立場だった。しかし、現在は違う。別に企業は就活生に対して「選考不合格」の理由を説明する必要は無いと思っている。


そもそも「面接に落ちた理由が分からない」という思いを持つなんて、一体何様なんだというように考えるようになったのだ。「面接に落ちた理由が分からない」という思いを持つ人の頭の中には、原則として「なんで私が落ちたんだ。私の面接の出来からすれば、選考には通過して当たり前だったのに」という自惚れがあるように思える。そもそも面接に失敗した、あるいは自分の力が足りなかった、それとも「他にもっと良い人がいたんだ」と思えるなら、「面接に落ちた理由が分からない」という点で悩むことは無いはずだ。


自分がどれほど「面接を上手く乗り切った」と思おうが、他にもっと素晴らしい人がいれば当然選考には落ちる。あるいは、別に力が足りないわけではなくても面接官との相性によって落ちることはあるだろう。力が足りなかったにしても、面接官との相性が悪かったにしても、いずれにしても落ちた人は面接官から「この人を通過させるなら、他の人を通過させたい」と思われたから落ちた。それだけの話であり、企業が不合格理由を開示することに大して意義があるとは思えない。


「不合格理由を開示することで、就活生の気持ちも楽になる」という意見もあるかもしれないけれど、この件に関しては就活生側が譲歩するべきなんじゃないかというのが僕の考えだ。面接官の中にはバカな人もいるかもしれないけれど、誠実な面接官だろうが、バカな面接官だろうが、それぞれが自分の責任で選考に通過させる人を決定していることには変わりないし、その決定は尊重されるべきだと思う。


そもそも「面接に落ちた理由を教えてほしい。そうすれば、気持ちが楽になるから・・・」という人は、企業からどのような答えを期待しているのかが分からない。もっと言えば、企業が「本当の理由」を言う保証がどこにあるのか。どうせ、当たり障りの無いことを言うに決まっている。仮に企業が不合格の理由を正直に開示するとしても、例えば「あなたには、このような能力が足りなくて・・・」という答えを求めるのは、少し違う気がする。自分の足りない所は、自分で見つけるべきじゃないか。また、「他にもっと素晴らしい人がいてね・・・」という曖昧な答えで納得する人なら、始めから不合格理由の開示を求めることは無いはずだ。


とは言え、企業は人物重視を掲げているくせに、激戦の選考を勝ち抜いた内定者がホームレスを襲う動画を掲載するなど滑稽なケースも起こっているわけで、「企業は一体何を考えているんだ」「なんで、あんなバカに内定が出て、自分は落ちているんだ」という思いを抱く人がいるであろうことは否定できない。それでも、人が人を審査する以上、見る目が狂うことなんて十分あり得ることだ。不合格者へのフォローとして大事なのは、不合格理由の開示よりも「内定者は優秀、不合格者は未熟」という、あまりにも単純な構図を廃棄することなのではないかと思う。


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新入社員のコンプレックスにつけこんで、彼らを「働きすぎ」の状態に陥らせる経営者たちはクソだ~「餃子の王将の新人研修」を題材に~

ワタミの労働環境の酷さが浮き彫りになっている現在、改めて、約2年前に話題となった「餃子の王将の新人研修」について触れてみたい(テレビで放送されたものなので、やらせ・誇張があることは前提で)。この動画には、人を過労死に追いやる背景が詰まっていると思うので。



研修の目的は「社会人としての考え方を身に着ける」、「熱いハートをもって仕事に打ち込む」ことにあるとのこと(動画5:30~)。この目的自体は特におかしくないけれど、肝心の研修の内容がまるで「自己啓発セミナー」、「カルト宗教」のようで酷い。


例えば「8秒以内で社訓を大声で読ませる。出来なかったら、もう一度(動画8:00~)。」アナウンサーでもないのに、そんなことをさせてどうするつもりなんだ。


他にも、「王将体操」というものを大声を出しながらやらされる(動画9:00~)、「私の抱負というテーマで3分間のスピーチ(動画19:00~)」などの課題もある。文章だけを見ると研修の酷さが伝わらないので、ぜひ実際に動画を見てほしい(特に動画の最初の2分と、19分過ぎを見ると良いかも)。動画には、土下座をする新入社員の姿もある(動画20:00~)。余談だがこの動画には、研修の様子を楽しそうに見る渡邉美樹さんの姿も映っている(笑)


学生気分を叩き直すために、厳しい研修を行うこと自体は理解できなくも無い。しかし、餃子の王将の研修は、どうも厳しさの方向性を履き違えているような気がしてならない。もっとも、この動画を見て「何かがおかしい」と思いながらも、その違和感を言語化することが出来ないでいた。


少し考えた末に思いついたのが、企業が新入社員のコンプレックスにつけこんで、彼らを「働きすぎ」の状態に陥らせようとしているのではないかという考えだった。


新入社員の人たちが熱心に研修に取り組む背景は、彼らの中の「こんなどうしようもない自分を拾ってくれた会社に恩返しをしたい」という思いだ。これは僕の想像ではなくて、実際に動画にて「自分を拾ってくれたという恩を感じています(大熊さん、動画 15:00)」、「自分は50社、60社以上受けてきましたが、王将フードサービスが唯一の内定先です!自分を拾ってくれた、掴まえてくれた、そういった方々に全力でこれから恩返しします!(折笠さん、 動画20:30~)」という声を聞くことが出来る。


それに加えて、研修でも「声が小さい!」など新入社員に対するダメ出しが頻繁に行われる。企業は新入社員に怒ってはいけないというわけでは無いけれど、それでも、頻繁にダメ出しをすることによって新入社員を精神的に追い込むという効果があることは否定できないと思う。それでいて、いざ課題を達成したら研修を担当する社員が必要以上に新入社員を賞賛して、精神的に参っていた新入社員に「辛いこともあったけど、本当に頑張ってよかった!こんな自分を見捨てないでくれたこの会社で、これからも頑張ろう!」と思わせる・・・。書けば書くほど、どこかのインチキ自己啓発セミナーと共通する点が山ほどあるんじゃないかという気がしてきた(笑)


人にもよるだろうけれど、研修が終わった後も「こんなどうしようもない自分を拾ってくれた会社に恩返しをしたい」という思いが持続しているのだとすれば、どんな理不尽な労働環境下に置かれても「何とか、この会社のために・・・」などと思ってしまうんじゃないだろうか。ただ、いくら「会社のために」という思いを持ち続けて長期間激務に耐えても、人間の体にも限界がある。ワタミの女性社員の人には「自分が働きすぎ」という自覚症状はあったわけだけれど、中には体を壊してから初めて「あの会社の労働環境はおかしかった」と思う人もいるのではないだろうか。これは僕の想像に過ぎないけれど。


今回のワタミの件で、経営者なんて、結局は口でどんなに良いことを言おうが、あるいは著書でどんなに素晴らしいことを書こうが、本音としては「労働者なんて都合の良いように使えれば使えるほど良いわー」という意識を持っているんじゃないかと僕は思う。おかしいことにはおかしいというべきだと思うけれど、そうすると経営者たちは正当な主張をしている日本人を切り捨てて「海外の人たちのほうが仕事が出来る!」とか言い出して、安い人件費で海外の人たちをこき使う方向に動いていくのだろうか。それはそれで困るのが悩ましいところである。


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「仕事を通じて社会に貢献する」、「やりがいが大事」・・・クソ喰らえだ~わたなべ美樹さんから「聞こえの良い」言葉を発する人の胡散臭さを学ぶ~

「和民」で働いていた女性社員が入社2ヵ月後に自殺したことについて、神奈川労働局が女性の死亡を労災と認定したことが話題になっている。神奈川労働局によると女性は「残業が1か月当たり100時間を超え、朝5時までの勤務が1週間続くなどしていた。休日や休憩時間も十分に取れる状況ではなかったうえ、不慣れな調理業務の担当となり、強い心理的負担を受けた」という状況に置かれていたとのこと。女性の日記にも「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」と書かれていたらしい。(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120221/t10013184671000.html)。


このニュースに対するわたなべ美樹の反応が酷い。

労災認定の件、大変残念です。四年前のこと 昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理できていなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです

女性の精神的、肉体的負担を減らそうとしてもなお、女性が「残業が1か月当たり100時間を超える」、「朝5時までの勤務が1週間続く」、「休日や休憩時間も十分に取れる状況ではなかった」状況に置かれていたことに驚く。一体どこまで人を働かせれば気が済むんだ。それとも「女性の精神的、肉体的負担を減らそうとした」というわたなべ美樹の言葉が、そもそも嘘っぱちなのだろうか。


以上のような過酷な労働環境は、何も「和民」特有のものではないだろう。「和民」を責めるだけで終わるのではなく、「従業員を扱き使っている企業のサービスなんか受けない!」という意識が根付くことが必要だ。加えて、お金を払っているからといって、従業員に対してあまりにも無茶な要求をしないということを僕たちも心がけないといけない。いないと信じているけれど、「和民」・わたなべ美樹を責めている人の中で、普段から従業員に無茶なクレームばかり言っている人がいるとしたら、それはおかしいだろうと言いたい。あるいは、朝まで飲み会を楽しんでいる人たちが「従業員を朝5時まで勤務させるなんて、酷すぎる!」なんて怒っちゃいけない。過労死は企業の横暴だけでなく、僕たちのわがままによっても発生しているはずだ。


それにしても、今回の労災認定は「和民」の労働環境のおかしさの他に、わたなべ美樹という人間の偽善者っぷりを浮き彫りにしたような気がする。僕は「もりぞおアジア就活紀行」というブログの「和民の会長 わたなべ美樹氏の、自殺した和民社員への言葉が酷すぎる」という記事を読んで初めて知ったのだけれど、わたなべ美樹が自身のブログで「14年連続自殺者3万人」の国、日本という記事を書いていることに、不謹慎ながら笑ってしまった。例えば、このような記述がある。

自殺者は社会のカナリアだと思う。カナリアは坑道などでいち早く有毒ガスを検知する。「我々の社会はおかしいぞ」と自殺者の方々は、自らの命を絶って訴えているのかもしれない。

しかし、どうやらわたなべ美樹には、この度労災認定された女性の「労働環境が苛酷だ」という訴えは届いていないらしい。自身のtwitterで「労務管理できていなかったとの認識は、ありません」と言っているのだから。

また、

政府のなかに内閣府自殺対策推進室がある。しかし、自殺はいっこうに減らない。3万人ひとりひとりの自殺の背景をどれだけ細かく把握しているのか。それがなければ対策も何もない。

どう考えても原因の一つは「過労死」だということは、自分の会社で女性が亡くなっていることからも分かるだろう。「対策も何もない」と言っているけれど、自分の会社の労働環境を整備すればそれで「対策」になる。この人は本当に自殺を減らしたいと思っているのだろうか。

さらに、

しかし、14年連続で毎年3万人以上自ら命を絶つ社会が真に豊かと言えるだろうか。我々はあまりに、無関心になってはいないか。その膨大な数に痲痺していないか

一番麻痺しているのは他ならぬ自分だろう。自分の会社の従業員を扱き使いながら、このような奇麗事を言える厚顔さはすごい。


そんなわたなべ美樹さんは現在、バングラデシュの子供の教育について熱心に考えていらっしゃる。その前に、従業員の労働環境を少しはまともにしたらどうなんだと僕は思うし、同じようなことをtwitterで述べている人もいて安心した。


どうも、普段から「聞こえの良いこと」を言ったり、「聞こえの良い活動」をしていることを外部に積極的にアナウンスしたりする人なんて、所詮は自分がよく見られたいだけなんじゃないかと思う。まぁ、「しない偽善より、する偽善」とも言うから、売名目的、自分がよく見られることが目的であっても「良いこと」をすること自体はそこまで問題じゃない。ただ、「聞こえの良いこと」を言っている人によって誰かが苦しめられている・・・というケースがあることについては自覚していたい。


就活でも会社説明会とかで「仕事を通じて社会に貢献したいんだ」「やりがいが大事」だという「聞こえの良いこと」を発する人がいる。そのような発言は必ずしも間違っているとはいえないけれど、そういう聞こえの良い言葉によって社員が過度に働かされている状況があるとすれば、それはおかしい。人を過労死に導く罠は、案外就活の段階から設置されているのかもしれない。


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圧迫面接を行う企業の意図には必要性・許容性共に認められない

前回の記事で「褒め殺し面接」について取り上げたが、その対極ともいえるのが「圧迫面接」だろう。圧迫面接とは、「威圧的な態度、言動で接し、受験者のストレス耐性をチェックする面接」のことを言う。一昨日の朝日新聞デジタルには「家電メーカーの選考にて、ボールペンを投げ捨てられ、メモも取らずに30分の面接」というケースが載っていた(http://www.asahi.com/job/syuukatu/2013/naitei/OSK201202160060_03.html)そのケースでは、面接後に「内定です」ということになったらしいが、選考を受けた人は辞退したらしい。


圧迫面接の趣旨を、前回と同様に就職のカリスマ講師(笑)の坂本直文さんから教わることにする(http://www.kals.jp/news/cs/0703_04.html

企業に入れば、厳しい上司、厳しい顧客、厳しいノルマなど、厳しい状況が降りかかることが珍しくありません。そんな時に直ぐに動揺して(パニックになって)しまうようでは安心して仕事を任せられません。そこで圧迫面接をして、ストレス耐性をチェックするのです。したがって、冷静な対処さえできれば、高評価をしてもらえます。

圧迫面接は日本だけのものかと思いきや、海外でも面接の場でわざと攻撃的な質問をして応募者を怒らせ、その人の人間性を測ろうとする面接官もいるらしい。「週刊SPA!2006.10/10号」の鴻上尚史さんのコラムの中では「すごくおっぱいが大きいけど、得するの?」という質問がなされるケースが載っていたりする(http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20061010)。その分、訴訟になることもあるらしいけれど(笑)


企業の「応募者のストレス耐性を測りたい」という意図自体は理解できなくも無い。仕事をしていくにあたっては、やはりメンタルの強さは必要になるだろう。そもそもメンタルの強さが過剰に求められる職場の存在を是認してよいのか(ブラック企業など)という疑問もあるけれど、仕事をしていく以上は「全くストレスを感じない」ということは不可能なわけで、働く人のメンタルは弱いよりは強い方が良いだろう。しかし、僕は「圧迫面接」は許容性・必要性共に殆ど無いと思っている。


そもそも純粋に面接官が、面接を受けに来た応募者に侮辱的な言葉、セクハラ発言を投げかけることはおかしいという認識を持たなければならないという思いが僕にはある。それに、面接を受けに来た応募者に侮辱的な言葉を投げかけることが圧迫面接の名の下に認められれば、面接官はどんな酷いことを言っても許されることになってしまう。それはさすがにダメだろうと僕は思っている。


また、本当に面接官が侮辱的な言葉を発しなければ、応募者のストレス耐性を測ることが出来ないのかという、必要性にも疑問がある。面接にてストレス耐性を測るための手法としては、就活生の自己PRについて「これでもか」と厳しく突っ込んでいく手法でも良いのではないかと思う。例えば「サークル活動を通じて~なことを学びました!」という言葉に対して、「本当にそんなことが仕事で役に立つと思っているの?」というような。このような圧迫面接なら、僕は良いと思う(そもそも、これが「圧迫面接」といえるのかについて疑問はあるが・・・)。


加えて「必要性」ということに関しては、代替措置があるという他にも、そもそも「圧迫面接」に応募者のストレス耐性を測る効果があるのかという点に疑問がある。現在ではもはや「圧迫面接」の意図は就活コンサルによって明かされており、それは就活生に広く認知されている。本当はストレス耐性はそれほど無くても応募者が「これは圧迫面接に違いない。この時間さえ耐えればなんとかなる・・・」というように思っていたとしたら、応募者のストレス耐性なんか大して測れていないのではないか。


僕は圧迫面接なんか、応募者を不快にさせる割に大して効果も無い、ただのおかしな面接だとしか思わない。仮に海外でも圧迫面接が行われていようが、そんな下らないことまで海外と同じにしなくて良い。鴻上尚史さんのコラムの内容が正しければ、むしろ、海外の面接なんかバカにするくらいで丁度良いんじゃないかと思う。


応募者に侮辱的な言葉を投げかける「圧迫面接」には大して意味が無いという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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こんな面接官はバカだ~「褒め殺し面接」をした挙句に落とす面接官~

就職が厳しいといえども、面接という場が常に緊張感に満ちているとは限らない。例えば、面接の始めに「リラックスして話してくださいね」と、緊張する就活生に気を使ってくださる面接官の方々も多い(単にマニュアルに書いてあることを言っているだけかもしれないけれど・・・)。また、就活生の喋るエピソードに対して「素晴らしい体験をしましたね!」とポジティブに反応してくださる面接官も多く、非常に和やかな雰囲気で面接が進行することも珍しくない。


しかし、面接官が和やかに面接を進めているからといって、その面接官が優しい人とは限らない。むしろ、人格的におかしいんじゃないかという人もいる。それが、面接にて就活生のことを散々褒めちぎった挙句に落とす面接官である。


就職のカリスマ講師(笑)の坂本直文さんによると、面接の形式の一つとして「ほめ殺し面接」というものがあるとのこと。要は「受験者を何度もほめて安心させ、警戒心を解いて本音を探り出す」面接のことを言う(http://www.kals.jp/news/cs/0703_04.html)。ただ、面接官に褒められたからといって「いやーありがとうございます!一緒に働けるの楽しみにしてますよ!」と調子に乗る人なんて本当にいるのだろうか。大概は褒められてもシンプルに「ありがとうございます」と述べた結果として、普通に落とされているような気がする。


面接官が就活生を褒めること自体は分かる。やはり、褒めの言葉をかけるだけで場の雰囲気はリラックスしたものになり、面接にありがちな「機械的な会話」の応酬に陥らずに、就活生・面接官間で自然な会話をすることにつながる。


ただ、褒めの言葉も無制限に発して良いというわけではない。例えば「一緒に働きたい」「次の選考も頑張ってください」と言った挙句に落とすのは、一体何を考えているんだと思う。就活生を褒めるのは良いけれど、次の選考に進ませる気も無いのにこのような言葉を発するのは、純粋に無神経じゃないか。勿論、そうした面接官の言葉を真に受ける方がバカだという意見もあり得るとは思うが、僕は、そこは面接官がもう少し気を使えるんじゃないかと感じている。


「褒め殺し面接」を行う面接官には、就活生の本音を引き出そうという他に、「もうこの人落とすから、気持ちよく帰ってもらおう」という意図もあるのかもしれない。しかし常識的に考えて、散々褒められた挙句に落とされたら「あの面接官、本当に死ね」としか思わないんじゃないか。この表現はオーバーだけれど、少なくとも企業に対して良いイメージなんか持つ訳が無い。面接の後は気持ちよく帰れても、後に企業に対してマイナスのイメージを持つであろうことを、企業がなぜ想像できないのかが分からない。


面接官が単に「学生生活のエピソード」を純粋に褒めたというだけなら、別に落とされるのも分かる。しかし、上に述べたように「一緒に働きたい」「次の選考も頑張ってください」というような「次の選考に進ませる期待」を持たせた挙句に落とすのは、面接官の人間性を疑いたくもなる。就活生がストレスを抱える理由は、単に選考に落ちるからではなくて、次の選考に進めるという合理的な期待を持ちながら、普通に落とされるところにも確実にある。面接官に褒めちぎられた結果調子に乗ったならともかく、別に調子に乗らなくても落ちているケースは多いんじゃないかと感じる。


面接官も「コミュニケーション能力」の重要性を語るなら、自分の言葉にももう少し気をつけたほうが良いんじゃないかと思う。面接官のほんの僅かな気遣いで就活生の精神的な苦痛は和らぐはずだし、そんな僅かな気遣いすら出来ない社会人が「コミュニケーション能力」の重要性を語るのは全く筋違いのはずだ。


「褒め殺し面接」をした挙句に落とす面接官はクソ過ぎるという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「面接を通じて、応募者のことを本当に理解した」というのは、一体どのような状態のことを指すのか?

全ての面接がそうとは言わないけれど、基本的に日本の就職活動の面接が茶番であることは皆知っている。何をもって「茶番」と言えるのかというと、就活生も面接官もまるで「演技」をしているようで、双方の本音が見えない所だろうか。就活生としては学生時代に頑張ってきたことを捏造したり、本心でもなんでもない志望動機を話したりする。面接官は面接官で、就活生の話の中身自体にはそんなに関心を持っていないにも関わらず「素晴らしいですね!」など、全く思ってもいないことを笑顔で言う。とにかく面接という場では「演技」が蔓延しているし、場合によってはその演技により、内定が出るか否かが左右されることもあるだろう。


このブログでも既に何回か取り上げている週刊現代の記事で、なぜか作家の曽野綾子さんがコメントしている(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31782?page=2)。

「今の採用面接は、本人の美点ばかりを聞いて、学生は準備した模範回答を淀みなく答える。採用する側も面接を受ける側も嘘っぽい。そんな面接をしたところで、専門知識以外の教養や人としての厚み、個性がわかるはずがない。これでは、本当にその人のことを理解したとはいえません」

一読するともっともなことを言っているように思えるし、僕自身も以前は、曽根さんのように考えていたこともあった。現在も「本人の美点ばかりを聞いて、学生は準備した模範回答を淀みなく答える」ことがおかしいという点には賛成する。しかし、最後の「これでは、本当にその人のことを理解したとはいえません」という記述には違和感を覚えた。「本当にその人のことを理解したとはいえません」という言葉で締めくくっているということは、曽根さんの考える「理想の面接像」は「企業も応募者も、面接という場で本音をさらけ出し、互いが互いのことを本当に理解しあうこと」だと推測できる。


しかし、一方で企業は面接を通じて、各就活生の人間性の本質を明らかに出来なくても構わないと考えているんじゃないだろうか。もし企業が「応募者一人一人の人間性を完璧に把握したい」と考えているなら、1人当たり僅かな時間しか話す時間の無い「グループ面接」なんて形式を選考プロセスに盛り込むはずが無い。あるいは、10分程度で終わる個人面接も行わないだろう。そのような企業に対して「現在のようなやり方じゃ、応募者の本当の人間性は分からないよ!」という批判をしても、「別に分からなくても良いんだよ!」と返されるのがオチじゃないか。



さすがに企業も、現在のやり方で応募者の人間性を完璧に把握できるとは思っていないはずだ。それでも、仮に完璧な採用を目指そうとしたら、今度は採用活動にかける時間・予算が多大なものになりかねない。恐らく企業は「ハズレ」の人材を採用するリスクを一定程度受け入れながらも、「採用活動にかける時間と予算を出来るだけ抑える」という利益も踏まえて、応募者の人間性を正確に把握するということを一定程度あきらめているのだと思う。


採用活動にかける時間・予算を増やせないならば、面接での設問の中身を改善すべきか。確かに改善の余地はあると僕も思うけれど、一方で、何を持って曽根さんの言う「本当にその人のことを理解した」状態だと言えるのかについて、明確な答えがあるような気がしない。応募者に短所をも語らせれば、それで応募者のことを本当に理解したことになるのだろうか。別に「短所」について聞いても、応募者はいくらでも嘘をつける気がするのだけれど・・・。


そもそも「本当の~」「本当に~」というフレーズ自体が相当怪しい。ある面接官が「あなたのことを『本当に』理解しました!」と言ったとして、その面接官の捉え方が「本当」かどうかなんて分からないんじゃないだろうか。曽根さんの発言について言えば、曽根さんの頭にある「理想の面接」が「応募者のことを『本当に』理解出来ることにつながる」ということをどうやって証明するのか。何か哲学的な話になってきたような気がするけれど、僕はこれらの点について疑問を持っている。


仮に曽根さんの考える「理想の面接」が「企業も応募者も、面接という場で本音をさらけ出し、互いが互いのことを『本当に』理解しあうこと」だとすれば、それは非常に聞こえが良いのは確かだ。しかし同時に、それはただの机上の空論に過ぎないのではないかとも思っている。僕はあまり「本当の~」、「本当に~」というフレーズを信頼することは出来ない。


「現在の面接では、応募者のことを本当に理解できません」というけれど、そもそも「応募者のことを本当に理解した」という状態はあり得るのか?という疑問に共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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マスコミ「今の日本の若者って苦しいの?俺の周りは皆お金持ってるよ!」

今日の朝日新聞で、学生時代に借りた奨学金の返済が滞る人が増えたことにより、奨学金を貸与した独立行政法人・日本学生支援機構が起こした「奨学金の一括返済を求める訴訟」が、過去5年間で9倍近くに急増した・・・というニュースが載っていた。奨学金を返せなくなった背景として、就職の失敗や就職先の倒産という事情が挙げられている。


この件について、東京のテレビ局で働いている人が「テレビ局にいると、今の若者の困窮など何も見えてこない」というタイトルでブログを書いている。この記事を書いた人は「今の若年層の中に、奨学金を返せない程経済的に困窮してる人がそんなに増えているとは想像してませんでした」と述べている。その背景として、「テレビ局の人間は、自分が貧困に直面しておらず、周囲に貧困が見えないので、貧困問題に全く関心を持たない」という事情が書かれている。


また、こうも言っている。

昔、テレビで若年層の「ネットカフェ難民」のことをよく取り上げましたが、あれは、あるテレビ局が初めてネットカフェ難民を取り上げたところ予想以上に反響が大きかったため、視聴率が取れる「ネタ」として、どのテレビ局も取り上げたのが実情です。「派遣切り」「日雇い派遣」も同様です。決して、貧困問題の深刻さを社会に伝えたいために取り上げたわけではありません。


テレビ局・新聞社など、マスコミの志望動機として語られるのは「~な社会問題に学生時代に取り組んで、社会で苦しむ人たちの声なき声を伝えていきたいと思った」というものが挙げられるけれど、そんなものはただの奇麗事に過ぎないということがよく分かった。


マスコミの仕事に社会的意義は全く無いとは言わないけれど、やはり一番大事なのは視聴率だろう。どんなに悲惨な社会問題が存在しようが、それが視聴率を取れないと判断したら、マスコミはその事例を取り上げることはないはずだ。それは悪いとは言い切れないけれど、「この社会問題は視聴率が取れるから、番組で取り上げよう!」という意識なら、少なくとも「ジャーナリスト」を語るのは止めてほしい。ただの「テレビ屋さん」で十分でしょう。


テレビ局について言えば「視聴率が取れない」理由としては、他ならぬ僕らが関心を持たないから・・・というものが挙げられるのは事実な訳で、マスコミが全面的に悪いと結論付けるのは間違っている。しかし「視聴率が取れないから、この問題取り上げてもしょうがないっすよー」という意識の低さは一体何なんだろう。就活生がそんなことを言ったら「学生気分でいるんじゃない!」とか怒られそうだけれど、マスコミの人たちが言う分には問題は無いらしい。


当たり前だが、マスコミの提示する問題提起が社会問題の全てではない。それでも、皆マスコミのことを「マスゴミ」と評しながらも、なんだかんだでマスコミが番組で取り上げなければ、ある問題を「社会問題」として認知しないんじゃないかという印象を、去年の就活デモに対する反応から受けた。僕らの知らないところで、ある問題に苦しんでいる人はいくらでもいるかもしれないのに(こういう抽象的な書き方しか出来ない時点で、僕の意識もたいしたことは無い)。


少なくとも、上で取り上げた「今の若年層の中に、奨学金を返せない程経済的に困窮してる人がそんなに増えているとは想像してませんでした」・・・という想像力の欠片も持たない記述はダサいということは自覚していたい。改めてこの記述が、社会問題を取り上げる機能を担う「マスコミ」の人によって書かれたことが恐ろしい。


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