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ついに「俳優」が就活生の演技指導を請け負うそうです(笑)

ニュースを見て驚いたけれど、株式会社アクティブ アンド カンパニーが「現役俳優から学ぶ就職活動支援セミナー~面接で「演技」にならないための表現力トレーニング~」というセミナーを来月に開催する(ちなみに無料)。どうやら「現役俳優の指導の下、面接時における表情の作り方や立ち振る舞い方、発声の仕方といった、自らの考えを効果的に伝える方法を学ぶ」ことが出来るようだ。


セミナー名は「面接で演技にならないための」と言っているけれど、これはどう考えても「演技」を磨くセミナーだろう。もしかすると、こういうセミナーに嫌悪感を抱く人もいるのではないだろうか。例えば「なんで日本の就活は、ただの嘘つき大会と化しているんだ」と感じている就活生や、「面接で演技をして入社しても、長続きしない」と感じる採用担当者の方々ら。下手すると、このようなセミナーは、就活生・企業双方にとって有害なものとなる可能性がある。勿論セミナーの具体的な中身は知らないので、あまり断言は出来ないのだが・・・。


「演技力」を指導するセミナーの是非は人それぞれだろうし、僕も自分の考えを明確に出来ないでいる。ただ、一つ思うことは「面接ではありのままの自分を表現してください」という言葉が孕む無責任さである(これについては、以前「『面接ではありのままの自分を表現してください』という言葉の偽善」という記事を書いた)。例えば、普段から人と話すことが好きな人に対して「ありのままの自分でいけ!」と言うのは何も問題ないだろうが、残念ながら一方で、自分の「ありのまま」が中々面接官に受け入れられない人もいるのは容易に想像がつくだろう。人と話すのを億劫に感じる人に「ありのままで大丈夫だ!」なんて言葉をかけるのは全く無理な話だ。


現在に限る話ではないかもしれないが、就活生は「ありのままの自分でいいよ!」という言葉と「(ありのままの自分を出して)そんなんじゃ受からないよ」という言葉に挟まれ、圧迫されているのだと僕は思う。あるいは真面目な人らは「エントリーシートや面接で嘘をついたりするのは卑怯だ」と思い「ありのままの自分」に固執して、負のスパイラルに巻き込まれていくという構造もあるかもしれない。これらの事態に対処するためには、何気なく使われる「ありのままの自分」という言葉の定義を再検討するべきなのではないか。


まぁ「再検討」と言いつつも、実は言葉の定義づけは上で紹介した過去記事のコメント欄(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-182.html)でなされている。僕と最初にコメントを下さった方は「ありのままの自分を表現すること=自分の特徴をバカ正直にさらけ出すこと」とオーソドックスな定義付けをして、その上で「家の外にでたら、絶対『ありのままの自分』じゃなくなるに決まっている。だから、面接官らの『ありのままの自分を表現してください』なんて言葉はただの偽善だ」と結論付けた。


しかし一方で、違った定義づけをする方もいる。「ありのままの自分を表現すると言うのは、自分で自分をプロデュースする事」、「(ありのままの自分を表現するとは)バカ正直に何でも話せということではなく、“自分を認めて(開き直って)、自分の言葉で、自分の考えを言うこと」と定義する方々もいるのだ。これらの定義に従うと(特に前者の定義づけに従うと)、例えば「ありのままの自分を出せって言ったから、自分の思うことを正直に話したら選考に落ちまくった。どうなっているんだ」、「ありのままの自分を出せというけど、僕は本来暗い人間なんです。そんな僕が『ありのままに』面接に臨んだら選考に落ちるに決まっているじゃないですか。無責任なことを言わないでください」等と考えている人は根本的に勘違いをしていることになる。


「ありのままの自分」という言葉の定義に正解はないだろう。しかし就活生が、「ありのままの自分」という言葉が必ずしもバカ正直に自分をさらけ出すことを意味しないと認識すれば、例えば冒頭で紹介したセミナーを「要は嘘の付き方を学ぶんでしょ。下らない」と思うのではなく、「なんか胡散臭いセミナーだけど、その中でも自分の良さを最大限にプロデュースするヒントをつかめればいいや」と能動的に受け止められるかもしれない。仮に(特に就活生ー面接官間で)「ありのままの自分」という言葉に関する認識のギャップが大きいようならば、それを是正することによる効果は案外大きいのではないかと僕は思っている。



「ありのままの自分を表現する」という言葉の意味を明確にすることには意義があるという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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エクセルシオールカフェの店長さんは、常見陽平さんを訴えられるのだろうか

常見陽平さんのtwitterで、渋谷のエクシルシオールカフェでの出来事が話題になっている。具体的には、常見さんの隣にいたノマドワーカーが大声で電話しており、それを常見さんが注意したところノマドワーカーが逆キレ。そして、店長は大声で電話する姿を注意することなく、逆に常見さんに席を移動するように促したらしい。このようなことがあって常見さんは大変お怒りであることに加えて、非常に多くの人が常見さんのツイートをリツイートしたために、少々炎上気味になっている。


大声で電話するノマドワーカーと、それを注意しない店長。彼らに対する常見さんの憤り自体は大変もっともなものだ。ただ、今回の常見さんの意見・感覚には概ね賛成なのだが、一つ問題ではないか?と思うところがある。それは、常見さんが問題の店長が勤める店舗と苗字を公開したことだ(http://togetter.com/li/294041)。


この点について、常見さんは「店長は、自分の名前をネットで晒していいと言った」と説明している。僕が思うに、そもそも常見さんが「このことはネットに書きますよ!あなたの名前も書きますよ!」とか言わないと、店長が「自分の名前を晒してもいいです」なんて言う訳ないんじゃないか。まぁ、これが本当だとしたら常見さんの人間性には益々疑問を持つが、問題とまではいえないかもしれない。


しかし、いくら本人の同意を得たからといって、店長の名前・店長が勤める店舗(即ち、本人の特定につながる情報)を公表することはどうなのか。政治家や芸能人とかならともかく、今回のケースで晒された人はただの一私人だし・・・。勿論「本人が同意したんだから良いじゃん」という意見もあるだろうし、法律的にもそれが正しいのかもしれない。しかし、法律素人の僕の感覚としては、名前と勤務先を晒された店長は、常見さんを訴えようと思えば訴えられるのではないかという想像を巡らせる。勿論、店長が大声で電話していた客を注意しなかったこと自体はいけないことで、この点については常見さんに理があると思うのだが、それと「店長の情報を晒す」ことは話が別ではないか。


(以下、「法律素人」の妄想です笑)


そもそも「晒すならどうぞ」という言葉を額縁通り受け取るのもどうなのかと思うのだけれど・・・。それはとりあえず置いておいて、今回の件では、問題の店長が「特定」できることが重要なのではないか。


仮に「苗字は晒していいですよ」と言っても、店舗名まで晒されなければ個人を特定することは出来ないので、さほど問題にはならない気がする。しかし常見さんは店長の勤務先まで晒しているので、個人の特定は容易になる。


加えて店長は、常見さんのtwitterのフォロワーは1万人を超えることを知らずに「この人に晒されても大したことにはならないだろう」と判断した可能性もある。普通に生活していたら「常見陽平」という存在を知らないことも珍しくないはずで、まさか自分の名前や勤務先が、これほど多くの人に晒されることになるとは店長も想像していなかったのではないか。


また、常見さんの行動について、確かに常見さんのノマドワーカーや店長に対する「理」は正しいと思うのだが、その理を通すために店員の名前を晒すことは必要だったのだろうか。単に店やドトールに文句を言えば済む話のはずで、実名を晒すことは問題提起に際して必要でもなんでも無かったのではないか。


民法上でも刑法上問わず、今回のケースは「名誉毀損」が問題になったりして・・・。特に刑法の「名誉毀損」のwikipediaを見ると(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D%E7%BD%AA 面倒なのでソースはwikipediaで勘弁を!笑)、名誉毀損が「人の名誉を公然と事実を摘示して毀損すること」に加えて、この罪が「外部的名誉が現実に侵害されるまでは必要とされず、その危険が生じるだけで成立する」と書いてある。しかも、刑法230条の2を見ると常見さんは免責もされなさそう(笑)あらら・・・。仮に刑法上は罪が成立しなくても、店長は「精神的損害を蒙った」として民法上慰謝料を請求することとかも出来たりするのだろうか。一体どうなることやら・・・。


(妄想終わり)

駄文を失礼しました。改めて、上の文章は僕の妄想であることを明らかにしておきます。まぁ、常見さんが法律違反をしているか否かはどちらでも良い。しかし、いくら本人の同意を得たとしても名前+勤務先を晒すことは、少なくともみっともないと思った(いくら、その店長がクソでも)。特に常見陽平さんは「親は知らない就活の鉄則」という本で「ソー活と学生のネット上の不祥事」について取り上げているだけに、一層みっともなさを感じる。もうこの件について就活生を指導することは出来ないだろう。他ならぬ自分が、少しムカついたことがあったからといって、人の情報を多くの人が目にするtwitterに投稿して晒しているのだから(しかも、別に店長の名前を晒さなくても問題提起は出来たにも関わらず)。就活生を指導する人のネットリテラシーもこの程度のものということが顕在化しただけでも、今回にケースには意義があったのかもしれない。


常見陽平さんが自身のtwitterで、カフェの店長の「個人を特定できるような情報」を公開したことはみっともないという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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増沢隆太さんの「みっともない若者叩き」~ワコード(若人)は皆、増沢さんみたいな人にはなりたくないと思っているだろう~

business media 誠に、増沢隆太さんという方が書いた「上から目線」という言葉にイラッときた人のための反論法という記事が載っている。この記事はタイトル通り、「おっさんが若者から『上から目線』と言われた時にどうすれば良いのか」について書かれた記事である。


増沢さんの問題意識の背景には、以前NHKで放送された「就職難をぶっとばせ」という番組におけるやり取りがある。増沢さんは番組に参加していた中小企業社長の「社会ってのは、仕事ってのはやりがいとかだけじゃないんだよ」という意見を肯定的に捉えた上で、その意見に対する(恐らく)就活どうにかしろデモ代表の本間さんの「何でそんな上から目線なんすか」、「上から目線で話さないで」という発言に触れた上で自身の記事を書いているのだ。この点について、同じく番組に参加していた石渡嶺司さんによると、本間さんが「そうやって全部学生のせいにする。それがおかしい」、「アドバイスしているって上から目線ですよね」と言っていたとのことなので(http://diamond.jp/articles/-/10781?page=3)、少なくとも本間さんが番組にて「上から目線は止めてください」と述べたことは間違いないものと思われる。


増沢さんは本間さんの発言を引用した上で、主に二つの主張を展開している。第一に「年長者や目上の人、人生の先輩に対する敬意は無くなってしまったのか」ということ。第二に、本題の「若者から『上から目線』と言われた時の対処法」で、具体的には以下の文章が書かれている(補足だが、増沢さんは「上から目線」という言葉を、人生経験や年輪といったものを全否定する言葉で、反論もしづらい「中身のない批判」とみなしている)。

(そんな時(上から目線を止めてくださいと言われた時)、「『上から目線』ってどういう意味?」と説明させてはどうでしょう? 「何が、どこが、なぜ『上から目線』なの? どういう意味で言ってるの?」と。

ワコード(注:若人のこと)は「説明」が苦手です。昭和の子どもと違って、怒る親や教師から言いわけして逃げ回る必要のない世代です。「どうやったら親をあざむけるか」を日々考えて生きてきた子どもにかなうわけがないのです。だから「なぜ?」と聞かれるのが大の苦手です。まして全然中身のない「上から目線」。説明なんてできないでしょう。

こういう「みっともない若者叩き」をする大人がいるから、ワコードも目上の人を尊敬できないんじゃないかと僕は思うのだが。それに加えて、増沢さんの文章にはいくつか思うところがあったので、以下それについて触れていきたい。


第一に増沢さんの「年長者や目上の人、人生の先輩に対する敬意は無くなってしまったのか」という指摘についてだが、これについては部分的に正しいと思う。恐らく、若者は「目上の人」を敬う気持ちを完全に失ったというよりは、人を尊敬するにあたって「年齢」という要素を必要としなくなったということではないか。だから、尊敬すべき点がある人は年上だろうと年下だろうと尊敬するし、逆に目上の方でも増沢さんのような「みっともない若者叩き」をするような方を尊敬することは殆ど不可能だという話だろう。実際に増沢さんの現状認識が僕の見解と合致しているかは分からないが、仮に増沢さんが「僕は君たち若者より目上なんだから、もうちょっと敬ってよー」と思っているようならば、それに対しては「目上の人だからといって無条件に敬われるという意識自体がおかしいので、増沢さんらが『ワコード』から尊敬されるような方へと成長してください」としか言いようが無い。増沢さん、頑張ってください。


第二に増沢さんは「上から目線」という言葉を「獏とし過ぎていて反論も難しい言葉」と評した上で、そのような言葉を用いておっさんを黙らせる若者を批判している。確かに「上から目線」という言葉自体は曖昧に感じる場合もあるかもしれないが、一方でコミュニケーション全体の文脈に照らせば、明らかに意味が明確になる場合もあるのではないか。


例えば本間さんが発した「上から目線」について。僕は放送を見ていないので多少想像の話になるけれど、本間さんがどういう思いを込めて「上から目線」という言葉を発したのかは少し考えれば推測できるのではないか。これは上で紹介した石渡さんの記事が正確だという前提が必要なのだが、本間さんは番組で「そうやって全部学生のせいにする。それがおかしい」とも述べている。この発言を考慮すれば本間さんが「企業の方々は自分たちにも落ち度があるのに、何で若者に対して一方的にアドバイスだけしているんですか。自分たちの悪い点も認めてくださいよ」という意味を込めて「上から目線」と述べたことが大体想像つくのではないか・・・つきませんか?(笑)


勿論、僕の想像は間違っているのかもしれない。しかし仮にそうでも、どうも増沢さんの記事からは「若者叩き」をしたいがために、本間さんの発言の意図を捻じ曲げているような気がして、それはそれで問題だと思うのだ。普通に考えて中小企業社長の「社会ってのは、仕事ってのはやりがいとかだけじゃないんだよ」という意見に対して「上から目線はやめてください」と返答はしないはずで、そのような返答をしたからには何か特別な背景があると考えるのが自然ではないか。それなのに本間さんの発言の背景を明らかにせず、単に「若者が目上の人に『上から目線』という言葉を発した」とだけ伝える。そればかりか増沢さんは、本間さんが「中小企業なんて目に入らない就活生にとって、中小企業の社長なんて何も学ぶものはない、単なるうっとおしいおっさんなのかも知れません」なんて言っている。とことん若者を「悪者」にしたいようですね。「何も学ぶものはない、単なるうっとおしいおっさん」なのは中小企業の社長ではなく、増沢さんのような人だろう。勘違いしないで欲しい。


本来ならばこういう下らない記事はスルーするのが一番なのかもしれない。しかし、こういう「みっともない若者叩き」をしている人の存在が一層顕在化することで「将来、こんな奴にはなりたくないな」と思う人が増えれば良いと思って今回の記事を書いた。大いに反面教師にしましょう。


増沢隆太さんの「若者叩き」はみっともないもので、いくら目上の人でも、そんな人を敬うことは絶対に無理ですという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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常見陽平さんにバカにされた「意識の高い学生www」は、常見さんの「就活の思い出」を見て溜飲を下げると良いかも

これまで多数の就活本を出し、就活関連の論客の一人として活躍されている人材コンサルタント・常見陽平さんは、一方で読者の反発を招く記事も多く書いている。例えば、俗に言う「意識の高い学生www」の残念な行動について取り上げた就活スラング「意識の高い学生www」たちの残念行動13パターンという記事には、「やる気がないだのなんだの言っておきながら、やる気があるやつをこいつなに頑張っちゃってるのと嘲笑うとか意味不明すぎる。どうあっても馬鹿にしたいだけだろ」、「就活コンサルが妄言垂れ流した結果がこういう学生なんだよ。マッチポンプも大概にしとけよw」、「俺には就活ビジネス生業としてる奴が就活生をフザケ半分で長々と馬鹿にしてるだけに見えるんだがなぁ。こういう自称プロ(笑)にだけは指南されたくないもんだなwww」などの批判が寄せられている。


中には「人材コンサルタントなんかのいうことなんか聞く耳持たなくていいよ」、「ポストセブンなんて馬鹿しか読まない雑誌を真に受ける必要なんか一切ない(これはポストセブンに載った記事なのです)」というアドバイスも書かれている。本当にその通りだと思うが、僕はそれに加えて、当の常見さんも学生時代は残念な人だったということを記したい。


たまたま見つけたのだが、常見さんは今から2年ほど前に自身の「就活の思い出」を紹介している(http://blog.livedoor.jp/yoheitsunemi/archives/50980906.html)。それを見ると、どうも全体的に「自分は他の奴らとは違う(キリッ」と伝えたくてたまらない感じが醸し出されている。このブログで一部を引用する。

就活の思い出。TSUTAYAの説明会で、ビデオ出演した増田社長がネクタイをしてる人は早死にする的なことを言ってたのでノータイでGDにいきネクタイをしてた他の就活生に貴様等全員死ねと言ったら落とされた。


就活の思い出。ソニーミュージック系は私服じゃなければ落とされると聞き、ワークブーツに短パン、ネルシャツというグランジスタイルでソニーマガジンズを受ける。御社の雑誌は毒がないと言ったらアサヒ芸能に行きたまえと言われた。


就活の思い出。某都市銀行のリクルーターが、夜の0時45分に電話してきて、「明日会える?」と言った。「会うか、バカ」と言って電話をきり、私は金融機関を受けないことにした。


就活の思い出。某外資系食品メーカーを受けたときに、一緒にグループ面接を受けた他大学生があまりにいまいちで、自己PRも学チカも平凡でこいつらと働くもんかと思い、受けるのをやめた(注:「学チカ」とは「学生時代頑張ったこと」の略らしいです。こんな変な言葉が作られるところにも日本の就活の異常さが現れている)。


就活の思い出。日本興業銀行の資料請求はがきに、なぜか大人を困らせたくなり下ネタ系のダジャレを書いて送ったが資料は届かなかった。


就活の思い出。ネスレ日本のGDを受けたが他の学生がイマイチで全員を論破した。ネスレ日本の戦略にもダメ出し。「なぜ受けているのですか!?」と学生がぶちきれたが、「このままなら一生味の素に勝てないだろ?どうせ第一志望じゃないし。落とすならそれまでの会社」と吐き捨てたが通ってた。


就活の思い出。なぜかマツダを受けたときに、「顧客」を「雇客」と書いてたことを面接官に指摘された。鬼の首をとったような表情だった。その面接は通っていた。

いかがだっただろうか。「意識の高い学生www」と形は違うかもしれないけれど、結構残念な言動・行動が多いことが伺えるのではないか。しかも、常見さんももう30歳は過ぎているはずなのに「自分は他の就活生とは違った(キリッ」と示したがる姿勢、「意識の高い学生www」の何倍も痛い。大体、「自分は他の就活生とは違った(キリッ」と自分で言うこと程滑稽なことはない。常見さんに揶揄された「意識の高い学生www」ら(自分で「自分は意識の高い学生だ!」なんて思うことは無いかもしれませんが)は、常見さんの「就活の思い出」を見て溜飲を下げるのも良いかもしれない。「常見さんにだけは批判されたくないです」と思う位で丁度良い。


しかし改めて、「人材コンサル且つ作家」という職業は圧倒的に無責任且つ無敵な職業だと感じる。やる気がない学生が多くいれば「最近の学生は安定志向で・・・」と批判するし、学生が頑張り始めたら「意識の高い学生wwwという痛い学生がいますよ~!」と批判する。そして、学生皆が努力のベクトルを「まとも」なものにしたら、どうせ「学生が皆同じような人ばっかりでつまらない!」と言い出すに決まっている。もう学生がどう行動しようが批判するに決まっているし、実際批判出来てしまう職業だ。真面目に働いてらっしゃるコンサルの方々はともかく、駄文を垂れ流すコンサルについては「もう、頼むから消えてくれ」と思う人も少なくないんじゃないか。もうすぐ児美川孝一郎さんが編集した「これが論点!就職問題」が発売されるけれど、その中に「就活を面白おかしく語り、学生をバカにする人がいます!」という論点も盛り込んで欲しかったものである。


仮に「意識の高い学生www」に残念な所があるとしても、常見陽平さんに比べればずっとマシだという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「本気で就活問題を考える」とはどういうことなのか?~「真面目」な問題提起には限界がある~

最近twitterで日本の就活・労働のおかしな所を「サザエさん」のフグ田マスオ風にツイートしている。例えば、「ええ!『新入社員叩き』に勤しむ日本のサラリーマンは、自分が『ぼくたち、人を見る目ないです!』と言っているようなものだということに気づいていないのかい?」だとか、「ええ!『就活生の自己PRのネタがサークルやバイトのことばかりでつまらない』と言う面接官が学生時代に頑張ったことはサークル活動なのかい?」とつぶやいた(「ネタのつもりだろうけど、つまらない」という感想は受け入れます・・・笑)


これに対して「本気で就活問題を考えて本腰入れて行動を起こしている中で、こういう何も生み出さない不毛な発言を見ると本気でイラっとする」という批判を頂いた。そのような感想があるのも当然だとは思う。


ちなみに批判をされた方は「学生も企業も、不毛なけなし合いは止めよう」とも仰っていた。確かに問題提起をする際に、言動という形であれ行動という形であれ建設的な姿勢が必要だということに異論は無い。しかし僕は、逆説的だが建設的な姿勢「だけ」でも、特に問題の解決にはつながらないと考えている。


ここで「本気で就活問題を考える」という言葉の意味を考えたい。それは一般的に「問題の原因を追究して、就活生・企業・大学など異なる立場の見解を互いに理解し合った上で、それぞれが幸せになる具体的な解決策を導く」と定義できると思う。しかし僕は、このオーソドックスな定義に違和感を覚えている。


違和感の背景には、去年行われた就活ぶっこわせデモの実行委員の記述がある。彼は「何を『ぶっこわす』べきなのか?ー別の仕方で思考することー」という記事で「面白い事実がある。『就活ぶっこわせデモ』の実行委員会は『就活ぶっこわせ』という名称以前から活動しており、単に『就活デモ』と名乗っていたときにはほとんど反応がなかったということだ」と述べた。この記述を目にした当初は「いや、反応があるといっても、それは単にネタにしているだけだから」と僕は考えた。しかし後に振り返ってみると、仮に「ネタ」として取り上げられるに過ぎないとしても、それはそれで意義があるのではないかと考えを修正した。


「就活ぶっこわせデモ」には「もっと真剣に活動をやれ!」という批判が寄せられた。僕もその一人だ。しかし、そのような批判をした人たちの中に、2009年・2010年にも就活デモが行われていたこと、そして2010年のデモの実行委員が議員会館で院内集会を開いたことを知っていた人がどのくらいいたのだろうか。少なくとも僕は、過去にデモが行われていたことを知らなかった。


これが事実なら大変皮肉なことだが、「真剣に活動をやれ!」と述べる人は、当の真剣な活動の存在について殆ど知らないのではないか。例えば、去年の12月には(恐らく「就活ぶっこわせデモ」とは関係ない)学生の実行委員会(http://sksympo.exblog.jp/16519938/)が、就活問題を訴えるシンポジウムを開催したり、ワード8ページに渡る「就活改革提言」を公開したりしているのだが、それら「真剣な活動」について知っている人はどのくらいいるのか。「就活改革提言」をアップしているページでは「皆さんの意見をお聞かせください」と他者の意見を聞き入れる姿勢も示しているのに、そのページについたコメントは単なるスパムコメントのみ。


勿論、ネタに終始するだけでは話にならないけれど(そういう意味では、僕も就活ぶっこわせデモを大して支持していない)、一方で多くの人が必要性を訴える「真剣さ」だけでも効果は見込めないのではないか。僕の感覚では、学生の実行委員会の取り組みは学生の努力・行動量の割に全然話題になっていないと思う。少なくとも話題性という観点では、就活ぶっこわせデモに負けている。


少し愚民思想的な記述になってしまうが、真剣な問題提起に耳を聞き入れる人なんか、実際それほど多く無いだろう。かく言う僕も自分が関心の無い問題については、いくら他者からその問題の深刻さを訴えられようが、その問題について深く自問自答するのかというと正直自信が無い。だからこそ、真剣さが滲み出た文章を提出したり、行動に出たりすることに加えて、「ネタ」の要素を含めた問題提起(平たく言えば、「炎上マーケティング」の活用)こそが有効なのではないかと考える。「就活ぶっこわせデモ」はネーミングからして、また公式ブログの記述からしてネタ満載だけれど、それが結果として多くの人の関心を惹きつけた。ネタに走ったら走ったで確かにそれは失敗に終わる可能性はあるけれど、真面目に問題提起をする「だけ」よりは一度試してみるのも良いだろう。冒頭で触れたtwitterでのフグ田マスオ風つぶやきも、このような考えを基に始めている。


僕のつぶやきのクオリティはともかく、クオリティの高い「ネタ」は短文で問題の本質を抉る。例えば「日本人の無責任さ」という問題について。このブログによくコメントをくださる黒 紅 茶さんが自身のブログで「無責任社会あるいは国家としての日本」という記事を通じて、タイトルの通り「日本人の無責任さ」について検討している。参考文献も豊富で重厚な記事なのだが、それでも多くの人がこの記事を全て読み通すのかというと、正直それは怪しい。黒 紅 茶さんの記事を「反面教師」的な位置づけにして申し訳ないが、これに対してビートたけしの「だから私は嫌われる」という本の、この記述はどうだろうか。

ハワイへ行ったら混んでしょうがないという。お前が行くからだろうが。自分は行きたいけれど人が来るのは嫌なんだ。全く自己中心的な日本人になっちゃったな

たった2行でも日本人の「責任を他者に押し付ける姿勢」が伺える、秀逸な記述だと僕は思っている。しかも身近な話だから、イメージも抱き易い。これに対して「人をバカにしている」という批判もあるかもしれないけれど、一方で問題の本質を突いているということも否定できない。


考えてみれば、「真面目」な問題提起は元リクルート組や本田由紀さんなどの学者らによって十分になされてきた。ただ残念ながら、従来の「本気で就活問題を考える姿勢」に基づく本気の問題提起は、問題の解決に十分に寄与していない。これに対して粘り強く活動を続けていくというのも一つの考えだが、他方でそもそも「本気で就活問題を考える」という言葉の意味を疑い、これを再構成することも大事なのではないだろうか。僕はもっと、ネタや遊び心満載の問題提起があっても良いと思う。


「本気で就活問題を考えることが大事」といっても、「真面目」な問題提起には限界があるのではないか?という考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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ブログランキング不正で上位に食い込もうとする人の気持ちが分からない

このブログはブログ村のランキングの「就職バイト」、「大学新卒の就職・就職活動」カテゴリーに登録している。正直な話、ランキングが上位になればブログへのアクセス数が増える可能性が高まるし、ランキングのバナーをクリックしてくださる方が増えることで更新の励みになることも事実である。いつもクリックをしてくださる方々には感謝しております。


僕としては、「ランキング上位=読者の方々がブログを支持してくださっていることの証」という風に考えていた。確かにそのような一面があることは事実だとは思うが、一方で不正をしてランキングを上げようとしている人もいるんだなということが昨日分かった。ここでいう「不正」とはランキングサイトの規約違反をしているという意味である。


昨日ブログ村「就職バイト」カテゴリーに「語学オタクの"公務員試験+英語資格"合格!!方法論」というブログが新たに登録された。そして、1位を取られた(笑)僕のブログは現在310ポイントなのだけれど、そのブログはなんと2000ポイント以上獲得していて驚いた。勿論1位を取られること自体は全く構わないのだが、問題はこのブログが明らかにランキング不正をしているということだ。


ブログ村の利用規約には「ランキングUPなどのために、不正なリンク(騙しリンク)を行ったり、クリックを強制する行為を行っているブログサイトは削除の対象となります。また、テキストリンク(文字のリンク)自体、またはその周辺の文言を使ってにほんブログ村へのリンククリック(=INポイント)を閲覧者(読者)の錯覚や誤解を利用して促すブログサイトは削除の対象となります。」という記述がある(http://help.blogmura.com/policy/)。要は読者の方々にランキングへのご協力をお願いする際には、きちんとランキングのバナーを貼って「このバナーをクリックすれば、ランキングにポイントが入ります」ということを示さなければならないということだ。僕のブログだったら、記事の最下部に「大学新卒の就職」というバナーを貼って、ランキングへのご協力をお願いすると言う形を採っている。


ところが、「語学オタクの"公務員試験+英語資格"合格!!方法論」というブログがやっていることは、ブログ村の利用規約に抵触している。例えば、「【現職職員が提出した特別区、面接カード公開】(1)」という記事では「特別区の面接カードを公開します!」と宣言した上で、以下のようなやり方で読者にランキングへのクリックを促している。

いつもの通り、
☆の1つに実際の面接カードがリンクされています!

☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆

見ての通り9つの☆があるわけだが、ハズレの☆をクリックするとブログ村のランキングに飛んでポイントが加算されるようになっている(笑)他にも同じ手口で「過去問情報掲載は、☆のどれかに情報へのリンクが!!」として、ハズレの☆をクリックすると自動的にランキングに協力したことになる(しかも、「ハズレの☆をクリックするとブログ村のページに飛びます」という記述すらない)。このような騙しリンクは規約に違反していることに加えて、根本的にやり方が汚いというか、こんなことでポイントを稼いで一体何が楽しいんだという気にもなる。冒頭で触れたように、確かに上位に入ることでブログへのアクセス数が増えるという利点はあるけれど、記事の中身が伴わないとアクセス数は伸びていかないのでは・・・。


このブログでよく取り上げている「倫理憲章」を巡る議論の中でも「真面目に守った方が損をする」という文脈が語られることがあるけれど、それはブログランキングの世界でも同様のようである。一応ブログ村には通報したけれど(笑)、ランキング上位のブログはこんなやり方でポイントを稼ぐブログばかりなのか・・・。何だか、釈然としない思いを抱く。

不正でブログランキング上位に食い込もうとする姿勢はおかしくないか?という考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。また、各記事の下部に「関連記事」が表示されるように設定したので、もし宜しければそちらも併せて読んでいただければ幸いです。
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倫理憲章は「条文形式」にした方が良いのではないか?

経団連は既に、今年も大学生向けの会社説明会を12月に解禁することを表明している(http://www.asahi.com/national/update/1219/TKY201112190637.html)。すなわち、2014年卒の学生にも「会社説明会の開催開始は12月、選考開始は4月」というルールが適用されることになる。


もしかすると「倫理憲章はどうせ守られないんだから、廃止するべきだ」、「秋入学に移行する大学の増加が見込まれることで、遅かれ早かれ既存の倫理憲章はさらに機能不全になる」という考えから、倫理憲章のあり方について考える実益は乏しいという意見を持つ人もいるかもしれない。


しかし少なくとも企業や2014年卒の学生は、現在の倫理憲章の規定を考慮しながら各々の採用活動・就職活動を進めていくことになるのは間違いない。倫理憲章に問題があることは事実だが、いくら就活の有識者や外野が「倫理憲章を廃止せよ!」とか言っても経団連がその声を聞く訳がない。そこで、「問題がある倫理憲章と、どのように付き合うか」という視点も同時に持っていなければいけないと思う。


倫理憲章の規定を実効性のあるものとするための策として、罰則規定を設けるという考え方がある。ただ、僕の考えとしては、「倫理憲章上認められる行為と望ましくない行為の線引きが不明瞭である」という点がより重要な問題だと思う。刑法の罪刑法定主義(いかなる行為が犯罪となるか、それにいかなる刑罰が科せられるかをあらかじめ法律によって定めなければならないという原則・・・と書けば大体正確か)の考え方と重なるけれど、仮に罰則規定を設けるにしても、いかなる行為が罰則を受ける対象となるのかが明らかにならないと、企業も安心して採用活動を進められない。優先順位としては、曖昧な倫理検証の規定を明確化する方が上に位置づけられるだろう。


ここで、話題になることが多い「選考活動」に関する規定を抜き出してみる(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/015.html

(2)選考活動の開始
面接等実質的な選考活動については、卒業・修了学年の4月1日以降に開始する。

倫理憲章の違反例として「4月前なのに内定が出て、入社を迫られた!」というケースが紹介されることが多いが、これも「選考活動」の定義が不明瞭なことに拠るだろう。例えば、「うちは選考じゃなくて『(リクルーター)面談』を通じて、応募者の絞込みを行っているんです!4月より前に『面談』をやっちゃいけないなんて書いてませんよね?」という訳が分からない屁理屈も、倫理憲章の文言を見る限り通じてしまいかねないように思われる。


しかし、経団連は倫理憲章を理解するための参考資料にて「『実質的な選考活動』とは、活動の名称や形式等を問わず、実態で判断すべきものであり、具体的には、(1)選考の意思をもって学生の順位付けまたは選抜を行うものを言う」と明言している。この文言に従えば、「私たちがやっているのは選考ではなく面談です!」という理屈は明らかに通用しない。よく有識者が「倫理憲章の解釈は企業に任せるという状態になっている」と述べることがあるが、規定を作成した当の経団連が「選考活動の定義は~です」と明示しているのだから、企業が勝手に文言の意味を解釈する余地はない。


上で「倫理憲章上認められる行為と望ましくない行為の線引きが不明瞭である」と書いた。しかしこれは不正確で、経団連は倫理憲章を理解するための参考資料の提示を通じて「倫理憲章上認められる行為と望ましくない行為の線引き」を100%とまではいえないかもしれないが、十分にやっていると思う。問題なのは参考資料をチェックしない&参考資料の存在を知りながら、あえて違反する企業の存在だろう。


企業の誤魔化しを封じるために、いっそのこと現在の倫理憲章と参考資料の内容を合わせて、倫理憲章を条文形式に再構成することが良いのではないかと考える。例えば、選考活動に関する規定は、

第○条(選考活動)
①面接等実質的な選考活動については、卒業・修了学年の4月1日以降に開始する。

②「実質的な選考活動」とは、活動の名称や形式等を問わず、実態で判断すべきものであり、具体的には、(1)選考の意思をもって学生の順位付けまたは選抜を行うもの、あるいは、(2)当該活動に参加しないと選考のための次のステップに進めないものを言う。

③ただし、WEBテストやテストセンターの受検、エントリーシートの提出など、日程・場所等に関して学生に大幅な裁量が与えられているものについては、学事日程に影響が無い限りで4月以前に行うことが認められる。

まさに既存の倫理憲章の規定と参考資料の記述を合体させただけの手抜きの規定だけれど(笑)、このように再構成するだけで例えば「あれ、参加しないとエントリーできない会社説明会は、2項の『当該活動に参加しないと選考のための次のステップに進めないもの』に該当するから、4月より前にやっちゃいけないはずじゃ・・・」とルール違反の実態を浮き彫りにしやすくなる。また、条文形式にすることで企業にも規範意識がそれなりに芽生えるのではないかという考えもある。


もちろん条文形式にすることで問題が全て解決するわけではない。ただ、倫理憲章による規制はもうしばらくは続くのだろうから、その期間に就活をする人、あるいは「倫理憲章のルールをきちんと守ろう」と考える企業が損をしないためにも、倫理憲章上認められる行為と望ましくない行為の線引きを明確にすることが重要だ。そのために、倫理憲章を条文形式に再構成することには一定の実益があるのではないかと思う。


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石渡嶺司さんら大学・就活をテーマにするライターは「フィクション作家」なのか?~「最高学府はバカだらけ」第4章を題材に考える~

石渡嶺司さんの著作といえば「アホ大学のバカ学生」が有名で、書店でも目立つ位置に置かれていることが多い。ちなみに石渡さんは、これと似たような本を2007年に出している。その名も「最高学府はバカだらけ」である(余談だが、この本の第1章のタイトルは「アホ大学のバカ学生」・・・このフレーズが好きなのだろうか?)。


amazonでも指摘されているのだが、この「最高学府はバカだらけ」の第4章が「ねつ造」なのではないか?という疑惑がある。


第4章は「大学の情報公開をめぐる二つの講演」というタイトル。「受験生増進委員会(JJC)」委員長「源光冨地(げんこう ふち)」氏による「受験生集めに効果的な情報の隠し方」と「大学被害者友の会(DHT)」代表「物木有三(ものき ゆうぞう)」氏による「大学にだまされない大学の選び方」という2つの講演が約30ページにわたって掲載されている。最後に石渡さんが3ページほど使って講演の内容を評価し、この章は終わる(講演の中身は今日の記事を書くにあたって必要ないので書かない)。


「受験生増進委員会(JJC)」、「大学被害者友の会(DHT)」という聞いたことも無いような団体が登場している時点で既に怪しい。さらに本にある「それぞれの講演への参加、ならびに(講演内容の)転載許可は、仲立ちする知人を通してのものだ。そのため、主催者・講演者と私は直接の面識が無いし、また出席者が誰だったのかもいっさい把握していない(p.110)」という記述が、講演の中身・講演の存在に対する信頼を低下させる。


ただ石渡さんは、第4章の2つの講演は創作ではないと繰り返し訴えている。具体的には、「『二つの講演は石渡の創作だ』などと誤解されかねないのでこのへんにしておく。繰り返すが講演内容は私の考えではなく、主催者のものである(p.145)」、「(源光冨地氏、物木有三氏)お二人の講演がなければ第四章は完成しなかった。深く感謝するとともに、表に出てくれないと大学内外から無用の恨みをかぶるばかりである。一刻も早く私の前に出て来て、取材に応じていただくようお願いしたい(p.249)」という記述が挙げられる。


しかし、p.145の「困ったことに、仲立ちをしてくれた知人がどうしたことか行方不明になり、二つの会の存在も確認できていない。入手した資料も本書の校了間際に紛失した」という記述から、「第4章は100%ねつ造だ」というレビューもついており、僕も同意見である。中には、「JJCの源光冨地(げんこう ふち)氏は、他の業界の情報隠蔽は批判しても、自分の業界は見て見ぬふりの“言行不一致”な大学教職員、DHTの物木有三(ものき ゆうぞう)氏は、大学に“文句言うぞー!”という消費者(受験生・保護者)のデフォルメ」というご指摘もあり(http://machiko-o.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_46d6.html)、講演は架空のものに過ぎないという考えがますます補強される。少なくとも「石渡さんは大学ジャーナリストじゃなくて、フィクション作家なんじゃないか?」と疑いの目を向けても無理は無いだろう(まぁ、石渡さんは自己に対する批判を自虐ネタに転化させることに長けた心が広い人なので、そういう疑いの目を向けても本人は「フィクション作家の石渡です」とか自分で言いだすだけかもしれない笑)。ねつ造じゃないとしても、今度は「情報の裏づけもとれていないのに本に載せたのか!」というツッコミが可能になり、どちらにせよ石渡さんは非難されることになるのだが・・・。


実のところ、僕は「最高学府はバカだらけ」という本から何かを学ぶために購入したわけではなく、単にネタで買っただけなので、別に第4章がねつ造でも特に何も思わない。しかし、この本から情報を得ようという読者からしたら、石渡さんの妄想を30ページも読まされるわけだから、それはたまったものじゃないだろう。


ちなみに石渡さんの名誉のために言っておくと、石渡さんのブログやtwitterを読むと、精力的に大学関係者の方々や学生と直に会う機会を多く作っていることが分かる。肝心の取材の中身については知らないが、全ての記事を全くの妄想に基づいて書いているわけではないと僕は感じる。


ただ、それでも「最高学府はバカだらけ」の第4章は「大学や就活に関する話を題材にすれば、ある程度なら妄想を垂れ流してもお金になる」ということを証明したのではないか。架空の人物を作ったり、あるいは「ある大学関係者が~なことを言っていました」という形で文を書き進めれば、あっという間に本の出来上がり。スポーツ新聞なんかでは情報源が「チーム関係者の話によると」という文面で説明され、結果それがただのデマだということが多いが(本田圭佑選手の移籍報道はその典型だろう)、それと同じようなことが大学・就活関連の本にも当てはまる可能性があるのではないか。


就活に関する本を書く際にも、きちんとした情報を掴まずに自分の妄想を頼りに本を書けるのではないかと思う。例えば、実在しない「ある採用担当者」を登場させて、「ある採用担当者から聞いたのですが、コネ採用をやっているとのことですよ」、「ある採用担当者の話によると、偏差値の低い大学のエントリーシートは読まないらしいですよ」とか書けば、それだけで一定の字数を稼げる。仮に「情報源はどこなんですか?」という質問が読者から来ても「企業のプライバシーに関わりますから・・・」とか適当に言えばそれで逃げられる。


さらに、「コネ採用、学歴差別はあってもおかしくない」という意識は多かれ少なかれ皆にあるだろうから、読者は「あぁ、やっぱりあるのね、コネ採用」という程度の認識しか持たないかもしれない。その上著者が「元採用担当者の現・就活コンサル」だったら、本の記述の中身を疑おうとする人は殆ど出てこないのではないか。


現在本屋に並んでいる就活本、あるいは大学関係の本がただの妄想の垂れ流しに過ぎないかというと、それは分からない。ただ、特に就活本に関して言えば読者は無知な就活生であることが多いから、著者が適当なことを書こうと思えばいくらでも書けるということは否定できない。「最高学府はバカだらけ」第4章をきっかけに、書店に並ぶ就活本・大学関連の本に対して「この本、ただの妄想ばっかりなんじゃないか?」という警戒心を持つことが出来れば読者にとって有益だろう。


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経団連が公表した「新卒採用に関するアンケート調査結果の概要」は、おそらくただの茶番

去年の秋に経団連は「新卒採用(2011年3月卒業者)に関するアンケート調査結果の概要」を公表した。この調査の目的は「企業の2011年3月大卒等新卒者の採用活動を総括し、次年度に向けた動向を把握すること」にあり、1997年度より実施されている。


この調査の内容は多岐に渡るのだが、その中で「企業が倫理憲章をどの程度守っているのか」、「2013年以降の入社対象者に関する『採用選考に関する企業の倫理憲章』の見直しについて、企業はどのように評価しているのか」が分かる点が特に興味深い。イメージとして、「倫理憲章は水面下で破られている」という声は少なくないと思うので、肝心の当の企業は何を考えているのかは気になる所である。


例えばアンケートには、新卒採用活動における「学事日程の尊重」への対応策を聞いた設問がある。これは2009年10月改定の倫理憲章に「採用選考活動にあたっては、正常な学校教育と学習環境の確保に協力し、大学等の学事日程を尊重する」、「卒業・修了学年の学生が本分である学業に専念する十分な時間を確保するため、選考活動の早期開始は自粛する」という文言があることに基づく設問だろう。1番多かった回答は「学生の申し出による採用選考日程の調整や変更」で74.4%、2番目が「適性検査や筆記試験等をWEB上やテストセンターで実施」で54.0%、そして3番目が「説明会や選考活動の土日祝もしくは平日の夕方の開催」で47.5%と続き、以下は「その他」となっている。2位はともかく、1位・3位の回答は正直怪しい・・・。


また、倫理憲章の見直しに関して、広報活動の開始時期を新設したことについて「評価する」と回答した企業は74.3%に上り、開始時期を「12月1日以降」としたことについても67.2%の企業が「評価する」と回答した。また、選考活動の開始時期を現状の「4月1日以降」で維持した点についても76.0%の企業が「評価する」とし、「評価しない」とした企業は16.1%にとどまった(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/091.html)。メディアの報道は「倫理憲章の変更により、学生も企業も大混乱!」という論調が多いから、このアンケート結果には少し驚いた。このアンケートは去年の7月~8月に実施されたものとはいえ、広報活動開始時期をずらしながら選考活動開始時期をずらさないとすれば、企業の採用活動も短期集中化して混乱することは少し考えれば想像できることのはずなのだけれど・・・。企業は一体何を考えていたんだ。


結局、倫理憲章に関する設問に注目すると「企業は倫理憲章を守ろうと努力している」、「経団連による倫理憲章の改定は評価できるものだ」という、とにかくポジティブな結論が導き出されて終わっている。ただ、企業はアンケートに真剣に答えているのか。すなわち、アンケート結果が企業の本心を反映しているのかというと、それは相当怪しい。


例えば、就活生が会社説明会で就活生がアンケートに答える際には、殆ど全ての設問に対して反射的に「1. とても満足した」に○をつけることが多いと思う。ただ、その答えが就活生の本心を反映しているか疑わしいというのは多くの人が想像できると思う。設問に真剣に答えるのが面倒くさいから適当に無難な答えを選んだかもしれないし、あるいは記名式のアンケートの場合は後に自分が不利な状況に置かれることを防ぐためにわざとネガティブな回答を避ける、という心理も働くこともある。


経団連のアンケートに答えた企業も、真に現在の新卒採用のあり方を改善するために設問に答えたというよりは、とりあえず設問に答えたという程度のノリなのではないか。それが仕方が無いことか悪いことかはともかく、少なくともアンケートの結果に対する信頼を持てないのも事実である。


去年の朝日新聞の記事によると、経団連は改定した倫理憲章の検証を大手企業が採用活動を終える6月以降に始める方針とのこと。そして、各社の話を聞いて問題点を調べるのに数カ月かかる見込みらしい。ただ、問題点の調査が形だけのものになってしまっては意味が無い。仮に企業の回答が上辺だけの薄っぺらいものしか提出されないのならば、「倫理憲章に賛同している企業が、4月より前に選考を行ったり、内定を出したりしていますよ!」という就活経験者の声をヒヤリングすることも重要だ。


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「胡散臭い就活ビジネス」を潰すのは、法規制ではなく「真っ当な就活ビジネス」だ

先月、参議院議員会館で「就活の問題を訴える院内集会」が開かれた。集会の様子は現在も動画で見ることが出来る(http://www.ustream.tv/recorded/21138240)。


この院内集会で提示された学生の要求の一つに「悪質な就活コンサルティングの制限」というものがあった。どういうことかというと、「就活生を対象としたビジネスが盛り上がっており、その中には明らかに効果が見込めるはずがない怪しいものがある」と問題提起をした上で、そのような怪しいビジネスを規制するルールを作ってくれということだ。登壇者は、怪しいビジネスの具体例として「滝に打たれるセミナー」を挙げていたが、このセミナーは読売新聞で取り上げられており、セミナーの様子を動画で見ることも出来る(http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn110124_1.htm?from=tw)。読売新聞によると、このセミナーの目的は「座禅や滝業などの修行を通じ人間性を高める」ことにあるという。


特に今年は倫理憲章の改定で就活時期が例年と異なったことで「以前と日程が違い、動き方が分からない。戸惑っている」と不安を述べる学生の声が京都新聞の記事に載っている(http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20111126000019)。他にも学生の「しっかり準備しないと怖い」という声も載っており、このような不安に付け込むビジネスに精を出す人が多くいても不思議ではない。院内集会の登壇者によると、「怪しい就活セミナーに引っかかった」という内容の相談が1000件以上国民生活センターに寄せられているらしい。


ただ、仮に就活生を食い物にするビジネスが横行しているという現状認識が正しいとしても、その対策として法規制が適切なのかと言うと、それは違うのではないかと思っている。原則として人々の「営業の自由」を保障すべきだし、仮に悪質な就活ビジネスが「公共の福祉」に反するとして規制の対象にする余地があるとしても、どのような類のビジネスを「悪質」と見なすのか。その基準もよく分からないし、明確な基準を立てることは不可能だ。


そこで、僕は「胡散臭い就活ビジネス」は、同じくビジネスを通じて潰すのが一番有効だと思う。


去年、そして一昨年にも就活デモは行われたわけだが、それに対して「デモではなくビジネスで問題を解決するべきではないか」と主張した人がいた。例えば、松本孝行さんという方はアゴラに「社会を変えるのは就活デモではなく、ビジネスだ」というコラムを掲載し、その中で「今回の就活デモも、なぜビジネスで就活を変えようと言う方法を選ばなかったのか、残念でなりません(中略)資金はないかもしれませんが、就活を変えたいという熱い思いに資金を出してくれる人もいたかもしれません。特に就活については、デモよりもビジネスで社会を変える方が有効ではないか、そう思います」と述べている。僕は松本さんの意見に概ね反対なのだが、例外として「胡散臭い就活ビジネスを潰す」ことを考える際にはデモよりもビジネスが有効なのではないかと考える。


要は、就活生の不安に付け込み訳が分からないセミナーでお金を稼ごうとする人が気に入らないのなら、その人以上のサービスを提供すればいいではないかということだ。例えば、相互リンクさせていただいている「無能の就活」の管理人さんは内定をとるための戦略をまとめた本を出版する予定なのだが(http://dariaring.blog.fc2.com/blog-entry-64.html)、仮に「この本を読めば、別に滝になんか打たれに行かなくてもいいや!」と思う人が増えれば、効果が見込めない薄っぺらいセミナーは自然と淘汰されていく。


就活生からお金を取りたくないというのなら、無償でセミナーを開く活動を行えばいい。こういう活動に力を入れる学生団体は少なからずあるはずで、そういう団体は法規制を訴える院内集会の登壇者よりも就活問題の解決に貢献していると評価できるだろう。


個人、そして企業の命運を左右するはずの就活が「特定の層が得をする、金儲けのイベント」の場という要素も持ってしまっている。ただ、これは裏を返せば就活生・企業共にニーズを持っているからこそであり、そのニーズにビジネスを通じて応えることは何も悪いことではない。就活を食い物にすること自体が悪いのではなく、就活生が無知なことを良いことに中身のないセミナーを開いたり、本を出版したりする姿勢こそが問題なのだ。そして、この問題に対処するのは国ではなく、「胡散臭いセミナーでお金を稼ぐ人たちがムカつく」という思いを抱いた一人一人だ。


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