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「企業は既卒者採用にも積極的じゃないか」という言説から既卒者を守るための2つの策

本田由紀先生がツイートしていて気がついたが、独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が刊行する「Business Labor Trend」という雑誌の9月号に、経団連が実施した「今春入社の新卒採用に関するアンケート調査」結果を題材にした「選考で最重視したのは9年連続で"コミュニケーション能力"」という記事が掲載されている。この記事は、雑誌を購入せずとも、無料でPDFファイルを見ることが出来る(http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2012/09/048-049.pdf)。


その中で気になったのは「既卒者採用にも積極的」という項目。これは経団連の会員企業の約7割が「既卒者の採用を実施している」と答えたこと、「今後、実施を検討」と答えた企業も合わせると会員企業の87%を占めることを受けて、労働政策研究・研修機構は「既卒者採用は、今後もますます積極的に行われそうな気配だ」と論じている。


このブログでは何度か「企業が既卒者のエントリーを受け付けているように見えても、実は水面下で"既卒だから"という理由のみをもって書類選考に落とされたり、面接で不利になったりしている場合があるのではないか」という懸念を示していた。だから、労働政策研究・研修機構が記事にてこうした可能性を検討せず、経団連のアンケート調査結果を機械的に紹介したに留まったことに正直がっかりしている。このままでは既卒者は、選考にて大学生に比べて著しく不利な状況に置かれているにも関わらず「せっかく企業が求人を出しているのに、なぜそのチャンスを活かせないんだ!」という批判に晒されてしまう可能性がある。


こうした批判から既卒者を守るための策として、2つのことが考えられる。一つは、企業に「採用ホームページに"卒業後の体験"を評価されて内定を勝ち取った人の声をアップすること」を促すことだ。こうすれば、企業が既卒者の応募を形だけ受け付けているのではなく、実際に採用していることが伝わる。また、「既卒者の中にも内定をとるに値する人は居る。既卒者を門前払いすることには全く意味が無かった!」というメッセージを社会に発する効果が見込まれることで、日本企業の既卒者アレルギーが治るのではないかとも期待している。というのも、以前コメント欄に「企業が新卒を欲しがる別の理由はズバリ、ただの雰囲気でしょう。"既卒=就職に失敗したカッコ悪い奴"という図式は、"浪人生=受験に失敗したカッコ悪い奴"という嘗て存在した図式と良く似ている」という考察を書いてくださった方がいたので、この策によって「既卒=就職に失敗したカッコ悪い奴」という図式を壊すことを図っている。


もう一つは、これも一つ目のと殆ど似ているのだが、常見陽平さんが「くたばれ!就職氷河期」で述べている「企業は毎年、どの大学、どの学部から何人、どの職種で採用したかを公に発表する。男女比ももちろん開示する」という提言を援用し、企業に既卒者を採用したか否かを数字をもって公表させるという策が考えられる。例えば企業に、内定者の内訳を「早稲田大学8人(内、既卒者1人)」というような形で公表させるということだ。


常見さんの提言は、既卒者の保護ではなく「選考の対象ともならないのに下手に希望を持たされ、労力だけかかる現状を考えると、学歴差別宣言はむしろ救いになる」ということを狙いとしたものなのだが、この狙いは既卒者の保護にもつながり得るものだと思う。既卒者が就活をする際に企業のホームページなどを見て「この企業、既卒者のエントリーも受け付けているけど、実際には採用して無いじゃん。元から志望度もそれほど高くなかったし、別の企業受けるか」ということを考え、無駄な労力を費やすことを防げる。企業からしても、就活生のエントリー数を抑えられるという利点を有する。


この提言の穴は、①企業が「毎年、どの大学、どの学部から何人、どの職種で採用したかを公に発表する。男女比ももちろん開示する」というのは、企業からしたら負担であること②場合によっては「○○企業は学歴差別をしている!」というレッテルを貼られ得ること。①については「就活生のエントリー数を抑えられる」という利点を示せば、企業からの共感を得られると思う。②については、岩波書店の「コネ採用」が叩かれたことを考えると、採用活動に際して「平等」を求める人、即ち「学歴差別は認められない」と主張する人が一定数いることは想像できる。これに対しては、企業は「学歴」による脚きりではなくて、武田薬品工業がやったようにTOEICによる脚きりをするなどして、「私たちは"学歴"という表面的な要素よりも、きちんと実力を重視して内定者を決めているんですよ」と社会に言えるような採用活動をすれば良いのではないかと考えている。


企業がとりあえずは既卒者のエントリーを受け付けている以上、次に考えるべきは既卒者が、選考にて大学生に比べて著しく不利、あるいはノーチャンスな状況に置かれているにも関わらず「せっかく企業が求人を出しているのに、なぜそのチャンスを活かせないんだ!」という批判に晒されることを防ぐことだと思う。この記事で書いた2つの策が、この問題意識に応えるものとなっていれば嬉しい。


既卒者が、選考にて大学生に比べて著しく不利な状況に置かれているにも関わらず「せっかく企業が求人を出しているのに、なぜそのチャンスを活かせないんだ!」という批判に晒されることを防ぐべきだという考え方に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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「福祉・介護の仕事は大変だけど、このまま就職先が決まらないよりはマシでしょ」という「ゼロよりは一がマシ」理論への対抗法

昨日読売新聞に「就職難でも人気薄 福祉介護面接中止」という記事が載っていた。これは、和歌山県が和歌山市、紀の川市などで開催を予定していた「福祉・介護の仕事 合同面接会」が、面接会への申込者数があまりにも少なかったことを理由に中止になったことを報じるニュースだ。


僕の福祉・介護の仕事に対するイメージは「激務の割に給料が安い」というものだ。この読売新聞のニュースを取り上げたまとめサイトを見ても福祉・介護の仕事を評する「薄給のくせに責任重すぎワロタ」、「重労働な上に薄給奴隷か何かと勘違いして介護以外の仕事を押しつけ何かあったら真っ先に訴えられるわ、誰もやるわけがないだろ」「介護はぶっちゃけ外食より酷いだろ。外食は何年かやって管理職に上がればそれなりの給与水準にまでなるが介護は上に上がっても糞みたいな給料で本当話にならん」というコメントが見られる(http://www.tokuteishimasuta.com/archives/6631110.html)。和歌山県の担当者も、読売新聞の取材に対し「仕事がきついというイメージから若者は敬遠している」との分析を示している。


それでも中には、劣悪な労働環境だという事情を踏まえた上で「それでも求人自体はあるわけで、無職を続けるくらいならそこに入社したほうがマシでしょ」というような、「ゼロよりは一がマシ」という理屈を持ち出す人はいるかもしれない。僕はこのような理屈に憤りを覚えながらも、一方でこの理屈に一定の説得力があることも事実のように思えて、少々葛藤していた。


しかし最近ある本を読んで、この種の葛藤から脱却するヒントをもらった。それは、湯浅誠さんの「岩盤を穿つ」という本だ。この本には「貧困ビジネスはなぜ悪いのか?」という考察が収録されており、その中で、敷金と礼金の支払いを必要としない「ゼロゼロ物件」を批判する記述が見られる。「敷金と礼金の支払いを必要としない」という要素は一見魅力的だが、一方で「家賃の支払いが一日遅れるだけで法外な違約金を請求される」、「違約金が支払われない場合、そこに住んでいる人は数日のうちに自力救済で家財道具を撤去し、処分する」などの重いペナルティもある。


こうした「ゼロゼロ物件」を擁護する理屈の一つが、「ゼロゼロ物件があることによって、一般アパートで要求される敷金・礼金・連帯保証人を用意できない人がホームレス状態に陥ることを防げる」というものだ。これも「重いペナルティがあったとしても、どこにも住めないよりはマシでしょ」という「ゼロよりは一がマシ」理論と親和的な考え方といえるだろう。しかし、湯浅さんはこの理屈を次のような主張をもって潰しにかかる。


湯浅さんは、ゼロゼロ物件があることによって、急場をしのげて助かったと感じる利用者がいることは否定しない。しかし、それでも彼は「だから、ゼロゼロ物件のような貧困ビジネスも社会的に容認されるべき、ということにはならない」と論じる。なぜなら、本来保障されるべき居住の権利はより高いレベルにある、即ち「ゼロよりは一がマシ」というのは「とりあえず一を得ておけ」というメッセージだと思うのだが、本来保障されるべき水準は「二であり、三であり、五のレベルであると湯浅さんは述べる。この湯浅さんの考えは、例えば憲法25条の「生存権」など法律上の規定によって補強されるのではないだろうか。


湯浅さんの理屈を、冒頭に述べた福祉・介護業界への就職問題を考える際にも援用したい。確かに、福祉・介護業界の求人はあるわけで、そこがどんなに劣悪な環境であろうと、生計獲得手段を何も有していない無職の状態よりはそこに就職した方がマシかもしれない。しかし実際、各労働者が有する権利は「急場をしのぐためのお金を、劣悪な労働環境に耐えながら、とりあえず獲得する」レベルのものではなく、もっと高水準のものではないか。これは何も、100点満点の労働環境というユートピアを求める主張ではなくて、「仕事をする際に多少きついことや嫌なことがあっても良いから、それでも一定の給料を得て、体を壊さずに働き続けられるような環境」を最低限整備すべきだという主張である。福祉・介護業界の現実は僕は分からないけれど、もしまとめサイトに書かれているコメントが事実だとすれば、それは就活生が県主催の面接会に来ないのも当たり前だし、それは批判されるべきことではない。彼ら・彼女らはもっと条件の良い環境で働く権利を有している。


読売新聞によれば、和歌山県の職員は「今後、面接会の募集方法などの見直しを検討する一方、キャンペーンを行うことで、業界のイメージアップにも力を入れることにした。現在、福祉の現場で働く人の笑顔の写真とメッセージを募集しており、テレビCMやイベントで紹介する予定」などのキャンペーンを進めていくらしい。僕はこういうキャンペーンは小手先のものに過ぎないと感じる。一見したイメージの良さだったら、例えば社長が奇麗事を言うワタミは最強クラスかもしれないけれど、実際には新入社員が過労死したりしており且つ就活生もそれを知っているわけで、就活生もそう単純に「思ったよりイメージ良さそうだから、この会社入ろう!」とは思わないだろう。福祉・介護の仕事自体は重要なものなのだから、もっと金銭面・環境面の条件を上げられれば理想だ。現在福祉・介護に従事する人たちは、少なくとも政治家とかよりは全然お金をもらっても良いと思うのだが・・・。

人は「一」だけでなく、二、三、五など、もっと高水準のレベルの権利を有しているはずだという考え方に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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法科大学院に関わる専門家が謳う「法科大学院存続の意義」がよく分からない

昨日ブログへのアクセス数が異常に増えていて驚いたけれど、その理由は、過去記事「法科大学院の存在なんか無視して、予備試験の合格者数を増やしていくべきではないか」がyahooニュースに載ったことにあったことが分かり二重に驚いた。僕の記事は、東京新聞の「新司法試験 法科大学院離れ拍車」という記事の補足として「新司法試験の結果をどうとらえるか」という視点の一つとして掲載されている。


東京新聞の記事は、以前毎日新聞が報じたように、予備試験を「学費が払えない、仕事を辞められないといった事情で法科大学院に通えない人の救済」、「金と時間を節約する抜け道」と位置づける見解を紹介している。本当は法科大学院に進学して「人間的に豊かな法曹」となるための素養を身につけなければいけないのに、予備試験経由者はただただ受験勉強に特化している・・・現在法科大学院に関わる専門家はこのような現状認識でいるようだ。


僕は当然「弁護士」ではなく、依頼を受ける側ではなく弁護士に依頼する側の人間の訳だが、そういう素人目線でこの問題を見てみると、専門家が謳う法科大学院存続の意義がよく分からないと感じる。例えば第一に「人間的に豊かな法曹」の養成が法科大学院の教育を通じて実現できると言う意味が全く分からない。そもそも「人間的に豊かな法曹」という言葉の定義が不明瞭。また、法科大学院入試で「あなたはどんな法曹になりたいですか?」という設問がよくステートメントで課されることは知っているけれど、以前G.Kさんがコメントしてくださったように、こういうステートメントを書いて入試を乗り切っても「自分が将来どのような法曹になりたいのかという視点が抜け落ちてしまい」と告白する人が現れるのだから(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-309.html)、結局のところ法科大学院の学生の多くは、とりあえず奇麗事を言ったり書いたりして体裁を整えているだけということは明らかだと思う(これはG.Kさんを批判しているわけではなくて、単にこういう事実があると言う指摘に過ぎません)。この点は、志望動機がさほど無いにも関わらず、企業にエントリーシートを出す就活生の行動に似ている。


加えて、現在の法曹養成システムは、本来「人間的に豊かな人」から豊かさを奪うものではないかとすら思える。このブログでも何度か書いてきたけれど、現在法曹を目指すと言うことは「多額の借金を抱えながら、且つ就職先は中々見つからない」という状況に置かれることを意味する可能性が高いわけで、自分の生活が危なくなったら、「社会的に必要だけど、あまり儲からない仕事」に着手する人はいなくなるのではないか。あるいは着手しても、案件の数を稼ぐためにいい加減に仕事をしたりするとか。確か「離婚弁護士」というドラマで、天海祐希さん演じる主人公は「離婚関係は儲からないから嫌だ」と言っていたような・・・。


第二に、専門家は法科大学院存続の根拠として、例えば四宮啓教授が読売新聞の取材に答えたような「『法廷活動する法曹を育てる』という従来の考えから脱却し、多様な人材を輩出する」という理屈が挙げられることがある。確かに法科大学院の中には社会人を受け入れるために夜間に講義を行うところもある。例えば、菊間千乃さんはフジテレビの仕事と並行して大宮法科大学院に通っていた。


しかし、本当に多様な人材を集めるべきなら、むしろ金銭面のハードルが高く、そして卒業後のキャリア保障があまりにも脆弱な法科大学院制度はむしろ逆効果ではないか。僕は「多様な人材を集める」という言葉の意味は事実上「学生だけでなく、企業などで働いている人を集める」というものだと思っているのだが、それだったら旧司法試験みたいに、大学を卒業していれば(正確には、大学で一般教養科目の単位をある程度取っていれば?)誰でも受験できる試験の方が社会人も受験しやすいだろう。わざわざ法科大学院制度を導入する意味は無い。


新聞やネットで司法制度改革について調べた範囲では、専門家は法科大学院の意義を述べているけれど、その具体的な中身がまるで伝わってこなかったり、「その意義を実現するんだったら、むしろ法科大学院は無いほうが良いんじゃないの?」という気がどうしてもしてしまう。多分、現在法科大学院に在学している学生や、法科大学院を卒業したばかりの新人弁護士を受け入れた実務家の話を聞けば、ますます専門家が謳う理念が法科大学院により実現されるという言説の説得力は失われていくだろう。それにも関わらず、現在法曹志願者は自分の希望する職業に就くために無駄なお金・時間を費やすことを殆ど強制されているわけで、一体なんでこんな不条理なことが起きているのか疑問で仕方が無い。法律家は「正義」を追及する仕事だと(とりあえず建前として)言われているが、その法律家を養成するシステムが不条理に満ちていることはなんとも皮肉な話だ。


しかし、これだけおかしなシステムでも、マスコミも法科大学院廃止の必要性を訴えるというよりは「予備試験の登場で法科大学院が危ない!」、「とりあえず、法科大学院制度を見直そう」だとか、あくまでも法科大学院存続を前提とした記事を書くことが多いように思える。これは、マスコミ的にもタブーなネタなのだろうか・・・。僕は、自分の友人が何人も法科大学院に進学したと言うこともあってこの問題について考えることにかなりモチベーションがあるので、ブログが消されない範囲で法科大学院廃止や、少なくとも「受験資格を得るためにあたって、法科大学院進学が原則」という現在の風潮を批判したいと思う。


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「採用担当者は大学名を信用していない。高校名を見ている!」という雑なアナウンス

前回の記事で、池田さんと常見さんの記事を紹介した。両者の記事に共通する要素の一つは「茂木健一郎批判」なのだが、その他にも「採用担当者は、選考において就活生の高校名を見るようになっている」という事実認識も一致している。


彼らの理屈によれば、採用担当者が大学名より高校名をチェックする背景には、推薦・AOによる入試を経て大学に入学してくる者が多くを占めるようになってきたため、即ち「大学合格=それなりの学力がある」という構図が成り立たなくなっているという事情があるという。そのような状況下において企業は能力・資質を備えた就活生を採用するため、池田さんは「大学名を見ても当てにならないので、このごろ企業の人事は高校名を見るようになったという」、常見さんは「新卒の採用面接では、高校名を見たり、大学への入学方法を聞いたりする企業が存在する」と記事で記している。


池田さんはともかく、常見さんは以前にも採用担当者が高校名を見ることを記事に書いている。「面接官の間で、昔から使われているテクニックがあります。それは、"高校名に注目しろ"というものです。大学は一流でなくても、名門高校に通っていた学生は地頭がいいのではないかというわけです」、「上場IT企業の採用責任者は"いまや、一番信頼できるのは高校名では?"と語ります」と記している(http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-4602.html )。


「名門高校に通っていた学生は地頭がいいのではないか」という考えに至る理由を、石渡嶺司さんが「ヤバイ就活」という本で説明している(あんまり面白い本じゃなかったのでもう処分しようと思っていたけど、しなくてよかった・・・笑)。石渡さんによれば、大学受験に臨む高校生は受験テクニックを駆使して「解きやすい問題を先に解いてから、それから難関問題に移る」という戦略をとり得点を稼ぐのに対して、高校入試はテクニック以前の基礎学力が左右するということだ。これに対して「受験テクニックを駆使しているといっても、"解きやすい問題"は解けているということは基礎学力はあるってことなんじゃないの?」と僕は思ったので、石渡さんの理屈はいまいちよく分からなかった。


それに加えて、常見さんの記事に戻ると、常見さんの記事の内容は就活生を無駄に煽っているだけで、あんまり中身は無いと言う気がした。「どのくらいの企業が実際に"高校名"を見ているのか」、「高校名を見ているとして、それがどれだけ評価に影響するのか」、「企業が高校名を重視したことで、実際に大学名を重視した場合よりも優秀な人材を採用できたのか」など検証・表現すべき点はかなりある気がするのだが、そういうことは一切していない。ここで常見さんを多少擁護すると、常見さんは「企業が大学差別をしている」というアナウンスに関してはHR総合調査研究所が毎年行なっている調査を基に発信しているので、これは問題ない。ただ、この記事で話題にしている「企業は高校名を見ている」というアナウンスはやはり不親切だと思う。常見さんからしたら「就活生は不安になるかもしれないけど、僕は事実を伝えているだけです」と思っているのかもしれないけれど、そのアナウンス方法が雑だ。


そういうアナウンスをしておきながら、上で触れた「ヤバイ就活」という本で常見さんは「なんだかんだ言って、やっぱり低学歴では相手にされませんよね?」、「やっぱり学歴によって脚きりとかあるんですか?」という就活生の悩みを「(そういう質問自体が)弱いですね。例えば、脚きり、ということでは本当はするべきことではないけど、いくつかの企業はしています。でも、その現実を知ったあなたはどうするのですか?落ち込むだけなのですか?ということですよ」と評している。別に常見さんが言っていること自体は間違っていないと思うけれど、それでも「就活生を不安にさせてるのも常見さんなんじゃないの?」という気はどうしてもしてしまう。


そういえば、常見さんは以前佐々木俊尚さんにこんなことを言っていた。「佐々木俊尚のインタビューが最低なのは、言いっぱなしであり、発言に責任を持たないからだ」か・・・。うーん・・・。


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茂木健一郎さんが「日本の大学入試の今後」について議論すべき相手は池田信夫さんであり、常見陽平さんではない

言論プラットフォーム「アゴラ」に、池田信夫さんの「ペーパーテストをやめたら大学は崩壊する」、常見陽平さんの「茂木健一郎よ、ペーパーテスト批判はやめなさい」という記事が掲載された。これはどちらも、茂木健一郎さんの9月22日の連続ツイート「裏口入学という言葉が日本の大学の、ダメさを象徴している」への反論記事だ。


まず、議論の発端を紹介したい。池田さんと常見さんが噛み付いているのは、茂木さんの次のツイートだ。このツイート、また連続ツイート内の他のツイートを見ても、茂木さんは大学がペーパーテストの点数「のみ」を評価基準にして大学入学者を決めることに異議を唱える立場に立っていることが分かる。実際、茂木さんは連続ツイート内で「ペーパーテストの点数だけで入試を決めているというのは、つまり、経営を真剣に考えていないということ。どんな生徒のミックスをしたら最も刺激的な学びの場になるか、ろくに考えていない」とも述べているので。


マイケル・サンデルの本に「多様性を重んじる」というハーバードの入学審査の基準が載っている。アファーマティブ・アクションが争点になったバッキ訴訟において、ハーバード大学が「アイダホの農場の少年は、ボストン出身者に出来ない何かを大学にもたらす。同様に黒人学生は、白人学生に出来ない何かをもたらす。全学生の教育的経験の質は、それぞれの学生に固有のバックグラウンドの違いや、ものの見方の違いによるところが大きい」という議論を提起したことを紹介しているのだ。茂木さんの意見は、このハーバードの議論と非常に馴染むものではないだろうか。


それに対して池田さんは「面接をしないでペーパーテストだけで選抜する日本の大学入試と公務員試験が、日本が近代化に成功した原因なのだ」、「日本のようにもともと情実のききやすい社会でペーパーテストに徹した非裁量的な入試が、日本社会の公正競争を辛うじて維持してきたのだ」と、茂木さんとは逆にペーパーテスト「のみ」で入学者の選抜を行うことの利点を述べ、最終的には「ペーパーテストに徹した非裁量的な入試さえ失われると、日本は特権階級がコネで師弟を大学に入れ、自分の会社に入れて跡継ぎにし、政治家のように世襲だらけになるだろう」と記事を締めくくっている。ペーパーテストに限らない選抜をするべきだと述べる茂木さんと、ペーパーテストに限る選抜をするべきだと述べる池田さん。どちらが正しいかは置いておいて、少なくともこの2人の議論が真っ向から噛み合うことは疑いないように思える。


その一方で、常見さんの茂木さん批判はよく分からない。より正確には、常見さんは記事を書くに当たって、過去記事にさかのぼるなどして茂木さんの主張を調べることを全然していないんじゃないかという気がする。


繰り返すが、茂木さんの主張は「大学入学者には多様性があるべき。その観点から、ペーパーテスト"のみ"で入学者が決まる入試はおかしい」というもの。それに対して、常見さんは記事の半ばで「茂木の意見にツッコミを入れておくと、茂木はもしその口頭試問の面接官だったら、どんな面接をするのか?茂木が礼賛しているペーパーテスト以外での評価、つまり面接などの重視というのは、茂木がここ数年、中途半端な正義感と思い込みから批判している新卒一括採用の面接とどう違うのだろうか(中略)人間性や創造性の評価ということを言うなら、彼が批判する企業の面接とあまり変わらないだろう」と突っ込んでいる。


常見さんのこの批判に対しては、「記事を書く前に"茂木健一郎 大学入試"でググッたら良かったですね」と突っ込みたい。こう検索すると茂木さんが「氷の浮かんだ湖にいる水鳥の足は、なぜ凍らないのか」といった非典型的な問題を長時間議論する面接を課す入試を好意的に紹介したり、「戦争を始めたのはドイツという説があるが、あなたはどう思うか」など、自分の頭で論理的かつ実証的に考える能力を問う設問を好意的に紹介したりするページがヒットするので(http://president.jp/articles/-/7169)、「人間性や創造性の評価ということを言うなら、彼が批判する企業の面接とあまり変わらないだろう」という批判はズレていると感じる。勿論、非典型的な問題を長時間議論する面接を課すことで「優秀」な入学生をゲットできるかと言うと、そこには疑問の余地があるのかもしれないけれど。


また、常見さんの「自由という名のもとで放牧され、個性を評価すれば誰でも優秀な学生になり、天才が生まれるという話にしか聞こえない。違うのだ。やっぱり最初は、基礎、型が必要なのである」という主張も、茂木さんの「アメリカのSATは、日本の感覚から言えば簡単な問題であるが、これは一つの叡智である。共通して課される問題は、普通に高校生活を送っていれば解ける範囲に制約する。その上で、どんな方向に延ばすかは、個々人の自由とする」、「共通部分のSATはあの程度にしておいて、あとはどの方向に尖るかは、自由にしてください、ということなのである」という、少し調べれば簡単に見つかる発言を見落としている(http://togetter.com/li/106318)。この茂木さんの主張は、一応「基礎」「型」の必要性を理解しているといえないだろうか。勿論、ここでも茂木さんの「SAT」に関する現状認識が間違っている可能性はあるのだが(そして、僕にその批判能力がない!笑)、ここで言いたいのは常見さんは茂木さんを批判している割には、茂木さんの主張をそんなに知らないのでは?ということだ。


本当はもっと茂木さんの意見、池田さんの意見どちらがより妥当かを判断したかったのだが、もう眠くあってきてしまった・・・。常見さんの記事に触れたのがどう考えても余計だった。これは後日また考えるとして、ここではひとまず以前このブログでも紹介したことがある倉本由香利さんの記事を紹介したい(http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/f34e4ba6878a7424f0e36991c0fe6180)。倉本さんは「今の日本の大学入試では、仕事が出来る人材、世界で通用する人材を選抜できない」という批判を踏まえたうえで、それでも「現行の日本の大学入試制度を活用して(つまり、入試制度を変革しないで)、起業家とかグローバルな人材とかを輩出することは出来るんじゃないか」と提言する。常見さんの訳が分からないツッコミよりもこの記事の内容を紹介したほうが遥かに有意義でしたね・・・。このブログは就活のみならず教育面も少々扱っていくので、この問題についてはさらに考えていきたいと思っている。

茂木健一郎さんと池田信夫さんの「日本の大学入試」に対する見解の相違が理解できたと感じてくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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就活生は「給料が良くて、休みが多くて、知名度が高い企業で働きたい!」といつまでも思っているわけじゃない。ただ「まとも」な環境で働きたいだけ

既卒者カフェ発案者の山口さんのブログに、千葉で開かれた既卒者カフェの報告記事が載っている(http://ameblo.jp/laugh11/entry-11357945725.html)。僕はあまり人のブログにコメントを残さないのだが、珍しくこの記事にはコメントをさせていただいた。それは、記事に書かれていた「ハローワークの求人で医療事務に内定した女性」の話に興味をもったからだ。


この人は7月から働き始めたのだが、人間関係や給料、トップの指示が絶対な風土に嫌気がさしたため8月に会社を辞める。しかも、給料ももらえていないらしい。そして、極めつけは「医療事務の企業は若年者トライアルをうまく使い、求職者を2ヶ月で切っては新たに人を雇用する、という行為を繰り返していた」という告発。僕はこの会には参加していないので「全ての医療事務の企業」に当てはまる話なのかは分からない。しかし、この人は「トライアル雇用助成金でハローワーク側に"お金が貰える"という説明をされて求人を出している」場合があることを実際に病院の人から聞いたらしい。


山口さんのブログを見る限りではこの医療事務の企業の話かは分からないが、トライアル助成金目当ての企業はロクなものではないらしい。例えば「残業200時間で当然のように残業代が出ない」というケースもある。このカフェの参加者が提供した情報によると「ハローワークはハズレが多い」とのこと。


こうした企業の労働環境に対しては異議を唱えなければならない。しかし、今回の記事を読んでますます憤りを覚えたのは「就活生は有名企業ばかり見ているが、中小企業に目を向ければ求人はいくらでもある」という言説だ。こういうことを言う方は、今回話題になっている医療事務の会社で働いたら何週間、いや何日もつのだろうか。大変興味深い。


これは主に、海老原嗣生さんの著書「就職、絶望期」に対する批判になるけれど、この本では就活生が「希望通りの大企業に入社したがっている」ことが前提として話が進み、それに対して「全員が希望通りの大企業に入社できるわけではない(中略)(第二新卒などでの)再チャレンジも叶わず、結局、名の知れない中小企業で人生を終える人も確かに多い。しかし、若年層に限らず、日本の中高年、もしくは欧米諸国の人だって多くの人が中小企業で働いている。それが現実なのだ。過去は良かった。外国ならもっと良い、というのは幻想だろう」と述べている。


また、海老原さんは飯田泰之さん・常見陽平さんとの対談で、京都の和菓子屋さんであんこをこねる仕事をする男性を紹介し、仕事を選ぶ際に「何かをあきらめる」ことの必要性を説いている(http://blogos.com/article/44854/?axis=&p=4)。この男性は、給料と見栄を捨てて、ワーク・ライフ・バランスと人間関係を手に入れて楽しく働いているという。こういう話が出てくることからも、海老原さんが就活生が給料・名誉などありとあらゆる要素を会社に求めているという認識を持っているのではないかと思える。だからこそ「何かを捨てたほうが良い」というケースが紹介されるわけで。


しかし、僕の認識は違う。確かに就活生は4月くらいまでは大企業の採用試験をメインに受ける、つまり「給料が良くて、休みが多くて、知名度が高い企業で働きたい!」という想いに従っていると思う。しかし、その想いはいつまでも持続しているのか。具体例が一つしかなくて恐縮だが、この度の既卒者カフェの参加者は「新卒時、資金的に厳しく、どんなに大変でも命に危険がなければ働こう」と思って入社を決めた。この参加者は会社選びに際して「何かを捨てる」どころか「殆ど全てを捨てる」という選択をしているといえる。そして、上で述べたように「残業200時間で当然のように残業代が出ない」という状況があったから会社を辞めた、つまり働き続けるための最低限の環境すらなかったから退職という道を選んだわけだ。この参加者は、会社に好条件を求めるという贅沢をしたのではなく、ただただ「まとも」な環境で働きたいという真っ当な要求のみを持っていたとはいえないか。


僕が海老原さんの著書における記述、及び対談における言動に憤りを覚えるのは、あたかも就活生がいつまでも「最高の条件の会社で働きたい!」というお花畑思考を持っているかのような論調を流通させていることだ。勿論、あくまでも僕の認識からは海老原さんの意見は違うだろうと思うだけで、もっと多くの就活生の声を聞いたら「いつまでも大手企業を狙う就活生」が多数派なのかもしれない。しかし、ずっと就活を続けていれば精神的にも金銭的にも親からのプレッシャーも厳しくなるし、そういう状況下でいつまでも大手・有名企業を狙う就活生がそんなに沢山いるのかというと僕は疑問だ。また、「11卒業務未経験無職」さんが紹介してくださったマイナビのデータでも、そもそも「絶対に大手企業がよい」は全体では5.8%に留まっている。これは調査期間が2011年12月1日~2012年2月29日なので、その後選考に落ち続けたり、金銭的に厳しくなったりすれば「絶対に大手企業がよい」と考える人の割合はさらに落ちていくのではないだろうか。このことからも、就活生が就活初期はともかく、ある程度時が経ったら中小企業には目を向けていると思うし、ゆえに「就活生は有名企業ばかり見ているが、中小企業に目を向ければ求人はいくらでもある」という言説の効果は大したものではないと感じるのである。

就活生は「給料が良くて、休みが多くて、知名度が高い企業で働きたい!」といつまでも思っているわけじゃない。ただ「まとも」な環境で働きたいだけという考え方に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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就活デモ企画者・参加者の大半が「凡人内定戦略」出版から学ぶべきこと

本日、このブログとリンクしてくださっているブログ「無能の就活」の管理人さんの著書「凡人内定戦略」が発売となります。ちなみに、既に本を読んだ石渡嶺司さんは次のような感想を述べている。正直、僕のブログの立場は「入社後に必要となる資格・能力をエントリーの要件にしてみてはどうか?」という記事で記しているように、「もう就活だけど、大学生活、何もやってこなかった…! 」と嘆く人が内定を取りにくくなるような就活を推奨しているので、「凡人内定戦略」というコンセプトとは考え方があまり合わない。しかしそれでも、この記事やtwitterで本の発売を告知しているのは、自身の問題意識を「本の出版」と言う形で表現するに至ったことに敬意を抱いているからだ。


互いにリンクを貼っているにも関わらず実はほとんど絡みは無いのだけれど(笑)、僕がtwitterで「凡人内定戦略」の出版を告知したところ、次のようなやり取りをして嬉しくなった。振り返ってみれば、このブログも、そして「無能の就活」の取り組みもかなり長期間の活動となっているのだなぁと実感した。ブログ「無能の就活」の執筆開始はこのブログより早く去年の5月(このブログは去年の9月に誕生)。僕がブログを書き始めた頃はブログ村のランキングの上位に「無能の就活」があって、「こんな面白いブログを書ける様になりたい!」と思ったことを覚えている。今では僕のブログが1位だけど(笑)、それは「無能の就活」の管理人さんが出版甲子園の準備・本の出版に力点を置き、ブログの更新が控えめになったから。普通に更新を続けられていたら、多分このブログは足元にも及ばなかったと思う。


「凡人内定戦略」の出版から分かるのは、やはり「継続が大事」という当たり前のことに尽きる。「無能の就活」を読めば文章に面白さ・指摘の鋭さが含まれていることは分かるけれど、それでも本になるまで1年半近くかかっている。それだけの期間密度の濃い準備をしてはじめて、自分の問題意識を「十分な質」を備えた形で世に届けることができる。


それに対して、継続性の無さが訴えの説得力を下げたケースが、去年行われた就活ぶっこわせデモ・カルト就活やめなはれデモだ。確かに、就活デモという行動を起こしたこと自体は単純に凄いし、意義もある。しかし、このブログのコメント欄には、就活デモには賛成するけれどもそのやり方について「どこまで本気なんだろうと感じる部分もありますし、今回の活動が一過性のファッションのように見える軽薄さも見え隠れしています」、「(注:就活デモの)ブログのデザインもマンガの背景の様なものだったりして正直、"主旨は別として活動している俺たちって格好良いんじゃん?"にしか見えないのです。先々の計画性も皆無の様ですので継続性は全く見えず期待できない様にしか見えません(中略)就活ぶっこわせデモのブログにコメントとして必要なセンテンスは書いてきたつもりなんですが、やっぱり本気ではなくファッション(カッコつけ)なんでしょうね。非常に残念です」という意見が寄せられている。


もっとも、この意見はデモ当日(11月23日)前のコメントなので「どうせ、ただのカッコつけのイベントなんでしょ?」という印象はただの偏見なのではないかとも思える。「デモを見てから言え」と就活デモ関係者が思ったとしても無理は無い。しかし結果として、去年の秋に行われた二つの就活デモはこのコメントのように「あぁ、やっぱり一過性のファッションだったんだね」と思われても仕方が無い結果に終わったと思う。どちらの団体も11月23日以降殆ど何もしていないし、何かしていたとしてもそれが外部の人に伝わっているかというと大いに疑問だからだ。実際、就活デモ後に行われた数少ない活動が国会議員を交えた院内集会だったわけだけど、そのイベントに対してついたコメントは、就活デモの告知に対してついたコメント数と比べてごくごく僅かだ。特に「就活ぶっこわせデモ」は一時期は多くの人の関心を集めたにも関わらず、活動の継続性を欠いたがために、活動に注目していた人も関心を手放してしまった。


同じ「就活デモ」でも、例えば2010年に活動をしていた「就活どうにかしろデモ実行委員会」は、デモ終了後も活動の記録を頻繁にブログを更新していて、その真剣さが伝わってきた。今年、あるいは今後も就活デモが行われるかはよく分からないけれど、もし行われるならば過去の運動から、あるいは自分の就活に対する問題意識を訴える媒体から学べるところは学ぶべきだと思う。1回声を大にして訴えたからといって何かが変わるわけでもないのは、もう自明のはずだ。本田由紀先生も就活ぶっこわせデモに対して「人々が行動して経験を積まなければ、進展もないからです」と述べていることから(http://hosyukakumei.blog.fc2.com/blog-entry-44.html)、ただ闇雲にデモを行うのではなく、過去の経験から学びそれを運動の質の向上に活かしていく必要性を説いている。そして、この度の「凡人内定戦略」出版からも学ぶべきことはある。

就活デモ企画者・参加者は過去の就活デモ、「凡人内定戦略」から継続性の重要さを学ぶべきだと感じてくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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<ライターページ>社員「今日のリクルーター面談は選考じゃないけど、面談の結果次第で次の面談に呼ばれる人と呼ばれない人に分かれます」 就活生「は?」

今回はtoyaさんからライターページへのご投稿を頂きました。本当に有難うございます。


今回の記事のテーマは「リクルーター面談」です。僕もこれまで何回か書いてきましたが、リクルーター面談に際して社員が「今日の面談は選考とは関係ない」と言うことが多々あります。しかし、toyaさんはふとした偶然から、社員が就活生をふるい落としている証拠を確認してしまったのでした・・・。最近、「就活生が暑い日でもリクルートスーツを着るのは、彼ら・彼女らが採用担当者・面接官を"ただの嘘つき"だと思っているからではないか」という記事を書きましたが、toyaさんが体験したようなケースの存在を再確認すると、やはり就活生が企業のことを信じないのも無理は無いと思いました。


ちなみにtoyaさんは会社名を書いてくださっていたのですが、一応このブログでは業界の指摘にとどめます。チキンで申し訳ありません。なお、タイトルは記事本文の内容を踏まえて僕がつけました。



企業の面接には就活生の大学OBが行うリクルーター面接というものがあります。そして「この面談は一切選考には関係ありません」という文句とともに行われることが多いです。今回はそんなリクルーター面接の体験談です。


私は今春、大手生命保険会社の選考を受けました。3月の下旬に採用担当者から電話連絡があり、「あなたの大学のOBと話す機会を設けることになりました」という事を伝えられました。


都内にある会社のビルに2回呼び出され(交通費は往復1500円程度)、どちらの面談でもOBの方から「2回目までは選考には一切関係ありません。3回目からガッツリ選考されるから気をつけてね」と言われました。形式は社員1人と学生1~3人程度の人数で、内容は志望動機や保険会社が第一志望なのかということを聞かれたり、こちらから質問したりと、いたって普通のOB訪問のようなものでした。


2回目のリクルーター面談のとき、私は社員1人と学生3人のグループになりました。志望動機や学生時代に頑張ったことなど、ありきたりの問答をしたあと、社員の方が「今回までのは選考じゃないけど、次の面談は呼ばれる人と呼ばれない人がいるから、もし呼ばれたらガッツリ選考されるからね」という風に言いました。


その時点で「え?今回までは選考されてないのに、次回呼ばれない人いるの?」という感じなのですが、その時、社員の方がメモをとっていたノートが見えてしまいました。そこには3人のESのコピーとメモ書き、それから「B・C・B」というアルファベットが書かれていました。普通に考えればこれは評価ですよね。選考はしないと言っていたのに、評価してますよね?学生も嘘つきであれば、企業も嘘つきだというのが私のスタンスだったので、特に衝撃を受けた訳ではないのですが、日本を代表する大企業が嘘満載の選考をするのかと、少し残念な気持ちになりました。


以下は完全な私見で、選考を受けた感触から感じたもので、裏付けも何もなく、非常に穿った見方をしています。「大規模な金融機関というものは潰れたら日本が傾く可能性がある」ものであり「最悪の場合は政府の救済がある」ものなので、「リスクを容易にとることができる=好き勝手ができる」のではないでしょうか。政府の後ろ盾というものを企業も就活生も分かっているので、「企業は嘘満載で採用活動ができるし、就活生は多少不平等があっても入社してしまえば安泰(だと思っている)から応募が後を絶たない」そんな循環があるのではないかと思います。


オチがなくて大変恐縮ですが、これが私の体験談のひとつです。

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就職難が起きている理由は、就活生ではなく、むしろ企業が選り好みしているからではないか

ふとアクセス解析を見ていて「大企業志向で 中小企業を受けない」と検索をかけてこのブログにたどり着いた人がいることが分かった。自分でもこのワードで検索をかけてみたところ、驚くことが2つあった。


一つは、僕が昨日リツイートした次のツイート。

なんと「11卒業務未経験無職」さんがライターページに投稿してくださった記事が、学者の本田由紀先生に取り上げられた。しかも、記事の内容に同意してくださっているところが凄い。現在は専門家・メディア共にリクルートワークスのデータを根拠に「就活生が大手企業ばかり受けている」という言説を導き出しているが、それにしても、その言説を覆すだけの理屈を提供したのが専門家でもなく、どこかのエリートでもなく、そして勿論僕でもなく、「11卒業務未経験無職」の方だったわけだ。大前研一さんは「20社受けても内定を取れない、優秀でない学生への支援のために税金を使うな」と主張していたけれど(http://news.livedoor.com/article/detail/5068028/)、考えを改めたほうが良いんじゃないだろうか。


もう一つは、BLOGOSが「根強い学生の大企業志向…どうすれば中小企業への応募は増える?」という問題設定をしていたこと。これは内閣府の「中小企業の採用意欲が旺盛であるにもかかわらず、大企業志向によって中小企業への応募が増えない」という発表を元にした問題提起。確かに就活生の大企業志向は強いのかもしれないけれど、「大企業志向が強い=いつまでも大企業"のみ"を受け続ける」ということには全くならないと思う。BLOGOSの問題設定の誤りを指摘するためには、「私自身の印象としては、中小企業でも人が殺到していることが多かったように思います。中小企業がほとんどの合同企業説明会や合同企業選考会、面接会でも参加者は多かった」という「11卒業務未経験無職」さんの声や、「まさかうちの企業にこれだけ多くの方が来るとは思っていなかった」という中小企業の採用担当者の声を一層可視化していくことが有効となる。


そして、今回の記事で僕が採用するのは別のアプローチである。それは「就職難が起きている理由は、就活生ではなく、むしろ企業が選り好みしているからではないか」という視点を導入することだ。一般的に、就活生が大手企業ばかりを受けて就職先を選り好みしているから就職戦線が厳しくなっているという見方が支配的だ。その見方が完全に間違っているとは言わないけれど、一方で企業が採用に際して選り好みしている可能性を検討することは有益だと考える。


この視点を導入するに当たって適切なケースがこちらのツイートだ。この人は「2011年3月に大学を卒業したが職を見つけれなかった者。現在も既卒として就活中」の立場にある。この人のツイートからは、学生が学生生活の終わりまであきらめず小規模な企業にも目を向けて就活をしていること、及び熱意はきちんと示していること、それにも関わらず企業は誰も採用していないことが伺える。


こうした事態は、「企業が厳選採用をしている」という言葉で説明される。実際に、株式会社ジョブウェブ・レジェンダ・コーポレーション株式会社が発表したプレスリリースでは、アンケート調査の対象となった「2013年4月入社の新卒採用活動を実施する企業の採用担当者150人」の9割が「採用予定人数」よりも「採用基準を満たしているか」を重視している事実をもって「量よりも質を重視する"厳選採用"傾向である」と評している(http://www.jobweb.co.jp/company/news/press/13080/)。そして、このような事態に対する解決策として代表的なのは、株式会社ジョブウェブの代表取締役・佐藤孝治さんが著書「<就活>廃止論」で述べているように「就活生が企業の採用基準を満たす優秀な人材になること」というものだ。


しかし一方で、企業の採用基準が無駄に高い可能性もあるのではないか、というのが僕の主張だ。例えば「就職活動報告書…ちがうか」さんが述べたケースでは企業は3月に4回生を対象に採用活動を行ったわけだが、仮にそのタイミングで「リーダーシップがあって、語学も堪能で、大学の成績も良くて、ルックスが良い人が欲しい!」と思っているとすれば、「いや、そういう人は大手企業にトップ入社したり、自分で起業したりしてますよ・・・」と返すほか無いのではないか。言葉は悪いが、学生生活が終わる間際に就活をしている人に「超優秀」な人がいるとは考え難いし(良いところが何もないというわけではなく、あくまでも「超優秀」ではないということ)、それにも関わらず企業が「超優秀」な人材を求めているとすれば、それはおかしいだろうと言わなければいけない。


現在就活の専門家がやるべきことは、「採用予定人数」よりも「採用基準を満たしているか」を重視する企業の採用基準が適正なものなのかを評価することではないか。もし、企業の求めるレベルがそれほど高いものではなく就活生の側に足りないものがあるのなら、その足りないものを埋めるためのプログラムを就活生が受けられるようにするべきだという解決策が導かれる。


しかし一方で、仮に企業の採用基準があまりにも高く設定されているようなら、その基準を引き下げることを提言するべきだ。就活生に対して「選り好みするな!」というのなら、それは企業にも当てはめてよいと思う。勿論企業はボランティアで採用活動をしているわけではないので「箸にも棒にもかからない人も採用するべきだ!」とは言わない。しかし、現在の就活生の事情に詳しい人材コンサル辺りが企業に対して「あなたが求めるレベルの人材は、もう別の会社から既に内定をもらっているケースが多いんですよ。ならば、現時点では"超優秀"とはいえないけれども磨けば光るレベルの人はいくらでもいるので、そういう人を採用しても良いのではないでしょうか」と提言しても良いのではないか。


現実には、就活生の能力が足りないケース、それとも企業が選り好みをしているケースのどちらが多いのかはよく分からない。ただ、現在は「就活生がゆとり世代で、能力が足りないから」、「就活生が大手企業ばかり見てるから」という、就活生に帰責性を求める言説が支配的だと思うので、そうした言説のみが真っ当とされる現状を打破し、もしかすると企業にも責任があるのではないか?という視点を強化していくことが必要だと思う。

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こんな面接官はバカだ~就活生が自分の努力で変えられない事柄について突っ込んでくる面接官~

前にも取り上げたことがあるが、厚生労働省は「採用のためのチェックポイント」というものを公表している。その趣旨は、就職の機会均等を確保するために、応募者の基本的人権を尊重した公正な採用選考を実施するよう企業に求めることにある。


このチェックポイント上、企業は面接で就活生に対して「家族に関すること(職業、続柄、健康、地位、学歴、収入、資産など。家族の仕事の有無・職種・勤務先などや家族構成もこれに該当する)」を聞くことを自重するよう求められている。なぜなら、これは「本人に責任のない事項」だからである。確かに人が自分の生まれる家庭を選べないことは明らかな訳で、これは真っ当なルールだと思う。


しかし現実には、前々回の記事で「あきの」さんが「C社には年齢も含めた同居家族のことを聞かれ、父の職場まで聞かれました(父は公務員ですと答えたのですが、どこに勤めているのかまで聞かれました)」とコメントされたように、企業はこのチェックポイントを完全に無視している。他にも、僕がツイッターでフォローしている方も次のようなエピソードを明かしている。あと、「面接会なのに紙を渡されて、家族構成を書かせる。他にも血液型書かされたり宗教に入会しているかを書かされたり・・・(中略)一応面接で"家族構成を問うのは紳士協定違反では?"と聞いたら"書きたくなければ結構です"と言われ」と企業名を明かした上で企業の配慮の無さを告発している人もいる。 企業名が載っているがゆえに、このブログにそのまま引用することは避けるけど・・・。それにしても、これらの事例はあくまでも氷山の一角だろうし、就活生を舐めきっている企業がたくさんあることが改めて伺える。


家族構成を聞かれることの恐ろしさは、やはり「就活生本人に責任のない事項」が原因で面接官からの評価が下がりうることにある。例えば、痴漢冤罪で父親が会社を解雇され無職の状態の時に就活生が面接を受けているとして、その際に「お父さんの職業を教えてください。え、お父さんは働いてないんですか?」とか面接官から訝しげな顔をされたら、その就活生からしたら「いや、それは自分には関係ない!」と言いたくなるだろう。ましてや、このケースにおいては「冤罪」ということで別に父親も何も悪くないし・・・。そんなことで就職が一層厳しくなるなんて、就活生からしたらやってられないだろう。しかも、どうせ面接官からの評価を得られず内定を取れない理由は「就活生本人の努力不足」に求められるのだろうし。えげつないにも程がある。


もっとも、企業のこうした行動を批判する人もいるので救いはある。例えば去年朝日新聞に掲載された、「科学的根拠ないのに…シューカツで企業が血液型質問」という記事では面接で血液型を尋ねる企業に対して「そもそも、自分の努力で変えられないことを就職の面接で聞くのはおかしい。企業側に自覚がなさすぎる(菊池誠・大阪大サイバーメディアセンター教授)」、「仕事への適応能力をみる採用の場で、職務との関連性がない血液型の情報を求めるのは不合理だ。プライバシーを侵害し、いわれのない差別にあたるおそれがある(中野麻美弁護士)」 という批判がなされた。見ての通りこれは血液型の話だけど、「自分の努力で変えられない事柄」という意味では「家族構成」と通じる話と言えるだろう。


企業が就活生に配慮に欠けた質問をするのも、①面接が密室で行われる②面接官の方が力関係が上という事情があるからだと思う。これはもう、就活生は面接官の言動をこっそりと録音しても良いかもしれない。面接官が不適切な言動をした証拠を手に入れられることに加えて、「自分の受け答えのどこが悪かったのか」を面接後に検証できるという副産物もついてくるし。今のところ、就活の論者と言われる人であっても面接官の不適切な質問について批判する人はそんなにいないので(というか、僕は誰も知らない!)、もっとこの問題を明るみにしていく必要性を感じている。

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