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就活うつ発症を予防するための策を専ら就活生の自己努力に求めるのはおかしいのではないか?

28日のポストセブンの記事「就活うつ ならないための方法となった人への接し方を医師解説」によると、近年増える若年層の精神科受診の中でも、就職活動が原因だと訴えるケースが倍増傾向だという。就職活動がうまくいかないことで精神的に強い負担を感じて抑うつ状態に陥ってしまう「就活うつ」の問題点について触れた記事となっている。


精神科医のゆうメンタルクリニックの「ゆうきゆう」院長は就活生が「就活うつ」に陥ってしまう流れをいくつか説明している。①企業の名前や条件にこだわる(しかし、そのこだわっている企業には入れない)、②なかなか内定がもらえないことで、自分が否定されたような気持ちになる、③親や周りからの何気ない言葉で強いプレッシャーを感じている・・・という、これまでも当ブログで問題視したことがある要素が挙げられている。


2010年12月の朝日新聞の「就職うつ、学生に広がる カウンセラー増員の大学も」という記事でも、前述の②の要素が取り上げられている。数十社の選考を受けてもなお内定を得られなかった学生が朝日新聞の取材に対して「"お前は社会に必要ないよ"と毎日違う誰かに言われているような感覚。同級生が次々に内定を獲得し始めた昨年5月ごろと、大学が夏休みに入る8月ごろが特に精神的にこたえた」と語っている。ポストセブンと朝日新聞の記事をもって「就活生が就活うつになる流れを理解した」と判断するのは早計だが、それでも就活うつに陥るに至る典型的なパターンというものがあるとは言えそうである。


「ゆうきゆう」院長は就活うつに陥る原因を解説した上で、「就活うつにならないようにするためにはどうしたらよいか」、「就活うつになってしまったときの対処法」、「周囲の人は、就活うつになってしまった人にどう接したらよいか」をそれぞれ説明している。これらの説明は主に就活生にとってある程度参考になるものだと思う。


ただ僕が重要だと思うのは、就活うつ発症を予防するための策を専ら就活生の自己努力に求めるのはおかしいのではないか?という視点だ。ポストセブンの記事では「精神科医」がインタビューに答えているということで、話の焦点が「就活生がいかにメンタルをコントロールして、就活うつになることを避けるか」というものに当たるのは分かる。だからポストセブンの記事を責めるつもりはないのだが、一方でポストセブンの記事に掲載されている視点のみが大事だと思ってはいけない。


例えば現状、企業の採用担当・面接官一人一人の言動が就活生を無駄に精神的に追い詰めることがあるため、もう少し言葉の選択に気を付けるべきではないか?という問題提起が大事になってくるのではないか。僕は以前「こんな面接官はバカだ~"褒め殺し面接"をした挙句に落とす面接官~」という記事を書いたことがあるが、その過去記事に関連するツイートを最近目にした。面接官の言葉をそのまま受け取れば「一番よかったなら、次の選考に進めるはずだ」と考えるのが自然ということになる。しかし、そのような言葉を言われて落とされるというケースが現実にはあるわけで、そのようなケースに直面した就活生が人間不信に、ひいては就活うつになっても全くおかしくないだろう。


しかも、面接官に「どうしても"君は今日面接した中で1番良かったよ"という言葉を就活生に投げかけないといけなかったんだ!」という事情があったとも思えない。そんな事情も無いのに就活生のメンタルを無駄に傷つける言葉を投げかけるのはどうなのか。企業の採用活動におけるこのような点などに疑問を持ち、且つ是正を求めることが就活生が就活うつに陥ることを可能な限り防止するために必要だと思う。

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常見陽平さんの文章を読む際には「不信感」を大切にしてほしい

僕は過去に海老原嗣生さんの主張を批判した記事を書いた際に、「専門家に騙されないよう意識する場合は、自分の目で一次資料に目を通すしかないということなのだと思う」と締めくくったことがある。この文章そのものに誤りは無いと思うのだが、「言うは易し、行うは難し」で、実際に一次資料に目を通して内容を確認するということを記事を書く際に毎回必ず行っているのかというと正直そんなことはない。


しかし、「海外では"仕事"がクソだと認識されているという言説は本当か」という記事についた「11卒業務未経験無職」さんのコメントを見ると、改めて一次資料をチェックすることの重要さを確認せざるを得ない。今日の記事は「"11卒業務未経験無職"さんの知的努力を拝借した」ということをここで明記した上で文章を書き進めていきたい。


問題となったのは、常見陽平さん著の「僕たちはガンダムのジムである」における記述である。まずは、次の文章をご覧いただきたい。

「データブック国際労働比較2012」(独立行政法人 労働政策研究・研修機構)によると、日本の平均年間総実労働時間は1980年ごろから2010年まで着実に減少していて、2010年には1733時間となっている。


ほとんどの欧米諸国も減少か横ばい傾向になっている。2010年のデータで比較すると、アメリカとイタリアがちょうど1778時間、イギリスが1647時間、フランスが1462時間、ドイツが1418時間だ(なお、このデータは各国によりデータ源が違うことをお含みおき頂きたい)。このデータだけで言うと、フランスやドイツとは大きな差があるものの、日本だけが突出しているわけではない。日本だけが「働きすぎ」という訳ではないのである(p.34-35)

見ての通り、「データブック国際労働比較2012」を根拠に据えて各国の平均年間総実労働時間を比較する記述となっている。当初この文章を読んだ際に思ったのは「"なお、このデータは各国によりデータ源が違うことをお含みおき頂きたい"という記述があることから必ずしもこの比較の結果を鵜呑みにすることはできないけれども、それでもある程度参考にするのは問題ないだろう」ということだった。なお、読書後に元データである「データブック国際労働比較2012」に目を通したのかというと、正直に言うとチェックしていなかった。


ここで「11卒業務未経験無職」さんのコメントが大きな意味を持つ。一次資料をチェックしなかった僕の常見さんの文章に対する評価がいかにズレたものだったのかが分かるはずだ。

データブック国際労働比較2012(http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2012/ch6.html)ですがこれの第6-1表にデータは一国の時系列比較のために作成されており, データ源の違いから特定年の平均年間労働時間水準の各国間比較には適さない。フルタイム労働者, パートタイム労働者を含む。国によって母集団等データの取り方に差異があることに留意なんて書いてありますし。

第6-1表のpdfファイルにはこちらからアクセスしていただきたい(http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2012/06/p189-190_t6-1.pdf)。確かにこのpdfファイルの1ページ目の下部に「11卒業務未経験無職」さんが指摘したことが書かれている。


いや・・・。「僕たちはガンダムのジムである」を読んだ時には、まさか平均年間総実労働時間の国際比較のくだりに関して元データに「データ源の違いから特定年の平均年間労働時間水準の各国間比較には適さない」という文言があるとは思ってもいなかった。このような注意書きがあるにも関わらず、上で示したように「僕たちはガンダムのジムである」では各国間比較には適さないはずの「データブック国際労働比較2012」の数値が根拠となって「特定年の平均年間労働時間水準の各国間比較」がなされているわけで、一体常見さんは何を考えているのか?と思わずにはいられない。この注意書きの存在を踏まえると、国際比較をするのにマシな別のデータを元に考察を行うか、若しくはそもそも国際比較をあきらめるかのどちらかを選択すべきだろう。


加えて細かいことを言えば、本ではフランスの一人当たり平均年間総実労働時間が1462時間と書かれているけれど、第6-1表のpdfファイルには1562時間となっている。またドイツの数値も本では1418時間となっているけれど、pdfファイルには1419時間となっている。ケアレスミスと言ってしまえばそれまでだけど、これも「本の記述を鵜呑みにしていたら間違った事実を頭に入れてしまっていた」という一つの例だと言えるわけで、そういう意味でもやはり元データに目を通す必要性を感じる。 


僕は過去に「<ネタ>"意識高い系"という病という本の記述が"いちゃもん"のオンパレードだった件」という記事で常見さんの文章を「根拠に欠ける」と批判したことがある。この時点で常見さんの文章を信用してはいけないということを個人的に思っていたのだが、加えて今回の記事では、常見さんの文章には「一見根拠が備わっていても、それが根拠として不適切」という弱点がある場合が存在するということが浮き彫りになった訳で、常見さんの文章への不信感はますます強まっている。本を購入するなどして常見さんの文章に目を通す場合は、どうか記述の内容をとことん疑ってかかってほしい。

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「海外では"仕事"がクソだと認識されている」という言説は本当か

過去記事「海外ニートさんの"仕事なんてクソだろ?job is shit!"という言葉を忘れないでいたい」に、「クリエイター系就活生」さんから次のようなコメントを頂いた。

どこかで聞いたことがありますが、日本は昔から会社が第二の実家のようになり、同僚は家族のようになると。海外では概ね仕事は賃金を得るために耐えるべき条件でしかないと。なので定年退職時の様相は国の内外とでだいぶ異なるということ。海外では仕事から解放されることを全力で喜ぶのだとか

これは、過去記事本文にもある海外ニートさんの「海外では仕事そのものはクソだって認識する事から始まってると思う。仕事はクソだ。それはしょうがない。じゃあ、どうすればそのクソと少しでも快適に付き合って行けるのか?って感じ」という文章と通じるところがある見解だ。この海外ニートさんの見解を受けて、これまで僕自身も海外の仕事観について「クリエイター系就活生」さんと同様の印象を抱いていた。


ただ最近古市憲寿さんの著書「僕たちの前途」を読んでみたところ、上記の見解と違った事実が指摘されていることが分かった。端的にいえば、日本人は仕事が大嫌いなのに対して、海外では仕事をそれなりに大切にしているということが本に書かれている。


古市さんが参照したのは、2005年に実施された「世界価値観調査(world value survey)」という社会調査。それによると、「余暇が減っても、常に仕事を第一に考えるべきだ」という考えに対して賛成の日本人が20.3%に留まったのに対して、ドイツでは62.4%、中国では55.8%、イタリアで47%の人が賛成と答えたという。古市さんによれば、調査結果が確認できる47か国の内、日本の数値は最下位だったそうだ。これを踏まえると、前述の「クリエイター系就活生」さんの「海外では仕事から解放されることを全力で喜ぶのだとか」という認識はちょっと疑わしくなる。


また古市さんは、この「世界価値観調査」を参照して、「働かないでお金をもらうことは恥ずかしい」と考える日本人の割合が国際的に見ても少ないということ(つまり、海外では「働かないでお金をもらうことは恥ずかしい」と感じる人の割合が日本と比較して多いということ)、「仕事は社会に対する責務」と答える日本人の割合がスペインやイタリアよりも低かったことを指摘している。特に「仕事は社会に対する責務」のくだりを見ると、「クリエイター系就活生」さんの「海外では概ね仕事は賃金を得るために耐えるべき条件でしかないと」という認識の妥当性に疑問が残る。


もっと言えば、海外ニートさんの見解も本当に正しかったのか、そこにも疑問が残る。考えてみれば、彼は統計を根拠に据えて文章を書いていたのではなく、あくまでも彼自身の海外での生活体験に基づいて海外の仕事観を記していたに過ぎない。即ち、海外ニートさんの周囲に「仕事はクソだ。だから、そのクソとどうしたら少しでも快適に付き合っていけるかを考えよう」と考える人が多かったとしても、それが国全体の傾向を指しているのかどうかについては少し考えてみる必要がある。


正直、今回取り上げた「世界価値観調査」の数値をどこまで信用してよいかは定かではないので、可能ならば各国の意識調査に目を通すのが良いのかもしれない。いくら日本の労働環境に疑問の声を投げかけるためと言えども、あんまり適当な言説で海外の仕事観を崇め、且つ日本の仕事観を貶めるのは良くないと思う。ここで一度、海外ニートさんの言説を見直してみたい。

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国家一般職試験に「人事院面接」は必要なのか?

「就活開始時期の繰り下げ」というと民間企業の採用活動のあり方の変更を思い浮かべる人が多いと思う。しかし、20日の時事通信の記事「"官庁訪問"8月以降に=公務員採用、地方に影響も―政府」を読むと、国家公務員採用試験についても選考時期が繰り下げになる方針であることが分かる。具体的には、各府省が面接を行う「官庁訪問」の開始時期を現行の6月下旬から8月以降に繰り下げる方向で検討に入っているらしい。


これまでこのブログで公務員試験の選考のおかしさを指摘したことは恐らく一度もないと思う。ただ、前述の時事通信の記事を受けて現状の国家公務員試験の流れを調べてみたところ、ある違和感を覚えた。それは「国家一般職試験に"人事院面接"というものは必要なのか?」という疑問だ。 


前提として、国家一般職試験の流れを簡単に書きたい。まず、1次試験として全受験者が筆記試験を受ける。そして1次試験の合格者は2次試験として「人事院面接」というものを、そして人事院面接と並行して「官庁訪問」という各府省が実施する面接を受ける。公務員として働くためには①人事院面接を通過し、ひいては試験に最終合格すること②官庁訪問をして、志望の府省から内定をとることの2点を満たす必要がある。ちょうど今の時期に、人事院面接や官庁訪問が行われている。


ここで問題になると思われるのが、官庁訪問で内定をもらっていながら人事院面接で不合格になった場合である。ソースが2chになってしまいますが(笑)、例えば「もし内々定もらえて喜んでも人事院面接で落ちればこの努力はチャラって考えるとこわい」、「行きたい官庁訪問する以上準備してくのは当たり前だけど内々定もらっても人事院面接落ちたら終わりとか実質官庁訪問で決まってるなら採用面接の意味がないとかそういうとこが分かり辛いって言いたかったのね」という受験生の声が見られる(http://desktop2ch.tv/govexam/1342163063/)。現行の採用試験のシステムは、受験生に無駄な負担を強いるものとなっているのかもしれない。


認識が正しいか分からないが、ある受験生「Aさん」がいたとする。そして「Aさん」は官庁訪問を通じて「B庁」で働きたいと考えるようになり、且つ「B庁」の職員も「Aさん」と一緒に働くことを望むという相思相愛状態が発生していたとする。それならば、もう「Aさん」が「B庁」で働けるようにすれば良いと考えるのが自然だと思うが、ここでもし「Aさん」が人事院面接で評価されずに国家公務員試験に最終合格できなかった場合、「Aさん」と「B庁」の意思は合致しているにも関わらず「Aさん」は「B庁」で働けなくなる。これはおかしくないか。


僕は、①人事院面接を無くして、官庁訪問で内定を取れればその府庁で働けるようにする②国家総合職試験のように官庁訪問前に一律に人物試験を行い、試験の最終合格者のみが官庁訪問をできるようにする(http://www.jinji.go.jp/saiyo/shiken11_2.pdfhttp://www.jinji.go.jp/saiyo/25_sougou_kantyouhoumon.pdf)という2つの内のどちらかの案を採用し、現行の採用試験を改めた方が良いのではないかと考えている。正直今回の記事は、そもそも僕が公務員試験の現状を正確に認識できているかどうかに自信が無いので(笑)不正確なところもあるかもしれない。ただ、もし「受験生に無駄、且つ過度な負担を強いる」要素が現行の試験において見られるならば、その要素を是正する姿勢が必要だと思っている。

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新卒一括採用を廃止することで「大手企業を中心に応募して、延々と就職活動を続ける人」がそんなに続出するのか?

新卒一括採用の是非について勉強をしたことがある人は、新卒一括採用という慣行を廃止することで生じるとされる次のような問題点を目にしたり、耳にしたりしたことがあるかもしれない。それは「就活生がいつまでも"大手企業に就職したい"という高望みをしてしまう」という問題だ。


例えば常見陽平さんは、去年の11月に産経新聞に掲載された「"新卒一括採用"不平等で見直すべき?」という記事にて、「新卒一括採用を廃止するとどうなるのか」という問いに対して「現在の状況で新卒一括採用をやめれば、既卒者と新卒者が競合することになり、競争が激化するだろう。既卒も含めた通年採用が一般的になると、高望みなどをして延々と就職活動を続けるスパイラルに陥る人も多く出る」と答えている。また、海老原嗣生さんは著書「雇用の常識 決着版」において「(卒業後3年以内の人の応募を受け付けても)多くの人は救われない。厳しいようだが、名も知れぬ無名校の学生に"3年もチャンスがある"と誤解させる、おためごがしの典型ではないか」、「いつまでも大手企業の採用が続けば、大手志向が冷めやらず、学生が中小企業に目を向ける機会が減る」と論じている。


これらの意見を感覚的に正しいと感じる人も中にはいるかもしれない。しかし、いくらこれらの意見が常見さん・海老原さんという一応「プロ」の人から発せられているとはいえ、その意見に特に根拠が備わっていないことには注意が必要である。そして個人的には、この意見には疑わしいポイントがあると思っている。


常見さん自身論じているように、日本経団連「新卒採用(2012 年 4 月入社対象)に関するアンケート」などを参照すると、現在は多くの企業が既卒者からの応募を一応受け付けているということになっている(http://www.s-shiori.com/con3/archives/2013/07/avex.html)。即ち、例えば「卒業後3年以内の人からの応募を受け付ける動きが起きたことを受けて、大手企業に既卒者からの応募が殺到している」といった事情があれば上述の常見さん・海老原さんの意見は正しいということが推測できるし、逆にそうでなければ彼らの意見は疑わしいということになる。要は、現在は常見さん・海老原さんの意見の妥当性を検証することができる環境が整ってきているということ。そして僕個人の検証によれば、彼らの意見には2つおかしい点があると思っている。


第一に、常見さん自身が「avexの"志"一括採用で考えた、既卒者の採用の現状」という記事で「既卒者に門を開いている企業はいまや結構な割合であるのですが、そもそも応募がないという声を聞くのです。既卒者に大胆に門を開いたことで話題になった企業の人事部長にヒアリングしたのですが、思ったほど応募がなかった」と問題視していることだ。「既卒者に大胆に門を開いたことで話題になった企業」というと「話題になった」という要素からそれなりに大手・有名企業であると推測できるが、そのような企業でも既卒者からの応募が少ないとされている。そうなると、常見さんが言う「高望みなどをして延々と就職活動を続けるスパイラルに陥る人」なんて実はそれほどいないんじゃないか?という疑問が浮かぶのだ。


これを受けて第二に、そもそも常見さん・海老原さんが想定する「大手企業を中心に応募して、延々と就職活動を続ける人」の発生可能性に疑問が湧く。海老原さんは「無名校の学生に"3年もチャンスがある"と誤解させる」と述べているけれど、これはかなり安易な推測だと思っているのだ。大手企業に絞って長期間就活をする人には①「すぐに就職が決まらなくても問題がない」という金銭的に恵まれている人②選考に落とされ続けても、倍率が高い大手企業に応募し続ける精神力③親からの理解・・・など様々な要素が備わっていなければならないはずで、そんな要素を兼ね備えた人が一体どのくらいいるんだ?という点を疑わずにはいられない。どれか一つだけをそなえている人ならそれなりにいるだろうけれど、複数の要素をそなえている人はそれほど多くないのではないかと思うのだ。


このように常見さん・海老原さんの意見には批判をする余地が大いにあると思われる。また、特に現在就活中の人なんかは自分や周囲の行動を参考に、僕が触れたポイント以外で常見さん・海老原さんの意見にツッコミを入れていくことが容易にできるかもしれない。これまでもこのブログで度々書いてきたけれど、専門家と言われる人の見解であっても「おかしい」と思えるポイントが散見されるので、そのような点に注意を払うことが必要だ。

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問題の解決策を「教育」に求めすぎることには注意が必要

「"卒業後就活"こそ"学生の学業の時間を確保する"ための最善の策ではないか」という記事に、enueさんが次のようなコメントを寄せてくださっている。

「社会の仕組みをどのくらいわかっているか(イメージできているか)」については、むしろ現在の「就活を始めるまで全然わかってない」という状態が異常で、普通に義務教育の社会科(一部は家庭科でもいいかも)で学んでいるべきだと思います。現在の状態は、一人暮らしをしたらちょっとわかって(生活に最低限必要なものを自分で調達したら社会のことが少しはわかります)、就活をしたらもうちょっとわかって、就職をして1~2年たったらだいたい全体像がつかめてくる…という感じで、義務教育の社会科が役に立たなすぎです。政治や近現代史の話になると、個人の信条やクレームの危険性もありますから難しいのはわかりますが、一人暮らしや実家からの独立の仕方・様々な仕事の紹介とそのための準備の仕方(公務員・会社員(技術系・事務系)・資格職・アルバイト・起業について)・会社の仕組み・税金・年金・健康保険の話くらいはできるだろうと思うのです。

見ての通り、義務教育の中身に疑問を投げかける意見だ。僕も過去に「就活生の質の低さを嘆く前に、教育を見直せ」という記事で同じようなことを述べたことがあるので、enueさんの問題提起には共感できる。


また、一昨年に行われた「タダの学生がびびりながらする! カルト就活やめなはれデモ」でも、「小学校から高校までの教育において、具体的な将来設計を考えさせる機会がほとんどありません。家庭環境などによる個人差は大きいと思われますが、具体的に労働について考えたり、将来を想像する機会に恵まれていません。全体の傾向として閉鎖的で"この世の中に出て生きていくのだ"という実感を持たずに学校生活を送っていることが多いと考えられます」と既存の教育機関に対する問題提起がなされている。このように、就活問題を語るに際して「教育の中身」に触れ、その改善を求めるアプローチは決して珍しくない。


その他、就活問題や労働問題の存在に関連してposseや本田由紀先生は「労働法教育」の重要性を説いており、その趣旨は「劣悪な労働環境から自分を守るための策」を知っておくことにある。ここでも問題の解決策として「教育」が掲げられている。


ここまでで挙げた問題提起が間違っているのかというとそんなことはない。明らかに「教育」は重要のはずだ。しかし、問題の解決策を過度に「教育」に求めることには弊害もある・・・ということが最近読んだ「教育問題はなぜ間違って語られるのか?」という本に書かれていて考えさせられた。まず、この本ではドイツの教育学者、W・ブレツィンカの「教育」に対する見解が紹介されている。

良いことや悪いことを促進したりする場合、常に「教育」に呼び声がかかる。平和のためになにかしたいと思う人は「平和教育」を求め、健康状態をより良くしようとする人は「健康教育」を求め、環境を守りよりよくしたい人は「環境教育」を、交通事故の件数を減らしたいと思う人は「交通安全教育」を実施し、無思慮な浪費を阻もうとする人は「消費者教育」の重要性を訴える。また、我々は「労働教育」と「余暇教育」、「性教育」と「死への教育」に関して書かれたものを目にする。教育によって少なくとも理論的にはあらゆることがなしうると思われており、「教育」はどのような人にも必要と思われている。

これを踏まえて、本の著者の広田照幸さんは「教育」に過度に期待することの問題点を次のように述べている。

「あれも教えろ」、「これもやれ」と周りから言われ、現実の学校が過密なメニューになって悲鳴を上げてしまう、ということです。限られた授業時間の枠の中に、いろいろなものが詰め込まれたカリキュラムが出来上がってしまいます。先生も大変ですが、子供たちも大変です。「○○教育」を提唱する人の夢想とは大きく異なり、実際には中途半端で浅いものになりがちです。

教育の問題点を指摘し、その改善を求める問題提起には「授業時間が限られている」という視点が欠けている場合があるかもしれないと感じている。冒頭で取り上げたenueさんの立場は「既存の社会科教育には無駄な部分が大いにあり、その無駄を削った分を本来必要な教育に充てる」というものだと僕は勝手に想像しているが(笑)、それでも仮にenueさんの提案を全て受け入れた場合、広田さんが指摘するようにカリキュラムが過密になるという危険が発生しかねないとも思う。


勿論「カリキュラムが過密になる」というデメリットを踏まえてもなお「~を教育するのは大事だから、義務教育の段階で教えるべきだ」という考えもあり得る。大事なのは、漠然と「教育が問題だ」・「~な教育をするべきだ」という意見を述べるだけでは殆ど何も言っていないに等しいということ(つまり、僕はこれまで「教育問題」に関して殆ど中身あることを言っていなかったということかも・・・笑)。例えば「既存の~な教育よりも~な教育を重視するべきではないか」という、優先順位を意識した問題提起をすると意見の実効性がより高まるかもしれない。

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「卒業後に就活」が当たり前になる社会にしていくべきだ

だいぶ前にコメント欄で、三菱電機の採用ホームページに載っている「"10月新卒入社制度"を利用して入社した人の声」を紹介していただいたことがある。その声の主はアメリカに留学したり卒業研究の関係もあったりで、2011年6月という、あまり一般的とはいえない時期に大学を卒業したという。就活は2012年3月卒予定の学生と同じタイミングで行ったらしいのだが、その際に「自分が新卒扱いされるのか」という点に不安を抱えていたそうだ(http://www.mitsubishielectric.co.jp/saiyo/graduates/recruit/info/oct_employ/interview_04/index.html)。 


結果として、この方は卒業後の7月に三菱電機に応募し、そこから内定をもらい働いている。つまり、少なくとも三菱電機の選考においては「既卒者」であることが不利にならなかったということだ。これは素晴らしいことだし、このようなケースが増えることで既卒者が「自分は就活で不利な立場なのではないか?」という不安を抱えなくて済むような社会になると良いと思っている。


多くのコメントが寄せられた「"卒業後就活"こそ"学生の学業の時間を確保する"ための最善の策ではないか」には、「の」さんの「現状でもリスクを取って卒後就活する人はいるからね」というコメントが見られる。文言そのままだが、これは卒業後就活に何かしらのリスクがあることを前提とした意見と言える。ここでいう「リスク」とは、例えば「既卒になることで、在学中の学生と比べて"年齢"という観点から不利に扱われる」、「企業から"普通は在学中に就活をするのに、この人は既卒で就活をしている。もしかすると、この人は在学中に内定をもらえなかったから既卒として就活をしているのではないか?"という先入観をもたれる可能性がある」などが考えられる。


これは現状分析としては間違っていないのかもしれないが、一方でたかだが「卒業後に就活をする」という選択をしただけでなぜリスクを背負わされなければいけないのか?という疑問もわく。このようなリスクの存在は学生の選択肢を狭めるというだけでなく、在学中の就活生に対して「内定をもらえずに卒業するのはまずい」という恐怖心を植え付ける点でも問題である。


このことから、前述の「"卒業後就活"こそ"学生の学業の時間を確保する"ための最善の策ではないか」についた「パク」さんの「卒業見込みの状態では採用しない・させない、としてくれれば良いのに」という意見のレベルまでとはいかないが、少なくとも卒業後に就活をするという選択肢がある程度「当たり前」になることは必要だと思う。そのために、就活生・企業双方がそれぞれ行動をしなければならない。


まず就活生には「既卒として就活をする」という選択を積極的にとることが求められる。その上で「既卒で就活=ダメ人間」というレッテルのバカらしさを証明することが必要となる。「秋庭洋"既卒、フリーター、第二新卒の大逆転内定獲得術 それでも就職したいあなたに"(http://d.hatena.ne.jp/incubator/20080211/book1359)」という超濃密な既卒での就活体験記を記したインキュベさんという方も、以前当ブログのコメント欄で「個人レベルでは、自分自身への既卒というレッテルを企業に覆させることだけを最優先に考えるべきだと思います。そしてそうした一人ひとりの既卒者の活動の積み重ねが、やがては制度や雰囲気の打破にも繋がると私は信じます」という意見を述べてくださった(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-123.html)。インキュベさんの意見に従えば、確かに企業の既卒者への偏見は緩和され、それが企業が既卒者を受け入れる姿勢を活発化させそうである。


ただそうはいっても、これまで企業は新卒一括採用をしてきた、換言すれば既卒を門前払いしてきた事実を積み重ねてきたわけで(上述の「インキュベ」さんも、自身の就活時に専ら「既卒」であることを理由に門前払いされた経験を持つ)、そのような状況下で就活生のみに意識・行動の変化を求めることは酷であることも間違いない。そこで、企業にも①既卒者の応募も受け付ける②既卒で採用された人の声を採用ホームページにアップするという行動が求められると思う。


①の取り組みはそれなりに多くの企業で行われていると思うが、最近ではエイベックスが「"志"一括採用」というものを始め、採用ホームページにて「エイベックスは新卒一括採用をやめました」と明言している(http://recruit.avex.co.jp/new.recruit/concept/)。このように明言することで、就活生が「企業は既卒の応募を受け付けているけれど、本当は採用する気ないんじゃないか?」という疑念を抱きにくくなると思う。②の取り組みは、この記事の最初に述べたように三菱電機が行っており、その取り組みがもっと多く広まれば良いと思っているし、僕が知らないだけで既に多くの企業が実施していることを望んでいる。②の取り組みが広まることで「"既卒で就活をする"ということも全然おかしくないんだ」という意識が就活生に浸透すれば良い。


就活生と企業。どちらかだけではなく双方がそれぞれ意識・行動を変えることで、「パク」さんの言う「卒業後に個々人ばらばらと就職活動を始められるのが、理想です。 自分はもうシュウカツ終わったけど、せめて数十年後、自分の子供が就活を始める頃までには、そういう世の中になって欲しいものです」という願いが実現するのではないかと思う。僕も「パク」さんの願いに共感する。

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企業が既卒者を敬遠しているのか。それとも、大学生が勝手に「既卒者」になることを恐れているのか

「新卒一括採用」に向けられる批判として「"新卒"にこだわる企業の姿勢はおかしい」というものを思い浮かべる人は多くいるだろう。例えば茂木健一郎さんは、2010年の夏に「なぜ、卒業した後、世界各地でボランティア活動をしたり、プログラミングの自習をしたりといった"ギャップ・イヤー"を経験した人材を採らないのか。なぜ、"履歴書に穴がある"などというくだらないことを問題にするのか」という主張をもって新卒一括採用を批判している(http://blog.tatsuru.com/2010/08/06_1028.php)。


このように、新卒一括採用批判に際しては「企業の器の小ささ」という問題点がセットで語られることがある。そして、その「企業の器の小ささ」によって学生の選択肢が狭められているという「企業=加害者、学生=被害者」という構図が定立される。ここでいう「学生の選択肢が狭められている」というケースの例としては、上の茂木さんの発言を参照すれば「"在学中に就活をせず、卒業後に課外活動をする"という選択肢が奪われる」というものが挙げられると思う。


ところが、今年の3月に行われた茂木健一郎さんと常見陽平さんの対談「日本の大学教育はこれでいいのか?茂木・常見のデスマッチ」では、常見さんが上記の構図とはまた違う見方を示していた。対談の動画が消えてしまったので正直うろ覚えなのだが、確か常見さんは「企業は(卒業後に課外活動をしていた)変わり者が大好き。しかし、そのような人が応募してこないという問題がある」というようなことを言っていたのだ。「うろ覚えで人の発言を語るなよ」という批判をされても仕方がない文章になってしまったが、常見さんの著書「意識高い系という病」には次のような文章が見られるので多分記憶違いではないと思っている(笑)

日本企業は、大手も中小も形式上は既卒者に門を開いている。例えば、経団連が行った「新卒採用(2012年4月入社対象)に関するアンケート結果」によると、69.8%の企業が既卒者に対する応募受付を実施している。実際に採用されるか、応募があるかは別だが門戸は開いているのだ。まぁ、鶏卵論だが、この手の人(※卒業した後、世界各地でボランティア活動をしたり、プログラミングの自習をしたりといった"ギャップ・イヤー"を経験した人材)はそもそも就職市場に出てこないので、応募してこない

常見さんの発言・文章を見ると、企業は既卒者を受け入れる気満々だけれど、肝心の就活生が「既卒」として就活をしないという構図の存在が伺える。これは冒頭に述べた「企業が既卒者を受け入れず、その結果就活生の選択肢が狭まる」という構図と真逆のものといえる。


前回の記事に対して「卒業後に個々人ばらばらと就職活動を始められるのが、理想」、「理系としては卒業後就活に大賛成です」という、卒業後に就活を始める流れに賛同するコメントを頂いた。ただ常見さんのスタンスに従えば、別に現在でもやろうと思えば卒業後に就活を始めることは可能ということになる。そして、この見方が荒唐無稽なのかというとそこまでは言えないと思う。常見さんが述べたことに加えて、別に「大学生は在学中に就活をしなければならない」という法律が存在するわけではないのだから。このことから、「卒業後に就活をする」という選択肢自体は一応存在すると言ってよいのではないかとも思われる。


しかし僕個人は、常見さんの意見には怪しさも大いにあると思っている。例えば「企業は(卒業後に課外活動をしていた)変わり者が大好き」という趣旨の発言を耳にしたときは「じゃあ、なんで企業は新卒一括採用をやってたんだ?」という疑問が浮かんだことを覚えている。あるいは「既卒者の応募を受け付けている」といっても、それがただの建前である可能性も否定できないとも思う。常見さんの文章を読むと、どうも問題の所在が企業の振る舞いから就活生の振る舞いにすり替えられている気がして気持ちが悪い。在学中・既卒問わず各就活生が常見さんが掲げる論理に対してどう思うかが興味深い。同意するのか、それとも「どう考えても企業は既卒より在学中の学生を好んでますよ!だから事実上、在学中に就活をするという選択をせざるを得ないです」と思うのか・・・。

企業が既卒者を敬遠しているのか。それとも、大学生が勝手に「既卒者」になることを恐れているのかという疑問に興味を持ってくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします
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「卒業後就活」こそ「学生の学業の時間を確保する」ための最善の策ではないか

今月8日に、経団連が採用ルールの変更を決定したというニュースが報じられた。変更の一番の目玉は、会社説明会などの解禁時期を大学3年生の3月に、選考開始を4年生の8月にするというものだろう。この変更は、安倍首相からの就職活動繰り下げ要請を受けてなされたもので、その趣旨は「学業の時間を確保する」ことにある。


過去記事で取り上げたこともあるレジェンダ・コーポレーションの調査でも、4年の春での就活開始を好意的に捉える声がいくつか見られる(http://www.leggenda.co.jp/knowledge/knowhow/comment/pdf/voice-01_01.pdf)。その中でも、「3年次は1、2年次とほぼ変わらない履修数なので、すべての企業が4年次開始になれば、学業への影響を減らすことができると思います」という声が参考になる。これは大学ごとに異なるだろうけれど、4年生に入ってもなお1~3年と同じ履修数であるというケースは少ないと思われるし、そのような状況下であれば就活と学業の両立が比較的容易になるということだろう。もっとも、単位を落としまくって4年生になっても未だ取得しなければいけない単位がたくさんあるという人には「ご愁傷様です」としか言いようがない(笑)


上述の声は理屈としてもっともだと思うし、僕も「大学3年12月スタート」よりは「大学3年3月スタート」の方がマシだと考えている。ただ10日の日経新聞で取り上げられた、就職情報サービスの日経HRが大学生・教職員を対象に行った意識調査の結果を見ると、この度の変更について学生と教職員の間で評価が分かれている。教職員の6割が賛成した一方で大学生の7割が反対したとのことだ。


なぜ大学生はこの度の就活時期の繰り下げに反対したのか。もしかすると反対の学生の中には「夏休みに旅行に行けなくなる」という考えを持つ人もいるかもしれないが、日経HRの調査では「活動時期が遅れるとプレッシャーが強まり、余計に学業に集中できなくなる」、「理系の学生は高学年になるほど研究で忙しくなり、学業と就活の両立が難しくなる」という懸念が示されている。即ち「学業の時間を確保する」という趣旨でなされた就活時期の繰り下げが、逆に学業の妨げになるという結果をもたらす可能性があるということである。


理系の学生の懸念はもっともだし、あるいは文系でも「卒論に一生懸命取り組みたい」という人は、この度の就活時期の引き下げを歓迎できないかもしれない。実際、こちらのまとめでも「うーん。卒論とか忙しそう」という声が見られる(http://matome.naver.jp/odai/2137328799910954801)。


これらのような懸念を見ると「学業の時間を確保する」という趣旨を一番果たせるのは「卒業後に就活」という策なのではないかと思う。実際、上述のレジェンダ・コーポレーションの調査でも「大学とは本来学問の探求を目的とする場であるはずなのに、就職活動のせいで、就活予備校化している。よりよい卒業論文作成のため、企業の選考活動は全て卒業後にしてほしい」、「本来的に大学なら四年間、短期大学なら二年間、修士課程なら二年間、きっちりと勉学の時間を確保すべきであろう。就職活動は卒業後に開始という形でよいと思う」という声が見られる。


確かに、在学中の中途半端な時期に就活がスタートとなると「学業が忙しいし、そもそも今は専門分野を本格的に学び始めた段階なのに、そんな僕らを採用しようとしてどうするの?それなら、大卒見込みの人に限らず高卒の人を採用すれば良いんじゃないの?」という疑問が浮かぶ。これまでブログでも何度も取り上げてきたけれど、社会における大学の位置づけがどうも中途半端で、そこに違和感を覚えるという人は少なくないのではないか。僕としては「学業の時間を確保する(確保することをもって、大学の意義をもはっきりさせる)」、「"在学中に内定をとらなければ"という価値観を打破する」ことを図りたいことから、卒業後の就活というルートが活発化すれば良いと思っている。

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脱社畜ブログに続いて脱社畜を考える人が読むべき「ニートの歩き方」

ついこの間、phaさん著の「ニートの歩き方」を読み終えた。この本の帯には、人気ブロガー「ちきりん」の「働かないことに罪悪感を持つ時代はもう終わり。必要最小限だけ働いて、あとは気ままに生きていこう。そんな気になれる本だと思います」という文章が載っていて、実際そういう本であった。


本を読んでいて感じたことの一つは「脱社畜ブログに書いてあったことと内容が似ている点が多いな」ということだった。もっとも、「ニートの歩き方」の発売の方が「脱社畜ブログ」の開設より先なので、本来は脱社畜ブログに対して「これ、ニートの歩き方に書いてあることと一緒じゃないか」と感じるべきである。例えば両者の「やる気」についての見解を見比べてみると・・・

・寝たい時は寝たいだけ寝れば良いし、だらだらしたい時は何もせずひたすらだらだらしていればよいと思う。やる気がしない時にも無理して頑張って何かをしようとする人がいるけれど、そういう時は素直に休めば良いんじゃないかな(中略)それに、放っておいたら大体の場合、人間は自然に何かをしようとするものだ。特にやることがなく時間も体力も気力も余っていて余裕があれば、大抵の人間は自然に何かをしたくなってくる。だから人間は無限に怠惰でいられない。そういった、自分の中から湧いてくる自発的な行動こそが本来人間がするべきことだし、つらいのを我慢して無理に何かをする必要はないのだ(中略)もし自然に何もしたくならない時は、精神のバランスを崩していたり肉体が疲れていたりするときなので、そういうときは可能な限り何もせずに休んでいればいい。(ニートの歩き方 p.141-142)

・やる気が出ない時に一番してはいけないことは、無理にやる気を出そうとすることだ。やる気を出そう出そうと焦ってしまうと、やる気が出ない自分が許せなくてますますやる気が出なくなったりする。これは、眠れない夜に無理に眠ろうとして、逆にどんどん眠れなくなってしまうのに似ているような気がする。やる気は、放っておけば勝手に戻ってくるものだと思って、やる気がない時はダラダラ過ごせばいい(中略)ずっとやる気がある状態が続くわけがないのと同様に、ずっとやる気が無い状態が続くということも普通はない。特にやる気を出すために名言を読んだり映画を見たりしなくても、やる気は時間がたてばそのうち戻ってくる。そう信じて、やる気がなくなったらノンビリと過ごしていればいい。やる気がなくなる、というのはもしかしたら自分の体から出る「休め」というサインなのかもしれない(脱社畜ブログ「やる気が出ない時に一番してはいけないこと(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/06/15/154041)」)

主張内容も、主張を支える理屈も似通っていて「あなたたちは双子なんですか?」と言いたくなるくらいだ。これ以外にも主張内容が似ているところはいくつかあり、両者の問題意識は本当に共通しているのだなと感じた。即ち、「脱社畜ブログ」を心地よく読める人ならこの本を読んでハズレということはまず考えられない。
 

加えて、やはり有料だけあって「ニートの歩き方」には無料で読める「脱社畜ブログ」には欠けている長所が備わっている。一つ挙げるならば、できるだけ働かずに生きていける術が相当具体的に書かれており、その中には「そんな選択肢があるのか!」と思わずにはいられない術も紹介されている点といえる。


そもそも「ニートの歩き方」にしても「脱社畜ブログ」にしても、もし、例えばブラック企業で働いたりすることで会社勤めが苦痛だと感じた場合、周りのことなど考えなくて良いからとにかく逃げるべきだと主張している。

・仕事なんかで悩んで死ぬなんて本当に馬鹿馬鹿しい。死ぬくらいだったら無責任でも何でもいいからすべてを捨てて辞めて逃げれば良かったのに。死なないこと以上に大事なことなんて人生にはない(ニートの歩き方 p.141-142)

・僕は、その人自身がしんどくて、もう「限界だ」と思ったのであれば、責任とか周りへの迷惑なんてことは全部放り出して、逃げてしまうべきだと思っている。たとえそれで仕事が大変なことになろうとも、それはあなたのせいではない。あえて誰のせいか指摘しろと言うのであれば、それはそんな状況にあなたを追い込んだ、周りのせいだ。そんな周囲の人間に対して、配慮する必要なんて全然ない(脱社畜ブログ「逃げる」のススメ (http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/02/28/202641))

ただ、少し前に話題になった堀江貴文さんの「ブラック企業なんかやめれば良い。起業すれば良い」という発言への反応を見れば分かるように「企業から逃げろ」というアドバイスは無責任なものとして受け取られることがある(http://togetter.com/li/523701)。堀江さんはツッコミに対してことごとく「(その意見は)思い込み」と返したわけだが、「ニートの歩き方」を読んでいても「そんな選択肢なんかあるわけないだろ」という自分の「思い込み」が粉砕されることが多かった。「出来るだけ働かないで生きる」と言うとインターネットを活用して「サイト作り」や「せどり」で生計を立てるという姿を想像する人が多いと思うし、事実「ニートの歩き方」ではこれらについても具体的に書かれているのだが、中には「こんな手もあるのか!」と驚かされる策もある。


例えば「居候」。phaさんによれば「一人暮らしは寂しいし、ちゃんと居候力がある居候なら家にいてほしい、という需要はけっこうある(中略)家に一人くらい余計に住んでも邪魔にならないような家は探せば割とあって」とのことだ。「本当にそんな家あるのかよ」と正直思ったけれど、これも僕のただの「思い込み」に過ぎなかったということかもしれない。


また、「ダメ人間でも出来そうな小銭稼ぎ」という話も面白かった。「新商品を試して感想を言うだけで何千円かもらえる商品モニター」、「飲食店でご飯を食べて感想を言うモニター」、「パチプロに雇われて指定された台でパチンコを打つだけの打ち子」という求人誌には載っていない小銭稼ぎが案外転がっていたりするらしい。これは「口コミ」で回ってくる仕事ということで人とつながることが必要となるが、それに成功すれば僕らが想像もしていないようなアルバイトに巡り合えるということなのかもしれない。


他にも、phaさんは、自分よりもお金がなさそうな人や困っている人などにお金をあげたりすることもあるという。phaさん曰く「一般的な生き方のレールから外れても、ものすごいダメ人間でも、なんとかギリギリ死なない」範囲の生活レベルらしいが、ニート同士でつながりをもって困った時に助け合う関係ができることで、とりあえずは生きていくことなら可能となっているとのこと。「働きたくないけれど、こういうギリギリの生き方はさすがに嫌だ」という人や、phaさんが言う生活に根本的に向いていない人もいるだろうけれど、一つの選択肢としてこういう生き方が成り立っていることを知るのも悪くない。


さて、ただいま「脱社畜ブログ」の「会社を辞めました」というエントリーが話題になっている。これに触発された人もいるだろうけれど(もっともこのエントリーには「"会社を辞めろ"とか"ノマド礼賛"とかそういう趣旨のエントリでは決してないです」という留保がついている)、一方で会社を辞めた後、あるいはそもそも会社に勤めずに生きていく術のイメージが湧かないという場合もあるだろう。そういう人にとって、「ニートの歩き方」は最適な教科書の一つとなるはずだ。

「ニートの歩き方」は面白そうだという意見に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします
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