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ビブリオバトルをグループ面接・グループディスカッションの代わりに行ってみてはどうか

この記事のタイトルにある「ビブリオバトル」とは、簡単にいえば「本を紹介するゲーム」である。まずは、このゲームの公式ルールを紹介したい(http://www.bibliobattle.jp/koushiki-ruru)。

1. 発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる
2. 順番に一人5分間で本を紹介する
3. それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う
4. 全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い、最多票を集めたものを『チャンプ本』とする

このゲームを発案したのは谷口忠大さんという方であり、彼は「ビブリオバトル 本を知り人を知る書評ゲーム」という本も出している。このゲームは気軽に行えるものでありながら、様々な効能を参加者にもたらす。


その効能の一つが「お互いの理解が深まる」というものである。谷口さんによると、書評は自分が「どういう解釈をする人間なのか」・「自分がどういう考え方をする人間なのか?」・「自分がどういう文脈に身を置く人間なのか?」をさらけ出すことに他ならず、即ち本を語ることは自分自身を紹介することになるという。加えてビブリオバトルの場合には「自分が好きな本の魅力を、どのようなプレゼンをもって相手に伝えようとしているか」という点に着目することでも、各参加者の人間性を感じることが出来るかもしれない。


鹿児島国際大学ではビブリオバトルを行う講義があるのだが、その講義を運営した元野さんという方によると、ビブリオバトルを行って行く中で、一見おとなしそうな女の子がルパン3世についてやたら熱く語り始めて止まらなくなったり、授業態度が悪いなぁと思っていた学生がムードメーカーなひょうきん者だったりと、初めはまったく見えなかった性格がどんどん立ってきたらしい。元野さんは「ビブリオバトルを一度やってもらっただけで、全履修生のキャラがあっという間に立ったことは印象的だった」という。


このことを知ったとき、僕は「グループ面接・グループディスカッションをやるくらいなら、ビブリオバトルを選考に盛り込んだ方が、採用活動がより充実するのではないか?」と考えた。本来このゲームはフットサルなどのように気軽に遊ぶことが望ましいとされているため、このゲームを選考の場面で行うことが妥当なのかは正直少し疑問ではある。しかし、その疑問を考慮してもなお余りある利点が企業・就活生双方にあるようにも思う。


第一に、上述のようにビブリオバトルは参加者の人間性を大いに露わにするゲームであるため、企業は就活生の人間性を理解しやすいし、逆に就活生は上手くプレゼンをすれば自身がどのような考えを持つ人間なのかを伝えることができる。第二に、ビブリオバトルは各参加者に「一人5分間で、自分が読んで面白いと思った本を紹介する」ことを求めるので、企業は各人のプレゼンテーション能力を測ることが出来るし、逆に就活生は自身の能力を証明することが出来る。第三に、このゲームには「それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う」という営みもあることから(正確には発表を聞いていた人が発表者に本に関する質問をして、発表者がそれに応える)、企業は各人の「人の発表を聞いた上で適切な質問を発する力」を確認し、逆に就活生はその能力が自身に備わっていることを分かりやすくアピールできる。


少し考えてみただけでも、このようなメリットを見出すことが出来た。現在「複数の就活生+面接官」で行われる代表的な選考は「グループ面接」と「グループディスカッション」だと思うが、これらの代わりに選考プロセスの一環としてビブリオバトルが盛り込まれるのも悪くないのではないだろうか。

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バイトテロで行われた行為を「低賃金に見合った働き方をしているだけ」と評価するのはおかしい

「日本の労働環境は悪い」という現状認識を受けて提案される案として代表的なものは「労働基準法違反の企業をきちんと取り締まる」、「過労死を防止するために、労働時間を規制する」といったものである。つまり、法規制をきちんと行うという方向性のアプローチの重要性が語られることが多いわけだが、これとは別に「人々が大したお金も払わないのに過剰なサービスを要求すること」を批判するアプローチもある。


このブログで言えば、「"カスタマー・ハラスメント"の撲滅により、就活生・労働者が得られる利益は大きいはずだ」という記事が、このアプローチを採用している。「カスタマーハラスメント」とは簡単にいえば「自分はお金を払っている客なんだから、店員は俺のどんな要求も呑め」という態度のこと。この過去記事では他ブログのエントリーを引用した上で、この「カスタマーハラスメント」が行われることで働く側に不必要にストレスやコストがかかるようになっていることを述べた。労働環境の劣悪を判断する際の基準を労働時間に限ることなく、労働者にストレスやコストを与える原因となる要素をとことん排除していくことが重要だと考えていたし、今でもその考えは変わっていない。


イメージとしては、カスタマーハラスメントを行う「モンスターカスタマー」がアルバイトを含めた全労働者に120点の仕事を求めているのに対して、僕は「特にアルバイトだったら、60点とか70点くらい取れてれば良いんじゃないか」というスタンス。接客業で言えば、笑顔で気持ちよく迅速に接客してくれれば100点だけれど、別にそのような接客をせずにほどほどに対応をしてくれればそれで十分・・・という感覚が僕にはある(伝わるだろうか・・・)。安い給料で働いているからといってものすごくいい加減な仕事をするのはおかしいが、一方で給料に見合わない過剰な責任・サービスの提供を課せられたりするのもおかしいという考えを持っており、この感覚はそこそこ妥当なものであると勝手に思っていた。


ところがここ最近、所謂バイトテロ問題を取り上げた「次々と炎上する従業員たち。彼らの行為を「安さの代償である」という形で擁護することには反対だ」という過去記事に寄せられたコメントを目にすると、上述の「安い給料で働いている場合でもものすごくいい加減な仕事をするのはおかしい」という意見には違和感を覚える人もいることを実感する。バイトテロでは「アイス冷凍庫に入る」・「バーコードリーダーを股間に押し当てる」(+twitterでそれを報告する)といった行為がなされたわけだが、この行為を「(バイトテロを起こした従業員の行為について)行為自体は一応問題のあるものなのでしょうけど、私は低賃金なら低賃金に見合った働き方をしているだけのように思えます」と評するコメントがあった。また、「バイト従業員の給与が安かろうが衛生面まで妥協させられたくないとゴネるのは客の自由だと思いますが」と、「衛生面まで妥協させられたくない」という要求を「ごねる」と評するコメントもあった。


イメージとしては、これらのコメントは「60点とか70点くらい取れてれば良いんじゃないか」という僕の感覚よりもさらに緩く「20点くらいとれてれば良いのでは?」というスタンスであると感じられる。つまり、安い給料で働かされている従業員の場合は、その勤務態度に相当問題があってもやむを得ないという立場といえる。


抽象的な文章になるが、僕はバイトテロで行われたような「人としての最低限のモラル」を逸脱する行為を「低賃金なら低賃金に見合った働き方をしている」と評することには反対の立場でいたい。つまらない結論だけれど、「給料以上の仕事をするよう心がけるべきだ」という言説も「安い給料しか提供しないなら、従業員の勤務態度が相当悪くなっても仕方がない」という言説もどちらも極端で、要はその中間のアプローチを採るのが妥当なのではないだろうか。前者の言説は労働者を苦しめるし、後者の言説はサービスの享受者である消費者に害を与える危険性がある。企業にも労働者にも過度に肩入れすることない、バランス感覚ある結論を導くべきではないだろうか。

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「働きたくない人」と「働きたいけど、働けない人」を混同してはいけない

前回の記事で取り上げた「育て上げネット」の工藤啓さんは、著書「NPOで働く」にて、無業のまま立ち止まっている若者がどのような考えを持っている場合が多いのかを記している。それによると、「育て上げネット」を訪れた若者から「働きたくない」と言われたことは一度も無く、「自信が無い」「やっていけるのか不安だ」「自分のことを必要としてくれる会社はどこにもない」という不安を抱えているがゆえに、なかなか一歩を踏み出せないということらしい。


つまり、無業の状態に留まる人を「働く意思がない人」と評するのは必ずしも妥当ではなく、「働きたいけど、働けない人」に該当する場合もあるということだ。例えば、「自分のことを必要としてくれる会社はどこにもない」と自己評価して無業の状態に留まる人の場合は、逆にいえば「自分のことを必要としてくれる会社がある」という実感が持てれば喜んで働き始める可能性はある。そのような人に対してどのような支援をするのかは正確には分からないが、「あなたのことを必要とする会社はある」・「確かに今のあなたを必要とする会社はほとんどないかもしれないけれど、今後の訓練次第でどこかの会社が必要とする人になれる」などと言って、まずは低い自己評価を改めさせるようにするのかもしれない。


この点、日本の就活・労働環境の厳しさを受けて「働きたくない人は、働かなくてもいいじゃないか」という言説がここ最近力をつけてきている。このような言説を唱えるのは、「ニートの歩き方」という本の著者のphaさんであったり、「脱社畜ブログ」の管理人である日野瑛太郎さんだったりする。彼らの文章を読んでみると正直「自分だけが楽をするための口実をもっともらしく練り上げているだけ」という感覚を抱くこともあるが、主張の方向性自体は別にそれほどおかしなものではないと思う。働くのに向いていない人には「そもそも働かない」という選択肢があってもいい。


ただ注意したいのが、phaさん・日野さんのような「働きたくない人」と、育て上げネットを訪れる若者のような「働きたいけど、働けない人」を混同してしまうこと。育て上げネットを訪れる若者は無業のまま立ち止まっているということで、一見「働きたくない人」と言えそうである。しかし、そのような人たちに対して「あなたは働きたくないんだろうけど、働かなくていいんだよ」と言うのは問題の解決にはつながらない。


政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給する構想である「ベーシックインカム」を巡る議論において、萱野俊人さんは次のように述べている。彼はベーシックインカムに反対の立場なのだが、その理由は労働によってお金を稼ぐことが自分の尊厳や自立にとって重要だと思っている人が相当数いるのに、ベーシックインカムはその問題に対して何も対処できないし、しようともしないからだという。ここで言いたいのは萱野さんの反対論そのものに賛成だということではなく、労働に意義を見出すことで自分の人生を充実させることを望む人が相当数存在するということだ。育て上げネットを訪れる若者の中には「早く働いてお金を入れたい」と言う人もいるらしく、その人の場合は働いてお金を稼ぐことで家族を助けることが自分の人生にとって重要だと考えていると言える。


この点、日野さんや森博嗣さんは「どちらかというと、働かないほうが良い状態だ。働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だといえる」という立場に立っている(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/20/215425)。これはこれで一つの意見といえるかもしれないが、この意見が主流になると「働きたいけれど、働けない人」が「働きたくないから(働かない方が人間的だと考えているから)働いていない人」とみなされかねない。それは「働きたいけど、働けない人」にとって望ましいことではないはずだし、だからこそ「働きたくない人」と「働きたいけど、働けない人」を混同しないよう注意が求められる。

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工藤啓さん「若者を放置すればタックスイーター。支援すればタックスペイヤー」

NPO法人・育て上げネットがホームページにて「若年無業者白書」の発表を告知している。ここでいう「無業者」とは、「就業希望を表明し、求職活動をしている人」や「就業希望を表明しながら、求職活動はしていない人」、「就業希望を表明していない人」のことを指す。即ち「無業者」の中にも複数のタイプがあるわけだが、この度育て上げネットはその「若年無業者」の実態を調べ、且つその実態を客観的データを根拠に据えて世に提示することを試みているわけである。


この調査結果は既に一部明らかにされている。例えば最近では、ハフィントンポストに「若年無業者の4人に1人がスーツを持っていない」という記事が掲載された。その記事によると、「若年無業者白書」を制作する過程で若年無業者が携帯電話・運転免許証・パソコンなど就職活動を行っていくうえでほとんど必須といえるものを保有していないことが明らかになっているそうだ。そして、記事のタイトルにもあるように、若年無業者の4人に1人が就職活動用のスーツを持っていないことも分かったという。なぜスーツを持っていないのかというと、無業者に収入がないことに加えて、家庭に金銭的な余裕がないという点が大きな理由らしい。


「若年無業者の4人に1人」という数値は知らなかったが、過去には面接に臨むためのスーツが無いことを理由に窃盗をしたという事件が起きたこともあり、スーツの購入に金銭的な負担を感じる求職者のことは割と前から問題視されていた。当の育て上げネットも2009年に「recycled-suits for youth project」というものを行っており、人々に使わないままとなっているスーツ・ネクタイ・ベルトの寄付を求めたことがあった(その結果、例えば紳士物のスーツは2703着集まったらしい)。この度の「若年無業者白書」では「若年無業者の4人に1人」という数字を示すことで、より説得力のある問題提起をすることを試みているのだと思われる。


そして、より説得力の問題提起をすることで何を達成したいのか。その一つは、働きたいけれども働けない人が直面する困難を取り除くことで、彼らが納税者として国を支えられるようにすることと思われる。育て上げネットの代表の工藤啓さんはイギリス人かドイツ人の若者支援機関の職員から「若者を放置すればタックスイーター。支援すればタックスペイヤー。だから、社会全体で若者を支援していく」と聞いたことがあるらしい。ここでいう「タックスイーター」とは税金で支援される対象のことであり、対して「タックスぺイヤー」は税金を納める側のことを意味する。「タックスイーター」の存在が迷惑だと言いたいわけではないけども、出来ることなら「タックスぺイヤー」を一人でも増やす方が有益であることは間違いないだろう。


工藤さんは今月8日に「社会的便益で見ればひとりの若者を支えることは大きな投資になります」という記事を自身のブログにアップしている。その記事の最初に掲載されている「厚生労働省"ナショナルミニマム研究会"中間報告」によると、25歳の「働けない」一人の若者が「働く」ことで想定される最大便益は約1億円だという。工藤さんはこのデータを援用した上で「ひとりの若者が働くと最大これだけの便益があります。そしてここで取り上げた無業の若者で、かつ、非求職型だと40-50万人日本にはいると推計されています。これを便益と人数を掛け算してみたらどうでしょうか?」と綴り、若者支援の重要性を訴えている。若者支援は感情論のみでなされているのではなく、支援をする方が社会にとって有益だという認識に基づき行われているのである。


若者支援、具体的には「働きたいけれど働けない人」への支援に関して言えば、その支援の必要性に疑問の声が上がることがある。当の工藤さんも「なぜ"あいつら(働きたいけれど働けない人)"に支援が必要なんだ?」と言われたことがあるらしい。即ち「社会はなぜ若者を支援しなければならないのか?」という問いが突きつけられているわけだが、その問いに対する回答として、上述のように「その方が結果的に社会にとって有益だから」という視点が有効なわけである。

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罰則なき「採用選考に関する指針」に実効性はあるのか?

今月の13日に、経団連は「採用選考に関する指針」というものを公表した。これは従来の倫理憲章に相当するもので、「正常な学校教育と学習環境の確保」・「採用選考活動早期開始の自粛」などに配慮した採用活動を行うことを企業に求める内容となっている(http://www.keidanren.or.jp/policy/2013/081.html)。会社説明会などの解禁時期が大学3年生の3月に、選考開始が4年生の8月になったという変更点はあるが、基本的な内容は倫理憲章の時から変わりはない。


ただ、この指針に拘束される対象が拡大したという点で変更があった。倫理憲章の場合はそれに賛同する企業が憲章の内容に従うという形であった(と思われる)が、この度の指針は経団連に加盟する全企業が従うべきルールとされている。この変更に伴いルールに従う企業が増えることで、一層「学生の学業の時間を確保する」という目的の達成につながる・・・と言いたいところだが、どうもそんな展開にはなりそうもない。


日経はこの度の経団連の発表を受けて「就活解禁繰り下げ、違反に罰則なし 経団連が指針 縛り緩く、"抜け駆け"懸念も」と題した記事を掲載し、指針の実効性に疑問を呈している。ここでいう「抜け駆け」とは、例えば4年生の8月に行うべき選考活動を8月以前に行い、良さそうな学生を早期に確保することを意味する。このような行為をしても罰則がないために、指針に従わない企業も出てくることが考えられる。


ネット上の記事には掲載されていなかったが、石渡嶺司さんによると、日系の紙面では次のような調査結果も載っていたという。指針を順守する気がない企業が一定数あることが分かる。また、そもそも「順守する」と回答した企業も本当に順守するかどうかは疑わしい。このブログの「倫理憲章について」というカテゴリで何度も指摘してきたので詳細は割愛するが、これまでも倫理憲章に賛同していた企業が「リクルーター面接」などの手段を使って水面下で憲章を破るということは行われてきた。このことからも、指針に従わずに抜け駆けをする企業が出てくるのを予測することは当然である。


日経によると、指針はルールを守らせる手段を「引き続き検討する」と記すにとどめているとのこと。企業にルールを守らせるためには、ルール違反を抑止するための何かしらの仕組みが必要なのは明らかだと思う。かといって、あまりにも重い罰則を課すのは企業にとって酷すぎる。せめて、ルール違反をした企業名の公表くらいは出来ないだろうかと思うし、それが難しいようであれば、やはり「採用選考に関する指針」の実効性に疑問が残るのは否めない。

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クロスカンパニーの労働環境は素晴らしいのか?劣悪なのか?

昨日のアクセス解析を確認したところ、検索キーワードのベスト3は「クロスカンパニー ブラック」・「クロスカンパニー ブラック 過労死」・「クロスカンパニー株式会社」と、株式会社クロスカンパニーの労働環境に着目する言葉が多かった。ちなみに現在「株式会社クロスカンパニー」とgoogleで検索すると、このブログが1ページ目にヒットします(笑)


なぜ昨日、これらの検索キーワードをもって当ブログにアクセスする人が多かったのか。それは恐らく、東洋経済オンラインで「全員正社員!女子95%で成長する秘訣 クロスカンパニー 石川社長が語る女性活用」という記事が掲載されたためと思われる。


その記事の目玉の一つが、女性社員の働きやすさを考慮した「4時間や6時間の時短勤務制度」の紹介。クロスカンパニーの募集要項を見ると、この制度の趣旨は「結婚・育児・介護などで就業の制約を受けることが多い女性の方の正社員として働く機会を増やし、女性の"ワーク・ライフ・バランス"の貢献を目指す」こと(http://www.crosscompany.co.jp/recruit/staff.html)インタビューに答えた石川社長によると、この制度を設計する過程で社員の声を繰り返し聞き続けたという。NHKによると、この制度があることで主婦の方が午前9時から午後1時までの4時間働いた後に自宅に戻り、家で子供を迎えることが可能になっているという(http://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/200/157116.html)。


こうしてみると、一見クロスカンパニーに長時間労働は蔓延しておらず過労死とは無縁のように思える。しかしそれでも「クロスカンパニー ブラック 過労死」と検索をかける人がいるのは、今年のブラック企業大賞にクロスカンパニーがノミネートされており、且つそのノミネート理由が2009年に当時入社1年目の女性正社員が極度の過労・ストレスにより死亡したことであったからだろう。改めて、クロスカンパニーの労働環境の実態が気になる。


この点、「4時間正社員制度」・「6時間正社員制度」は主に中途採用者を対象とした人事制度である(http://www.crosscompany.co.jp/news/?c=zoom&pk=149)。したがって中途採用者はこの制度の存在ゆえに長時間労働に従事することを回避できても、一方で新卒で入社した人がこの制度の恩恵を受けれているのかは確かではなく、ゆえに長時間労働に苦しんでいる可能性が考えられる。その場合、この制度を利用して短時間のみ働いている人に着目することをもってクロスカンパニーの労働環境を高評価するのは妥当ではない。


ただもっとも、過労死の事例が起きたのが2009年であることを鑑みると、2013年現在の労働環境がいかなるものかは明らかではない。クロスカンパニーをノミネートしたブラック企業大賞のページを見ても、ノミネート理由として2009年の事例が書かれているだけで、現在クロスカンパニーに勤めている社員の告発が載っているわけではなかった。もし、クロスカンパニーの労働環境が過去に比べて改善され良好になってきているのなら、その点を明らかにせず(あるいは、そもそも調査せず?)クロスカンパニーを今年ノミネートした「ブラック企業大賞企画委員会」は問題があると言えるのではないか。


「ブラック企業大賞企画委員会」は今年のブラック企業大賞終了後、「今回受賞した各企業の今後の改善に向けた取り組み状況などについて、引き続きフォローしていく」という姿勢を見せたという(http://biz-journal.jp/2013/08/post_2673.html)。これはその通りで、単にブラック企業叩きに盛り上がるのではなく、「現在の労働環境はいかなるものか」という視点を持ち続けることが必要なのではないかと思う。

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ブラック企業と戦う主体は「労働者本人」だけとは限らない

厚生労働省は、今月1日に行った「若者の"使い捨て"が疑われる企業・事業所に関する無料電話相談」の結果を公表している。それによると相談件数は1042件で、サービス残業、長時間労働・過重労働に関する相談が特に多かったという。 現在も、都道府県労働局や労働基準監督署が労働相談を受け付けているらしい(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/wakamono/)。


厚生労働省の発表を見て興味深かったのは、相談件数1042件の内、労働者の家族・その他(友人・恋人とか?)による相談が全体の約3割を占めていたということだ。もしかすると「うちの息子が今にも仕事で体を壊しそうなんですけど、これはおかしくないのでしょうか?」などと相談を寄せる例があるのかもしれない。


他方で、労働者本人による相談は全体の約7割を占めているにすぎない。これは即ち、ブラック企業と戦う主体が必ずしも「労働者本人」に限られないことを意味している。ブラック企業に関する書籍でも、労働者本人ではない第三者が担うべき役割という点に触れる記述を目にする。


例えば、ブラック企業大賞の実行委員・古川琢也さん著の「ブラック企業完全対策マニュアル」に記されている、毎月100時間を超えるサービス残業をさせられたAさんのケース。このケースでは、労働者本人であるAさんは日々の仕事に忙殺され、自分の心身を守ることに頭が回らない状態だったという。そんなAさんの助けになったのが、Aさんの父親。疲れ切っているAさんに対して半ば強引に「病院に行きなさい」と促したことでAさんは病院に行き、その後ユニオンに加入して会社と争う精神を取り戻した。Aさんは「(父親の言葉が無く)あのまま働き続けていたら、間違いなく過労死していた」と振り返る。


要は、ブラック企業が掲げる論理を客観視できる人の声が役に立つということである。単に労働者に対して「その働き方はおかしいんじゃないか?」と疑問を呈するのも良いし、厚生労働省などに相談してみてその結果を労働者に伝えてみるのもよいはずだ。勿論これらの行為それ自体は労働者が置かれている状況を大きく変えるものではないかもしれないが、あくまでも状況を変えるきっかけとしては十分有意義なものである。それは、上で書いたAさんのケースからも明らかだろう。


古川さんによれば、ブラック企業に勤める労働者は「ブラック企業が振りかざす異常な価値観やモラルが正当なものであるかのように思えてきてしまう」場合があるとのことだ。この場合、労働者本人が率先して自らが置かれている状況の改善に動くとは考え難い。苦しむ労働者のために第三者がありとあらゆることをすべきとは思わないが、ちょっとしたサポートくらいはしてみても良いかもしれない。労働者が過労死してから「何かできることがあったんじゃないか」と悔やむのはあまりにも勿体ない。

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面接官は面接を途中で打ち切り、その場で就活生に不採用理由を伝えてよいかもしれない

取り上げるのが遅くなってしまったが、約1か月前に次のようなコメントを頂いた。

私は最初の就職活動からずっとヨーロッパでいわゆる新卒採用を経験していません。一昨年に初めて日本で就職しました。国内企業の面接も受けてみましたがやはり変だと思います(中略)面接で「この人となら気が合いそう」と感じれば多少募集要項を満たさなくともオーケーですし、合わないといくら素晴らしい経歴の人でも落とされます。その場でこちらから断ったり、面談中に「時間の無駄だ」と打ち切られることもあります。そのかわりミスマッチは少ないかと思われます

この点、「その場でこちら(就活生側)から断る」ことの合理性・許容性については、過去に「"君の人生ってなんだか薄っぺらいね"と言ってくる面接官には、"私もあなたを"薄っぺらい"と感じるので、帰っていいですか?"と言って良い」という記事で書いたことがある。勿論しょうもない面接官に当たった場合でも、状況によっては「この会社には入りたくないけれど、他に持ち駒もないし・・・」と考えて面接を受けざるをえない場合もあるだろう。しかし、もし特に不都合が無ければ面接官に悪態をついた上で(笑)就活生側から面接を切り上げるという発想があっても良いという考えを示した。


その一方で、これまで「面接官側から面接を途中で切り上げる」という考えを書いたことは無かった。そのため、上記のコメントにおける「面談中に(面接官側から)"時間の無駄だ"と打ち切られることもあります」という記述が特に印象に残った。これは一見就活生に厳しいように思えるが、もはや採用する意思もないのに面接を続けても企業・就活生のどちらも得をしないことは明白だ。


加えて、面接官側から「時間の無駄だ」と言って面接を打ち切った際に、なぜ時間の無駄だと考えたのかを就活生に説明した場合、就活生にとってはプラスになる面もあるといえる。どういうことかというと、「自分が不採用になった理由を知ることが出来る」という効用があるということだ。


日本の就活の問題点として最も語られる論点の一つに「不採用の理由が分からない」というものがある。一つ例を挙げると、例えばNPO法人・育て上げネット代表の工藤啓さんは次のようにつぶやいていたことがある。僕自身はこのツイートを取り上げた上で、就活生に不採用の理由を伝えることを企業に対して求めるのは筋が違うと述べたことがある(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-397.html)。この考えは現在も基本的には変わっていないのだが、もし「面接官が面接を途中で打ち切ってよい」という条件を考慮するならば、打ち切る代わりに面接官がその場で就活生に不採用理由を伝えるのはアリではないかと感じた。恐らくグループ面接でそれをやるのはキツいが、比較的時間をとって個人面接を行う企業はこうした発想を持っていても良いと思う。特に、就活生が直そうと思えば直せる能力面の課題を指摘したうえで落とすならば、それは就活生にとっても有益と言える。


もっとも、この案には「直接就活生に不採用理由を伝えるのは、面接官にとって精神的負担となる」、「不採用理由を伝えられた就活生が傷つく」といったマイナス面も考えられる。一応前者については「ヨーロッパの企業ではできているところもあるのだから、面接官の精神的負担はそれほど考慮しなくても良いのではないか」と、後者については「不採用理由を伝えなかったら伝えなかったで、就活生は"不採用にされた理由が分からない"と悩んで傷つくのではないか」などと反論できそうではあるが、この反論で十分かどうかは確かではない。この案は、逆に企業・就活生を傷つけるだけに終わる可能性も大いにあるので、マイナス面の検討をきちんと行うことが必要であることは間違いない。

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脱社畜ブログから漂う「受け売り」感と、その主張を見て「気づかされた」という感覚を得る読者のヤバさ

先日書いた「"脱社畜ブログが弱者を食い物にしている"という評価には一理あると思う」という記事に寄せられたコメント数がすごいことになっており、現在もコメントが寄せられ続けている。その中で、「虎」さんの「(脱社畜)ブログは初めは目から鱗が落ちましたが」というコメントを取り上げたい。


以前にも述べたことがあるが、脱社畜ブログを批判した際に「(脱社畜ブログの)普段なかなか気がつきにくい視点言葉にならない考えを提供していると言う点が評価されるべき」というコメントを目にしたことがある(
http://b.hatena.ne.jp/entry/lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-456.html)。これは「虎」さんが過去に抱いていた感覚に似たものだと思うのだが、それに対して僕は過去記事にて「脱社畜ブログの問題提起は"既に誰かが言及していることを改めて言っている場合が多い"と感じている」と述べた(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-495.html)。


これに関連して、JN1NVQインフォメーションというブログの「脱社畜ブログに思うこと・・・」というエントリーでは「脱社畜ブログを読めばお分かりと思うが、ここで展開されているのは電脳クラゲ氏の主張というよりも、単に自分が読んだ本の感想文じゃないの?と思うほど全セクションで本の紹介をしているところがミソだ。あたかも自分の主張のように振舞っているが、ここに気付いた方は大変冷静な方だと思う」と評する記述がある。僕は「単に自分が読んだ本の感想文じゃないの?」という表現は不適切だと思っているが、「(人の考えを)あたかも自分の主張のように振舞っていることがある」という点に関しては、その可能性について思い当たることがある。要は、脱社畜ブログの記事を読み「これ、○○の受け売りじゃないか?」と感じることがあるということだ。 


濱口桂一郎さんという人がいる。「日本の雇用と労働法」、「若者と労働 "入社"の仕組みから解きほぐす」という著書を出しており、雇用問題に関する識者の一人である。その濱口さんはブログを運営しており、そこで「脱社畜ブログ」の主張を取り上げたことがある。ここで、濱口さんがどういう反応をしたかが重要である。


まずは、「脱社畜ブログ」の「従業員目線と経営者目線の両方を求められる日本の職場」というエントリーについて。そこでは次のような記述がある。

一方では「言われたことを言われたとおりにやれ、命令に従え」と従順であることが求められ、もう一方では経営者と同じ目線を持ち、会社の業績を気にする立場としての行動を求められる。この奇妙な捻れが、日本の「社畜的な」仕事観を形成する理由になっているんではないか、と僕は考えている。現在の日本の職場では、会社にとっては都合がいいが、従業員にとっては都合が悪い考え方を従業員に強制する際には「経営者目線」で考えることが求められ、それ以外の場面では徹底した「従業員目線」で考えることが求められているように感じる。言わば、従業員目線と経営者目線の、ダブルスタンダードが会社にとって都合のいいように採用されている

この分析が含まれたエントリーに対して「何となく感じられる空気をここまで言語化できるのは凄い」というコメントが付いている(http://b.hatena.ne.jp/entry/dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/14/215109)。これは冒頭で取り上げた脱社畜ブログへの評価と通じるところがあるし、ゆえに「脱社畜ブログの分析はすごい!」・・・と言えそうだが、濱口さんの反応を見るとまた話が違ってくる。


濱口さんは上記のエントリーを見て、「従業員目線+経営者目線=社畜」という記事を書いている。そこで脱社畜ブログのエントリーを「なんだか凄いデジャビュ(※既視感のこと)を感じた」と記した後「デジャビュのはずで、本ブログに自分で書いたエントリでした」と言っている。そのエントリが一昨年の11月に書かれた「社畜とフツーの労働者の間」というもので、それには次のような記述がある。

そう、藤本さんの致命的な勘違いというのは、欧米の労働者はみんな個性的に自分らしく働いているけれども、日本はみじめな社畜であると思いこんでいるらしいところなのです。逆です。単なる歯車であることを社畜というのであれば、日本の正社員ほど社畜から遠い存在はないでしょう。なぜなら、単なる歯車であることを許されないから。一労働者であるのに、管理者のように、経営者のように考え、行動することを求められるから。そして、それこそが、単なる歯車であることを許されないからこそ、別の意味での「社畜」性が必然となるのです(中略)そういう非歯車性を歯車たる労働者に要求するという点に、日本語の「社畜」という言葉の複雑怪奇なニュアンスが込められているのでしょう(中略)歯車であれというメッセージと歯車にとどまるなというダブルバインドを見事にこなしてこそ、日本的正社員なのでしょう

濱口さんは自身のエントリを紹介した上で、脱社畜ブログのエントリーを「完全に同じこと言うとるな」と評している(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-a6c6.html)。確かに表現が違うだけで、言っていることは同じと言って良いだろう。僕個人は「社畜」関連の記事を書く際に濱口さんがこのような考えを述べていることを知るに至っていたのだが、そもそも「社畜とフツーの労働者の間」のツイート数は116とかなりの数となっていて、元々それなりに有名なエントリーであったことがうかがえる。 


別の話では、脱社畜ブログの「"これは私の仕事ではない"が強く言えない日本の職場」も濱口さんがツッコミを入れた例として挙げられる。そのエントリーには次のような記述がある。

自分の職責と関係無さそうな仕事を頼まれた際に、「これは私の仕事ではありません!」と断ると、日本の会社では残念な人として認識される。そもそも「これは自分の仕事ですが、あれは自分の仕事ではありません」と断言できるほど、職分は明確になっていないことが多い。採用の際にも、明確にどんな仕事をするのかということは決めずに就職することになる場合がほとんどだし、入社後に配属を受けても、自分の職責について明確な取り交わしがあることは稀だ。「とにかく、空気を読んでチームの仕事をそれなりにこなす人」が求められるのが日本の職場である。このような、「自分の仕事の範囲」が明確でないことが、付き合い残業のような非効率で足の引っ張り合いでしかない現象を呼んでいるという側面は少なからずあるだろう。ビジネスマナー本には、自分の仕事が終わったからと言って、さっさと帰ってはいけないと書いてある。「何か、お手伝いすることはありませんか?」と声をかけずにさっさと自分だけ帰るような人は、「社会人の常識」が無い人なんだそうだ。しかし、考えてみるとこういうことは「自分の仕事の範囲」が明確でないから起こることであって、「あなたの仕事はここまでです」ということが全員しっかりと決まっていたら、それを終わらせた人がさっさと帰宅するのは社会人の常識がないことでもなんでもなく、極々自然なことだということになる

濱口さんはこれに対しても「正社員の辞書に"それは私の仕事ではない"という言葉はない」というエントリーにて、脱社畜ブログの記述を「それは昔から言い古されていること」と評し、その上で濱口さん著で一昨年に出された「日本の雇用と労働法」という本の記述を紹介している。

以上のような労働時間の無限定さの背景にあるのは、職務限定のないメンバーシップ契約という日本型雇用システムの本質です。Ⅰ章で「実際に労働者が従事するのは個別の職務です」と述べましたが、欧米の職場のように個々人に排他的な形で職務が割り振られているわけではなく、個々の部署の業務全体が人によって責任の濃淡をつけながらも職場集団全体に帰属しているというのがむしろ普通です。「自分の仕事」と「他人の仕事」が明確に区別されていないのです。そのため、同僚の作業がまだ終わっていないのに、自分の作業が終わったからさっさと仕事を終えて帰る、という行動様式をとることが難しく、結果的に職場集団の全員が仕事を終えるまでみんなで残業することが多くなります。正社員の辞書に「それは私の仕事ではない」という言葉はないのです。年休の取得が難しいのも、同じメカニズムが働いているでしょう(p.131-133)

ここでも「"自分の仕事"と"他人の仕事"が明確に区別されていない」・「区別されていないことで、自分の仕事が終わったからと言ってさっさと帰れず、無駄な残業が発生する」という点で、脱社畜ブログと濱口さんの言っていることは重なっている。


実のところ濱口さんが突っ込んだポイント以外でも、脱社畜ブログの記述を見て「これ、この本の記述と酷似しているな」と感じられることがある。例えば、以前触れたことがあるけれど「やる気」についての見解。

・寝たい時は寝たいだけ寝れば良いし、だらだらしたい時は何もせずひたすらだらだらしていればよいと思う。やる気がしない時にも無理して頑張って何かをしようとする人がいるけれど、そういう時は素直に休めば良いんじゃないかな(中略)それに、放っておいたら大体の場合、人間は自然に何かをしようとするものだ。特にやることがなく時間も体力も気力も余っていて余裕があれば、大抵の人間は自然に何かをしたくなってくる。だから人間は無限に怠惰でいられない。そういった、自分の中から湧いてくる自発的な行動こそが本来人間がするべきことだし、つらいのを我慢して無理に何かをする必要はないのだ(中略)もし自然に何もしたくならない時は、精神のバランスを崩していたり肉体が疲れていたりするときなので、そういうときは可能な限り何もせずに休んでいればいい。(ニートの歩き方 p.141-142)

・やる気が出ない時に一番してはいけないことは、無理にやる気を出そうとすることだ。やる気を出そう出そうと焦ってしまうと、やる気が出ない自分が許せなくてますますやる気が出なくなったりする。これは、眠れない夜に無理に眠ろうとして、逆にどんどん眠れなくなってしまうのに似ているような気がする。やる気は、放っておけば勝手に戻ってくるものだと思って、やる気がない時はダラダラ過ごせばいい(中略)ずっとやる気がある状態が続くわけがないのと同様に、ずっとやる気が無い状態が続くということも普通はない。特にやる気を出すために名言を読んだり映画を見たりしなくても、やる気は時間がたてばそのうち戻ってくる。そう信じて、やる気がなくなったらノンビリと過ごしていればいい。やる気がなくなる、というのはもしかしたら自分の体から出る「休め」というサインなのかもしれない(脱社畜ブログ「やる気が出ない時に一番してはいけないこと」)

「やる気がないときはダラダラ過ごせばよい」、「普通は、やる気が無い状態が続くということはない」、「やる気がなくなっているとき=心身が疲弊して、休むべきタイミングだというとき」という記述が共通している。そして、ニートの歩き方の発売の方が、脱社畜ブログの「やる気が出ない時に一番してはいけないこと」というエントリーより早く、且つ管理人の日野さんはニートの歩き方を読み感銘を受けている。


また「怠惰の重要性」という点についても、他の文献の内容と酷似している箇所が見られた。それを比べたのが次の記述。

・①そんな奥薗さんの教えの一つに「面倒くさいという気持ちに素直になろう」というものがあります。たとえばジャガイモの皮をむかなければならない時、マメな主婦なら剥いてしまいますが、面倒くさいと思う主婦は剥かないでなんとかしようとする。そこに工夫が生まれます。私の時間に対する考えも、これとまったく同じです。私が、時間の使い方が上手で仕事をしていると思う人は、概して面倒くさがり屋です。面倒なことがイヤなので、なんとか面倒ではない方法を考えようとする。だからいいアイディアが浮かびます。②これまでの日本の社会では、面倒なことも面倒がらず、根気よくコツコツと積み上げていくことが美徳とされてきました。したがって様々な時間術の本も、そういうことを求めるものが多くありました。もちろん今でも、そういうことが評価されるべきなのは変わりません。しかし、昔と今とでは、人・モノ・情報が行き交うスピードがまったく違う上、仕事量も膨大になっています。「コツコツ」に時間をかけていては、あっという間に追い抜かれてしまいます。「コツコツ」のスピードを上げていくやり方では限界があります。今、求められるのは、選択と効率化によってポイントを絞り込み、限られた時間で最大の成果を上げることです。(本田直之著「レバレッジ時間術」p.24)

・①僕が「怠惰」を重要視するのは、それが効率化やイノベーションの源泉になりうると信じているからだ。「かったるい」「やりたくない」と思うから、人はやらなくてよい方法や効率的に仕事を終わらせる発明するのであって、「かったるいけど、頑張ろう」「やりたくないけど、頑張ろう」ではいつまでたっても進歩はない。「辛いけど頑張ろう」というのは、過激な言い方をすれば一種の思考停止である。「やりたくない、だるい」という思いから逃げずに、なんとかやらなくていい方法を考えようとすることで、見えてくるものは少なからずある(中略)②思うに、「勤勉」と「怠惰」のどちらが重要か、というのは、経済の成長フェーズに応じて変化する。例えば、成長余地がたくさんあって、働けば働くほど経済成長を実現できた行動経済成長期あたりでは、「怠惰」よりも「勤勉」のほうが重要だったのだろうとは思う。一方で、現代の日本はもうある程度の経済成長は遂げてしまっていて、ただ勤勉に働けば成長できるという時代ではない。「イノベーション」という言葉が成長戦略のキーワードになっていることからもわかるように、ただ愚直に、真面目にやりさえすればよいという時代はもう終わりを告げた。そういう意味で、これから世界を変えるのに必要なのは、「勤勉」ではなく「怠惰」のほうだと僕は思う。(脱社畜ブログ「これから世界を変えるのに必要なのは"勤勉"ではなく"怠惰"だ」)

①・②という番号は僕が勝手につけたもので、①では「怠惰を大事にするからこそ、なんとか面倒ではない方法を考えようとし、それがイノベーションの源泉となる」という主張がなされており、②では「従来は勤勉さが大事だったけど、これからは勤勉ではなく怠惰が重要となる理由」が記されている。特に①の部分は抽象度が違うだけで主張の内容自体は完全に同じだなと感じる(②の部分は最終的に言いたいことは同じそうだけど、これについては"主張内容はかぶってない"という評価もあり得る気がする)。ちなみに、レバレッジ時間術は2007年に出た本である。 


さらに、「職場の仕組み」について。

・問題が生じたり仕事が効率よくいかないようだったら、それは「仕組み」自体にまだ改善の余地があるということです。チームや会社がうまくいっていないと感じたら、特定の要素や誰か個人のせいにする前に、まず「仕組み」を見直してみることをおすすめします。そうすれば、たいていは原因が見つかるものです。(中略)みなさんが経営者やマネージャーだったとしても、同じことです。「絶対に失敗しないようにしろ」「ミスをなくせ」と部下を叱責しても、実際には失敗することもありますし、ミスはなくなりません。いくらがんばっても、失敗やトラブルが起きる確率をゼロにすることはできないのです。(中略)私の会社では、スタッフが仕事でミスやトラブルを起こしても、一回目であれば怒らないことにしています。「今後は気をつけます」というような、あいまいで実体のない謝罪をさせても意味がないと考えるからです。その代わり、ミスが起きた原因は、すべて自分のつくった「仕組み」にあると考えます(泉正人「最少の時間と労力で最大の成果を出す"仕組み"仕事術」・・・本がどこかに消えたので、イケダハヤトさんのブログ記事から引用) 。

・会社の新入社員や若手社員が、何か仕事上のミスを犯したとする。書類の書き方を間違ったとか、メールを送る宛先を間違ったとか、内容はまぁなんでもよい。そんな時、あなたが仮にこのミスを犯した社員の上司や先輩だったとしたら、どのように対処をするだろうか。こんなときに、「意識が甘い」といってミスを犯した社員を責めたり、説教をしたりするのはあまりうまいやり方ではない。確かに、上司や先輩に説教をされれば、その人は「以後、気をつけます」と答えるだろう。大いに反省しているように見えるかもしれない。しかし、怒られて気分のいい人間はいないから、実際にはあなたに腹を立てているかもしれない。また、いくら気をつけても、人間はミスを犯す生き物なので、また同じようなミスが起きないとも限らない。このような時は、ミスを犯した人を責めるよりも、なぜミスが起きたかを考えて、ミスが起きにくいようにシステムを変えるほうがよい。例えば、書類の記入ミスがあったとしたならば、それは間違えやすいような内容を書類が含んでいたということである。間違いやすい部分に注意書きを追加するとか、書類そのものをもっと間違えにくい形に変更するといった対処をすれば、同じようなミスが起きる確率はぐんと下がる。間違えた人のせいにするのではなく、間違いやすいようなシステム自体を疑うのだ。人を責めているうちは、まだまだだと思ったほうがいい(脱社畜ブログ「人を責めるのではなく、システムを変えよう」。

・・・同じ内容ですね。ここまで脱社畜ブログの記述と他の文献の比較を行ってきたが、これを踏まえると「脱社畜ブログ」・「脱社畜ブログの支持者」双方に問題があると言えそうだと思っている。


「脱社畜ブログ」については、冒頭で書いたように「"受け売り"が多くないか?」という疑問を抱かずにはいられない点を問題と感じる。他人の考えを参照してそれを引用しているだけなら何も問題ないと思うのだが、上の5つの比較を見ると、正直上で取り上げた「JN1NVQインフォメーション」というブログが評した「人の考えをあたかも自分の主張のように振舞っていることがある」という可能性は荒唐無稽のものではないと僕は思っている。上で示した例だけを見ても、「似ている」というより「酷似している」という表現の方が適切なくらい、脱社畜ブログの内容が先行文献(+濱口さんのブログのエントリ)に似すぎている。勿論「たまたま考えがかぶっただけだ」という見方も理解できるけれど、一方で「受け売りが多い」という感覚も理解してもらえるのではないかと思う。


また「脱社畜ブログの支持者」の問題だが、そもそも「脱社畜ブログに受け売りが多い」と言えるのだとすれば、それは脱社畜ブログの記事で主張されている内容が過去に既に議論されていることを意味する。そして、特にこの記事で取り上げた「レバレッジ時間術」は2007年に、「最少の時間と労力で最大の成果を出す"仕組み"仕事術」は2008年に出た本ということで、どちらも約5年前には既に提起された議論といえるのだ。僕が持っているメイロマさんの本のレビューに「この内容で"目が覚めた""気づかされた"などという感想を持たれる方、ヤバいですよ」というものがあるのを見たことがあるが(http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4396614519/ref=cm_cr_pr_hist_1?ie=UTF8&filterBy=addOneStar&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending)、冒頭で取り上げた以前の「虎」さんのような「目から鱗が落ちた」という脱社畜ブログ評にもこの言葉が当てはまると言って良いだろう。なお、現在は「虎」さんの評価は変わっているので、それは良いことだと思う(とっくに考えが変わっているのに、過去の考えを取り上げた挙句にそれを批判して「虎」さんには申し訳ないです・・・)。


「脱社畜ブログ」・「脱社畜ブログの支持者」の問題と思われる点を取り上げてきたが、どちらかというと後者の方が問題だと思っている。というのも、後者の問題の存在が意味するのは「日本の労働環境・仕事観に違和感を覚えながら、それについて勉強・調査する姿勢を持たない人が多い」ということだと思われるからだ。この点については、また別途記事を書くかもしれない。

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「激務だけど見返りがある企業」はブラック企業といえるか?~マグロ漁船型企業とブラック企業の区別~

随分と前に、次のようなコメントを頂いたことがある(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-412.html#cm)。

ブラック企業について語られるとき、いわゆる人気企業にも労働環境はブラックなところがいくらでもあるのに、こっちはブラック企業といわれないのですが、この辺をぜひ追求してほしいな、と思っています。たとえば、週の労働時間が86時間のゴールドマンサックス。あるいは、かつて、過労で自殺者が出て、労災と認定するかの裁判が起こった電通。電通については、以下のような記事もあります(http://biz-journal.jp/2012/08/post_484.html)。こういう人気一流企業は給料が高くて残業代が出るからブラックじゃないのか?ステータスがあるからブラックじゃないのか?あるいは、知力体力精神力、すべてに優れた、ブラック環境へいっちゃらなスーパーマンだけが就職するからブラックじゃないのか?

この疑問を解消するための一つのヒントとして、他ならぬ「ブラック企業」の著者である今野晴貴さんの見解が参考になる。


podcastで「麻木久仁子のニッポン政策研究所」という番組に今野さんが出演した回の「ブラック企業の実態と対策」を聞いていたのだが、その中で今野さんは「マグロ漁船型企業」という概念を紹介していた。これは労働環境は過酷だけれども、「ブラック企業」とはまた違う企業のことを指す。どういうことか、番組内での発言を文字起こしする。

私、「マグロ漁船型企業」と呼んでいるんですが、ものすごくキツいんだけども人脈が築かれて、それから独立できるみたいなですね、証券会社とかコンサル系の会社とか。こういうところは必ずしもブラック企業とは言えない。なぜなら、きつくて続かないのが分かっていてそれでも一攫千金を狙ったりとかですね、あるいは独立を狙いながらも入っていくというのが当たり前の会社。これは超有名企業ですよね。そういうところになってくると、ちょっとブラックとは違うな、と。最初から耐えられそうになければそこ行かなければ良いということになるんですよね。

この「マグロ漁船型企業」についての理解を深めるために、今野さんの次のツイートが参考になる。この基準に照らすと、冒頭のゴールドマンサックスは週の労働時間が86時間であろうが、高額の給料などの見返りがあるので「ブラック企業」には該当しないことになる。電通についても同様のことが言えそうだ。勿論、いくら見返りがあるからといって長時間労働が認められてよいのか?という論点は考えられるが、それは「ブラック企業」の問題とは区別されるといえる。


あるいは今野さんが言及している野村証券。去年の8月に掲載された「野村社員"部下は監禁・罵倒し、顧客に損さてもノルマは死守"」という記事では、研修の際に「月給ドロボー!」、「今のお前は、ノムラで最も価値のない人間だ!」、「お前はいい加減な人間だが、親もそうなのだろう!」という言葉を投げかけられる実態が記されているが、それでも野村証券が「ブラック企業」に当てはまるわけではないようだ。なぜなら、社員は見返りと引き換えにキツい労働環境があることを知って入社しているから。もちろん、見返りがあるからといって社員に対していくらでも負担を課してよいのかというとそれは違うと思うのだが、その論点は「ブラック企業」の問題とは別の話ということだろう。


「ブラック企業」という言葉は広く流通しているようになってきているが、その言葉の意味がはっきりしない・・・ということは、このブログでも今まで何度か書いてきた。そんな中で、「労働環境に問題がある企業=ブラック企業」と勘違いをしていると思われるコメントを頂いたこともある。しかし、他ならぬブラック企業問題を積極的に論じている今野さんが、労働環境に問題があるけれども「ブラック企業」とは言えない「マグロ漁船型企業」という概念を提唱している。正直、この「マグロ漁船型企業」の定義にも曖昧な点があるとは思うが(例えば、酷な労働環境と引き換えに得る「見返り」は金銭・人脈に限られるのか?それとも、「一人でやっていけるだけのスキル」のようなものも含まれるのか?という疑問が残る)、この概念を知っていると冒頭の「人気企業にも労働環境はブラックなところがいくらでもあるのに、それはブラック企業と言わないのか?」という問いに一定の答えを出せると思う。  

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