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「労働問題」として教師たちの現状を見つめることの必要性

少し前に書いた「疲弊する教員に過大な要求をする社会であってはならない」という過去記事で、濱口桂一郎さんのブログ記事を紹介した。そのブログ記事は「いま、先生は」という本の紹介をしながら、妙な色合いの付きすぎた「教育問題」としてではなく「労働問題」として教師たちの現状を見つめることの必要性を説くものであった。


ここのところ、この濱口さんの問題提起を考えるべきニュースが散見される。例えば今月17日の朝日新聞では、全日本教職員組合が実施した幼稚園・小中高校などの教職員の勤務実態調査において、教員の時間外勤務が1カ月平均で72時間56分、自宅に持ち帰った仕事の時間も含めると同95時間32分にのぼったことが明らかになったと報じられた。また今月28日の毎日新聞の記事は、NPO「日本標準教育研究所」が実施した調査を取り上げて、教師が学校にいる時間が平均11時間半であること(にも関わらず、9割が「帰宅後に自宅で仕事をすることがある」とも回答しているらしい)、教師が特に「自分の時間が持てない」「保護者との関係」「特別支援が必要な子供への対応」という点で悩んでいることを報じている。


これらの報道から分かるように、教師の仕事は時間的にも精神的にも大きな負担が伴うものとなっている。このような事態は、濱口さんが紹介した「いま、先生は」という本でも詳しく書かれている。


この本で目を引いた点の一つが、OECDが2011年にまとめた教育統計の結果である。その統計によると、2009年時点で日本の小学校の教員がOECD平均より年間で236時間多い1899時間働いていることが明らかになっているという。この統計を鵜呑みにすると、日本の教員の労働環境は国際的に見てもおかしいということになる。


海外と比べて日本の教員の労働時間が長くなる理由は、教員が担当する職務の範囲が広いというものかもしれない。「疲弊する教員に過大な要求をする社会であってはならない」という過去記事には「カナダでは誰が部活の指導しているのかという話なんですが、保護者など地域の大人が放課後部活の指導をすることが一般的だそうです。そしてそのカナダ人の知人は"日本人の働き方ではそれは無理だろう"とも言っていました。やはり労働時間が短かかったり融通が利くからこそそういったことも可能になるのでしょうね」というコメントが付いている。つまり、海外では一般の保護者が教育に携わることによって、教員の労働時間の増加を抑えることができている可能性がある。一方で日本では教師が何もかもやらなければならず、それに伴い労働時間の増加に歯止めが効かないという現状があるのかもしれない。


つい最近、財務省が子どもの数が減っているのに合わせて、公立小中学校の先生の数を減らすよう文部科学省に求める考えを明らかにした。一方で文部科学省は向こう7年間で3万人余りを新たに確保すべきだと言っている。僕としては、これまで記してきた教員の労働環境を考えると、文部科学省の方針の方が妥当ではないかと思っている。労働環境の酷さに苦しむ教員の問題は、結局のところ教育を受ける子供にも「教育の質が下がる」・「ストレスを溜めた教員が子供にあたる」という形で影響を及ぼしかねない。単純に「子どもが減ったから教員も減らす」という結論に飛びつくのではなく、教員の労働環境の実態を踏まえた議論が必要だ。

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「企業は就活生に不採用理由を伝えるべき」という問題提起はもう見飽きた

開沼博さん著の「フクシマの正義」という本のサブタイトル「"日本の変わらなさとの闘い"」に惹かれて本を手に取った。その本には「日本はなぜこんなに変わらないのか」と題した章がある。その章の中で、僕が就活・労働問題に関する言論に対して抱いていることをそのまま言語化したかのような次の文章があった。

何で新聞とかテレビとかで言われている問題、「こんな悪いことがある、変えなければならない」って言ってることってなかなか変わらないのかという思いがあった(中略)「悪」の存在を暴露し告発することで社会が変わる、よりよくなるということはあるだろう。そういうことなら、それはそれで頑張ればいい。だとしても、「結局変わらない社会問題」に対して、ずっと同じ切り口でのアプローチをしてきて飽きてこないのか

開沼さんは、「(問題提起がなされても)結局何も変わっていないこと」、変わっていないその原因を検証しようともしないメディアや民意に対して憤りを覚えている。開沼さんが就活・労働問題についてどのくらいの見識があるかは知らないが、もし詳しいようなら、この分野の言論にも苛立ちを覚えるかもしれない。


ブログを書いてきて、あるいはブログを書く過程で文献に目を通してきて思うのは、就活・労働問題について述べる言論のフォーマットが決まりきってきたなということだ。勿論、例えば問題に関心を持ち始めた人にとっては「紋切り型の問題提起」が理解を深めるにあたって重要である場合が考えられるので、一概に決まりきった切り口でのアプローチが悪いとは言えない。しかし、その「紋切り型の問題提起」が反論に晒されたにも関わらず、その反論を踏まえずに繰り返し同じ形での問題提起がなされるケースは、議論が進歩しないという意味で有害と言って良いだろうと思う。


その典型が「企業は就活生に不採用理由を伝えるべき」という趣旨の問題提起である。最近でも、「就活生が不満"お祈りメール" 学生に"不採用の理由"を聞く権利はないのか?」という記事がニコニコニュースにアップされた。これも、「不採用の理由を聞いてきた学生」に対して不採用理由を伝えることを企業に求める問題提起と言える(まさか、「就活生が企業に対して不採用の理由を質問できればよく、その質問に企業が答えるか否かは自由」という無意味にも程がある主張はしていないだろう)。一見、こうした記事は就活生の立場を改善するという観点から有益だと言えるように思える。


しかし、「企業は就活生に不採用理由を伝えるべき」という主張にはこれまで多くの反論がなされてきた。僕自身もこのブログで「企業は就活生に対して面接で落とした理由を説明する必要は無い」・「不採用の理由が分からずに苦しむ就活生をサポートする役割を担うべきなのは企業ではない」という記事を書いた。また、記事にコメントをくださったブロガーの方も「企業は就活学生に"落とした理由"を伝える必要無し」という記事を書いていたりしている。この他にも、確かtwitter上でもこの問題提起に対する異論を唱える声をいくつか見かけた気がする。


なぜ反論をしているのか。誤解しないでほしいが「就活生が不採用の理由が分からずに苦しもうが勝手でしょw」というクソみたいな主張はしていない。端的に言えば、その問題提起により就活生が利益を得るとも思えないし、場合によっては不利益すら被るという認識に基づいて反論をしている。具体的に言えば「"そもそも企業は当たり障りのない理由しか伝えないだろう"という実効性の無さが予測できる(=就活生は利益を得ない)」、「落とされた理由を聞かされたら心が折れる学生が増える(=就活生が不利益を被る)」という内容の反論である。


「企業が就活生に不採用理由を伝える」というのはそれ自体が「目的」ではなく、あくまでも就活生が置かれている状況を改善するための「手段」に過ぎない。まさか「就活生がどうなろうが知ったことではなく、企業が不採用理由を伝えることこそが大事なのだ」という主張をする人はいないだろう。即ち、その「手段」を採用することによって就活生が利益を得ない・不利益を被るということなら、その手段をボツにするべきだ。


僕はこのように考えているわけだが、もちろん僕の考えが妥当ではない可能性もある。仮に上で記したような、企業が就活生に不採用理由を伝える場合に考えられる問題点を克服した問題提起がなされているならば自分の考えを変えたいと思う。しかし、上述のニコニコニュースの記事はこれまで何度もなされてきた紋切り型の問題提起に留まっているため、賛成できないという意見と同時に「既に異論が続出しているのに、それでもまだ紋切り型の問題提起を続けるのか」という憤りも覚える。


開沼さんが言う「"結局変わらない社会問題"に対して、ずっと同じ切り口でのアプローチをする」行為に対する批判を強める必要があるのではないだろうか。さもなければ、社会問題は「結局変わらない」ままで終わると思う。

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正規雇用の条件として「終電までの残業」を設けた企業

久しぶりにライターページへのご投稿を頂きました。今回はalphaさんが投稿してくださった記事です。alphaさん、投稿ありがとうございました&記事のアップが遅れて申し訳ありませんでした。


下記の通り、alphaさんは既卒者・未経験者向けの就職支援プログラムに参加し、その際に企業から不採用を告げられています。その不採用理由が、正規雇用を求める若者の心に付け込んだ卑劣なものでした。以下、alphaさんの体験談です。


20代後半で、ある就職サポートプログラムに参加した者です。上記事業については毎年、都道府県が民間の人材派遣会社に委託して行っている 29歳以下の既卒者・未経験者向けの就職支援(正規雇用前提)プログラムです。事業の詳しい概要については、募集HPなどに書かれているので割愛させていただきますが、長く続いている事業の割には、体験談など参加者視点の情報が少ないのが気になりました。私の経験した範囲ではありますが、この場を借りて疑問に思った点について触れさせていただきます。


まず、プログラムの大まかな流れは以下のとおりです。

1.人材派遣会社に、プログラム参加者として登録
2.仕事の紹介を受ける、あるいは自分で参加企業の中から探す
3.就労先の企業との面接→就労先の決定
4.2週間にわたるOA・ビジネスマナーの研修
5.企業での就労開始→派遣社員(研修生)として2ヵ月半働く
6.双方の合意で正式採用

<備考>
・就労先の企業については、中小企業(~300名?規模)のみが対象
・研修期間中も時給が発生する
(参加態度が良くないと、契約自体を取り消されてしまうので参加者は真剣)
・派遣期間(就労体験)中も隔週で派遣元でのフォローアップ研修あり
・派遣期間終了から1ヶ月ほど前に採用可否が通知される
・プログラムの規定上、残業は禁止

プログラムの目的としては、「人材を必要としている中小企業に若者を紹介しよう!」・「就職難で中々正規雇用のチャンスをつかめない若者を支援しよう!」ということなのでしょうが・・・。この制度は企業側に対して優位に動いていると感じました。


最大の特徴であり、落とし穴は 「このプログラムを利用する企業は2ヶ月間無料で人を使える/試せる」という点です。研修費は国から出ます。研修生の試用期間中の給料も国から出ます。


**体験談**

私の場合、前職で雇い止めにあった後、中々次の仕事が決まらず、思い切って参加しました。登録後、いくつかの企業との面談を経て就労先が決まりました。希望に合った職種でした。就業開始はスムーズで、仕事自体は厳しいものの、とても良い職場環境に思われました。


派遣期間中、研修で学んだことを踏まえるのは勿論のこと、就業先の方とも積極的にコミュニケーションを取り、早く仕事を覚えて戦力となるよう努力しました。フォローアップ研修の際は、会社を休んで出席しなければならないので、1日分のタスクがたまってしまうのは仕方がありません。プログラムのルール上、残業はできないのでしっかり時間内に業務を処理するように意識しました。自分なりに工夫して周囲に気を配りながら仕事を回せるようになったかな…と思い始めたころに、採用可否の通知が来ました。


結果は「不採用」でした。自分に至らない点があるのは当然だと思い、今後の為にも理由を派遣元の担当者と就業先の上司に尋ねましたが、双方で意見が食い違い、明確かつ決定的な回答が得られませんでした。


後で現場の方に知らされたことなのですが、私の前に、同じプログラムを通じて既に正式採用が決定した元・研修生達は・・・何も言われなくても自主的に終電まで残り業務を行ったことが評価され、その「自発性」故に採用されたそうです


(残業…あれっ?)


このプログラムの運営側がこうした実態を把握しているのかは不明です。

****

以上が私の体験談になります。

同じ時期にプログラムに参加した友人は担当者・職場の上司の対応がしっかりしており無事に採用が決まったので、このようなケースばかりではないと思います(似たようなプログラムはさまざまな派遣会社や自治体で行われているので上記体験談とは実態が異なる場合もあります。) 。


ここからは私見です。中小企業と若年層の双方の就労状況を良くしようという都道府県による試みは画期的だと思います。しかし、企業側(または運営側)がこのプログラムの仕組みを都合の良い様に解釈し、利用する危険性も十分にあります。会社が試用期間で人材を使い捨てにするという話があるくらいです。その試用期間、無料で人を使えるとしたらどうなりますか?会社としての損失を出さない上、ちょっとでも要望に満たなければ通常の雇用以上に"切る"のが用意になります。参加者は基本的な社会人マナーは派遣元から、実務その他については派遣先から学ぶことになるわけですが、企業側がその趣旨を理解しているとは限りません。


運営側(派遣会社・自治体)は取引先の企業についてどの程度調査をして、プログラムについてどのような説明を行い、参加者を派遣しているのでしょうか。国の援助を上手に活用しながら、人材を育てていこうと考える良識ある企業がまだまだあることを祈るばかりです。


また、こうしたプログラムは便利ですが、希望通りの会社に決まらない場合もありますし登録から正規雇用まで時間がかかります。就職を急いでいる方には不向きです。参加者はこうしたデメリットも認識しておく必要があると思います。「プログラムに参加したが、仕事が決まらない」というリスクを回避するためにも求人サイトを定期的にチェックするなど別ルートでも仕事を探し続けるのが良いと考えてます。


私は「正規雇用」という名目が就活者・転活者の"鼻先の人参"のように扱われるような事態はあってはならないと思っています。この体験談が参加者や、参加を検討している方々、大勢の就活者にとって疑問を口にするきっかけになればと思います。最後に、この場で情報を発信する機会を与えてくださった管理者様、ここまで読んでくださった皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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ライフリンクが企業に求めているのは「就活生間の公平性」ではなく「誠実さ」ではないか

NPO法人・ライフリンクが、今月18日に「“就活自殺”の背景に迫る"就活に関わる意識調査"」の第2版を発表した。この調査は今年の3月・7月の2回にわたって行われ、その目的は就活の問題を取り上げることを通じて、生きづらさを感じる学生の声を汲み取ることにある。


この点、「若者を見殺しにする国」という著書で知られる赤木智弘さんは、「企業に公平性を求めるのはナンセンス」という記事において、この調査に対して批判的な立場を示した(http://blogos.com/article/71943/)。批判内容の一つとして、ライフリンクの問題提起は「企業は就活生間の公平性を担保するべき」というものであるが、そのような主張は妥当ではないというものが書かれている。


赤木さんは記事で「(不公平性を)批判するのは、恋愛において"俺をフって、他の男と付き合ったことの公平性を証明せよ!"と迫るようなものである。就職も恋愛も私的な問題に過ぎないはずだ」と述べる。僕はライフリンクの調査結果の原本よりも先に赤木さんの記事を先に目にしたので、当初はライフリンクの問題提起にこのような欠点があるものだと思っていた。しかし、いざライフリンクの調査結果を見てみると、逆に赤木さんの主張がおかしいという感想を持った。


上記のように、赤木さんはライフリンクの問題提起を「恋愛において"俺をフって、他の男と付き合ったことの公平性を証明せよ!"と迫るようなもの」と評した。しかし僕が見たところ、ライフリンクのメッセージは「恋愛において自分を振るのは構わないが、せめて振り方をもう少し考えてくれないか?」というものだと感じた。つまり、ライフリンクが企業に求めているのは「(就活生間の)公平性」ではなく「誠実さ」ではないかと思った訳である。


そもそも、赤木さんがなぜライフリンクの調査結果から「企業に公平性を求めている」という問題提起を読み取ったのかというと、ライフリンクの調査が「ランクの低い大学では説明会にすら参加できない」という就活生の不満を取り上げていたからだと思われる。確かに、調査結果の原本を見てみると、11ページに「学歴フィルター(全ての学生に公平に開かれた採用を謳いながら、実際は大学名によって優遇や差別があること)」の存在に触れている箇所があることが分かる(http://www.lifelink.or.jp/hp/Library/201310shukatsu.pdf)。


しかし、ライフリンクが「学歴フィルター」の存在に触れた背景に「就活生間の公平性を担保すべき」という信念があるとは僕には思えなかった。なぜなら、調査結果のp.53を見ると、そこには就活生の「学歴フィルターがある。欲しくない学校なら最初から言ってほしい。無理に平等を取り繕う必要はないと思う」という声が載っているからだ。また、ライフリンクも調査結果を踏まえた提言として「採用活動における企業の"二枚舌"を禁止する」というものを挙げている(http://www.lifelink.or.jp/hp/Library/201310teigen.pdf)。


つまり、ライフリンク・調査に答えた就活生も別に企業に対して「公平性」を求めているわけではなく、むしろ「就活生間の不平等さは構わない。しかし、実際には不平等な採用活動をしているのに、あたかも公平な活動をしているかのような素振りをするのは辞めてくれ」という主張をしている。なぜこのような主張をしているのかというと、調査結果のp.12を見ると「企業のルール違反や不誠実な対応が学生の不安や戸惑いに繋がっている」からであることが分かる。このことから赤木さんの批判はあまり適切ではなく、ライフリンクが企業に求めているのはやはり「誠実さ」ではないかと思っている。そしてこの認識が正しければ、ライフリンクの問題提起は僕がこれまでブログで書いてきた内容と大いに通じるところがあるので、共感できる。

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疲弊する教員に過大な要求をする社会であってはならない

言うまでもないことのような気がするが、「ブラック企業」という言葉には「企業」という言葉が含まれている。ゆえに、労働環境の問題を考える際に「民間企業」の実態に思いを巡らせる人が多くいるかもしれない。しかし当然、問題視すべきはそれだけではない。


17日の朝日新聞に「教員の"残業"月95時間超 10年で14時間増える」という記事が載っていた。この記事によると、全日本教職員組合が実施した幼稚園・小中高校などの教職員の勤務実態調査において、教員の時間外勤務が1カ月平均で72時間56分、自宅に持ち帰った仕事の時間も含めると同95時間32分にのぼったことが明らかになったという。これは前回調査の2002年と比べて、月平均で14時間33分も増えているらしい。


この点、2006年に実施されたベネッセの教員勤務実態調査によると、決して全教員が長時間労働に従事しているわけではないらしい。しかし、早めに帰宅ができる教員もいる一方で、長時間勤務が常態化している教員も確かにいるとのこと(http://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2007_09/ren_suzukinao_03.html)。加えてこのベネッセの調査では、勤務時間中にほとんど休憩や休息を取ることができておらず、小・中学校では、夏季休業中を除けば学校で勤務している間に10分程度しか休憩を取っていないことが分かっている(http://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2007_09/ren_suzukinao_04.html)。


このような労働環境があるゆえか、同じくベネッセの調査では「教員が行うべき仕事が多すぎる」と感じる教員が小学校・中学校共に8割を超えている。加えて、「授業の準備をする時間が足りない」・「仕事に追われて生活のゆとりがない」と感じる教員も8割弱いる。これは2006年の調査結果だが、恐らく現在の教員の労働環境を考える際にも大いに参考になるデータだろう。


ただ、教員の不満とは逆に「教育」に求められる要求は過剰なものになっているのではないか。元・杉並区立和田中学校の校長である藤原和博さんは「教育をめぐる虚構と真実」という本において次のように述べている。

例えば2年D組を担任している数学の先生は、バスケット部の顧問もしています。その先生にIT教育もやらせ、環境教育もやらせ、福祉やボランティア教育もやらせ、国際教育もやらせ、少年が何か事件を起こすと「心の教育」もやらせ、小学生がウサギか何かをいじめたと言っては「命の教育」をやらせ、ニートが増えたというのでキャリア教育や金銭教育をやらせ、さらに起業家教育もやってくれ・・・ってできるわけがありませんよ。スーパービジネスマンだってこんなムチャクチャな要求には応えられない

これは以前このブログでも取り上げたことがあるドイツの教育学者、W・ブレツィンカの見解と通じるものであり、要は何か問題が起きたらその解決策を教育に押し付けようとする動きがあるということだ。そして、肝心の教育を担うのは「○○教育が必要だ!」と提言する人ではなく、個々の教員。教員からしたら「ふざけるな」と思っても仕方がないんじゃないか。もしかすると「今ブラック企業が問題になっているので、早い段階から労働法教育が必要です」という提言に対しては「労働環境の大切さを訴えるあなたが、私たちの仕事を増やしてどうするんだ」と不満に思うかもしれない。


濱口桂一郎さんは自身のブログで、教師の労働環境の実態を記した「いま、先生は」という本の感想として「ここで描かれている教師たちの姿は、ブラック企業で身をすり減らし、心を病み、自殺に追い込まれていくあの労働者たちとほとんど変わらないように見えます」と述べている(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-b495.html)。この記述を見ると、問題の解決策を安易に教育に求め、ひいては教員の負担を増すようなアプローチは、疲弊した教員たちに鞭を打つ行為に等しいのかもしれないと思う。

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日本の教育はボロクソに言うほど悪くないし、教育に問題を抱えるのは他国も一緒

一つ前の記事で取り上げた「教育再生実行会議」という名称を見ると、日本の教育に「再生」の必要性があるということで、「現在の教育の在り方には問題がある」という前提の存在が感じられる。別にこの会議のメンバーに限らず日本の教育に問題を感じる人はいるだろうし、中には日本の教育を他国と比較した上で批判する人もいる。


そのような論調は、メイロマさん著の「日本が世界一貧しい国である件について」という本で見られる。メイロマさんはイギリスと日本の教育を比較した上で、前者を高評価し後者を批判している。端的に言えば「日本の教育に無駄が多すぎる」と感じているらしく、その無駄の一つは「日本の教育が、暗記とそれを吐き出すという作業の繰り返しになっている」とのこと。それに対して、イギリスの小中学校・高校では「チャールズ5世の外交政策は失敗であった。その理由とは何か?」・「エジプトの歴史をホームページ、データベース、インターネット上の動画を使って調べなさい。そしてそれをウェブサイトにまとめ、facebookで発表せよ」といった課題を学生に課す、即ち「考えさせること」に重きを置いた教育をしている点が良いのだという。


メイロマさんは「このような課題を繰り返しやることで"考える力"、"情報を正しく使う力"、"説得する力"が身に付きます。仕事や日常生活で必要な力は、まさにこれらでしょう。暗記ばかりやっている日本の学生は、人生の時間を無駄にしているとしか思えません。考える訓練を受けられないかわいそうな人たちです」と述べる。こうしてみると、日本の教育がイギリスの教育に劣っているかのような印象を受けるし、もしかすると実際劣っている部分もあるのだろう。しかし一方で、日本の教育は相対的に見ればだいぶマシなんじゃないかと感じさせるニュースもある。


知っている人も多いと思うが、それは「日本の"成人力"世界で突出 "読解力""数的思考力"トップ OECD調査」という記事である。これは、仕事や日常生活で必要とされる汎用的スキルのうち「読解力」「数的思考力」「ITを活用した問題解決能力」の3分野のスキルを直接測定することを目的として実施された「国際成人力調査」(PIAAC=ピアック)で、経済協力開発機構(OECD)加盟など先進24カ国・地域のうち、日本の国別平均点が「読解力」と「数的思考力」でトップだったことを報じたニュースである。


記事の見出しだけ見ると「日本の平均点がトップ」ということしか認識できないが、このニュースでは「日本は各国に比べ、成績の下位者の割合が最も少ない」ということも報じている。実際、国立教育政策研究所のホームページに掲載されている「PIAAC日本版報告書"調査結果の要約"」を見ると、日本の「成績の下位者の割合」の少なさが他国と比べて際立っていることが分かる(http://www.nier.go.jp/04_kenkyu_annai/pdf/piaac_summary_2013.pdf)。そして、それはメイロマさんが大好きなイギリスよりも少ない。


「レベル1未満」から「レベル5」の6段階評価である読解力の習熟度レベルを見ると、レベル1未満の割合がイギリス(イングランド)が3.3%いるのに対して、日本はわずか0.3%に留まっている。レベル1の割合はイギリスが13.1%に対して日本は4.3%。レベル2の割合もイギリスが33.1%に対して日本は22.8%。つまり、日本とイギリスで成績の下位者の割合を比べるとイギリスの方が圧倒的に高く、必然的に中位者~上位者の割合は日本の方が上ということになる。


また、同じく「レベル1未満」から「レベル5」の6段階評価である数的思考力の習熟度レベルを見ると、レベル1未満の割合がイギリス(イングランド)が6.4%いるのに対して、日本はわずか1.2%。レベル1の割合はイギリスが17.8%に対して日本は7.0%。レベル2の割合もイギリスが33.3%に対して日本は28.1%。読解力の結果と同様に、日本とイギリスで成績の下位者の割合はイギリスの方がはるかに上となっている。


つまり、イギリスでは低学力層が相当いるということで、これは日本のことをバカにしている場合ではないレベルの課題なのではないだろうか(バカにしているのはイギリス人ではなく、メイロマさんですが)。「読解力」「数的思考力」がレベル1未満だとかレベル1だということは、そもそも基礎学力が備わっていないということだろう。日本とイギリスの基礎学力が互角で、その上でイギリスの人たちに「考える力」が備わっているのなら「イギリスすごいな」と思うけれど、実際にはそうでないのだから別にそこまでイギリスを礼賛する気は起きない。むしろ、見習ったらまずいんじゃないかとすら思う。


メイロマさんの言うことは「外国のいいところと日本の課題を比べて"外国はいい"と言っているだけ」とみなすくらいで丁度良いんじゃないだろうか。「日本にあって外国にはない良さ」というものがあることを認識し、その良さを損なわない形で教育を改善していくことが望ましい。

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「充実した生活を送るように!」というメッセージと「意識高い系(笑)」という揶揄に挟まれ得る学生たち

毎日新聞の「<国公立大入試>2次の学力試験廃止 人物評価重視に」という記事が話題になった。これによると、政府の教育再生実行会議が、国公立大入試の2次試験から「1点刻みで採点する教科型ペーパー試験」を原則廃止する方向で検討することが分かったという。廃止に伴い、2次試験は面接や論文、課外活動の評価を重視するものと変わるらしい。


面接重視になるということで、帯広畜産大学・人間科学研究部門の渡邊芳之教授のように「端的に言ってしまえば大学入試も就活と同じになる。面接苦手な人は大学に入れなくなる,ということだ」と批判する人もいる。教育再生会議の検討通りの受験になった場合、高校生は大学に入るための準備として、これまで以上に課外活動に力を入れることが予想される。恐らく多くの高校生は何かしらの部活に入っていると思うので、差別化のために大学入試のためのネタ作りとしてボランティアなどに参加することを考える高校生が増えるかもしれない。


ここで高校生が「ネタ作り」に走ることは責められないと思う。恐らく高校生も、就活で大学名が少なからず関係することは知っているのだから(「学歴差別」という言葉くらいは知っているのだから)、少しでも大学から評価する確率を高めるための行動を取るのは当然のことだ。アメリカの入試でも、高校生の時に何か特別な事をやったかどうかが書類審査の際に重要な決め手になるために、有名校を目指す優秀な高校生は大学の入試担当官に極めてウケる課外活動と評される疑似裁判をやったり、演劇部に所属したりするらしい(http://markethack.net/archives/51802124.html)。


しかし、現在の大学生の行動を評価する言説を見ると、課外活動に取り組もうとする高校生を揶揄する言説が生まれないかが心配である。この危惧の背景には、人材コンサルタントの常見陽平さんが考察した「意識高い系(笑)」という概念がある。常見さん著の「意識高い系という病」を見ると、「意識高い系(笑)」の特徴の一つとして「やたらと前のめりの学生生活を送る」というものがあることが分かる。常見さん曰く、夏休みに企業のインターンシップをはしごしたり、海外でボランティアをしたりと他人に自慢できる経験をしようとする人は、周りに認めてもらいたい・就活で自慢できるネタにしたいという下心が見え見えなのがいやらしいとのことだ。


この言説を踏まえると、高校生(まぁ、別に高校生に限らず学生)が「勉強の成果だけじゃなくて"人間力"も評価するから、充実した学生生活を送るように!」というメッセージと「大学入試で自慢できるネタにしたいという下心が見え見えなのがいやらしい」というメッセージの間に挟まれる危険性があるように思われる。仏のような高校生じゃない限り「僕らはどうすればいいの?」と感じずにはいられないだろう。


確かに「いろいろな活動を頑張っているように見せかけながら、実は何も頑張っていない」という振る舞いは批判に値すると思う。しかし、さすがに「大学入試・就活に自慢できるネタにしたい」という気持ちまで批判するのは酷なのではないか。このように感じることから、「意識高い系(笑)」という概念は、本当に存在が恥ずかしいものだと思っている。

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「正直者がバカを見る」と感じる就活生たち

今年の3月に、自殺対策支援に取り組むNPO法人・ライフリンクが実施した「就職活動に関わる意識調査」が公開された。その調査によると、調査に答えた就活生の半数以上が日本社会に対してマイナスイメージを抱いていたという(http://www.lifelink.or.jp/hp/Library/130330_shukatsu_01_kekka.pdf p.9)。そのマイナスイメージの具体的な中身の一つとして「正直者がバカを見る」というものが挙げられる。「正直者が報われる社会だ」と答えたのが3割程度だったのに対して、「正直者がバカを見る」と答えたのが約7割近くとなっていたのである(ただ調査に答えたのは120人程度なので、この調査結果が就活生全体の意思を反映していないことが明らかであることには注意が必要)。


就活において「正直者がバカを見る」ことの具体例としては、「webテストの不正」というものが挙げられるだろう。ここでいう「不正」とは「替え玉受験」のことを指す。企業が課す筆記試験を自分よりも優秀な友達にやってもらったり、あるいは友達同士で協力し合ったりして、選考を突破しようとする行為が横行しているのである。例えば過去には、webテストの不正受験をツイッターでつぶやく人が続出し、それがtogetterでまとめられたことがあった(http://togetter.com/li/104295)。勿論webテストの不正受験も問題だが、そのことをツイッターでつぶやく神経もおかしなものである。


最近でも「ココが変だよ、日本の就活。webテストで大半をふるい落とす会社って? 」という記事が、webテストの不正に関する問題を指摘していた。言っていることの一つとしては、「小ずるい学生が得をする、不正したもの勝ちのシステムはおかしいのではないか?」ということ。この主張の前提としては「小ずるくない、"正直者"な学生が相対的に損をするのはおかしい」という価値観があるように思われる。


確かに現実として、一就活生の行動としてはわざわざ時間を割いてwebテストの勉強をするよりも、テストは友達にやってもらい、それで浮いた時間を別の作業に割り振る方が合理的ではあることは事実である。また、明らかに不正が可能なシステムを企業が採用しているということは、実質的に企業が「webテストの替え玉受験」を黙認していると評価することも可能だ・・・という考え方も分からなくはない。しかし一方で、直感的に「なんでズルをする人が評価されるようなシステムになっているんだ?」と感じる人も多くいるだろう。特にライフリンクの調査で「正直者がバカを見る」と答えた人はこのシステムに憤りを覚えているのではないだろうか。


ライフリンクとしては「正直者がバカを見る」と感じる就活生が多いことを発信することで、社会を「正直者が報われる」方向に近づけていこうとしているのだと思われる。つまり、就活生に対しても「正直者でいていいんだ。正直者が生きにくい社会がおかしいんだ」というメッセージを発信していると感じられる。確かに、この方向性は基本的には間違っていない。


しかし、もしこのメッセージの発信がいわゆる「処世術」のようなものを批判する方向に働いてしまったら、それは就活生にとってもマイナスな非現実的で妥当ではない発信といえてしまうと思う。例えば、バカで失礼な面接官に憤りを覚えた場合にも、その企業で働きたい(働かざるを得ない)場合には、その面接官に対して自分の憤りを隠す必要は生じるだろう。あるいは、普段はあまり愛想が良くない人でも、面接では一定程度笑顔を作ることが求められるだろう。


つまり、「正直者がバカを見る」というメッセージが「常にバカ正直であれ!」という意味を込めるようになってしまうことは避けなければならない。そのような意味を込めてしまっては、かえって就活生にとって不利益になってしまうのではないだろうか。このことから、「正直者の就活生がいい!」というメッセージは、そのメッセージに込められている意味にもよるけれど、基本的には半分正しく、半分現実的ではないといえるのだと思う。

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「労働者の生命・健康は至高の法益」とした判決を大切にしよう

ベストセラーとなった今野晴貴さん著の「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」には、株式会社大庄のケースが載っている。これは、2007年4月に入社した男性正社員が、入社後4か月で急性心不全のために亡くなったケース。この男性の時間外労働は、死亡前1ヵ月間は約103時間、同2ヵ月目は約116時間、同3ヵ月目は141時間、同4ヵ月目は約88時間と、厚生労働省が定める過労死ラインを大きく上まわるものであった(http://www.minpokyo.org/journal/2011/06/189/


この男性の両親は会社・役員4人に対して損害賠償請求をしていた。そして先月24日の決定で、会社側に計7863万円の賠償を命じた一・二審判決が確定した。会社側は最高裁まで争おうとしたらしいのだが(会社は「業務と死亡との間に相当因果関係があると認定することは著しく不合理である」と主張していたhttp://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100604194535.pdf p.9)、最高裁は会社側の上告を退けたのである。


高裁判決は「責任感のある誠実な経営者であれば自社の労働者の至高の法益である生命・健康を損なうことがないような体制を構築し、長時間勤務による過重労働を抑制する措置を採る義務があることは自明であり、この点の義務懈怠によって不幸にも労働者が死に至った場合においては悪意又は重過失が認められるのはやむを得ないところである」と判示したという。この事件を担当した松丸正弁護士によると、会社側は「過労死ラインを超える労働時間、賃金体系をとるか否かは経営判断」と主張していたらしいのだが、その主張は裁判所に否定されたということなのだろう。


賃金体系のところはひとまず置いておいて、大庄の「過労死ラインを超える労働時間をとるか否かは経営判断」という主張は「自社の労働者が死ぬ危険性が高まっても構わない」と言っているに等しく、明らかにふざけている。いくら就職先に困ったとしても、この企業だけはしばらくの間は敬遠することを薦めたい。労働環境が改善したら話は別だけど、最高裁まで争おうとしたということは会社側は「自分たちは悪くない」と思っている可能性が高く、ゆえに当分は会社の体質は変わらないだろうと思われるからだ。


この判決は、ブラック企業擁護とも思える主張に対する非常に有用な武器となる。例えば先月27日の朝生では「ブラック企業が嫌なら辞めればいい」という主張がなされたらしいが、これに対して「"そもそもブラック企業は存在してはいけない"という趣旨のことを裁判所が言っているんですが」と言い返せる。ブラック企業問題に関心がある人はこの判決を知っておいて損は無い・・・というか知るべきだ。


この意義ある判決の背景として、もちろん担当弁護士の努力や裁判所の適切な判断があったことは間違いない。そして、何よりも忘れてはいけないのは、この判決がなされたそもそもの背景には「会社に殺された被害者」がいるということ。人々が恩恵を受けるルールの創出(明文化)の裏にある努力・犠牲を意識し、「労働者の生命・健康は至高の法益」という規範を大切にしたいものである。

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日本でもベーシックインカムに関する議論を進めよう

前回の記事で、phaさん著の「ニートの歩き方」における「これだけ科学や文明が発達しているのに、いまだに人間が労働しないと生きていけないとかなんかおかしい。もう21世紀なんだからそれくらいは文明で保障されてもいいだろ」という記述を紹介した。phaさんはこのような思いから、日本に「ベーシックインカム」が導入されることを望んでいる。


ベーシックインカムとは、所得や就労状況に関わりなく、すべての人(国民)を対象に一定水準の現金を給付する政策であり、それにより最低限度の生活(所得)を保障するという構想である(ここでは、posse vol.8の「10分で分かるベーシックインカム」の定義を書きました)。この構想の意義は「労働からの解放」という点に求められている。誰もが最低限度の所得を無条件に得られることで、「働きたくない人は働かなくても良い社会」を作ることができる構想であると評価されることがある(この評価への反対意見もある)。


上述のように、このベーシックインカムはphaさんが導入を望んでいるもので、且つ前回の記事でも触れた日野瑛太郎さん著の「脱社畜の働き方」でもベーシックインカムの導入を検討する記述が見られる。「脱社畜の働き方」のamazonのレビューにも「ベーシックインカム、実現するといいな・・・」という感想が記されている。


なお、ベーシックインカムの導入を望む声が上がっているのは日本だけではない。むしろ、海外の方が議論が進んでいると言える。スイスでは、昨年ベーシック・インカム制定を求める国民発議が正式に発効された。そして、この国民発議案が今月の11日までに10万人以上の署名を集めることができた場合、連邦議会にはこれを審議する義務があり、その価値があると認められた場合には、議会は更にこれを国民投票に付することができるらしい(http://jp.globalvoicesonline.org/2012/06/19/13795/)。そして、5月末ですでに11万人分の署名を集めたという(http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=36138640)。


このことから、もうすぐスイスでベーシックインカムの実現を巡る議論が活発化する可能性が高いと思われる。もっとも、実際にベーシックインカムが導入されるのかというと、それは実現可能性の観点から否定的な見方が強いようだ。またスイスの話から離れると、実現可能性の話を抜きにしても、ベーシックインカムという構想そのものが欠陥だらけという見方もある(「藤井聡センセイの"わかりやすいベーシックインカム維新八策"」という動画がその欠陥を説明している)。


僕はまだベーシックインカムについては勉強途中なのだが、少なくとも反対論を目にしてみた限り、「働きたくない人は働かなくても良い社会」という耳心地の良い言葉に飛びついて賛成することだけは止めた方が良いと感じた。この構想を歓迎するであろう人も確かにいる一方で、この構想により苦しむ人も現れうることを認識しなければならない。その辺の議論は、近いうちにブログで紹介できたらと思う。

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