スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「安易にいくらでもエントリーできる仕組み」を作っている責任をナビサイトにばかり押し付けてはいけない

リクナビのおかしさを訴えるツイートが大量にリツイートされている。 ドワンゴの川上会長の問題提起(受験料徴収のこと)など、「就活生の大量エントリー」に関する議論が活発化している。WEDGEの最新号「"就活"が日本をダメにする」の中でも「就職することを目的化している学生が増え、入社後に燃え尽きているようで力を発揮しない。安易にいくらでもエントリーできる仕組みに何らかの原因があるのでは」と語る人事の声が載っている。


確かに、その人事が述べたような「安易にいくらでもエントリーできる仕組み」には問題がある。しかし、問題の所在をナビサイトにばかり求めるのも妥当ではないと思う。過去記事「スクリーニングの手間を惜しむ企業が"たくさんの就活生が受けに来る・・・"と嘆くのは筋が違う」で詳しく書いたけれど、就活生が企業に手軽にエントリーできる背景には個々の企業の無策さも挙げられると考える。


というのも、このブログで何度か取り上げ、且つ前述のWEDGEにおいても「志望度の高い者以外がエントリーしづらくなっている例」として挙げられているライフネット生命も思いっきりリクナビを利用しているからだ(https://job.rikunabi.com/2015/company/top/r772710024/)。ライフネット生命は「重い課題(※小論文)」を入社希望者に課すことで知られているけれど、その結果として昨年度は8471名のプレエントリー者に対して、書類を提出したのはたったの70名となっている(http://recruit.netseiho.com/2015/screening/index2.html)。


この例から分かるのは、確かにリクナビなどのナビサイトの活用によってとりあえずの母集団は相当の数になるけれど、その後企業が課すエントリーの要件次第では就活生もそう簡単にエントリーできなくなるし、企業側からすれば冷やかしで入社試験を受けようとする就活生を排除することが出来ると言える。つまり、もし大量の応募者に悩んでいる人事がいるとすれば、その原因の一部は確かにリクナビなどのナビサイトにあるのだろうけれど、一方で企業の無策さにも原因は求められて然るべきだという話になるのではないだろうか。


考えてみれば、確かにプレエントリーの段階まではワンクリックで事が済むわけで、それを「安易にエントリーできてしまう」と評するのも話は分かる。しかし当然のことながら「プレエントリー=本エントリー」ではない訳で、いざ企業に応募するにあたっては個々の企業がそれぞれ課すエントリーシートを作成しなければならない。もし就活生が安易にエントリーシートを完成出来ているのだとしたら(=安易に本エントリー出来ているのだとしたら)、それはナビサイトというよりも企業側の問題の方が大きいのではないか。皮肉なことだけれど、前述の人事が言う「安易にいくらでもエントリーできる仕組み」を作っている責任の一端はその人事のような人たちが担っているのではないだろうか。


WEDGEに収録されているドワンゴの川上会長のインタビューによると、ドワンゴの問題提起に対して「よく言ってくれた!」とエールを送った人事部が多くあったらしい。何だか、企業がナビサイトの被害者になっているかのような論調が出来上がっている気がする。確かにそういう見方は一面では正しいのかもしれないけれど、ナビサイトをスケープゴートにして話を終わらせるのは問題の所在を見誤ることにつながると思う。この記事で書いてきたような、企業側の問題もきちんと見るべきだ。

「安易にいくらでもエントリーできる仕組み」を作っている責任をナビサイトにばかり押し付けてはいけないという意見に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村  
このエントリーをはてなブックマークに追加
ブログにfeedly登録ボタンを設置してみました!登録はこちらからどうぞ。  
follow us in feedly    
関連記事
スポンサーサイト

日野瑛太郎さんが語る「頑張らなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という趣旨の主張はただの気休めではないか?

脱社畜ブログの管理人・日野瑛太郎さんはブログのスタンスを非常に簡潔にまとめた次のようなつぶやきをしたことがある。 見ての通りこれは昨年5月のツイートだけれど、脱社畜ブログには最近「意識が高くても別にいいんですよ、それを他人に押し付けなければ。」という記事がアップされているし、ツイートに示されている考えは変わっていないと言って良いと思う。記事にある「意識の高さにしても、アンテナ感度にしても、一番大切なことは"押し付けない"ことだと思う」という記述はツイートと同様「意識を高く持ちたい人は持てばいいけど、持ちたくない人は持たなくてもいい」という趣旨のメッセージを発しているし、それが「てめえが勝手に意識高く生きる分には全く問題ないけど、それを人様に押し付けんなって話。価値観は人によって千差万別」という共感を呼んでいると言える(http://b.hatena.ne.jp/entry/dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2014/03/15/140948)。


ただ、日野さんの著書「あ、"やりがい"とかいらないんで、とりあえず残業代ください」を読んだ人の中には上記の日野さんのメッセージに違和感を覚える人もいるかと思うし、かく言う僕は違和感を覚えている。どういうことかというと「日野さんの認識に基づけば、"意識低く生きる"という選択をする自由なんて無いって話になるんじゃないの?」という疑問が浮かぶのである。


本によると、日野さんの現状認識は「経済のグローバル化も進み、企業間の競争はどんどん激しくなってきています。こういう状況で、数十年先の安定した経営が保証できるような企業は、もはやどこにもありません(p.59)」というものである。その上で「"社畜"になってただ真面目に働いてさえいれば、それで幸せになれるという時代は終わったのです。これからの会社員は、会社と自分の人生を切り離し、会社とそれなりに距離をとって働くことが必要です(p.62)」と主張がなされ、加えて、日野さんは終身雇用を匂わす会社やそれを信じる人たちに対して「そろそろ現実を見ないと、未来は無い」とも言っている。


そして、本の最後の方では次のような提言がなされている。

すでに述べたとおり、これからの時代の会社員は、ひとつの会社の「一員」として一生勤めあげるのではなく、会社を「取引先」ととらえて適切に距離を保ちながら働く必要があります。しかし、このような働き方をすることは、決して容易なことではありません。たとえば、会社が理不尽な働き方を強制してきた時に、「それならいいです、他の会社で働きます」といったように、強い態度に出るためには、いつでも会社(取引先)を移れることが前提になります。そのためには自分の労働市場における価値を高めておかなければなりません(中略)キャリアデザインの際には、このような「労働市場における価値」を常に把握して、極力市場価値が高くなるような業務選択や資格取得、そして勉強を行っていかなければなりません(中略)今の会社ではどうしても市場価値を高められないという場合には、なんとかプライベートで勉強時間を捻出するなどして、自分の価値を高める手段を講じる必要があります。複数の会社において需要があり、かといって陳腐化しているわけでもないようなスキルを身につけることができれば、会社に対してもある程度強い立場で交渉が出来るようになります

これに対して、本の書評を書いた「fujipon」さんは上記の引用部分に対して「本気で"自分にしかできないスキル"とかを追い求めていったら、ワークライフバランスと両立していくことは可能なんだろうか?」という疑問を発しているけれど(http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20140210)、これは日野さんの文章を読んでいたら自ずと抱くはずの真っ当な疑問だと思う。要は、日野さんの一連の文章を見ると「頑張らなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という方向性の主張と努力・自己研鑽の必要性を訴える主張が共存しているので、そうした点に違和感を覚えるのは自然だということだ。本の記述に従えば、人々は好むと好まざるとにかかわらず意識を高く持ち、頑張ってスキルを伸ばしていかなければならないという話になるはずなのだが・・・。


この点、瀧本哲史さんは「いまや大企業に入ったからといって"一生安泰"ということはありえません(武器としての決断思考 p.13)」と日野さんと同様の前提に立ちつつ、その前提ゆえに、人々が「誰とでも交換可能な人材(コモディティ人材)」ではなく「交換不可能な人材」となるべき必要性を説いている。「これから益々厳しい社会になっていくのは間違いないから、それに対応できるだけの能力を身につけよう」というのは、少なくとも主張の筋は通っていると言える。日野さんの主張も瀧本さんの主張と大体方向性は同じなのだが、日野さんの場合は彼の主張を総合すると「これから益々厳しい社会になっていくのは間違いないけど、努力ができなくても落ち込まなくていいし、意識を高く持ちたくない人は持たなくていいよ」というおかしなものになるので「一体何を言っているの?」と感じる。


日野さんが本で記した認識・提言に従えば、日野瑛太郎さんが語る「頑張らなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という趣旨のメッセージは結局のところただの気休めではないかと感じる。そのメッセージに同意したり喜んだりする前に、メッセージの内容とこの記事で触れた本の引用部分との整合性を確認した方が良いのではないかと僕は思う。

日野瑛太郎さんが語る「頑張らなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という趣旨の主張はただの気休めではないかという意見に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村  
このエントリーをはてなブックマークに追加 
ブログにfeedly登録ボタンを設置してみました!登録はこちらからどうぞ。  
follow us in feedly        
関連記事

ドワンゴの受験料制度と厚生労働省が掲げる「公正な採用選考」

(一部の)就活生から受験料を取る「受験料制度」に対して厚生労働省から中止を求める行政指導を受けたドワンゴ。ドワンゴのホームページには、厚生労働省がドワンゴに「助言」をした際にどのような説明をしたかが書かれている(http://info.dwango.co.jp/recruit/graduate/info/index.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+netnavi/topics+(%E3%81%AD%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%B3+-+%E8%A9%B1%E9%A1%8C%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B)。


それを見る限り一番問題なのは「職業安定法の"労働者の募集における報酬受領の禁止"」に該当する可能性があることだと思われる。ただ、ドワンゴのホームページには書かれていないし、厚生労働省がドワンゴへの「助言」の際に言及したかも定かではないが、ドワンゴの受験料制度は厚生労働省作成の「採用のためのチェックポイント」が掲げる要件を満たしていないように見えるという点でも問題視する余地がある(http://www2.mhlw.go.jp/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)。


そもそも厚生労働省は企業に対して「応募者の基本的人権を尊重した公正な採用選考を実施すること」を求めている。具体的には、公正な採用選考を行う基本として「応募者に広く門戸を開くこと」・「本人のもつ適性・能力以外のことを採用の条件にしないこと」・「応募者のもつ適性・能力が求人職種の職務を遂行できるかどうかを基準として採用選考を行うこと」などが企業に求められる旨を示している。そのチェックポイントには法的拘束力など無いはずで、正直存在意義があるかどうかすら疑わしいけれど(「ただの建前じゃん」と言ってしまえばそれまでだと思う)、一応厚生労働省としてはこのような考えを持っているということになっている。


以上を踏まえると、ドワンゴの受験料徴収も「本人のもつ適性・能力以外のことを採用の条件にしている」という意味で、厚生労働省の立場からするとこれを問題視するのは自然なことだと僕は思う。ドワンゴの受験料制度に対する批判としては「就活生の金銭的負担」が主なものとして挙げられると認識しているけれど、その他に「採用のためのチェックポイント」に照らした批判も無し得ると言える。


ドワンゴは受験料制度の趣旨を「本当に入社したい人材に集まっていただくため」と説明しているが、個人的にはその足切り方法は異質だと感じる。エントリーの要件を厳しくした試みとしては、例えば「重い課題」を課したライフネット生命(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-531.html)、応募条件にTOEIC730点以上という要件を入れた武田薬品工業・エントリーシートのテーマを変更することで他社向けに書いたエントリーシートの転用をできなくし、自社のために時間を割いて真剣に書くことを就活生に促した富士ゼロックス(これらの取組みは経済同友会の報告書で取り上げられている http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2011/pdf/120223a.pdf p.8)の事例が思い浮かぶが、これらは「就活生のもつ適性・能力」を測ろうとする姿勢が見られると言って問題ないだろう。しかし、これらのケースとドワンゴのケースを同列に扱うのは、やはり「就活生のもつ適性・能力を見ているか」という観点からは難しいのではないか。


武田薬品工業の件はニュースにもなっていたけれど、僕が知る限り、これに対して厚生労働省が「英語が出来る人だけが採用試験を受けられる状態になってしまうことを大変危惧している」という趣旨のことを述べたことはなかったはずだ。即ち、厚生労働省がエントリー段階での足切りを一切否定しているのかというと恐らくそんなことは無いはずで、あくまでもドワンゴが採用した方法がまずかったという話なのだと思う。ドワンゴの受験料制度に好意的な声は多くあったけれど、一方で「採用のためのチェックポイント」と絡めて「"2525円の支払いを求めること"が、ドワンゴで働いていく上での適性・能力を測ることになるの?恐らくならないと思うけど、そんな基準を就活生に課してよいの?」という批判を考えてみるのも有意義だと思う。

ドワンゴの受験料制度の是非を厚生労働省作成の「採用のためのチェックポイント」と関連付けて考えてみると良さそうという意見に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村  
このエントリーをはてなブックマークに追加 
ブログにfeedly登録ボタンを設置してみました!登録はこちらからどうぞ。  
follow us in feedly  
関連記事

学校教育が「社畜」を生み出す土壌になっているだって?

和田実さんという方が書いた「社畜を“育む”学校教育?"やりがい""自己実現"という洗脳が社員を蝕む」という記事では、日野瑛太郎さん著の「あ、"やりがい"とかいらないんで、とりあえず残業代ください」で提起されていた議論が紹介されている。その議論とは、簡単にいえば「人が"社畜"へと洗脳されていく過程がある」というものだ。


こうした議論は今野晴貴さん著の「ブラック企業」でもなされていて、日野さんの本に書かれている議論は今野さんの議論と結構重複している。具体的には「就活や新人研修で洗脳がなされることで、人が違法行為を受け入れるようになっていく」という主張などが共通している。ただ一方で、僕が見落としているのでなければ日野さんの本のみで主張されていることもあって、それが「学校教育が社畜を生み出す土壌になっている」というものだ。


その具体例の一つとして挙げられているのが職場体験だ。本では次のように書かれている。

学校教育の目玉である職場訪問・職場体験でも、強調されるのはこういった労働の「自己実現」「社会貢献」といった側面です。「仕事にやりがいをもって取り組む大人たちの姿」や「人や社会の役に立つことで金銭以外の喜びを得る大人たちの姿」をたくさん見せられて、子供たちは「働くことはお金のためだけではない」ということを学ばされます。このように、「働くことはお金のためだけではない」と教えられているうちはまだいいのですが、あまりにも「仕事で得られるお金以外のもの」が強調されすぎているため、いつしか生徒たちは「お金よりも、やりがいの方が大事だ」という価値観が正しいと考えるようになります

冒頭で触れた和田さんは、記事の最後で「著者は戦後から社畜化教育の歴史を振り返るが、歴史を見れば、明治期の"軍人勅諭"や"教育勅語"に見られる"滅私奉公"の思想が、戦後は"国"から"会社"へとその対象を変えたにすぎないことは明らか」と言っているので、恐らく日野さんの話の大部分に同意しているのだと思う。ただ僕は、特に引用部分の最後「いつしか生徒たちは"お金よりも、やりがいの方が大事だ"という価値観が正しいと考えるようになります」という点に違和感を覚えた。単純に「本当に生徒たちはそんな価値観を持ってるの?」という感覚もあるけれど、それ以上に(これはこれで問題がある気がするが)「職場体験で得た気づきが生徒の心に残っているものだろうか?」という疑問がある。


このように感じているので、職場体験への評価としては児美川孝一郎先生が「キャリア教育のウソ」という本で展開している主張の方が個人的にはしっくりくる。児美川先生は、労働政策研究・研修機構が全国の20代半ばの若年者を対象に実施した「学校時代のキャリア教育と若者の職業生活」という調査を紹介しながら、職場体験というイベントが生徒に「気づき」をもたらすことは確かだけれども、その気づきが学生の中に定着し後々にまで影響を与えるのかというとそういう訳ではないと主張している。要は、現在の職場体験の問題点は体験が「一過性のイベント」に留まり、そこで得たことが風化してしまう点にあるのだという。


何をもって「一過性」と言えるのかというと、具体的には中学生の時はほぼ全員が職場体験に取り組むにも関わらず、高校生になると3割弱しか取り組んでいないという事情が挙げられるらしい。即ち、(僕もその一人だが)多くの人にとって「職場体験」とは中学の時に一度やって、その時点では何となく楽しめたり気づきを得られたりしつつも、結局のところその時の経験は後にほとんど忘れてしまっている・・・という性質の体験になってしまっていると言える。


上述の「学校時代のキャリア教育と若者の職業生活」という調査では、「中学時代に将来の進路や職業について学習したこと」が「かなり役立っている」と答えた人はわずか1.9%で、「やや役立っている」と答えた人も16.2%に留まるという結果が出ているそうだ。逆に「ほとんど役立っていない」と答えた人は32.9%で、「あまり役立っていない」と答えた人も25.1%いる。児美川先生はこのデータも踏まえて「職場体験の教育的効果は小さいのではないか?」と主張していて、確かにこうしてみると、現在の職場体験には「社畜を生み出す土壌になっている」と言えるほどの影響力は無く、その問題点は「何となく行われている、あんまり意味が無いイベントになっている」と捉えるのが妥当なのではないかと個人的には思っている。

現在の職場体験の問題点は、体験が「一過性のイベント」に留まっていることなんじゃないか?という意見に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします
にほんブログ村 就職バイトブログ 大学新卒の就職・就職活動へ
にほんブログ村  
このエントリーをはてなブックマークに追加 
ブログにfeedly登録ボタンを設置してみました!登録はこちらからどうぞ。  
follow us in feedly      
関連記事
main_line
main_line
ブログランキング
おかげさまで、ブログ村の「就職バイトブログ」のカテゴリで「1位」を取ることが出来ました。この場を借りて、お礼を申し上げます。これからも記事を多くの人に読んでいただけたらと思いますので、もし宜しければ、今後ともランキングへのご協力を宜しくお願いいたします。
RSSリンクの表示
follow us in feedly 
最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
リンク
FC2カウンター
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
プロフィール

lingmu

Author:lingmu
FC2ブログへようこそ!

最新トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。