ニート&パチプロ(職歴なし男28歳)から海外留学、海外就職、シンガポールにて日系から外資系に転職。そんなキャリアを歩んできた人が書いていたブログが嘗てあった。その名も「ニートの海外就職日記」。実際に海外の会社で働いた経験から、日本の労働環境が如何に歪んでいるのかを鋭い切り口で語っていた、大変面白いブログであった。残念ながら、現在ブログは閉鎖されている。
この記事のタイトルにある「仕事なんてクソだろ?」「job is shit!」は、まさしく海外ニートさんの口癖であった。海外ニートさんの仕事観はかなり偏っており、
基本的に大抵の仕事ってクソなんだよな。もうこれは否定のしようがない。日本で働こうが海外で働こうが、日系だろうが外資だろうがクソはクソ。仕事の性質そのものが楽しめる仕事なんてまあ滅多にないだろ?
なんて言ってしまう(http://ameblo.jp/anti-capitalism/entry-10473267341.html参照)。さすがにそれは言いすぎなのではないかと僕は思っている(笑)
ただ、日本と海外の労働環境の違いについては、少々極論に走っている感はあるとはいえ、無視できないことを指摘していると思う(これも、http://ameblo.jp/anti-capitalism/entry-10473267341.html参照)。
日本の典型的なクソ会社と海外の会社で何か違う点があるとすれば、それは「仕事そのもの以外」の部分だと思う。日本ではクソ仕事はクソ労働環境で行われる。長時間労働で、ろくに休みも取れず、度々怒鳴られながら、プレッシャー下に置かれ、ストレスで追い込まれながら、数々の理不尽にひたすら耐えて、「我慢料」という名の給料を貰うのが日本流。 俺が思うに、海外では仕事そのものはクソだって認識する事から始まってると思う。 仕事はクソだ。それはしょうがない。じゃあ、どうすればそのクソと少しでも快適に付き合って行けるのか?って感じ。だからこそせめて社員が気持ち良くクソ仕事をできるようにと、仕事は定時キッカリで終わりにして、有給などの休みもしっかり与えて、(勤務時間内で)気分転換のイベントを行ったりして「クソな事をなるべくクソだと思わずに社員が気分良く働けるようにする企業努力」をしているんだと思う。
海外から見て日本の労働環境、あるいは人生における「労働」というものの位置づけが異常であるということは、例えば「
日本人を苦しめる『仕事は家族より優先』という異常な発想 」という記事でも指摘されている。このような記事をわざわざ紹介しなくとも、外国人の友達を持つ人なら「日本人は何であんなに働くんだい?」というようなことを一度は言われたことがあるかもしれない。
一方、日本で就職活動をしていると「仕事を通じて自己実現!」「御社で仕事に打ち込めるなら、何日か徹夜でも大丈夫です!」というように、企業そのもの、あるいは「仕事」への忠誠心をしっかりと持つことが求められる。それだけなら良いのだけれど、平野稔さん著の「あなたが就職試験に受からない理由」という本には「年次休暇」「育児休暇」のことについて聞くな!と書かれていたりする。平野さんの意見は若干大げさかもしれないけれど、何となく説明会の場で「福利厚生」について聞くことは望ましくない・・・という「空気」があることは否定できない。あくまで就活生は、自分が会社にどのような貢献が出来るのか、いかにその会社で働きたいのかということをアピールすることに専念しなければならない。少なくとも、「残業したくないんですけど、大丈夫ですよね?」なんてことを言ったら、面接では即アウトだろう。会社にもよるだろうが、会社という組織に入ることは「長時間労働」に服することを承認することと同義といっても、決して言い過ぎではない気がする。
「働きすぎ」「長時間労働」という言葉を耳にすると、「会社という組織が醸し出す圧力が、人を労働に服させる」ということをイメージされる人が多いと思う。それは正しいと思うのだが、本田由紀先生の「軋む社会」という本では「
有限会社てっぺん 」という会社を取り上げ、サークル的・カルト的な「ノリ」の中で、自分の「夢」や「成長」を目指して、結局は働きすぎに巻き込まれるケースが紹介されている。別のケースを挙げれば、リクルート系のベンチャー企業なんかは、説明会のムービーで就活生を感動させて「この会社なら長時間働いても大丈夫!」というイメージを植え付けにかかっているような印象がある。社会学者の阿部真大さんの言葉を借りれば、これは
「自己実現系ワーカホリック」 につながり得る。
なお、有限会社てっぺんの動画がありました。
勿論、人生を仕事に賭けるという選択肢は決して非難されるべきものじゃない。しかし僕は、「仕事よりも優先したいものがある」という考えも同じか、あるいはそれ以上に尊重されるべきだと思っている。少なくとも、仕事が原因で健康を害する、あるいは命を落とすなんて、そんな馬鹿なことはあってはならないと感じている。今はもう消去されてしまったけれど、僕は海外ニートさんの「
自分、もしくは家族の健康にも優先する仕事なんてこの世に一つもない 」というタイトルの記事が今でも印象に残っている。
誤解しないで欲しいが、僕は「有限会社てっぺん」を馬鹿にしているわけでもなければ、「夢」を語る就活生を馬鹿にしているわけでもない。ただ、日本人の気質的に日本人の「労働」への打ち込み度合いが徹底すれば徹底するほど、それについて来れない人への風当たりが強くなると思うのだ。「自分は、皆は頑張っているのに、何でお前は頑張らないんだ」というセリフは、サークルなどでも耳にすることもあるだろう。
あるいは、例えば飲食店に入ったときに店員に対して「お前は従業員。私は客なんだから、もっとしっかりと仕事をしろ」というように、自分の会社外の労働者に対する要求も高くなるかもしれない。そして、要求された従業員はストレスを溜める。「庶民」という言い方は失礼かもしれないが(僕は間違いなく「庶民」です!笑)、日本は「庶民」が「庶民」のクビを絞めあう傾向が強い社会だと思う。こんなにも経営者達にとって楽な状況は無い。
僕は海外ニートさんと違って、全ての仕事が例外なくクソとまでは思わない。ただ、仕事は素晴らしいものだからといって、「サービス残業」「過労死」なんて事態は引き起こしてはいけないし、労働者を苦しめるモンスターカスタマーなんていうのも現れてはいけないと思っている。こうして文字化すると当たり前のことを書いているだけだということを改めて実感するのだが、日本では「仕事」という営みが社会の中で実に面倒なポジションを掴んでおり、「仕事のためなら、いくらでも自分を犠牲にする」「お客様の要求には、従業員は全て従え」というような価値観がまかり通る。
現在の日本の就活では、殆ど「仕事」の素晴らしさ「のみ」が就活生に伝えられる。でも、少し冷静になれば分かるが、日本における「仕事」は時には人を死に追い込むことがある。そして、自明のことだが「仕事」ごときが人の命を奪う力を持ってはいけない(まぁ、仕事じゃなくても人の命を奪ってはいけませんが)。このことを確認するために、要は「仕事」という営みを相対化する視点を持つために、海外ニートさんの「仕事なんてクソだろ?job is shit!」という言葉は非常に大きな役割を果たす。
海外ニートさんの「仕事なんてクソだろ?job is shit!」という言葉、仕事が原因で健康を害する、あるいは命を落とすことはあってはならない という考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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ここでははじめまして、L_z_m_iの名でツイッターでも貴方をフォローさせていただいております。
良くも悪くも、昔も今でも、日本は「がんばろう」の国なんだとは思います。
(だからこそ日本が世界に先駆けて実現・達成できた成果物もたくさんあるとは思います)
が、しかし、そういう国民性ゆえの皮肉な悲劇もまた後を絶たないわけで。
この日本、
就職活動中、そして会社に入った後でも、
なんか戦時中だった頃の日本の特攻隊のような(もしくはどこかの、自爆を躊躇わないようなテロ集団のような)ノリで
「私は会社のために命を捧げる覚悟です!」とか言わなきゃいけないような空気さえも感じるのは暴論でしょうか。
「ついて来れない人への風当たり」にしても、
アスリートな人には申し訳ない意見ですが
自分はどちらかといえば、正直いわゆる「体育会系」というのが苦手で・・
例えば学生時分にしても運動会なり体育大会なり部活なりでチームが負けたとき
「戦犯探し」のようなものを始めるのも大抵体育会系だったように思います。
(体育会系のみんながみんなそうだとは思いたくないですが)
人間個人差はありますよね。
「モンスターカスタマー」にしても、いろんなタイプやきっかけがありそうですが
会社に入って正社員として
普通に生活に困らないだけ(もちろん浪費さえしなければ)の給料を貰って
働いている社会人であっても、「お前はいつも頑張っているのか?利益を出しているのか?」
ということをあまりに問われ追い込まれすぎてしまうと、精神的ゆとりがなくなっていくのでしょう、
もともとお行儀の悪い人以外では、
気持ちに余裕の無くなっている人がモンスターをやってしまうんだと思います。
そしてモンスター行為を受けた従業員がストレスを抱え、自らが受けたその行為をよそでやりだしたら・・・負の連鎖ですね・・・なんにせよ困ったものです。
「仕事なんてクソだろ?job is shit!」と痛快な言葉を残していた人がいたことも
貴方の記事を読んで始めて知りました、
時にはそういうアンチテーゼがないと世のワークライフバランスはとれませんね。
ただ、今なら、例えば
マニフェストが守れなかったり議事録もちゃんとつけられないようなどこかのぐだぐだな政党は
ある部分「有限会社てっぺん」とか見習っていいと思う(笑)
いきなり長文乱文失礼しました。
> L_z_m_i さん
こんにちは、 L_z_m_iさんが僕のツイートをよくリツイートしてくださっていることを僕は地味に把握しております(笑)いつも有難うございます。
L_z_m_iさんの仰るように、日本は「がんばろう」の国、そして「頑張っているように見えない人」への風当たりが大変厳しい国だと感じています。人が人の首を絞めあっているような・・・。暴論ですが、見方によっては相当の「ブラック国家」ですし、ブラックたらしめているのは政府だけでなく僕達一人一人だと思っています。
「仕事なんてクソだろ?job is shit!」という言葉は、人が人を(努力の名の下に)苦しめあっている状態は、全然当たり前のことなんかじゃない・・・ということを僕に教えてくれました。「努力」の重要性を否定するわけではないですが、本来良いことであるはずの「努力」のせいで苦しむ人が増えるのは本末転倒です。海外ニートさんの言葉がもっと広まればよいですね(なんか、宗教っぽい文章ですね!笑)。
ジョブズの言葉に、「もし今日が人生最後の日なら、あなたは今日の予定をしたいか」
というものがあるらしいですね。
仕事に自己実現を求め、高尚な志望動機を語る学生が働き始めたとき、
この質問にどう答えるか知りたいものです。
> トケビさん
こちらの記事にもコメント有難うございます。
確かに、その質問に対して皆さんどのように答えるのかが気になります。「仕事です!」って答える人が多くても不思議ではないですし、そのような回答はむしろ素晴らしいのかもしれません。ただ、問題なのは「仕事は大事!」という考えを武器に、他人に対して無理な要求をすることだと僕は思っています。
『いま、働くということ』 橘木 俊詔 (著) という本では西洋と東洋の労働観の違いというのを
語っていました。西洋の古代ローマの方は労働というのは奴隷がやるものであって、私たちは
より高尚なことをするべきだ、労働は悪であるという考えが源流らしい。
それに対して、日本では仕事というのは「知識」の体現をするということで始まったらしい
知識とは本来仏教用語でみんなで協力するみたいなことを言う
(私が読んだ範囲でまとめるとこんなことが書いてありました)
そもそもが違うので、この国民性っていうのは治らないと思いますね。
それは日本という国は昔から労働は尊いものだと考えてきた国だからです。
> 『いま、働くということ』 橘木 俊詔 (著) という本では・・・というコメントをくださった方へ
はじめまして、コメント有難うございます。
>日本という国は昔から労働は尊いものだと考えてきた国だからです。
コメントの内容から、西洋・日本の「仕事観」の違いが分かりました。有難うございます。ただ、僕が記事で取り上げた、仕事のクソさを唱えていた「海外ニート」さんのブログには(今はもう閉鎖されています)一つの記事に100以上の賛成コメントがついたこともザラにあったので、従来の日本の仕事観への反発心を抱いている人は案外少なくないのではと思っています。
海外ニートさんは自分にとっての英雄でした。
たまにコメントもしてました。
日本の仕事でも何でも個性がとても発揮しずらい風土なんじゃないかなと思います。
前例や過去の風習、しがらみという魔物からの支配から脱却できない弱い性格を持った国民性のようにおもえます。
更にたちの悪いことに周りを互いに縛りあい、
柔軟な考えを持っていたとしても発揮できません。
江戸時代の鎖国から明治になったり、
世界大戦終結時のように
強い外圧がない限り変わることができない国民なんじゃないかなあと思っております。
なので弱者にできることはやはり海外逃亡なのかなぁとニートさんのブログを読んで思っておりました。
> 海外ニートさんは自分にとっての英雄でした。 とコメントしてくださった方へ
はじめまして、コメントありがとうございます。
>海外ニートさんは自分にとっての英雄でした。
僕もたまにブログを読んでいましたが、あのブログは本当にすごかったですよね。「日本でダメだからといって、海外でダメとは限らない」というスタンスは、大いに人々に希望を与えるものだったんじゃないでしょうか。
>前例や過去の風習、しがらみという魔物からの支配から脱却できない弱い性格を持った国民性のようにおもえます。
確かにそういう一面もあるのでしょうが、例えば日本の職場環境に関して「ブラック企業」の問題が取り上げられることも多くなった・・・ような気がしますし(笑)、全く希望がないわけではないと思います。
確かに、仕事の為に自分のすべてを犠牲にしろ、という意見は間違っていますね。サービス残業が当たり前なんていう考え方も、日本社会にまかり通っている、家族よりなによりも仕事第一という考え方はおかしいと思います。
しかし、なによりもおかしいのはそのことに不平を言えない日本の社会だと思うのです。
なぜ日本人はどう考えてもおかしいことに対して文句を言ってはいけないのだろう?
とても疑問です。
> 田村彰子 さん
はじめまして、コメントありがとうございます。
>かに、仕事の為に自分のすべてを犠牲にしろ、という意見は間違っていますね。サービス残業が当たり前なんていう考え方も、日本社会にまかり通っている、家族よりなによりも仕事第一という考え方はおかしいと思います
そうですね。ただ、おかしなことに「日本人の“働く意欲”は世界16カ国中ワースト2位(
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/985037.html )」という記事もあるので、案外「仕事第一」という人はごく一部なのかもしれません。
>なによりもおかしいのはそのことに不平を言えない日本の社会だと思うのです。なぜ日本人はどう考えてもおかしいことに対して文句を言ってはいけないのだろう?
ブロガーのイケダハヤトさんは「みんな嫌われることを恐れてるから言いたいことを言わないんでしょ?そんなのおかしいって!みんな、言いたいこと言おうよ」という趣旨のメッセージを発していることが多いですね。そして、僕自身は自分でブログを書いている身なので「不平を言いたいけど、言えない」という気持ちは正直あまりよく分からないです、すみません・・・。
日本の労働環境はOECDの中でぶっちぎりのだんとつでクソらしいですね
私はこの国の糞みたいな労働環境について、もっと海外の人に知ってもらうために英語で記事を書いています。
ただいま「コメントの内容を基に記事を書いてみる」というスタンスを試していることから、コメント返信が大幅に遅れてしまっています・・・。順番を無視してしまいますが、返信できるものから返信していきます。
> 日本の労働環境はOECDの中でぶっちぎりのだんとつでクソらしいですね・・・とコメントをくださった方へ
こんばんは、コメントありがとうございます。
>私はこの国の糞みたいな労働環境について、もっと海外の人に知ってもらうために英語で記事を書いています
おぉ、すごいですね・・・。"Japan: Country of f@cking working culture"というブログですか。労働環境への言及は最近始めたのですね。英語で記事を書くのは大変だと思いますが、頑張ってください!
どこかで聞いたことがありますが、日本は昔から会社が第二の実家のようになり、同僚は家族のようになると
海外では概ね仕事は賃金を得るために耐えるべき条件でしかないと
なので定年退職時の様相は国の内外とでだいぶ異なるということ
海外では仕事から解放されることを全力で喜ぶのだとか
日本の現在の場合、企業側の精神だけは日本固有の価値観を引き継いだままで、その他の部分は海外のものに似た形に変化していっているので、ミスマッチが発生しているような気が致しますね
こんにちは。2010年に就職活動をして、2011年に大学を卒業した者です。
海外ニートブログ懐かしいですね。閉鎖した理由が特定されたから、とかそんなんだった気がします。ツイッターも削除されてしまったので、人的に当時のブログの記事一覧を見せて貰うことすらできないのも悔やまれます。だれかローカルに保存していないでしょうか。webarchive.orgで見られるのかなあ。
さて、私も当時海外ニート氏にはかなり啓発されました。
間違いなく3年経った今でも私の思想信条は、彼から大きな影響を受けています。
海外ニート氏の名言
・有給は与えられた権利なんだから、権利を行使するのにいちいちお伺いを立て卑屈になるのはおかしい。
・圧迫面接はおかしい
・理由:学生はまだ社員ではなく、面接官(官職でないのに官がつくのに違和感)の部下でもないのだから、年下や部下に対しては理不尽でもOKという社内ルールで社外の人間に対応しているという点で失礼
・お客様は神様だと思うから、自分の職場にもブーメランが飛んでくる
・契約は本来等価交換なので、お金を出す方が偉いという考えはない。売買も労使も対等のものである
・労働力の安売りは罪 サビ残の許容は犯罪行為の片棒を担ぐもの
・社畜がサビ残を許容し、ダンピングで労働力を安売りことによって、労基法を遵守して働く人の賃
金まで下がる
・比較検討することもなく、一つの会社で定年まで勤め上げるのが偉いとされるのは狂気の沙汰
・使用者側である経営者や役員ならともかく、労働者である同僚までもが、定時で帰る人や有給をとる人を批判する相互監視社会が問題である
・嫌な組織が存続できる一番の理由は、構成員が逃げないから
・逃げることは後ろ向きな行為ではない。自分を理解してくれない人達から逃げることは、自分を理解してくれる人との新しい出会いに繋がる
・仕事は飯を食うためのものにすぎない
・仕事こそ人生という考えを否定はしないけど、部下や同僚にそれを押しつけるのはおかしい
・社畜になるかニートになるかしか選択肢がなく、ほどほどという生き方が許されない日本はおかしい
・義務教育での軍隊式な整列、卒業式の何十回という練習、部活の強制、口答えの禁止から社会の歯車をつくるための国策の社畜製造業ははじまっている
・仕事こそ人生というのは、経営者やエリートが持つべき考えであって、末端従業員までもがそんな考えを持つのは異常
・手書きの履歴書強制や、志望動機に内容があっても文字数が少ないことを理由に落されるのは笑止千万
・英語なんて血反吐がでるまで勉強すれば、誰でもTOEIC800くらいはいく
以下は私の持論です。
・自己PRはわかるが、ほぼ全員が嘘を書いている志望動機は聞く意味がない。動機が不純でも、能力があれば採用するのが合理的。志望理由の重視は、不合理・非効率の温床。
・嘘でもいいので会社独自の志望動機を考えさせることによって、学生の仕事能力を測っているというのは後付け
ある人の常識は、時に他人にとっての非常識なので、それが常識かどうかで考えると摩擦が起きる。本来就業規則や雇用契約は、集団社会である会社でそういう摩擦を起こさないためにある。
したがって労基法、雇用契約、就業規則に基づき行動し、付与された権利である有給を行使したり、賃金の発生しない飲み会を断った結果、「非常識だ」という理由で怒られるというのはおかしい。
私も今の会社をやめるときに、有給を使おうとしたら、お世話になった会社にたいして失礼だといわれ、笑ってしまいました。
そして忘れもしないのが当時の同期の中国人です。
中国の特に北部では、日本のように寄らば大樹の陰で一生大企業勤めで終わるという考えはなく、いつかは会社を興して一国一城の主になるべきという考えがあります。
私は会社を辞める前から副業で起業をしていたのですが、ほとんどの同期や親戚が私の退職を知ると「なんで辞め”ちゃった”の?」「会社辞めちゃったの?」「辞めちゃったんだ。残念。」というなかで、彼だけは「おめでとう!社長やんか!かっこええ!」といってくれたときは、私も心から嬉しかったし、同じ儒教文化圏でここまで考えが違うものかと驚きました。
中国人がそういうのだから、日本の体育会系の労働観は儒教文化が原因というのは理由にならないと思います。
> 通りすがり さん
こんばんは、コメントありがとうございます。
>ツイッターも削除されてしまったので、人的に当時のブログの記事一覧を見せて貰うことすらできないのも悔やまれます。だれかローカルに保存していないでしょうか。webarchive.orgで見られるのかなあ。
海外ニートさんはツイッターもやってたんですね。僕も海外ニートさんの記事を改めて読んでみたいです・・・。過去記事のタイトルだけなら、はてなブックマークで見ることが出来るのですが(
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http%3A%2F%2Fkusoshigoto.blog121.fc2.com%2F )
>したがって労基法、雇用契約、就業規則に基づき行動し、付与された権利である有給を行使したり、賃金の発生しない飲み会を断った結果、「非常識だ」という理由で怒られるというのはおかしい。私も今の会社をやめるときに、有給を使おうとしたら、お世話になった会社にたいして失礼だといわれ、笑ってしまいました。
それは笑わざるを得ないですね・・・。
>中国の特に北部では、日本のように寄らば大樹の陰で一生大企業勤めで終わるという考えはなく、いつかは会社を興して一国一城の主になるべきという考えがあります。私は会社を辞める前から副業で起業をしていたのですが、ほとんどの同期や親戚が私の退職を知ると「なんで辞め”ちゃった”の?」「会社辞めちゃったの?」「辞めちゃったんだ。残念。」というなかで、彼だけは「おめでとう!社長やんか!かっこええ!」といってくれたときは、私も心から嬉しかったし、同じ儒教文化圏でここまで考えが違うものかと驚きました。
同期や親戚の言葉が「社会人たる者、会社に尽くすべきでしょ?」という意味で発せられたのなら気持ち悪いですが、単純に「通りすがり」さんの生活を心配したり、あるいは同期がいなくなったことで残念だという意味で発せられたのなら僕はそこまでおかしいとは思いません。ただ、どうせ「通りすがり」さんが会社を辞めたという事実は覆らないわけですから、それならば同期の中国人のようにポジティブな言葉をかけて「通りすがり」さんを応援するという形の方が良いのではないかと僕は思いますね。
このコメントは管理者の承認待ちです