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「リア充はみんな死んでしまえ」~「人とのつながり」が重視される現在の就活の落とし穴~

話題になっている岩波書店の「コネ採用」は、就活生のコネクションを作る能力を積極的に評価することの現れといえる。


形は違うが、「人とつながる能力」を評価の対象にしている会社がある。その名は、トレンダーズ株式会社。「自分の会社をつくるということ」などの著書がある経沢香保子さんが社長を勤める会社である。


具体的には、2012年度の新卒採用にて「Facebook枠」を設置し、その枠では「Facebook上で200名以上の友達がいる学生」は、会社説明会への参加・書類選考・一次面接を任意でスキップすることができるという。このような枠を設けた理由としては、「ソーシャルメディアを使いこなしている学生=新しいメディアへの対応力と情報発信力の高い学生とみなせること」、「ユニークな採用手法を導入することにより、学生の就職活動負荷を軽減させること」が挙げられている(http://www.trenders.co.jp/release/release20101115.html)。


「ソー活」という言葉がはやっているように、コネクションを作る能力がますます就活生に求められてきていると思う。中には「コネを作れれば勝ちなんて、バカみたい」と思う人もいるだろう。確かに、「コネがすべて」という状況は馬鹿馬鹿しいと思うけれど、コネクションを作る能力は仕事を行っていく上で必要となる能力であることは事実なので、岩波書店のようなコネ採用、トレンダーズのようなfacebook採用を行うことは合理的だ。


ただ、これは分からない人にはまったく分からないだろうけれど、このような選考手法が広まることに息苦しさを感じる人も多いと思う。


「人とつながる」という言葉はポジティブに捉えられることが多いと思うけれど、こういうポジティブな言葉が全く救いにならない人がいるということも分かっておいた方が良いのではないかと感じる。「友達、知人が増えるのは良いことじゃないか!」という人が多数派なのかもしれないけれど、一方で「人とつながりたくないわけではないけれど、人とつながるのが怖い・・・」、「別に人とのつながりなんて最低限でいい。人と会う位なら、一人で本を読んでいたい」という人もいるのだ。このことを理解するための教科書として、お笑い芸人・ピースの又吉直樹さんが書いた「第2図書係補佐」という本をお薦めします。


少しずつ、少しずつ、「人とつながらない者、人間にあらず」という空気が醸成されているような気がするのは気のせいだろうか。誤解しないでほしいが、「人とつながる」ことは会社で働く上で重要・・・というか殆ど必須条件みたいなものだと認識しているので、「人とかかわりたくない」という人も積極的に雇うべきだ!という主張をしたいわけではない。しかし矛盾するようだけれど、内向的な人の就職が過度に難しくなってしまうならば、それはどうなのだろうという気もする。表向きは人間の多様性を尊重することが良いとされているにも関わらず、その「多様性」の範囲が狭すぎるんじゃないかという疑問はぬぐえない。でも、人とコミュニケーションを取れない人を雇うことに企業がメリットを見出すわけないし・・・という思考の堂々巡り。


せめて、企業が「コネクションを作る能力」を就活において過度に重視することの落とし穴については自覚的でありたい。この点、秋葉原での通り魔事件の犯人が「勝ち組はみんな死んでしまえ」とサイトに書き込んでいたことを思い出す。それと同様に、「人とはつながりたい。しかし、なかなか上手くつながることができない・・・」、「人と過度につながりたくないのだけれど、つながらないと就職できない。苦しい」という思いを抱いた就活生が、一見人間関係を容易に築いているように見えるリア充に対し「リア充はみんな死んでしまえ」という思いを抱いてもおかしくないのではないか。確か昨年には、精神的に追い詰められた就活生によるバスジャック事件があったけれど、また別の事件が今後起きても全く不思議ではない。


確かにコネクションを作る能力は大事だけれど、その能力を重視することが行き過ぎると、特定の層の就活生が苦しむことになるのではないかという考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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No title

人との繋がりを重視するのは良いことだと思うが、学生を評価する場合それは2番目の基準であるはず。
学業を基準にしないのであれば最初から高卒を採ればいい。
1人で研究室にこもって死ぬほど研究して有名な雑誌に論文が掲載され国際学会で賞をとった人より、
バイトとサークルで人をまとめましたという人が評価される社会でどの口が「若者の理科離れ」とか「学力低下」「ゆとり」なんてほざくんだろう。

No title

「人と過度につながりたくないのだけれど、つながらないと就職できない。苦しい」
まさに私の事です。
一人が好きでひとりでいたい。極力人付き合いは避けて、自分の趣味に没頭したい。
こういう人間がいったら社会は迷惑なのでしょうか?
飲みづきあいが悪いとか、外交的じゃないとか非難されて阻害されなければいけないのでしょうか?
挙句の果てに孤独死?鬱?精神錯乱?麻薬中毒?

maruさん
「1人で研究室にこもって・・・ほざくんだろう。」
なにか同様の経験があるのでしょうか?気になりました。

No title

「絆」「人との繋がり」など、そういった言葉を震災以後の現在、頻繁に耳にしますが、どうも言葉だけ浮いているような気がします。無理やり、なんでもかんでもその言葉で解決をしようとする風潮すら感じられます。

コネクションを持つに越したことはないと思いますが、「Facebook枠」というようなものにはどうも違和感を覚えます。あるテレビ番組で俳優の哀川翔さんが言ってたのですが、彼にいわせると、「友達というのは作ろうと思って作るものではない」そうです。一緒に時間を過ごして、お互いを理解することで“友達”という関係が成立するのだとも。「Facebook枠」なるものは、“友達作り”を強制しているようにしか思えません。

Facebookやブログによって、簡単に人と交わることが可能となりましたが、そこには生の人間関係といえるものがない気がします。リアルティがないと言うべきかもしれません。ワンクリックで成立する友人関係が、はたして本当の友人関係といえるのでしょうか?


……話はかわりますが、この記事を読んでいて、昨年公開された映画『ソーシャルネットワーク』のラストシーンをふと思い出しました。

No title

lingmu さん、こんばんわ。

手書きエントリーシートにしても、コネにしても、facebookにしても、 企業はとにかくなんでもいいからエントリー数を減らしたいのかなと思います。
優秀な学生とか、そうじゃない学生とか、本当にそんなに大きな違いがあるんでしょうか。人間の仕事をする能力なんて、実際にはだいたい同じようなもんなんじゃないでしょうか。
供給過剰なので、無理やりにでも変な基準を作って、ふるい分けをしているだけのように感じます。

いずれにしても、追い込まれて何かをやってしまうほどの価値のあることではないはずです。

No title

FaceBookかぁ。一応やってるけど、大学生and社会人の使い方見てると、携帯アドレス交換と同じ感覚なんだよねぇ。登録しても使わないというオチ。

「Facebook上で200名以上の友達がいる学生」という基準は恐らくTwitter / FaceBook上で開催されるイベントや、ATND、IT勉強会カレンダー(打ち上げには必ず出席)とか積極的に参加しまくればすぐ達成できるような気がする。しかし、友達か?と問われれば疑わざるを得ない。実際、私のFaceBookに登録してる人で連絡...というかTwitterでしょっちゅう話してるの3人ほどしかいない(約10数人中)。

個人的な意見だけど、そんなに軽々しく"友達"って使ってもいいものかね?と思ってる。あとで自分のブログにでも考えをまとめようと思ってるけど、今の友達って、どっちかというと"付き合い"に近いんじゃないかな。かなり緩い繋がり。いや、一瞬んで消える出来事かな。うちはそういうの友達というより、知り合い程度って認識してるから疎遠になるのも当たり前かな、と思ってたりする。

「ジョージ・ポットマンの平成史」というNHKの番組があるのだけど、先月、【友達いないと不安史】というテーマで放映されてて、途中から見てたんだけど、どうも人々が「友達がいないと不安」という状態にまで陥ったのはここ10年のことらしい。それに拍車をかけたのが、携帯アドレス・プリクラ・ポケベル・FaceBook / Twitter等のSNSで、何でか?というと、アドレスやプリクラの"数"が人間的な魅力の優劣を決めると見なされるようになったから、ということらしい。

スゲー馬鹿らしい話だけどね。うちの場合はホントに信頼できる人2-3人入れば十分だと思う。

ジョージ・ポットマンの平成史【性教育史 後編/友達いないと不安史 前編】 
http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/21800_201201072450.html


コネクションについては、うちは中立だな。コネを作れるのも1つの努力の結果だし、ずるいとは思わない。しかし、新卒採用だけ、既卒が不利、年齢が就職時にネックになる社会でコネだけ採用は猛毒にしかならない。普通の学生を追い詰めるだけだと思う。コネを完全に認めさせるには、"何時でも就職できる、遅いということはない"・"何歳になっても就職できる、遅いということはない"という考えを広めないと。今の日本は「仕事をする」というコストが高すぎる。


>「絆」「人との繋がり」など、そういった言葉を震災以後の現在、頻繁に耳にしますが、どうも言葉だけ浮いているような気がします。無理やり、なんでもかんでもその言葉で解決をしようとする風潮すら感じられます。 (黒 紅 茶)

もうこれは仕方ない気がする。結構な経済効果期待できるから。日本人は至って「以心伝心」とか「察する」とかが好きな、どうしようもないほどの協調・同圧主義だから、「絆」「人との繋がり」と言ってれば、それにつられて人々の財布の紐が緩むんことを期待してるんじゃないかな、と勘ぐってたりする。この売上は全額寄付しますとか。アレほんとに"全額寄付"してるのかね?

話変わるけど、「絆」「人との繋がり」という割には就活生・フリーター・ワープア・ホームレスにめっさ厳しいのよね。どうしようもないことを「自己責任」で片付けようとする人もいるし、そういう人達をせせら笑う人もいる。どこが「絆」「人との繋がり」なんだか。呆れてものが言えない。

対策本見たら分かりますがSPIのネット版性格検査は明確な回答あるようなものですからね
社交性ありスポーツ好き素早く判断して行動してリスクを犯してチャレンジすることが「正解」で
自責性あり他人にどう思われても気にならない自分のやり方で物事を進めたい常に強気でおしゃべりなのが「間違い」になるようです

Re: タイトルなし

この記事に限らず、コメントをくださった皆様、本当にありがとうございます。コメントが返せていなくてすみません・・・。実は、「最新記事のネタが思いついたら、そっちを先に書く→コメント返信できない」・・・というどうしようもない流れがあったりします。金曜の夜~土曜には本格的にお返事したいと思っておりますので、見捨てないでください(笑)

さて、この記事に関してですが、本格的なコメント返信の前に一つの記事をご紹介いたします。

コミュニケーションがボトルネックになった社会(http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120208/p1) 

この記事で書いたこと、あるいは漠然と思い浮かんでいたけれど文章化できなかったことを明確に表現しています。興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

No title

>コミュニケーションがボトルネックになった社会(http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120208/p1

コミュニケーションコミュニケーションっていうけど、意外とこれも定義が曖昧な気がする。
コミュニケーション能力が高いって「友達100人いる」とか「異性にモテる」みたいなイメージで使われてることが多い気がするが、リア充の馴れ合い的なコミュニケーションが全てじゃないだろ。
業界によってはリア充のノリみたいなコミュ力を最優先で求めるところだってあるが、別にリア充じゃなければ就職できないってわけでもない。
どの能力が必要とされているのは企業によって違うんだし、「ただのバイサー野郎が勉強してきた俺より評価されてるのはおかしい」って感じるのは志望企業とのミスマッチか、人気企業内定者が人間的にもより優れているという大企業病的な発想。

ただ働くうえで他人と繋がりたくないってのも、これまた極端だよ。
一人でいたいって気持ちもわかるけど働いて生きる選択肢を選ぶ以上、オフどころかオンでも人とコミュニケーション取りたくないんですってのは無理あるでしょ。
「一人で読書していたい」「一人で学問に打ち込みたい」のは他人と関わりたくないから?読書好き研究好きな人で社交的な人が聞いたら怒るわ。
そもそも大学教授・研究者だって学会でコミュニケーションとらないとやっていけんし、学派による人間関係だってある。

コミュニケーション力の定義が曖昧だから「コミュ症」も曖昧になってる気がすると私は感じたな。
本当に見知った人以外の人と一切意思疎通できないのならそれはそれで就職とは別の社会問題。

>ほらいぞんさん

「リア充」にはどんな人に対してもやさしく接する人もいるけど、一方で「付き合う人を選ぶ」人もいるよなあ。
身内では仲良くどうでもいい外部には厳しく・・・ってのはムラ社会的なものがあるんだろう。
現国に出てきそうなエラい先生の評論文みたいだけど

Re: No title

皆様、コメントへの返信が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。これから、少しずつ返信させていただければと思います。

> maruさん

コメントありがとうございます。この記事とは関係ありませんが、特にユニクロの大学1年生にも内定を出しうる採用システムについて「それだったら別に大学生である必要はなくない?」という意見が多く見られました(僕の記事も参照していただければ笑 http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-78.html)。いわゆるコミュ力も重要なのは否定できないですが、その要素を重視する程度が大きすぎる現状があるのかもしれません。

Re: No title

> princessmia さん

いつもコメントありがとうございます。

「人付き合いをしたくないとまでは言わないけれども、あまりにも過度な付き合いまではしたくない」という人にとっては生きにくい社会になっているのではないかと感じます。企業の側が「飲みづきあいなんか良くなくて良いよ。一緒に働こう!」と言うことはありえないので(笑)、人付き合いが苦手な人が一体どう生きていけば良いのか、僕にも分からないでいます。問題提起をしておいて無責任ですが・・・。

Re: No title

> 黒 紅 茶 さん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。映画『ソーシャルネットワーク』のラストシーンってどんな感じなんですか?(笑)映画を見ていないもので・・・。

何をもって「本当の友人関係」と称するかは難しいですが、確かに、簡単に人とつながることができるツールが発達したことで「浅い人間関係」が多く見られるようになったのかもしれません。ただ、最初は薄っぺらい関係性でも、一度つながっておけばまた別のきっかけで仲が深まることもあるかもしれませんから、「ワンクリックで成立する友人関係」というのも案外悪いことばかりではないかもしれません。

ただ、それでも特に人見知りの人は「薄っぺらい関係性」を作ることにも一定のストレスを感じると思いますので、「Facebook枠」という選考が広まったら精神的に苦しくなるだろうと想像します。

Re: No title

> sinitiainen さん

お久しぶりです、いつもコメントありがとうございます。

「企業はとにかくなんでもいいからエントリー数を減らしたい」というのは正しいと思います。企業も、(言い方は悪いですが)どうでも良い学生には会いたくないでしょうから、エントリー数を減らすために、エントリーを可能にするための一定の要件を就活生に課す企業は今後増えるかもしれません。


僕は以前、武田薬品工業の「TOEIC730点以上の人のエントリーのみ受け付ける」という方針を批判しましたが、最近になってこれが一番良い応募者の絞り込み方なのかなと感じるようになりました。大学生なら大学受験で英語はやっているはずですし、これからの仕事では英語が必要になる可能性も高いですから、そのような能力を就活生に求めることには納得できます。

Re: No title

> ほらいぞんさん

お久しぶりです、コメントありがとうございます。

特に「ジョージ・ポットマンの平成史」の話がとても面白かったです。企業も、「アドレスやプリクラの"数"が人間的な魅力の優劣を決めている」とまでは考えていなくても、友達がたくさんいる人は少なくとも「ハズレの人間」ではない・・・というように考えている可能性はありますね。

似たような話では、森口明さん著の「いじめの構造」という本には、個々の生徒の自己主張力・共感力・同調力に応じた「スクールカースト」が学校のクラス内で形成されており、それがいじめの温床になっているという話が載っています。自己主張力はともかく、共感力・同調力というのは言い換えれば「人とつながる能力」。このような能力が欠如している人が排除される構造はどこにでもあるのかもしれません。

また、最後については「社会人でないもの、人間にあらず」という意識があることが大きいのだと僕は考えています。「人との繋がりの大切さ」を謳いながらも(就活生はともかく)フリーター・ワープア・ホームレスを排除するのには矛盾は無い。なぜなら、フリーターたちは「人」ではないからだ・・・という潜在意識が多くの日本人にあるのかもしれません。

Re: タイトルなし

> 「対策本見たら分かりますがSPIのネット版性格検査は明確な回答あるようなものですからね」というコメントを下さった方へ

はじめまして、コメントありがとうございます。

そうなんですよね、「正解」ありますよね、性格検査(笑)「自分に正直になって、設問に答えてくださいね」といっても、内気で消極的な人が正直に設問に答えたらアウトになる可能性が高い。考えてみれば、これも就活における茶番の一つですね。

Re: No title

>のさん

こちらの記事にもコメントありがとうございます。

「コミュニケーションがボトルネックになった社会」という記事を紹介しておいてアレですが、僕も生きていく以上は「人と全く関わりたくない。でも、働いてお金も稼ぎたい」という望みを突き通すことは難しいと思っています。だからこそ記事でも<「人とかかわりたくない」という人も積極的に雇うべきだ!という主張をしたいわけではない>と書きまして。それでも、人とつながることが就活生に「過剰」に求められる時代が到来するとしたら、その状況に対して多大なストレスを抱く人も出てくるのでは・・・?という危険性を指摘したかったというのがあります。

非現実的ですが、仮に「Facebook上で200名以上の友達がいる学生のエントリーしか受け付けない」という企業が増えたら、やはりそれなりにキツいだろうと感じます。いや、企業も就活生のエントリー数を減らしたいでしょうから、このような要件を設けることもあながち非現実的でもないのかも・・・。

なお、のさんがご指摘されているように「コミュニケーション」という言葉の意味は多義的であり(リアのノリ的な意味以外にも、人の話の要点をつかんで、それに対して自分の考えを論理的に伝える能力も「コミュニケーション能力」といえる)、ゆえに僕は記事において「コミュニケーション」という言葉を使わず「人とつながる能力」、「コネクションを作る能力」というように表記しています(あんまり変わらないですかね笑)。

No title

私は、小中高と学生時代の間、ずっといじめられ続けてきました。
私をいじめてきた人は、いつの時も、空気を読むことができる、人をまとめられる等の、所謂つながりを大事にする人たちでした。私は不協和音であると言われ続けました。
今、就職において、まさに私を攻撃してきた人たちのような人が評価されているような気がします。社会に見捨てられた心地がして吐き気がします。
私がいじめられたのは努力不足だったからですか?

極端なことを言っているように見えるかもしれませんが、あまりにもコミュニケーション能力を大事にする風潮は、「人をいじめることも才能」と言っているようにさえ見えます。
私は、そういう社会の中において、不協和音であることを誇りに思います。

Re: No title

> ぐまさん

こちらの記事にもコメントを有難うございます。

ぐまさんのエピソードからは、本当に「つながり」という概念の持つ闇が浮き彫りになっているように感じました。ぐまさんが仰っていることと殆ど変わらないかもしれませんが、「つながり」の重要性を訴えれば訴えるほど、その輪に入れない人に対する風当たりは強くなるのではないかと思います。一部の人にとってはとても生きやすく、そして一部の人にとってはとても生きにくい社会になっているのではないか。このような問題意識を抱いています。

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Re: No title

>非公開コメントをくださった方へ

はじめまして、コメント有難うございます。

>思うんですけど、企業側としてはコミュ力よりもまして切望する就活生の属性とは「やる気」だと思うんです。繋がることに覚めた人でもいいから内に秘めた「俺はこういうことをやったるぞー」「私はこういうことをしたいんだーー」という熱意を持っている人がほしい。

仰るとおりだと思います。もっとも、その「やる気」を上手く表現できるのも「人と繋がることに貪欲な人」であって、「人と繋がることに覚めた人」はその点においても不利な気がしますけどね(誤解しないで頂きたいですが、企業は「人と繋がることに覚めた人」を雇うべきだ!・・・という主張ではないです笑)。

No title

ぐまさんの意見に同意します。

SNSなどには手を出さないと決めているので関心はあまりないのですが、今はもうほとんどの学生がSNSをやっていて、FACEBOOKやTWITTERなどは「何でやらないの?」という具合に、参加していない方が疑問を持たれてしまうような雰囲気がどこかにありますね。極端な話ですが「SNSに参加していない人=コミュニケーションが苦手な人=ダメな人」という認識が完成されつつあるような気がします(特に学生の間で)。mixiなどは実際にいじめの道具にもなっていますし、参加しない人間が排除されるような結束というのはどうなのかなあとも思いました。

もちろんメリットもあるとは思うのですが、個人情報を不特定多数に晒すというのはリスクが大きいですし、万が一悪用された場合は自分だけではなく家族などにも迷惑がかかってしまうかもしれないので、個人的には危険なツールだと認識しています。企業から監視され、現実の人間関係の延長戦をみんな「楽しそうなふり」をしてやっているようにしか見えません。

今後も利用するつもりはないのですが、それが「コミュ障」や「内気」であると判断されるのはかなり違和感を覚えますね。色々な世代を見ればまだまだあらゆる人に身近なツールとも言えませんし、友達の定義がだんだんと安っぽく(知り合い程度の人を気軽に友達と呼ぶ関係)なっていくような感じがして危険な気がします。

排除性のあるコミュニケーション至上主義>>>>努力・学業・個性

人間不信に陥りそうですよね
というよりも信じない方が気持ちが楽な気がする私が末期かもしれない…(笑)

Re: No title

> 文転就活生さん

こんばんは、いつもコメント有難うございます。

>今はもうほとんどの学生がSNSをやっていて、FACEBOOKやTWITTERなどは「何でやらないの?」という具合に、参加していない方が疑問を持たれてしまうような雰囲気がどこかにありますね。

個々がSNSをやること自体は良いのでしょうが、「SNSをやること=真っ当、SNSをやらないこと=真っ当ではない」という構図が出来たら最悪ですよね。トレンダーズの場合はfacebookの人数が優遇要件ですからまだ良いのかもしれませんが、仮に「友達100人以上」がエントリーの必須条件として課す企業が増えたら、それで良いのかなぁという気がしますね。

>友達の定義がだんだんと安っぽく(知り合い程度の人を気軽に友達と呼ぶ関係)なっていくような感じがして危険な気がします。

これに関しては、僕は別に問題ないと思っています。仮に「ゆるい」関係だったとしても、一応はつながっていることで、何かの拍子で「濃い」関係に変わるかもしれませんし。

日本人には[道]の精神が根強いていますが、これは決して良い事じゃないと思うんですよ
自分の意志で自分の[道]を極めるのは確かに素晴らしい事です
ですが残念ながら日本では他人から[道]を極める事を強要されるんです

此処で話題になっている人とのコミュニケーションも本来なら自分が楽しいから他人と繋がる
逆に嫌なら繋がらなければいいだけなんです
ところが此処に[道]の精神が持ち込まれると苦しくても人と繋がらなければならない
むしろ飲めない酒を飲んで嫌な人間と無理矢理付き合って作り笑いを浮かべて少しも楽しくない時間を過ごす、それが美徳とされるんです
逆に飲みにケーション的なものに消極的な人間は[士道]に反するとして罰せ
られるんです
確かに日本人には[道]の精神がありますが遥か昔から既に[道]の精神は歪んでるんです
その究極が第二次世界大戦の神風特攻隊です

日本人のコミュニケーションが嫌らしいモノになるのは当然です
何故なら日本人は生まれつき精神が陰険に出来てるからです
つまり遺伝子に欠陥があるんです

同じ黄色人種である韓国人、中国人、モンゴル人を見てみると同じように並み外れて陰険な事がわかると思います
つまり黄色人種は地球上から滅ぶべきだし、実際に将来紛争を繰り返して絶滅すると思います

Re: タイトルなし

> ハンターキラーさん

はじめまして、コメント有難うございます。すぐ上の名無しのコメント(日本人には[道]の精神が根強いていますが~からはじまるコメント)もハンターキラーさんが書いてくださったものですよね。こちらも有難うございます。


さすがに「黄色人種は地球上から滅ぶべき」は言いすぎだと思いますが(笑)、「日本では他人から[道]を極める事を強要される」という点に関しては、そういう傾向が強いコミュニティがあることは否定できませんし、僕自身もこうした風潮はおかしいと思っている立場です。この点については、過去記事「飲み会、社員旅行への"強制参加"を通じて、社員の"組織との一体感"を高めようとするのは如何なものか(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-250.html)」にも記しましたので、もし宜しければこちらもご覧下さい。

No title

こんにちわ。
最近拝読させていただいています。

コミュニケーションのとれない人を採用するメリットは本当にないでしょうか。
本人に全くやる気がなく、採用してから数年経ってもできないならさすがにないでしょうが
今すぐできなくても、半年ぐらいでできるようになるなら問題ないはずです。

人とつながる力ってのは確かに重要ですが
それは大人になったら改善できないものではなく、コツを掴んで練習すればかなりできるようになります。
内向的な人にもそれなりの人間的魅力があるので、人も近寄ってきますし、そういう人向けの社交のやり方もあります
自分の社交術を確立すれば、あまりストレスなく人とかかわることもできると思います。

「人は成長する」ということを採用側は意識すべきだな、と思います。
苦手なものは改善できると考え、得意なものに注目したらいいのにな、と。

今現在のコミュ力ばかりが採用で重視されているのはちょっと違和感を感じます。

No title

記事を読んで以下のような記事を思い出しました。

「不法薬物の使用」をSNSでチェック 米国の人材採用事情 : J-CAST会社ウォッチ
http://www.j-cast.com/kaisha/2012/08/18143177.html

フェイスブックやってない=犯罪者予備軍の怪しい人扱いされる? http://magazine.gow.asia/life/column_details.php?column_uid=00002131

SNSが一種の「踏み絵」として扱われる時代が来つつあるのでしょうか。

Re: No title

> ともさん

こんばんは、またまたコメント有難うございます。

>「人は成長する」ということを採用側は意識すべきだな、と思います。苦手なものは改善できると考え、得意なものに注目したらいいのにな、と。

これには同意ですね。少し前に書いた「就職難が起きている理由は、就活生ではなく、むしろ企業が選り好みしているからではないか(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-317.html)」という記事の内容と通じるところがあると感じました。


ただ、

>コミュニケーションのとれない人を採用するメリットは本当にないでしょうか。

就活は基本的には相対評価であるがゆえに、「現時点でコミュニケーションが取れる人」が「コミュニケーションのとれない人」に優先して採用されるのも無理はないのかもしれないと思っています。

Re: No title

>Kさん

こんばんは、コメント有難うございます。

>SNSが一種の「踏み絵」として扱われる時代が来つつあるのでしょうか。

残念ながら、そういうことでしょう。友達を少しではなくたくさん作らないと「まともな人」と思われない、そんな息苦しい時代が来ているのかもしれません。

No title

友達というのは作ろうと思って作るものではない

前のコメントで書かれてあるこれがなんかすべてを物語る。
なんだか、SNSみたいなメディアで作った仕事仲間みたいなのって緩すぎて頼りにならない感じで、あと凄くナルなものを感じていつも違和感を覚えます。

入社のスクリーニングでやっててこえなきゃならん壁、っていうものならやる気が湧くのかもしれません。人事もそういう事を理解してるのならいい。
しかし、特に何もSNに問題意識持ってない人がなんとなくやってる~という可能性の方が強い印象。就活の女の子ひっかけてやろーかなー、なんてそんな意識もってるのかもしれないし。 サボってる人にテキトー評価されてるみたいでヤです。
「業務改善」などと学生に言ってる人が、SNS的選考の意義を説明できない。そんなの変です。

それに、こういう繋がりはメールなどを論考した本が出ていますが、コストを喰う(文を打つ時間)割には「まさかの友」ではないので、コストを払う意義が疑わしくなります。ある種文を打つのが、精神安定剤に等価という風にも思えますね。孤独や空虚を埋めるための、です。この意味で、関係性オタク、なのでは。

Re: No title

> 名無し さん

こちらの記事にもコメントありがとうございます。

>なんだか、SNSみたいなメディアで作った仕事仲間みたいなのって緩すぎて頼りにならない感じで、あと凄くナルなものを感じていつも違和感を覚えます。

このようなコメントはこれまでも何回か他の人からいただいたことがあるのですが、それに対して僕は「ゆるいつながりでも、とりあえずつながっておけば、もしかしたらそれが深いつながりに発展する可能性があるので、そこまで否定するものでもない」という趣旨のコメントを返してきました。今でもその考えは変わっていません。

>入社のスクリーニングでやっててこえなきゃならん壁、っていうものならやる気が湧くのかもしれません。人事もそういう事を理解してるのならいい。しかし、特に何もSNに問題意識持ってない人がなんとなくやってる~という可能性の方が強い印象。

むしろ人事は、「人事がfacebookの友達の数を見るから、友達の数を増やしておこう」という打算的な気持ちを持つ就活生よりも、選考に必要だからという気持ち抜きに自然とfacebook上の友達数が増えている就活生をほしがりそうな気がします。

>コストを喰う(文を打つ時間)割には「まさかの友」ではないので、コストを払う意義が疑わしくなります

常見陽平さんがよく「SNSでいいね!をくれる人はいざという時に助けてくれない」と言っていますが、その話と通じるところがあるかもしれません。

No title

僕は、「人とのつながり」という物がよく分かりません。
言葉の意味もよく分かっていないせいかもしれないし、自分にとっての誤解言葉になっているのかもしれませんが。

何となく外見のよい、話術の巧みな人(コミュニケーション能力の上手な人)ほど、プライベートにおいても大切にされていると思います。
これは、現代だけじゃなくて、古代から、人間が集まるとこういった現象が起きるのだと自分は思っています。

めっちゃ古臭いですが、平安時代とかも、唄や俳句(?)などで人の心を動かし、それによって人は行動していました。。

現代はメールの文面が短文で読みやすいとか、絵文字などを巧みに使うとか。。
実際逢っている時でも、いかに相手が喜ぶ、望んでいる言葉をすかさず言えて、口先だけで行動が伴っていない人が人が集まる処ではちやほやされたりする。

僕はこんな人々の間でふりまわされたり、人の浅はかな判断で傷付けられたり、蔑ろにされたりするのが嫌で、MIXI、フェイスブックなどをしていません。
メルアドも極力持たないようにしています。


僕は大切なのは、一人一人の人、「相手」、にそのたびに振り回されない、自分とはこうだから、人には勝手に言わせておこう。判断させておこう。と思っています。


でも、企業が相手だと、お仕事ができない、お金が稼げないという問題になり、生きていく上での問題になりますね。

そこが難しいところで、生きるのって本当に沢山の理不尽なことや、非道なことがまかり通ってしまうものだと思う。

Re: No title

>名無しさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>僕はこんな人々の間でふりまわされたり、人の浅はかな判断で傷付けられたり、蔑ろにされたりするのが嫌で、MIXI、フェイスブックなどをしていません。メルアドも極力持たないようにしています。僕は大切なのは、一人一人の人、「相手」、にそのたびに振り回されない、自分とはこうだから、人には勝手に言わせておこう。判断させておこう。と思っています

確かに、そもそも人とあまり関わらないようにすれば人に傷つけられたりすることも無くなるわけですから、「名無し」さん自身がそういう環境を手に入れることを望むのならば、「名無し」さんの姿勢(MIXI・フェイスブックなどをしない、メルアドも極力持たない姿勢)は筋が通っていると思います。ただ仰る通り

>でも、企業が相手だと、お仕事ができない、お金が稼げないという問題になり、生きていく上での問題になりますね。

こういう問題が発生するわけですから、現実的に見れば「名無し」さんの姿勢を貫くのは難しいと言えますね。

はじめまして。
興味深い内容だったのでコメントさせていただきます。

表向きは人間の多様性を尊重することが良いとされているにも関わらず、その「多様性」の範囲が狭すぎるんじゃないかという疑問はぬぐえない。…

その「(範囲の狭い)多様性」というのは、「社交的」、「行動力がある」、「面白い(コミュ力がある)」といった性格的な条件や、「イケテる」、「容姿が(人並み以上に)良い」といった外見的な条件が各人に整っている前提の下での多様さなのでしょうね。
つまりそれらの条件を一定以上揃えている人達が、「(多様性の基準を決める側が定める)多様性」という名の円の中に入ることができる。
ですから「内向的」、「行動力があまりない」、「面白くない≒つまらない(コミュ力がない)」人や「イケテない」、「容姿が悪い」人というのは、最初から蚊帳の外。円の外側いて、余程のことがないと円の中に入ることができないんです。
この円の一番厄介なところは早いと小学校から既に出来上がっていることと、中学校以降のクラス、部活、受験、サークル、就活、会社組織、地域といった、あらゆるイベントや集団に存在していることだと思います。
小学生の頃からこの多様性という円に入れるか入れないかで、その人の学校や会社での位置や人格や人生までもが決まってしまう可能性さえもある。
これはとても残酷なことですが、集団が存在する限りなかなか避けられないのも事実かもしれません。

そんな中で「人と関わるのが苦手な人」や「深い付き合いはしたくない人」や私のような「集団に入るのが苦手な人」がどうすれば少しでも楽な気持ちで生きていけるのか。
私は欲に対する発想を転換して「足るを知る」ことを意識しています。
全て当たり前ですが、先進国で生きていることはかなりの幸運で、食べ物に困らないことも感謝ものだし、自分で納得できる仕事に就けていることも奇跡に近いし、趣味を満喫できることも幸運だと思うことです。
向上心を持つなと言うわけではないですが、SNSの登場により派手に遊んでいる人達が携帯の画面に出てきたことで、十分な幸せを十分と思えなくなってきているのではないかと考えてしまいます。
加えて、「社交性がある」、「行動力がある」人達が必ずしも幸せになれるとも限りません。
ニュースを見ていると社交性や行動力がある故に事件や事故に巻き込まれる人は思いの外多いですから、そういう人達が絶対正しいとかより良いなんていう価値観は今すぐ捨てるべきです。

今人との関わり合いで悩んでいる方々は「人は人、自分は自分」という考え方、一期一会から学び、大切にしていく。このスタイルで良いのではないかと思います。
でも、就活生に対してはもう少し公平な採用のあり方が欲しいですね。

Re: タイトルなし

>じん さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>その「(範囲の狭い)多様性」というのは、「社交的」、「行動力がある」、「面白い(コミュ力がある)」といった性格的な条件や、「イケテる」、「容姿が(人並み以上に)良い」といった外見的な条件が各人に整っている前提の下での多様さなのでしょうね

そうですね。もっとも、例えば「意識高い系」批判など「イケてない側」が「イケてる」側をバカにする例もあるので、もし「イケてない側」が「多様性の重要さ」を説いているとしても、その場合も「"多様性"の重要さを説いていても、そこには一定の前提がある」という可能性を認識することが必要だと思います。

>私は欲に対する発想を転換して「足るを知る」ことを意識しています。全て当たり前ですが、先進国で生きていることはかなりの幸運で、食べ物に困らないことも感謝ものだし、自分で納得できる仕事に就けていることも奇跡に近いし、趣味を満喫できることも幸運だと思うことです。

これは良い発想方法ですね。 
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