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「本気で就活問題を考える」とはどういうことなのか?~「真面目」な問題提起には限界がある~

最近twitterで日本の就活・労働のおかしな所を「サザエさん」のフグ田マスオ風にツイートしている。例えば、「ええ!『新入社員叩き』に勤しむ日本のサラリーマンは、自分が『ぼくたち、人を見る目ないです!』と言っているようなものだということに気づいていないのかい?」だとか、「ええ!『就活生の自己PRのネタがサークルやバイトのことばかりでつまらない』と言う面接官が学生時代に頑張ったことはサークル活動なのかい?」とつぶやいた(「ネタのつもりだろうけど、つまらない」という感想は受け入れます・・・笑)


これに対して「本気で就活問題を考えて本腰入れて行動を起こしている中で、こういう何も生み出さない不毛な発言を見ると本気でイラっとする」という批判を頂いた。そのような感想があるのも当然だとは思う。


ちなみに批判をされた方は「学生も企業も、不毛なけなし合いは止めよう」とも仰っていた。確かに問題提起をする際に、言動という形であれ行動という形であれ建設的な姿勢が必要だということに異論は無い。しかし僕は、逆説的だが建設的な姿勢「だけ」でも、特に問題の解決にはつながらないと考えている。


ここで「本気で就活問題を考える」という言葉の意味を考えたい。それは一般的に「問題の原因を追究して、就活生・企業・大学など異なる立場の見解を互いに理解し合った上で、それぞれが幸せになる具体的な解決策を導く」と定義できると思う。しかし僕は、このオーソドックスな定義に違和感を覚えている。


違和感の背景には、去年行われた就活ぶっこわせデモの実行委員の記述がある。彼は「何を『ぶっこわす』べきなのか?ー別の仕方で思考することー」という記事で「面白い事実がある。『就活ぶっこわせデモ』の実行委員会は『就活ぶっこわせ』という名称以前から活動しており、単に『就活デモ』と名乗っていたときにはほとんど反応がなかったということだ」と述べた。この記述を目にした当初は「いや、反応があるといっても、それは単にネタにしているだけだから」と僕は考えた。しかし後に振り返ってみると、仮に「ネタ」として取り上げられるに過ぎないとしても、それはそれで意義があるのではないかと考えを修正した。


「就活ぶっこわせデモ」には「もっと真剣に活動をやれ!」という批判が寄せられた。僕もその一人だ。しかし、そのような批判をした人たちの中に、2009年・2010年にも就活デモが行われていたこと、そして2010年のデモの実行委員が議員会館で院内集会を開いたことを知っていた人がどのくらいいたのだろうか。少なくとも僕は、過去にデモが行われていたことを知らなかった。


これが事実なら大変皮肉なことだが、「真剣に活動をやれ!」と述べる人は、当の真剣な活動の存在について殆ど知らないのではないか。例えば、去年の12月には(恐らく「就活ぶっこわせデモ」とは関係ない)学生の実行委員会(http://sksympo.exblog.jp/16519938/)が、就活問題を訴えるシンポジウムを開催したり、ワード8ページに渡る「就活改革提言」を公開したりしているのだが、それら「真剣な活動」について知っている人はどのくらいいるのか。「就活改革提言」をアップしているページでは「皆さんの意見をお聞かせください」と他者の意見を聞き入れる姿勢も示しているのに、そのページについたコメントは単なるスパムコメントのみ。


勿論、ネタに終始するだけでは話にならないけれど(そういう意味では、僕も就活ぶっこわせデモを大して支持していない)、一方で多くの人が必要性を訴える「真剣さ」だけでも効果は見込めないのではないか。僕の感覚では、学生の実行委員会の取り組みは学生の努力・行動量の割に全然話題になっていないと思う。少なくとも話題性という観点では、就活ぶっこわせデモに負けている。


少し愚民思想的な記述になってしまうが、真剣な問題提起に耳を聞き入れる人なんか、実際それほど多く無いだろう。かく言う僕も自分が関心の無い問題については、いくら他者からその問題の深刻さを訴えられようが、その問題について深く自問自答するのかというと正直自信が無い。だからこそ、真剣さが滲み出た文章を提出したり、行動に出たりすることに加えて、「ネタ」の要素を含めた問題提起(平たく言えば、「炎上マーケティング」の活用)こそが有効なのではないかと考える。「就活ぶっこわせデモ」はネーミングからして、また公式ブログの記述からしてネタ満載だけれど、それが結果として多くの人の関心を惹きつけた。ネタに走ったら走ったで確かにそれは失敗に終わる可能性はあるけれど、真面目に問題提起をする「だけ」よりは一度試してみるのも良いだろう。冒頭で触れたtwitterでのフグ田マスオ風つぶやきも、このような考えを基に始めている。


僕のつぶやきのクオリティはともかく、クオリティの高い「ネタ」は短文で問題の本質を抉る。例えば「日本人の無責任さ」という問題について。このブログによくコメントをくださる黒 紅 茶さんが自身のブログで「無責任社会あるいは国家としての日本」という記事を通じて、タイトルの通り「日本人の無責任さ」について検討している。参考文献も豊富で重厚な記事なのだが、それでも多くの人がこの記事を全て読み通すのかというと、正直それは怪しい。黒 紅 茶さんの記事を「反面教師」的な位置づけにして申し訳ないが、これに対してビートたけしの「だから私は嫌われる」という本の、この記述はどうだろうか。

ハワイへ行ったら混んでしょうがないという。お前が行くからだろうが。自分は行きたいけれど人が来るのは嫌なんだ。全く自己中心的な日本人になっちゃったな

たった2行でも日本人の「責任を他者に押し付ける姿勢」が伺える、秀逸な記述だと僕は思っている。しかも身近な話だから、イメージも抱き易い。これに対して「人をバカにしている」という批判もあるかもしれないけれど、一方で問題の本質を突いているということも否定できない。


考えてみれば、「真面目」な問題提起は元リクルート組や本田由紀さんなどの学者らによって十分になされてきた。ただ残念ながら、従来の「本気で就活問題を考える姿勢」に基づく本気の問題提起は、問題の解決に十分に寄与していない。これに対して粘り強く活動を続けていくというのも一つの考えだが、他方でそもそも「本気で就活問題を考える」という言葉の意味を疑い、これを再構成することも大事なのではないだろうか。僕はもっと、ネタや遊び心満載の問題提起があっても良いと思う。


「本気で就活問題を考えることが大事」といっても、「真面目」な問題提起には限界があるのではないか?という考えに共感してくださる方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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真面目or不真面目なんて問題の本質ではない

<本気で就活問題を考える>という言葉における、この“本気”という
言葉は、情緒的な訴えでしかなく、それほど意味はありません。
(これについては本多勝一さんの『事実とは何か(朝日文庫)』が詳しいです)

重要なのは本気度よりも、その考えの中身であり、効果であり、
かつ表現媒体が持つ魅力でしょう。
(この記事の言葉を借りるのなら、“クオリティ”というべきかも。
あるいは、インパクトというべきか……)


だから、如何に真面目な問題提起を行っていても(本人がそう思っても)、
その効果がどこまで見込めるか……。
lingmuさんが紹介してくださった私のブログの記事…。その長さもあって、
あまり人に読まれているとは思っていません(苦笑)

でも、そんなものだと思います。
どんなに偉そうなことを言っても、それが人に受け止められるかは
分かりません。表現者は、ただひたすら反応が起こるのを待つだけしかないのです。

Re: 真面目or不真面目なんて問題の本質ではない

>黒 紅 茶さん

こんばんは、いつもコメント有難うございます。

僕は「本気さ」も少しは重要なのではないかと思いますね。例えば黒 紅 茶さんは就活生組合を「茶番」と評したことがあると思いますが(就活生組合という茶番劇へようこそ(笑)http://himatubusinoheya.blog89.fc2.com/blog-entry-273.html#more)、その評価の背景には「活動のクオリティが低すぎたから」という思いだけではなく、彼らから「本気度」が全く伺えなかった・・・という思いもあるのではないでしょうか。

>表現者は、ただひたすら反応が起こるのを待つだけしかないのです。

これが全てでしょうね。ブログを書いている身として、実は僕の記事は大きく「書き終わって手応えが残る記事」と「無理やり仕上げた記事」に分けられるのですが、手応えを感じた記事が多くの人に支持されるのかと言うと必ずしもそういうわけではない(笑)また個人的には無理やり仕上げた記事(マイナビの広告の記事とかは、まさにこれに当てはまります)であっても、結果として多くの人が読んでくださるということも珍しくありません。意見の発信者は「やるだけやって、あとはメッセージの受け手の判断に委ねる」という意識を持つくらいで丁度良いのかもしれません。

提起方法は数あれど

こんにちは。

問題提起の方法は確かにたくさんあります。
けれど、“提起という名を騙れば何を言っても良し”とはならないのではないでしょうか。

“提起”ですから、必ず対象がいるはずです。
とすれば、対象者に合った提起方法があるはず。
まず、提起する者が考えなければならないことは、“対象者が自分の発言をどう解釈するかを事前に吟味すること”だと思います。

私は、就活に不満を持ち、少しの種火でも業火に発展し得る、パワーもあり、何より素直(良く言えば)である『今の』学生に“ユーモアと捉えてもらえれば”というような、解釈を相手に任せる提起方法は不向きではないかと思うのです。


私の誤解もあると思いますので伺いたいのですが、lingmu様がこのツイートでされたかった問題提起とはどういったものなのでしょうか。

当事者として頭に血が昇ってしまったので読み取ることができず……スミマセン。

Re: 提起方法は数あれど

> おたけさん

お久しぶりです、コメント有難うございます。

おたけさんが仰るツイートとは「ええ!『就活生の自己PRのネタがサークルやバイトのことばかりでつまらない』と言う面接官が学生時代に頑張ったことはサークル活動なのかい?」のことだと思います。これは文字通り、「就活生の自己PRのネタがサークルやバイトのことばかりでつまらないと言う面接官」に対して、「え、そういう自分の学生生活はどうだったんですか?」と問いかけるものです。まぁ、これは「問題提起」と言えるほど立派なものではないですが・・・。

>提起する者が考えなければならないことは、“対象者が自分の発言をどう解釈するかを事前に吟味すること”だと思います。

それは、その通りだと思います。しかし、発言の解釈は人それぞれ異なります。今回の僕のツイートで言えば、憤りを覚えるおたけさんのような方もいれば、一方で「お気に入り」に入れてくださる方もいる訳です。また、真面目に問題提起をした場合では真剣に文章を読んでくださる方もいれば、「こんな文章読むのだるい」と思う人もいるはずです。だから僕としては、ブログは真面目に書いて(最新記事のように駄文を垂れ流す記事も少なくありませんが・・・)、ツイッターでは多少ネタの要素を盛り込んで問題提起をしようというように区別しています。

炎上が必要なケースとは?

解釈が異なるからこそ、あらゆる解釈の可能性を探って発言すべきでは? と言いたかったのですが、言葉が足らずにすみません。

しかし、悲しいですね。
いくらネタとはいえ、「お前はどうなんだ」という問題提起が始まったら、それこそ就活問題なんて解決しませんよ。
正直、問題提起というより、学生の賛同を得るためのブラックユーモアにしか……。


lingmu様は炎上マーケティングの活用も有効と仰っていますが、lingmu様が炎上させる対象は何なのでしょう。
炎上には必ず対象があります。企業、政治家、ブロガーなどなど。

就活ぶっこわせデモもある意味炎上の結果だと思いますが、就活に関わる企業、組織は多数存在するため、ココという対象がありません。
だからこそ“院内集会”という場に落ち着いたように思います。


lingmu様は問題提起と仰っているので、恐らく発見してもらうための炎上を意図されているのだと思いますが、それが必要な問題提起とはどのようなものなのか気になります。
わざわざ皮肉を込めた形にせずとも、同じ内容の提起は可能だと思うのですが……。

私が「これは炎上が必要だ」と思える瞬間は、革命のような扇動が必要で、かつ、対象が特定されている時だと思います。


でもそれを就活に置き換えると、「私は問題提起するけど、あとは当事者同士でやってね」という、lingmu様の仰る“無責任”な印象も受けます。

No title

質の高い問題提起どころかドヤ顔で風刺してるだけだろ
ってのが正直な感想。

「どうせ人事もバイサーしかやってなかっただろ」とか「経団連は建前しか言わない」ってのはまさにその通りだけどさ、そこを指摘しても問題の解決にはならないわな。

「東○は政治家マスコミと裏でズブズブなんだぞ!」
「電○と○ジテレビが韓流ブームを捏造してるぞ!」

ってのとおなじ。これで事態が好転した?
そんなの分かってるけど、だからといってどうにもならないよ・・・ってのが大半の感想じゃね?

やっぱり問題提起から提示したい解決策まで合理性・論理性を持たせて主張するのが一番じゃないかなー。
その表現方法に一部風刺を入れることは別に構わんと思うが
真面目とか本気ってそういうことかなーと。

ブログ主さんのつぶやきは全部見てないので分からないけど、今見ることができたものだけでも
ただ人事(企業)をディスってるだけじゃないかと思ったんでコメント

そもそも論として……

lingmuさんへ。
『就活生組合という茶番劇へようこそ(笑)』という記事を
書いたのは、就活の当事者である自分としては見過ごせないと
いう思いを持ったことと、この記事を通じて組合側の人間と
コンタクトをとれないか? という思いからです。
「本気さ」は重要でしょうが、そんなものは表現者がいくらいっても、
受け取る側がそれを信じることはありませんし、表現者は
表現において直接、
「私は本気です」「私は真面目です」なんて言うべきではないと
思っています。できるかぎり、受け取る側に委ねるのが表現者では
ないでしょうか?

おたけさん、のさんが言っていることは頷けます。
そのうえで、前回私が行ったコメントを補足します。

<真面目or不真面目なんて問題の本質ではない>と
いいましたが、それはあくまでの受け手の観点に基づくものです。
また、この二つの言葉はしょせん飾り言葉でしかありません。
何を根拠に定義を行えばいいか、個々人で判断が異なる概念で
あるからです。

一方で表現者にも問題はあります。
<表現者は、ただひたすら反応が起こるのを待つだけしかない>と
言いましたが、表現者は自己の表現がどのような反応をもたらすか、
ある程度考える必要があります。
「こう受け取られてしまうのではないか?」
「この言葉で誰かを傷つけてしまうのではないか?」など。

『表現の自由』という言葉があります。しかし、これは無条件の自由とかを
あらわすものではありません。そもそも自由には代償が付き物です。
表現の自由に関しては、表現するものは行使する自由に対して責任を
持つ必要があると考えられています。

さて、管理人さんのツイートが批判されている話についてですが、
そもそも論としてツイッターとは何か?
細かいことはウィキペディアの項目を見ていただければ幸いですが、
ようは個人の『つぶやき』です。
『独りごと』と解しても良いかもしれません。ネガティブな捉え方を
すると、公衆便所の落書きでしかありません。
ブログも似たようなものです。けっして高尚なものではありません。
受け取る側はその前提を持つ必要があるでしょう。

ですが、ツイッターもブログにも一定の公共性があります。
公共の福祉とかいう言葉を使いたくはありませんが、
やはり、他人が見て、「不快感を持つかもしれない」という思いを
もちながら書くこと……つまり責任を考えたうえで書くことが
大切なのではないか、と思います。

このブログのやりとりを見ると、阿久根市の元市長である
竹原信一氏の『住民至上主義』を思い出さずにはいられません。


長いコメントになってしまいました。

Re: そもそも論として……

> おたけさん、のさん、黒 紅 茶さん

コメントが遅くなってしまい、申し訳ありません。
まとめてのコメント返信になってしまって申し訳ありませんが、僕の考えを書かせていただきます。


誤解しないで頂きたいのですが、問題提起をする際に炎上や風刺「さえ」すれば良いとは僕は思っていません。1度目のおたけさんのコメントへの返信で書きましたが、とりあえずの所「ブログは真面目に書いて、ツイッターでは多少ネタの要素を盛り込む」という形を試しています(つまり、単にネタに走るだけではなくて、例えば「の」さんが仰るように「合理性」・「論理性」を備えた主張も同時に行っていくべき、むしろそちらに力を入れるべきだと僕も思っています)。また、ツイッターだけを見た人から「こいつ、つまらないネタを言っているだけじゃん」と思われにくくなるように、随時過去記事を紹介したりしているのですが・・・。それでも、望ましくないでしょうか?(笑)


とはいえ、皆さんのコメントから「ネタの要素を盛り込む」ことには大して意味が無いと受け取られる場合があるのが分かったので感謝しております。勉強になりました(皮肉とかじゃないですよ!)。

Re: No title

> おたけさん、黒 紅 茶さん

お二人が「わざわざ皮肉を込めた形にせずとも、同じ内容の提起は可能」、「他人が見て、「不快感を持つかもしれない」という思いをもちながら書くこと……つまり責任を考えたうえで書くことが大切なのではないか」と似たような主張をされているので、それについて返信をさせていただきます(「の」さんのことをスルーしている訳ではありませんので笑)。


これは僕の感覚が間違っているのかもしれませんが、他人に不快感を与える可能性が無い「万人向け」の表現は、そもそも他人から批評される土台にも乗れないのではないか・・・と僕は感じているのです。現に記事でも取り上げた、学生が一生懸命作った「就活改革提言」は全く無視されている訳です。


「だからといって不快な表現をしてよいのか」と思われるかもしれませんし、実際その通りだと思うのですが、一方で「人を不愉快にさせてはいけない」と思いながら文章を書くと何も書けなくなるか、誰も見向きもしない無味乾燥な文章が出来上がるだけではないかとも思うわけです。ある主張・文面をどう受け取るのか、その解釈は人それぞれです。今回の記事でも「人を不愉快にさせる表現は止めるべきだ」というご意見もあれば、この記事に拍手をしてくださった方もいます。


考えは人それぞれでしょうが、僕はブログを書いている身として「他人が不快感を持つかもしれない」ということを過度に想像しながら文章を書くことには賛成できません。勿論、「バカ」とか「○ね」とか(笑)、そういう表現を用いることはマズいでしょう(「バカ」はたまに使ってしまっている気がしますが・・・)。ネタを交えた問題提起であっても、「の」さんの仰るように「風刺」のレベルでとどめれば、それは一定の効果はあると思います。仮にその風刺で一定数の人が不愉快になるとしても。賛成していただけないかもしれませんが、これが現時点の僕の考えです。

No title

キャッチコピーとしてアグレッシブな風刺をすること自体が問題なんじゃなくて
風刺の表現によって問題提起どころか「ただのグチ」としか受け止められない点を問題点として言いたかった。
表現といっても言葉遣いというよりかは内容の伝え方ね。
おたけ氏、黒紅茶氏もそこを問題点とされてるんじゃないかなー。(違ってたら申し訳ない)

就活デモだって「就活ぶっこわせ!」「ゆとりにゆとりを!」と叫んでるだけで「ただのガス抜き」でしかなかったしな。
(当事者の就活生にデモに否定的な声が多かったのを見れば分かるわな)

No title

続き

>「ええ!『就活生の自己PRのネタがサークルやバイトのことばかりでつまらない』と言う面接官が学生時代に頑張ったことはサークル活動なのかい?」

これも学生時代サークル三昧で入社した面接官を批判しても仕方ないんだし、
「就活生がバイサーでしか自己PRを作ろうとしない」ほうを問題とすべきだわな。
それは「大学での勉強は評価されない」という、デモでも主張された点とも絡んでる。
(「学生時代は○○学に力を入れました!」ってアピールしたら深掘りもされずに流されたとか言ってたかな)

そこで「面接官も大学時代の勉強について深掘りして質問すべき」という提案が挙げられる。
「分からない点があったらどんな人に質問した?」とか「どういう範囲で調べ物をした?」とかね。

大学の勉強じゃ先輩や教授とコミュニケーション取って質問・調査できるんだし、行動力を活かせば他の大学・研究機関へのアクセスだってできる。
企業側はポテンシャル採用を取ってるわけだから、面接官の側も学生への質問を通して勉強面で得られた長所を引き出していくべき。

そこから一種の風刺として

「ええ!面接官はバイトやサークルの話には深掘りしても、学生の本分のはずの勉強の話には突っ込もうとしないのかい!?」

ってのなら、分かる。

あくまで一例として思いつきで書いただけなのだが、
風刺も建設的な提案を示唆する内容にしましょうってことが言いたかったw

Re: No title

> のさん

コメント有難うございます。

>風刺も建設的な提案を示唆する内容にしましょうってことが言いたかったw

これならば、僕も同じ問題意識を抱いています(笑)正直、(コメントをくださった)皆さんはそもそも「ネタ」を絡めること自体に嫌悪感を抱いているのかと思っていたので、それは違うのではないかと感じていました。どうやら僕は誤解してしまっていたようです。ネタを絡めるならもっとネタのクオリティを上げろ(純粋に「不愉快」な表現は避ける+建設的な内容を盛り込む)という話ですね!(笑)まぁ、失敗することも多いかと思いますが、もう少しtwitter上で風刺を交えた問題提起を試みたいと思います。
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