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茂木健一郎さんが「日本の大学入試の今後」について議論すべき相手は池田信夫さんであり、常見陽平さんではない

言論プラットフォーム「アゴラ」に、池田信夫さんの「ペーパーテストをやめたら大学は崩壊する」、常見陽平さんの「茂木健一郎よ、ペーパーテスト批判はやめなさい」という記事が掲載された。これはどちらも、茂木健一郎さんの9月22日の連続ツイート「裏口入学という言葉が日本の大学の、ダメさを象徴している」への反論記事だ。


まず、議論の発端を紹介したい。池田さんと常見さんが噛み付いているのは、茂木さんの次のツイートだ。このツイート、また連続ツイート内の他のツイートを見ても、茂木さんは大学がペーパーテストの点数「のみ」を評価基準にして大学入学者を決めることに異議を唱える立場に立っていることが分かる。実際、茂木さんは連続ツイート内で「ペーパーテストの点数だけで入試を決めているというのは、つまり、経営を真剣に考えていないということ。どんな生徒のミックスをしたら最も刺激的な学びの場になるか、ろくに考えていない」とも述べているので。


マイケル・サンデルの本に「多様性を重んじる」というハーバードの入学審査の基準が載っている。アファーマティブ・アクションが争点になったバッキ訴訟において、ハーバード大学が「アイダホの農場の少年は、ボストン出身者に出来ない何かを大学にもたらす。同様に黒人学生は、白人学生に出来ない何かをもたらす。全学生の教育的経験の質は、それぞれの学生に固有のバックグラウンドの違いや、ものの見方の違いによるところが大きい」という議論を提起したことを紹介しているのだ。茂木さんの意見は、このハーバードの議論と非常に馴染むものではないだろうか。


それに対して池田さんは「面接をしないでペーパーテストだけで選抜する日本の大学入試と公務員試験が、日本が近代化に成功した原因なのだ」、「日本のようにもともと情実のききやすい社会でペーパーテストに徹した非裁量的な入試が、日本社会の公正競争を辛うじて維持してきたのだ」と、茂木さんとは逆にペーパーテスト「のみ」で入学者の選抜を行うことの利点を述べ、最終的には「ペーパーテストに徹した非裁量的な入試さえ失われると、日本は特権階級がコネで師弟を大学に入れ、自分の会社に入れて跡継ぎにし、政治家のように世襲だらけになるだろう」と記事を締めくくっている。ペーパーテストに限らない選抜をするべきだと述べる茂木さんと、ペーパーテストに限る選抜をするべきだと述べる池田さん。どちらが正しいかは置いておいて、少なくともこの2人の議論が真っ向から噛み合うことは疑いないように思える。


その一方で、常見さんの茂木さん批判はよく分からない。より正確には、常見さんは記事を書くに当たって、過去記事にさかのぼるなどして茂木さんの主張を調べることを全然していないんじゃないかという気がする。


繰り返すが、茂木さんの主張は「大学入学者には多様性があるべき。その観点から、ペーパーテスト"のみ"で入学者が決まる入試はおかしい」というもの。それに対して、常見さんは記事の半ばで「茂木の意見にツッコミを入れておくと、茂木はもしその口頭試問の面接官だったら、どんな面接をするのか?茂木が礼賛しているペーパーテスト以外での評価、つまり面接などの重視というのは、茂木がここ数年、中途半端な正義感と思い込みから批判している新卒一括採用の面接とどう違うのだろうか(中略)人間性や創造性の評価ということを言うなら、彼が批判する企業の面接とあまり変わらないだろう」と突っ込んでいる。


常見さんのこの批判に対しては、「記事を書く前に"茂木健一郎 大学入試"でググッたら良かったですね」と突っ込みたい。こう検索すると茂木さんが「氷の浮かんだ湖にいる水鳥の足は、なぜ凍らないのか」といった非典型的な問題を長時間議論する面接を課す入試を好意的に紹介したり、「戦争を始めたのはドイツという説があるが、あなたはどう思うか」など、自分の頭で論理的かつ実証的に考える能力を問う設問を好意的に紹介したりするページがヒットするので(http://president.jp/articles/-/7169)、「人間性や創造性の評価ということを言うなら、彼が批判する企業の面接とあまり変わらないだろう」という批判はズレていると感じる。勿論、非典型的な問題を長時間議論する面接を課すことで「優秀」な入学生をゲットできるかと言うと、そこには疑問の余地があるのかもしれないけれど。


また、常見さんの「自由という名のもとで放牧され、個性を評価すれば誰でも優秀な学生になり、天才が生まれるという話にしか聞こえない。違うのだ。やっぱり最初は、基礎、型が必要なのである」という主張も、茂木さんの「アメリカのSATは、日本の感覚から言えば簡単な問題であるが、これは一つの叡智である。共通して課される問題は、普通に高校生活を送っていれば解ける範囲に制約する。その上で、どんな方向に延ばすかは、個々人の自由とする」、「共通部分のSATはあの程度にしておいて、あとはどの方向に尖るかは、自由にしてください、ということなのである」という、少し調べれば簡単に見つかる発言を見落としている(http://togetter.com/li/106318)。この茂木さんの主張は、一応「基礎」「型」の必要性を理解しているといえないだろうか。勿論、ここでも茂木さんの「SAT」に関する現状認識が間違っている可能性はあるのだが(そして、僕にその批判能力がない!笑)、ここで言いたいのは常見さんは茂木さんを批判している割には、茂木さんの主張をそんなに知らないのでは?ということだ。


本当はもっと茂木さんの意見、池田さんの意見どちらがより妥当かを判断したかったのだが、もう眠くあってきてしまった・・・。常見さんの記事に触れたのがどう考えても余計だった。これは後日また考えるとして、ここではひとまず以前このブログでも紹介したことがある倉本由香利さんの記事を紹介したい(http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/f34e4ba6878a7424f0e36991c0fe6180)。倉本さんは「今の日本の大学入試では、仕事が出来る人材、世界で通用する人材を選抜できない」という批判を踏まえたうえで、それでも「現行の日本の大学入試制度を活用して(つまり、入試制度を変革しないで)、起業家とかグローバルな人材とかを輩出することは出来るんじゃないか」と提言する。常見さんの訳が分からないツッコミよりもこの記事の内容を紹介したほうが遥かに有意義でしたね・・・。このブログは就活のみならず教育面も少々扱っていくので、この問題についてはさらに考えていきたいと思っている。

茂木健一郎さんと池田信夫さんの「日本の大学入試」に対する見解の相違が理解できたと感じてくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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