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「就活で鬱になるのは甘え」という言葉が愚かな理由は、各就活生が持つ「溜め」の大小を無視しているからだ

少し前の記事でも触れたが、僕は最近湯浅誠さんの本に目を通している。地元の図書館で「反貧困―"すべり台社会"からの脱出」、「岩盤を穿つ」、「どんとこい!貧困」の3冊を借り、時間ができた時にそれぞれを読み込み、大事だと思う箇所をメモしている。


湯浅さんが複数の本に渡って繰り返し主張していることの一つが、「溜め」という概念を意識することの重要性である。「溜め」とは、一言で言えば「頑張るための条件」のこと。溜めの大小を測る物差しは、例えば金銭面であったり、家族であったり、いざとなったときに頼れる友人の存在などが挙げられる。お金に余裕があり、且つ親が「内定まで時間がかかっても良いから、悔いの無い進路選択をしなさい」と言ってくれている状況があるならば「就職留年をしてでも希望の会社を目指す」、「卒業後に海外でもまわってから就活をしてみよう」など、多数の選択肢が生まれる。一方で、家計に余裕が無いことから「どこでも良いから早く就職先を決めて働きなさい!」と親が言ってくる状況にある就活生は「就活に失敗できない」というプレッシャーを抱えながら、進路を決めなければいけなくなる。一言で「就活生」といっても、それぞれが持つ「溜め」の大小の違いで精神的なゆとりがだいぶ変わってくるといえる。


もう一つ具体例を挙げるならば、就活生の溜めの大小について考える際には「住んでいる場所」という要素も挙げられるはずだ。首都圏に住んでいる人は東京で開かれる説明会や選考に比較的容易に参加できる。しかし、地方に住んでいる人は1回の説明会に参加するだけで何万もの出費を覚悟しなければならない。こう書くと「首都圏外の大学を選んだのは自分自身じゃん」という突っ込みを受けそうだが、そういう自己責任論を踏まえてもなお、「地方に住んでいる人の"溜め"は、首都圏に住んでいる人たちのそれと比べて小さい」という事実は変わらない。


今回の記事で言いたいのは、全就活生の「溜め」を平等にしようと言う話ではない。勿論、企業が「web会社説明会」を開いて、地方の人の金銭的な負担を減らすようにするなどの動きは必要だ。しかし上で述べたように「溜め」の要素には「親」「実家の家計」なども含まれるので、そこも平等にしよう!という訴えは実効性にあまりにも欠ける。


あくまでも、各就活生の「溜め」の大小に自覚的であろうという話だ。「首都圏に実家があり、親のおかげで家計も裕福で、仮に就職がうまくいかなくてもすぐには追い詰められないような状況にある恵まれた就活生」が、「地方に実家があり、家計があまり裕福でないので首都圏の大学にも行けないし、首都圏に就活に行く際にもお金のことを気にしないといけないし、ましてや就職浪人は許されない状況にある就活生」に対し「就活で鬱になるのは甘えじゃない?」なんて言うことは、僕の感覚では認められない。


当たり前だが、就活生一人一人置かれている状態は違う。恥ずかしながら僕は、親のプレッシャーに苦しむ就活生の存在には、既卒者カフェに取材にいってはじめて理解を深めた。他にも、現在明らかになっていないだけで「~なことで苦しんでいる。就活を頑張るための条件が欠けているように思う」と感じる就活生は多数いるだろう。就活生の事情を全て熟知すべきだとは言わないが(僕も分からない)、少なくとも「就活生一人一人置かれている状態は違う」ということは常識で考えれば分かるはず。そんな常識すら分からない人が「就活で鬱になるのは甘え」なんて言葉を吐いている状況があるとすれば、それは本当に恥ずかしいことだ。


ただ、このように書くと「私は恵まれた環境じゃなかったけど、努力して内定を取りました。だから、"溜め"の大小なんてなんの言い訳にもならないと思います」と言い出す人が出てきそうだ。つまり、溜めが小さい人なら、同じく溜めが小さい人を批判し得るということ。これに対しては、「そんな苦労自慢大会して、楽しいですか?」としか言えない。溜めの小ささを理由に苦しむ就活生がいるのならば、その苦しみを理解し、彼・彼女が頑張るための条件を整えるほうが生産的だと思うけれど、これは通じない人には一生通じないかもしれない。


さて、自分で言うのもアレだが、この記事のように「就活生の"溜め"の大小」について触れることも少しは意義があることだと思っている。しかし、もっと尊重されるべきは実際に就活生の溜めを大きくする「既卒者カフェ」や「就トモcafe」のような活動の存在だ。特に既卒者カフェは「親からの就職のプレッシャーが凄い。」、「友人たちは皆働いていて疎外感を感じる。」、「アルバイト先でも話が合わずに孤立しがちだ」という、特に人間関係の「溜め」が縮小している既卒者をフォローする組織として、もっと高い評価を得ても良いと思う。勿論皆が実際に就活生の「溜め」を大きくするための活動に従事すべきだとまでは言わないが、それが出来ないならせめて、自分の「溜め」の大きさを棚に上げて、「溜め」が小さい就活生に「甘え」ということは止めるべきだ。


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まったくそのとおりだと思います。

現在大学3年生、就活中の身です。思うようにいかない就職活動、本当にやりたいことは何かの再考、経済的事情など様々な要素が相重なり、現在精神的につらくなっています。偶然信頼できるお医者さんに出会い、お薬の処方、カウンセリングを受けています。
筆者様の「溜め」という考えにビビッとくるものがありコメントするに至りました。なぜこんなにも新卒の「就活」が一大イベントのようになってしまったのでしょうか。自分にあった職業を探す行為がなぜ大学卒業までにしなければならないといった風潮に染まってしまったのでしょうか。なぜいわゆる「デキル人」が人間としても優れていて、「デキナイ人」が人間的にも劣っていると思われないといけないのでしょうか。今の「就活」というものが「就活学」なるものになりつつあるように思えてなりません。
離職率の高さって、企業が誰かに決められた一定の基準に頼りきった選考をしているからなんじゃないかと思います。新卒も既卒もフリーターも職歴なしも、コミュ力の高低も人柄の善悪も論理的に話せるか否かも、偏見なしもっとフリーに採用活動してもいいんじゃないかと思います。

Re: まったくそのとおりだと思います。

>lilil さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>筆者様の「溜め」という考えにビビッとくるものがありコメントするに至りました

ありがとうございます。ただ「溜め」というのは元々は湯浅誠さんという方が言い出した概念で、僕はただそれを引用したに過ぎません(笑)この概念に興味があれば、湯浅さんの本に目を通してみると良いと思います。

>なぜいわゆる「デキル人」が人間としても優れていて、「デキナイ人」が人間的にも劣っていると思われないといけないのでしょうか

これについては、「"良い会社"から内定を得た人→優秀」、「内定がない人・不人気な業界に就職することを余儀なくされた人→無能」という構図に対する疑問(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-442.html)という過去記事が参考になるかもしれません。 
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