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就活における「ハイパーメリトクラシー的評価」を加速させる「日本の就活は専門的な能力が無くても企業に入ることができるから良い」という声

現在の日本の就活のあり方を擁護する理屈の一つとして「専門的な能力を身につけて無くても、企業に入ることができる」という、就活生に優しいものとなっているんだというものがある。欧米の会社では専門的な能力・インターン経験が無いと会社に入れないが、それに対して日本の就活はポテンシャルが大事なので、実務経験・専門性が欠けている就活生でも採用してもらえるという主張だ。


確かに、この意見は一定の正しさを含んでいると言えるかもしれない。しかし、「実務経験・専門性が欠けていても採用してもらえる」という要素を単純に「日本の就活の長所」と見なして良いのだろうか。むしろこの要素が、多くの人が問題視する「採用基準が曖昧で、自分に何が足りなかったのかを把握することができない」という短所を生み出しているのではないか。


過去記事「能力があったり、努力をしたから内定を取れるのではなくて、内定を取れた結果としてその人の能力や努力が後付けで肯定される・・・?」で次のツイートを紹介した。ここでいう「全人格評価」を具体的に言えば「意欲や対人関係能力、創造性など人格や感情の深部、人間の全体に及ぶ能力を評価の遡上に載せる評価形式」と表現することができ、学者の本田由紀先生はこれを「ハイパーメリトクラシー的評価」と名づけている。そして本田先生は、「格差社会という不幸」という本に収録されている宮台真司先生・堤未果さんとの対談の中で、欧米も「ハイパーメリトクラシー的評価」を重視する傾向にあるが、それでも日本は欧米と比較してこの評価形式が極端な形で進んでいると分析している。


どういうことかというと、欧米では個別具体的な職業能力の評価が日本より遥かに高く、これが評価の曖昧さの加速に歯止めをかけている効果をもたらしている。対して、日本にはこのような歯止めがないので、就活生は企業から必要とされるためにどのような能力を、且つどのような手段で身につければ良いか分からない漂流状態に陥ることがあるといえる。勿論、就活生の中にはあっさりと内定をもらい就活を終える人も少なくないわけだが、一方で「自分では内定を取るために必要な努力をしているつもりなのに、なかなか結果が出ない・・・」と悩む就活生がいることは、就活がうまくいかないことを理由に命を絶つ人がいることからも明らかだろう。


僕の考えでは「日本の就活は~なあり方だから恵まれている」という表現はかなり的を外していて、どのようなあり方でも長所もあれば短所もある。今必要なのはそれぞれのあり方の長所・短所を比較した上で「どのようなあり方が一番マシか」を考える議論だと思う。


「日本の就活は実務経験・専門性共に求められないから恵まれている」という主張は単純すぎるという考えに共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします。
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No title



最近、考えてるですが、そもそも今の日本で「これ大卒資格いるの?」っていう事例って結構あると思うんですよ。営業であったり、プログラマーであったり。僕の聞いた例だと「大卒求人出したけど採用したら高卒とそこまで変わらなかったから高卒採用に変えました」というのもあるらしい。
それも結局「ハイパーメリトクラシー的評価」でどこまでの能力を人に求めるか、イマイチ判然としないから、というのが原因にあると思うんです。

吉本興業 「中卒、高卒社員募集」の計算(日刊ゲンダイ) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000007-nkgendai-ent
↑常見さんの意見がよくわからん。多様性って学歴ですか・・。
 









No title

ホントに「(どこの企業からも)内定が出ない理由が分からない」んかね?
どの企業にも内定が出ない理由については内定が出ない各個人が一番自覚してると思うんだがな。

特定の企業単位だと確かに採用基準は不明確だけど、就職活動全体で考えてみると内定が出る人、出ない人にはやっぱ差があるんだよね。
ゼミや研究室の集まりだと、内定が出そうな人出なさそうな人は就活前から、それも同じ学生の視点から判別つくもんだし。

「今の就職制度だと専門能力があるのに採用されない人がいる」点については、数少ない個別具体的な問題として解決すればいい話で
周りと同じように大学に進学してふつうに大学生活を過ごしてきた大半の就活生の問題では決してないよね。

No title

ついでに言うと、専門能力が問われないハイパーメリトクラシー的な採用方式は
大学で勉強してない学生のみならず、大学受験ではランクの高い大学に入れなかった学生や
専門能力の土台とすらみなされない勉強(文学とか)をしてきた学生の利益にもなってんだよね。
ランクの低い大学に入ってしまっても就職が不利な学部に入ってしまっても、本人次第で「やり直しが効く」と考えることもできる。

一方でハイパーメリトクラシー的評価を排除して客観的指標に比重を重くすると
既卒で就活している人=新卒就活で失敗したか、新卒就活に乗ろうとしない変人
という扱いのもとで門前払いになる恐れが強くなるけど、文句は言えなくなるんだな。

No title

現状の就活は100%企業側の都合を背景にできたものであり、特に就活生のためというわけではなく、恵まれているとは俺も思いません
実務経験・専門性が欠けていても採用してもらえるのは別に長所ではないでしょう
かといって、採用基準が曖昧で自分に何が足りなかったのかを把握することができないのも、短所とは思いません
そもそも、果たして日本以外なら本当に把握できるのか疑問に思います
職業能力が一定の水準に達したうえでの競合ならば、あとはそれ以外の点で比較するしかなく、その場合把握が日本同様困難だと思うのですが、誰か真実を教えてほしいところです

どのようなあり方でも長所もあれば短所もある。今必要なのはそれぞれのあり方の長所・短所を比較した上で「どのようなあり方が一番マシか」を考える議論だと思う。

上記考えには非常に共感します
たとえ現状が40点であっても、他がそれ未満であれば現状がベストです
勿論常に更なる高みを目指すことは重要ですが、単に現状の絶対的に悪い点に対する不満ばかり見掛けるのが残念でなりません

No title

やはり、先日の記事でも管理人さんの仰るように
採用/不採用にあたり「不採用理由を開示せよ」だとか言わないまでも、
求められる能力の種類や人物像などの明確化はもっとあってもいいように思います。

Re: No title

> takeshi さん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

>最近、考えてるですが、そもそも今の日本で「これ大卒資格いるの?」っていう事例って結構あると思うんですよ。営業であったり、プログラマーであったり。僕の聞いた例だと「大卒求人出したけど採用したら高卒とそこまで変わらなかったから高卒採用に変えました」というのもあるらしい。

教育系の本を読むと、「現在は知識技術を活用する仕事が増えているから、大卒が必要とされている」と書かれているのを目にすることがありますが、大学がその知識技術を身につける場になっているのか、学生が知識技術を身に付けようとしているのかというと疑問は残りますよね。

>吉本興業 「中卒、高卒社員募集」の計算(日刊ゲンダイ) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000007-nkgendai-ent
↑常見さんの意見がよくわからん。多様性って学歴ですか・・

その記事で常見さんは「面白いものを作るのが仕事の会社ですから、いろいろなバックグラウンドの人間がいた方が組織の活性化につながるのは間違いない」と言っていますね。これは産経新聞に掲載された常見さんのインタビューにおける次の記述と読み比べると面白いですね。

--新卒一括採用のメリットとは?

 「多くの学生にとって、初めて真剣に社会に向き合う機会だ。つらさばかりが強調されているように思うが、大学の教育力が不十分な中で、就職活動で初めて自分を見つめ、成長する充実感を覚える学生も実は多い。また、企業にとっては、一定の時期に多くの学生の中から欲しい人材を選べ、社風を維持しやすいという利点が大きい。多様な人材を採用できないとする意見もあるが、採用段階ではなく、入社後の人材育成によって多様性は実現されるものだろうhttp://sankei.jp.msn.com/economy/news/121123/biz12112307490003-n2.htm

お久しぶりです。

のさんの
>特定の企業単位だと確かに採用基準は不明確だけど、就職活動全体で考えてみると内定が出る人、出ない人にはやっぱ差があるんだよね。
ゼミや研究室の集まりだと、内定が出そうな人出なさそうな人は就活前から、それも同じ学生の視点から判別つくもんだし。

というコメント。これって実際皆さんどう思うのかすごい気になります。議論をする上ですごく重要な点だと思います。


僕は自分自身が大学時代に友人やゼミのメンツを観察した結果、①絶対内定貰えるだろうなと思う学生1割〜2割②まず内定貰えないだろうなと思う学生1割〜2割③当落選上の学生6割〜8割、といった実感でした。東京の中堅私大の文系と理系の中間に位置するような学際的な学部です。

大部分の学生がどちらに転ぶか分からない当落選上にいる(と少なくとも僕は感じていた)にもかかわらず、よくある就活論としての内定を貰った学生はそれに相応しい資質があった、努力をしていた、内定を貰えない学生は努力不足だ、みたいな論調が単なる結果論によるこじつけでしかなく実態を捉えておらず非常に胡散臭いと感じたことが現在の日本の就活に対する否定的な立ち位置に繋がっています。

なので、この部分に関してはのさんの意見には同意出来ないというのが僕の考えなのですが、他の方はどう感じているのでしょうか。

No title

上への返信でもありますが

全人格的評価で問題なのは、採用基準が曖昧なことよりも
努力で改善可能な「能力」ではなく、努力で改善できない「キャラ」を評価されることです。
資格とか知識とかはどう努力すればいいのかが明確ですが
雰囲気だの性格だの顔だのはなかなか変えられないでしょう。

仮に(個々の試験では評価軸が不透明でも)就活全体で見れば評価軸がわりとはっきりしていたとしても、生まれながらのキャラで決まってしまうというのは
個人にとっても社会にとっても不幸なことです。

一つの職業に向いてるキャラ、向いてないキャラなんて、私はあんまりないと思います。
能力は一定以上は必要ですが
同じ職種、職場でもいろんなキャラがいていたほうがいいと思うんですけどね。

Re: No title

> のさん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

>ついでに言うと、専門能力が問われないハイパーメリトクラシー的な採用方式は大学で勉強してない学生のみならず、大学受験ではランクの高い大学に入れなかった学生や専門能力の土台とすらみなされない勉強(文学とか)をしてきた学生の利益にもなってんだよね。

あくまでもこの記事においては、「専門能力が問われる採用方式は、ハイパーメリトクラシー的採用方式より就活生に優しい」という主張をしたのではなく、あくまでも「どのような採用方式にも一長一短があるよね」ということを述べたに過ぎません。おっしゃるとおり、ハイパーメリトクラシー的採用方式により利益を得る就活生がいるのは間違いないと思います。

>のさん、william yaminさん

william yaminさん、お久しぶりです。william yaminさんが「の」さんの意見を批判しているということで、ここはまとめての返信とさせていただきます。

>特定の企業単位だと確かに採用基準は不明確だけど、就職活動全体で考えてみると内定が出る人、出ない人にはやっぱ差があるんだよね。ゼミや研究室の集まりだと、内定が出そうな人出なさそうな人は就活前から、それも同じ学生の視点から判別つくもんだし。

>大部分の学生がどちらに転ぶか分からない当落選上にいる(と少なくとも僕は感じていた)にもかかわらず、よくある就活論としての内定を貰った学生はそれに相応しい資質があった、努力をしていた、内定を貰えない学生は努力不足だ、みたいな論調が単なる結果論によるこじつけでしかなく実態を捉えておらず非常に胡散臭いと感じたことが現在の日本の就活に対する否定的な立ち位置に繋がっています。

個人的には「の」さんの「内定が出そうな人、出なさそうな人」という分類よりも、william yaminさんの「絶対内定貰えるだろうなと思う学生、まず内定貰えないだろうなと思う学生、当落選上の学生」の分類の方がしっくりきます。

さらに、あくまでも僕の周りではwilliam yaminさんの言う「絶対内定貰えるだろうなと思う学生」とみなされていた人が大苦戦しているという事情もあり、且つ苦戦するであろうと思われていた人が有名企業に内定したりしていたので、振り返ってみれば訳がわからなかったなぁという感想です(笑)もっとも「の」さんの言うように、内定がもらえるだろうとみなされている人がすんなりと内定を取り、且つ苦戦するであろうとみなされていた人がそのまま苦戦した場合もあったので、全く見分けることができないということは無いと思います。ただ、その見分けるポイントを言語化しようとすると・・・「雰囲気」という超曖昧な要素だったというのが僕の場合は正直なところです。

>のさん

>一方でハイパーメリトクラシー的評価を排除して客観的指標に比重を重くすると既卒で就活している人=新卒就活で失敗したか、新卒就活に乗ろうとしない変人という扱いのもとで門前払いになる恐れが強くなるけど、文句は言えなくなるんだな。

僕の場合は客観的指標を設けることで、その指標をクリアしている人は年齢に関係なく(あまりにも年配の人は門前払いかもしれませんが)エントリーできるとみなしていたので、全く捉え方が逆ですね(笑)まぁ、現在のハイパーメリトクラシー的評価でも「既卒で就活している人=新卒就活で失敗したか、新卒就活に乗ろうとしない変人という扱いのもとで門前払いになる恐れ」というのは相当程度存在していると思います。最近も、コメント欄に家庭の事情で就活ができなかった人が面接で変人扱いされたというエピソードが寄せられましたし。

Re: No title

> L_z_m_i さん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

>やはり、先日の記事でも管理人さんの仰るように採用/不採用にあたり「不採用理由を開示せよ」だとか言わないまでも、求められる能力の種類や人物像などの明確化はもっとあってもいいように思います。

ありがとうございます!もっとも、何をもって「明確化」といえるのかの判断が難しいんですけどね。

No title

のさんとYaminさんの考え方は、私にはそれほど違うとは思えません。
のさんの方が大雑把だ、という程度です。
ものごとは個別に見るのと全体的に見るのでは違っていて、個別に見ると、どう見てもすぐ内定しそうな人が決まらず、どう見ても内定しそうにない人が決まる、ということが起こります。
しかし、全体的に見ると、内定しそうになくて実際に内定しない人々、内定しそうで実際に内定する人々、という大雑把な見方が全体という大きさの上では真実になります。
のさんもYaminさんも、全体的にそういう見方をしている、という点では同じで、ただ、のさんの方が大雑把であるといえます。
一方、管理人様の身近な人の場合は、個別に見ているため、内定しそうなのに内定しない、あるいはその逆、というケースがあるわけです。

また、このところのコメントを見ていて気づいたことを1つ。
みなさん、努力という言葉を信じすぎています。
学校では努力がすべてみたいに言いますが、あれは学校だけの話で、社会は違います。
社会では、結果がすべてです。これは日本だけでなく世界共通です。
つまり、結果の伴わない努力は認めてもらえないのです(実際に努力したとしても)。

たとえば、ある製品を作るように言われた職人が、出来の悪い製品を作ってしまったとき、「でも、努力はしたんです」といってもだめです。

また、努力すれば改善できる、というのも誤りです。
誰もが努力すれば東大に入れますか?
誰もが努力すればTOEIC700点以上取れますか?
努力ではどうにもならないところで判断される、それは学力も能力もすべてそうです。雰囲気や見かけだけではありません。
学力も能力も雰囲気も見かけも、努力で変えられる部分はありますが、必ず限界があります。

結果の伴わない努力は認められない、努力には限界がある、という現実を見つめた上で、じゃあ、自分はどうやって生きていくのか。
そうやって、自分の生きられる道、生きられる場所を見つけていくしかないのではないでしょうか?

Re: No title

> とも さん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

>全人格的評価で問題なのは、採用基準が曖昧なことよりも努力で改善可能な「能力」ではなく、努力で改善できない「キャラ」を評価されることです。資格とか知識とかはどう努力すればいいのかが明確ですが雰囲気だの性格だの顔だのはなかなか変えられないでしょう。

これがまさに本田由紀先生がハイパーメリトクラシーの問題点として挙げている理屈です。

>仮に(個々の試験では評価軸が不透明でも)就活全体で見れば評価軸がわりとはっきりしていたとしても、生まれながらのキャラで決まってしまうというのは個人にとっても社会にとっても不幸なことです。

正直企業に好かれにくいキャラクターの人は一定数いるでしょうから、特にそういう人が就職先が見つからないという意味でも、自分の何が悪いのか・自分の性格が企業ウケしないことはわかっているけれど今更キャラを変えられない等の点に悩むという意味でも苦しみやすいといえると思います。

No title

>特定の企業単位だと確かに採用基準は不明確だけど、就職活動全体で考えてみると内定が出る人、出ない人にはやっぱ差があるんだよね。
>ゼミや研究室の集まりだと、内定が出そうな人出なさそうな人は就活前から、それも同じ学生の視点から判別つくもんだし。

まず後半については特に深く考えず自分の経験で言い過ぎたかなと猛省
ヤミンさん、ブログ主さんの仰る分類のほうがより適切でしょう。

肝心なのは基準が不明瞭だろうが、就活はあくまで同じ就活生同士の争いなんであって
新卒採用やらハイパーメリトクラシー採用やらに勝るマシな採用方法などなく
どんな採用方法だろうがどっかの就活生が損してどっかの就活生が得する、それだけの話じゃんってこと。
少なくとも今の新卒定期採用に関しては同じ時代背景で生まれ育って同じく就業経験のない就活生同士で争い、選ばれた人が就職できてるよね。
これが通年採用だったり、新卒既卒完全不問採用だったりすると転職活動みたいに企業側が延々と選り好みを続け誰も採用されないなんてことがありうるんだけどさ。

勿論個人的にはいくら評価基準が不明瞭と言われようが
企業側も無作為に選んでるわけでもなく、選ばれる人には選ばれるだけの理由があるし、
「当落線上の」人だとまさしくハイパーメリトクラシー採用のおかげじゃねーかって思うが。

新卒就活だのハイパーメリトクラシー採用だの、企業や就活ビジネスに文句言っても仕方ないよ。
それで恩恵を受ける人がいる以上、まさに「制度のせいにする」としか。
仮に(本当に)優秀なのに報われない人がいるとすれば、そういう人を救済するための具体的な問題で語ればいいじゃん?

No title

あと「努力」だけども、新卒就活は就業経験のない就活生が前提だから努力が重要な評価基準なのは否めないけどね。
結果が云々というよりかは方向性の問題でしょう。

それと以前話題にあがった「体育会系専用セミナー」こそ、体育系部活で努力した人を評価する「公正な」手法だよなあ。

Re: No title

コメント返信が遅くなっていてすみません。これから順に返信していきます。

> ななし さん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

>のさんとYaminさんの考え方は、私にはそれほど違うとは思えません。のさんの方が大雑把だ、という程度です。

僕も、william yaminさんの記述の方が現実を表す表現として正確だと思っていて、それでコメントに「しっくりきた」と書きました。僕も、二人の考えがそれほど異なるとは思っていないですよ。

>みなさん、努力という言葉を信じすぎています。学校では努力がすべてみたいに言いますが、あれは学校だけの話で、社会は違います~

記述の中身自体は正確だと思うのですが、コメント欄を見ても、皆さんが努力という言葉を信じているとはあまり感じませんでした。

この記事のコメント欄に書かれているのは、「内定を取れた人と取れていない人の努力量の差は本来それほどないにも関わらず、明暗が別れた理由が"努力量の差"であると説明される点がおかしい(william yaminさん)」、「資格とか知識とかはどう努力すればいいのかが明確(とも さん )」という話に過ぎませんから。「ななし」さんは「とも」さんのコメントに対して「努力すれば改善できる、というのも誤りです」と述べていますが、「とも」さんは努力は必ず報われると言ったのではなく、単に努力の方向性が見えやすいと言っているに過ぎないので、記述は妥当とは思えませんでした。

Re: No title

> の さん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

>まず後半については特に深く考えず自分の経験で言い過ぎたかなと猛省。ヤミンさん、ブログ主さんの仰る分類のほうがより適切でしょう。

いやいや、別に猛省しなくても(笑)ただ、現状認識が一致したみたいで、良かったと思います。

>就活はあくまで同じ就活生同士の争いなんであって新卒採用やらハイパーメリトクラシー採用やらに勝るマシな採用方法などなくどんな採用方法だろうがどっかの就活生が損してどっかの就活生が得する、それだけの話じゃんってこと。

これは記事本文における「"日本の就活は~なあり方だから恵まれている"という表現はかなり的を外していて、どのようなあり方でも長所もあれば短所もある」という記述と通じるところがある・・・と受け取って良いですよね(笑)

前のコメントに「ハイパーメリトクラシー的採用方式により利益を得る就活生がいるのは間違いないと思います」と書いたように、現行の採用方式により利益を得る就活生はいる、しかも「大勢」いると思います。ただ、「求める人物像の不明瞭さ」、「不採用理由の曖昧さ」などを問題視する人がそこそこ多い以上は、現行の採用方式のデメリット面にも目を向けるべきだということを考えています。

No title

>ブログ主さん

「求める人物像」の具体化については、ずっと前にソニーの「英語でタンカを切れる人」の例があったかと思うけど、
あれも英語スキルが高い人だけを欲しいわけでもないし、英語スキルだけが高い人を欲しいわけでもないからなあ。

そのソニーだけど、今年は全てコース別の採用方式をとるらしい。
( 事務系:http://www.sony.co.jp/SonyInfo/Jobs/newgrads/concept2/contents1.html#course )
こうやって採用の入り口の段階である程度選別してしまうのが、
今のところ考えられる落としどころなんじゃないか。
勿論総合職入社でジョブローテーションをやってる会社はこんなの絶対やらないだろうけども。


仮に企業に「本音でもいいから求める人物像をもっと具体化しろ!」って言ったらどうなるんだろうね。
スキルのような肯定的条件よりもむしろ否定的条件が目立って笑えないことになるんだろうかw

Re: No title

> の さん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

>そのソニーだけど、今年は全てコース別の採用方式をとるらしい。
( 事務系:http://www.sony.co.jp/SonyInfo/Jobs/newgrads/concept2/contents1.html#course )
こうやって採用の入り口の段階である程度選別してしまうのが、
今のところ考えられる落としどころなんじゃないか。

③ビジネスマネジメントコースは財務・会計の知識④コーポレートスタッフコースは法律知識を有している人が優遇されそうな印象を受けました。確かにこういう形が現在考えられる落としどころでしょうね。ちなみにハイパーメリトクラシー的選抜の行き過ぎを批判する本田先生も、職種別採用には好意的でした。

>仮に企業に「本音でもいいから求める人物像をもっと具体化しろ!」って言ったらどうなるんだろうね。
スキルのような肯定的条件よりもむしろ否定的条件が目立って笑えないことになるんだろうかw

その可能性はありそうですね・・・(笑)ただ、表現をうまく選べば否定的条件を示すのも一つの手だとは思いますが。

No title

就職活動は恋愛結婚に例えられる、は一番適切な採用方法であるかはさておき
一番自然な採用方法だと思います。
ゆえに強く反発を受けても仕方ないとも思いますが。

入社基準が明確に存在する→それに向かって努力しさえすれば入社できる
という考えの人は民間企業に適していないでしょう。
そのような人は公務員や資格職に行くことがミスマッチの解消だと考えます。

Re: No title

> maru さん

こちらの記事にもコメントありがとうございます。

>就職活動は恋愛結婚に例えられる、は一番適切な採用方法であるかはさておき一番自然な採用方法だと思います。ゆえに強く反発を受けても仕方ないとも思いますが

人が人を審査する際に曖昧な基準に頼ってしまうのは仕方がないことです。ただ、求める人物像の不明瞭さに苦しむ就活生が多くいる現状を鑑みると、その曖昧さを緩和することは必要なのではないかと思います。勿論「社基準が明確に存在する→それに向かって努力しさえすれば入社できるという考えの人は民間企業に適していないでしょう。そのような人は公務員や資格職に行くことがミスマッチの解消だ」と結論づけるのも一つの案としてアリだと思いますが、求める人物像をスキルベースで厳格化することは企業にとっても「就活生のエントリー数を減らせる」というメリットがあるはずなので、ゆえに僕は就活における「ハイパーメリトクラシー的評価」の流れに歯止めをかけることが必要だという立場を採っています。

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