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脱社畜ブログと社畜は結構似た者同士なんじゃないか 前編

「脱社畜ブログ」という、日本の労働環境に疑問の目を向けたり、「労働」という行為を相対化することを試みたりしているブログがある。僕もこのブログで労働問題について論じていることもあり、「脱社畜ブログ」の主張に共感することも少なくない。しかし、一方で違和感を覚えることもしばしばある。


肝心の違和感の中身だが、それは「脱社畜ブログ」も「社畜」も向いている方向は違えど、実は結構似た者同士なんじゃないかということだ。どのような点が似ているかに触れる前に、僕が違和感を持つきっかけとなった「脱社畜ブログ」の「"やりがいのある仕事"という幻想」という記事における記述を一部引用したい。

人は働くために生まれてきたのではない。どちらかというと、働かないほうが良い状態だ。働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だといえる。ただ、一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。

社会貢献だとか、やりがいだとか、生きている意味だとかを問い始めて仕事を考えるよりかは、このような「当たり前なこと」を出発点として「仕事」というものを考えていくほうが余程自然だと僕は思っている。しかし、残念ながら我が国ではこういう自然な考え方は異端視される。「働かない方が人間的だ」なんて言ったら、働くことを神聖視している一派から石が飛んでくる。「お金が稼げないから、仕方がなく働いている」ということは、たとえ思ったとしても、口に出してはいけないようだ

なお「人は働くために」~「お金が稼げないという問題があるだけである」の記述は森博嗣さんの著書「"やりがいのある仕事"という幻想」からの引用となっている。ちなみに中野剛志さんの「レジーム・チェンジ」という本にはアメリカの社会科学者のロバート・レーンさんの研究が載っていて、その研究によると「労働こそが、(人々に)幸福感をもたらす」ことが詳細な実証データに基づき明らかになっているらしい。「"働かない方が人間的"というのが当たり前」と個人で思う分には自由だけれど、学術的には森博嗣さんや「脱社畜ブログ」の考えの方が異端といえそうである。


とはいえ僕が違和感を覚えるのは、「脱社畜ブログ」の見解が学術的見地から見て誤っている(と思われる)からではない。どこに違和感を覚えるのかというと、結局「脱社畜ブログ」も「社畜」も自分の価値観を絶対視し、その価値観の対極にいる人を下に見るという点では同じなのではないか?ということだ。「社畜」は「働くこと」を、「脱社畜ブログ」は「働かないこと」を神聖視し、その上で自分の価値観にそぐわない生き方を下に見るかのようなことを言っているように感じられる。


この点、仮に「脱社畜ブログ」が「自分にとっては、"働かない"ほうが人間的な生活ができる」、「"働きたくない"と考える人いるのは自然だ」という言い回しを用いているならば何も問題はない。「なるほど、あなたはそう感じるんですか」、「確かに人はそれぞれ考えや向き・不向きが違うから、仕事が好きな人もいれば、組織の中に入って働きたくないと感じる人が一定数いるのは自然ですよね」と感じておしまいである。さらにこのような言い回しならば、別に仕事が好きな人を攻撃していることにもならない。


しかし実際に書かれていることは、一般論として「"働かない方が人間的"というのが当たり前」、「"働かない方が人間的"ということを出発点にして"仕事"を考えるのが自然な考え方」というものだ。まるで、日々働いている労働者が「人間性」を損なっていたり、社会貢献ややりがいを胸に仕事に従事する人が不自然であるかのような表現ではないか。所謂「社畜」は「社会人なら~するのが当たり前」という自分が勝手に作ったルールを武器に労働にさほど熱心でない人を批判するわけだけど、「脱社畜ブログ」も「働かない方が人間的だ」という勝手に作った価値観を武器に労働者(特に仕事熱心な人?)を批判しているわけで、ゆえに「脱社畜ブログ」は主張の方向性は異なるとはいえ、行動原理は「社畜」とさほど変わらないんじゃないかと思うわけである。もっとも、どちらが一層クソなのかといえば、他者に実害をもたらす「社畜」の方だけれども。


「脱社畜ブログ」には「"働かない方が人間的だ"なんて言ったら、働くことを神聖視している一派から石が飛んでくる」とあるけど、そりゃ先にそっちが「働く」という行為に石を飛ばしてるんだから、逆に石を投げ返されるのも当たり前だろう。一体、何を考えているんだと思う。「あなたが"働きたくない"と思うのは勝手だけど、なんで"働かない"方が普通かのような言い方をされなきゃいけないんだ。まるで働いている自分たちがおかしいみたいじゃないか」と思われても全然不思議ではないじゃないか。


別に働くこと・働かないことのどちらがより人間的な生き方に資するのかなんて、そんなものはどちらでもよい。これは各々の価値観により異なるに決まっている。大事なのは生き方の優劣を論じることではなく、労働が好きな人から労働に向いていない人まで多様な価値観を包摂するということだろう。なんで「"働かない方が人間的"というのが当たり前」とまで言っちゃうかなと思う。労働を相対化しようと試みるのは意義があることだと思うけれど、一般論として「働かないこと」が「働くこと」よりも生き方として良いということもないはずだ。
 
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No title

http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/08/24/220020
こうゆう記事もあるんで、脱社畜さんが全ての働く人を下にみてるとは考えにくいと思います。
ただ単に今回の脱社畜さんの記事の書き方が悪かっただけではないでしょうか。

No title

うーん、私にはむしろ、こっちの方が本音のような気が。
森さんという強い味方を見つけたので、その分、本音が出た感じがしますけどね。
もちろん、働く人はがんばって、というエールを送るのもそのときの本音だとは思いますが、ちょっとリップサービスっぽい感じもします。

引用記事の最後の部分、本当に仕事を楽しんでいる人はことさらそれを語ろうとはしないはず、それを語るのは、どこか本当に楽しんでいない、自慢を通して自分を納得させようとしている、というところは私は大反論したいところですね。
世の中には自己顕示欲の強い人間がいて、仕事自慢は自己顕示欲なので、別に自分を納得させようなんて思ってないのです。

働く人を下に見ることで、働かない自分を自己正当化しているという感じは、残念ながら、この引用記事にはあるように思います。なので、社畜が自己正当化のために働かない人を下に見るのと同じ、という管理人様には同意します。

私は、そういう自己正当化も認めてやっていいのでは、と思う人間ですが、それは自己正当化では?という疑問を投げかけるのはよいと思います。

飽くまで個人的な考えですが、要はdenno_kurageさんは「そんなに肩肘張らずに生きて行かなくてもいいんじゃない?」ということを彼なりの書き方で書いていると思います。今までの記事を見ていると、所謂「社畜」と言われる人たちについて下に見ていると言うより、「あなたの生き方に口出しはしないけど、僕の生き方にも口出しはしないでね。」という様なスタンスを採っている様に感じます。失礼な言い方かもしれないですが、管理人さんはやや感情に走るところがある様です。もう少し固定観念にとらわれずに考えてみては如何でしょうか?

Re: No title

> コマンドーさん、ななしさん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。まとめてのコメント返信となりますが、ご了承ください。

コマンドーさん、記事のご紹介ありがとうございました。ただそれを踏まえても、僕は「ななし」さんの見解の方が妥当だと思っています。

確かに「脱社畜ブログ」では「(働かないという選択肢を含めて)要はいろいろな価値観を認めようぜ」と主張する記事が多くを占めてると思うのですが、僕としては「いろいろな価値観を認めよう」という部分の主張はただのポーズに過ぎないんじゃないの?という印象を受けるんです。

例えば「Re:脱社蓄ブログを読んで感じる違和感(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/03/02/131448)」という記事には「僕が現代日本に漂っている"会社=尽くすもの"といった風潮や"仕事=やりがい=人生の目的"といった価値観を、相対化・無力化したいと強く願っているからなのかもしれない」という記述があります。僕としてはこの記述を見て「"仕事=やりがい=人生の目的"といった価値観を相対化しようとするのは分かるけど"無力化したい"というのは言い過ぎではないか?」と思ったのです。別に仕事を人生の目的に据えたり、やりがいをもって頑張ったりしても当然良いわけですから。それを「無効化したい」とまで言ってしまうということは、「脱社畜ブログ」のスタンスとして「"仕事を通じて人生を充実させようとする考え"はありえない」というものがあるのかなと僕は感じるわけです。そして、加えて言えば「ななし」さんのコメントにある「働く人を下に見ることで、働かない自分(※脱社畜ブログの管理人も働いているはずなので、正確には「働くことが嫌いな自分」という表現の方が適切かと思いますが)を自己正当化している」という「脱社畜ブログ」への評価に共感するのです。

Re: タイトルなし

> たろうさん

こんばんは、いつもコメントありがとうございます。

>今までの記事を見ていると、所謂「社畜」と言われる人たちについて下に見ていると言うより、「あなたの生き方に口出しはしないけど、僕の生き方にも口出しはしないでね。」という様なスタンスを採っている様に感じます

上のコメント返信で書きたいことは大体書いたのですが・・・(笑)。確かに「脱社畜ブログ」をおっしゃる様に捉える見方は分かりますし、むしろそのような見方こそが健全である可能性が高いとすら思います。しかし僕の意見は異なります。

No title

脱社畜さんの記事はたまにそれこそ使用者側に都合が良くて、社畜を作るよなぁってのもあるので、あまり自分を客観視できないのは確かかなと。

No title

管理人さん コメントありがとうございます。

確かに「無力化」というのはちょっと言い過ぎでは?と思いましたね。
そんなこと言うと「働きたくないひともいるのは自然だ」という考えを無力化しようとする人がいても、文句を言えなくなるかもしれないですね。

でも「仕事を通じて人生を充実させようとする考え」を「ありえない」とまでいってるのかは(根拠もないただの全体的な印象ですが)疑問ですね。
脱社畜ブログでは「仕事を通じて人生を充実させよう」と思う人側の立場に立った意見が少なすぎる故にそう見えてるのかもしれません。


余談ですが「仕事=やりがい=人生の目的"といった価値観」を無力化すれば、そうゆう人たちに付け込んでやりがい搾取しようとする輩も痛手を負う、そしたらやりがい搾取は減るかも・・・?

No title

世間では働く事のメリット・働かない事のデメリットしか語られませんが
逆に脱社畜ブログでは働く事のデメリット・働かない事のメリットにもスポットライトを当て
こんな考え方だってあるんですよ、という提示をしているのみであり
あくまででそれを選ぶのはあなた個人ですよ、といったスタンスの方が近いように思えます

石を投げるのくだりもそうですが、世間の流れとしては労働賛美者が石を投げている場面が多く
それに対して脱社畜ブログさんは疑問を投げかけているだけであって
脱社畜ブログさんの方から石を投げているというのはちょっと違うと思いますね

No title

だって・・・、そんな当たり障りのないことを書いたら・・・、ページビューを稼げないじゃないですか!!

No title

脱社畜さんがこのエントリーに対する反論のような記事を書いていますが、これが逆に管理人様の主張を補強している感じですね。

Aは自然、Bは不自然。
Aに働く人を入れ、Bに働かない人を入れるか
Aに働かない人を入れ、Bに働く人を入れるか

脱社畜さんは「自然と不自然は対等」と前置きしていますが、前置きすれば他人を不自然と呼んでいいのかどうかは疑問です。自分を不自然と呼び、でも、不自然な自分の方がよいのだ、と主張するのならいいのですが。

脱社畜さんはおそらく、少数派の自分の方が本当はえらい、という、選民思想の持ち主で、この選民思想の持ち主は共感者を集めて、カルト的な人気が出る場合がよくあります。

脱社畜さんは弱者だから批判すべきでないと考える人もいるかもしれませんが、現段階では、それは当たらない気がします。

No title

労働という言葉に込めている語義の違いだと思います。
脱社蓄氏が言っている労働のコアは対価性(報酬を得ること)では?現実の労働については社会的活動という面もありますが、それは趣味で実現すればよいという設定がスタートだと思います。
とすればやりたいことのために報酬が不要な状況になるなら労働しないのは自然な選択とも思います。事業欲のある人などはそれでも働くでしょうが、それはビジネスによって何らかの世界を作りたいというゴールが目的であって、労働が目的ではないでしょう。過程が面白いというパターンも考えられますが、もし別にお手軽な方法が用意されていてもわざわざ働いて過程を楽しみたいという場合は趣味やゲームの範疇だと思います。

古代から現代に至るまで高等遊民階層が労働に対してどのように振舞うかを考えるといいかもしれません。(現実には階層・身分など文化的文脈を切り離せないため空想上の設定にすぎませんが)
そのような人々が自然に選択するのはやはり趣味に属する文化活動であって、労働を売って報酬を得ることではないと思います。
それでも労働したいという人は居るでしょうが、対価が無くてもやるんじゃないでしょうかね?それは労働じゃなくて趣味だと思います。

Robert K. Merton氏のwikiも見たのですが、主張されているのは緊密な人間関係が幸福の基礎というものではないでしょうか?(本来は引用論文を探して読まないといけないんでしょうが)
労働は経済制度に乗っかって人間関係を作る方法としては容易であるというだけで、それを避けて同好の士でサークル活動をできれば、幸福という点でもそれに越したことはないのではないでしょうか。

というわけで個人的には脱社蓄ブログの方に同意します。
もっとも現実の面では理念型を唱えるだけでは逆効果(経済上の制約から、労働するよりも不幸になる)という意見についてはそうだろうなあと思います。

No title

Royal Weみたいなもので、それを根拠に社畜と結びつけるのは無理があると思いますよ。
思想的には対極にあるのだから、それが答えでしょう。

ただ脱社畜ブログさんの意見には全然共感できないですね。
特に、この記事の反論記事にある働かない状態が自然であるとするのに

>「お金の心配はしなくていい、好きなことをしていいよ」と言われた時に

こんな仮定を置いちゃってるあたりが、恣意的で誘導的で臭いですね。
脱社畜ブログさんは働くことが不自然な状況をわざと仮定してます。
これじゃ結局、働かないことが自然なことだと念仏のように繰り返してるのと変わりません。
だったら、お金の心配がある状況を仮定すれば、働くことが自然になるんですからね。
持論に固執するからこういう子供だましみたいなことをしてしまうのでしょうね。

No title

お金の心配がある(大きい)状況とない(小さい)状況では、後者を目指すべきかと思います。二元論でくくれる話ではないと思うので大小の表現も併記しました。
すると目指すべき状況において自然な振る舞いはどうなのかという考え方も可能かと思います。

Re: No title

> 脱社畜さんの記事はたまにそれこそ使用者側に都合が良くて~というコメントをくださった方へ

はじめまして、コメントありがとうございます。

>脱社畜さんの記事はたまにそれこそ使用者側に都合が良くて、社畜を作るよなぁってのもあるので、あまり自分を客観視できないのは確かかなと

そうなんですか。僕の印象はむしろ労働者側に都合がよすぎというものだったので、正直このコメントを見て少々驚きました。そういう記事もあるんですね。

Re: No title

> コマンドーさん

こんばんは、またまたコメントありがとうございます。

>でも「仕事を通じて人生を充実させようとする考え」を「ありえない」とまでいってるのかは(根拠もないただの全体的な印象ですが)疑問ですね。脱社畜ブログでは「仕事を通じて人生を充実させよう」と思う人側の立場に立った意見が少なすぎる故にそう見えてるのかもしれません。

なるほど、確かにそうかもしれません。

>余談ですが「仕事=やりがい=人生の目的"といった価値観」を無力化すれば、そうゆう人たちに付け込んでやりがい搾取しようとする輩も痛手を負う、そしたらやりがい搾取は減るかも・・・?

確かに「無力化」してしまえば確実に「やりがい搾取」を無くすことはできるでしょう。ただそれでも僕は(「やりがい搾取」撲滅のためには)「相対化」で十分なんじゃないかと思いますけどね。

Re: No title

> 名無し さん

はじめまして、コメントありがとうございます。

>世間では働く事のメリット・働かない事のデメリットしか語られませんが逆に脱社畜ブログでは働く事のデメリット・働かない事のメリットにもスポットライトを当てこんな考え方だってあるんですよ、という提示をしているのみでありあくまででそれを選ぶのはあなた個人ですよ、といったスタンスの方が近いように思えます

確かにそういうスタンスを示す記事も多くあったはずです。ただ、記事で取り上げた「"やりがいのある仕事"という幻想」というエントリーや(僕のブログの最新記事も参照 http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-457.html)、「コマンドー」さんへのコメント返信で取り上げた「Re:脱社蓄ブログを読んで感じる違和感」における記述を見ると、「こんな考え方だってあるんですよ」というスタンスを超えて「やりがいをもって働くとかおかしいだろ?」というスタンスが感じられたというのが僕の印象なのです。勿論「それはお前のただの印象じゃん」と言ってしまえばそれまでですので、そこは記事を読んでくださった人たちが評価することだと思っています。僕の記事を読んで「脱社畜ブログは別に、働く人を下に見ているわけじゃないだろ」と感じる人もいれば、「一見多様性に配慮しているようで、実は楽しんで働く人を下に見るかのような記述があるなぁ」と感じる人もいるのではないかと思います。

Re: No title

>通りすがり さん

はじめまして、コメントありがとうございます。

> だって・・・、そんな当たり障りのないことを書いたら・・・、ページビューを稼げないじゃないですか!!

そうですね(笑)ブログを書いている僕としても、アクセス数を増やすことを図るなら、記事を無難に仕上げるよりもツッコミどころを残した方がよいのではないかと感じます。

Re: No title

原則としてコメントは頂いた順番に返信しているのですが、もうそろそろ寝る体制に入りたいので、その状況下で一つでも多くコメント返信をすべく、コメントの文面が思いついた順に返信をさせていただきます。

>ちょっと通りますよ… さん

はじめまして、コメントありがとうございます。

> 脱社蓄氏が言っている労働のコアは対価性(報酬を得ること)では?現実の労働については社会的活動という面もありますが、それは趣味で実現すればよいという設定がスタートだと思います(中略)Robert K. Merton氏のwikiも見たのですが、主張されているのは緊密な人間関係が幸福の基礎というものではないでしょうか?(本来は引用論文を探して読まないといけないんでしょうが)労働は経済制度に乗っかって人間関係を作る方法としては容易であるというだけで、それを避けて同好の士でサークル活動をできれば、幸福という点でもそれに越したことはないのではないでしょうか

こちらこそ本来は引用文献にある記述をそのまま紹介するべきなのですが、手元に文献がないので、中野剛志さんの本の記述を紹介します。

>Robert K. Merton氏のwikiも見たのですが、主張されているのは緊密な人間関係が幸福の基礎というものではないでしょうか?

おっしゃる通り、中野さんの本には、労働が人に幸福感をもたらすとされる理由の一つは他者と関係を築けることです。そして、他者と関係を築くための手段が「労働」に限られないというのもその通りです。

ただそれに加えて、労働が「仕事をもって自分で生計を立て、家族を養うことからくる自立心」を人に与えるものであり、それが人間の前向きな精神や自尊心を生み出す重要な源泉になると本では説明されています。そしてそれは確かにそうだなと思います。「不労所得という手もあるじゃん」と突っ込まれたらそれまでなのですが(笑)、原則としてこれは趣味などでは得難い効用であると僕は思いますね。

No title

丁寧にご返信いただきありがとうございます。

どうも納得できない部分が多いです。

不自然とか人間的とかいうのは個人の生き様(すなわち、自由な価値観)に帰着されない問題だと思います。
例えば睡眠時間を削ってカフェイン錠剤を手放さずにふらふらになってでも働きたいという価値観があったとして、個人の価値観としては自由ですが、人間的でないし不自然なのは明白ではないでしょうか。

また、労働が自立心を支えるという主張は今回の「自然かどうか」という議論から排除されている前提だと思います。生存ないし自立という観点から十分な資源が得られており、更なる労働が必要ない状態で、更に労働するのが自然かどうかが議論されている問題ではないでしょうか。
私が最初のコメントに述べた「労働の語義の違い」というのもそのような意味です。

私がこのようにしつこいのは、IT化と雇用量の問題やベーシックインカムに関わる論点の存在が匂った気がしたからです。(自立心の話ではっきり分りました)
Race Against The Machineという本もありますが、ITによって雇用量が減少していく未来の到来がよく言われています。

確か「ベーシックインカムは可能か」という本で、萱野稔人氏が激しくベーシックインカムに反対しておりその理由が分ったような分らないような感じだったのですが(尊厳のためにオンリーワンの価値を強要されるとかそんな理由だったような… よく分らなかったので不正確でしょうがそのように理解しています)、おそらく今回の労働による自立心獲得と同様の立場なのだろうと思いました。
私はこれに納得できませんでしたし、何より現実の制約として雇用量が減少していく未来に対して脆い社会であるように思います。
社会の責任として労働量が確保されなければならないならば、労働が本当に生産性があるのかを抜きにして所得保障として「労働」を提供しなければなりません。ただ生産性抜きした場合自立心の件はどうなるんだ(結局社会に養われているのを労働行為によって自立している錯覚を抱いているだけでは?)という疑問もありますし、個人的にはそういう社会になって行った時に、生産性に疑問符がついている労働と引き換えではなくて、シンプルに一定の所得給付して自分で人生を模索させてくれよという思いがあります。

Re: No title

> ななしさん(脱社畜さんがこのエントリーに対する反論のような記事を書いていますが~というコメントへの返信です)

こんばんは、コメントありがとうございます。

>Aは自然、Bは不自然。
Aに働く人を入れ、Bに働かない人を入れるか
Aに働かない人を入れ、Bに働く人を入れるか

脱社畜さんは「自然と不自然は対等」と前置きしていますが、前置きすれば他人を不自然と呼んでいいのかどうかは疑問です。

脱社畜さんは「価値があるとかないという話と、行為や状態が自然であるとか不自然であるということとは、直ちに関連付けられるものではない」と書いていますね。でも今回の話に関していえば、この意見は妥当ではないような・・・。

というのも、脱社畜ブログの「"やりがいのある仕事"という幻想」というエントリーには「働かないほうが良い状態だ」と言う記述がある、すなわち「働かないこと」を「働くこと」に比べて価値があることを記していたわけです。そしてそれを受けて、「"働かない方が人間的"だという当たり前のことを出発点として"仕事"というものを考えていくほうが余程自然だ」と言っているわけなので、今回の話に関しては脱社畜さんの認識とは異なり、「価値があるとかないという話と、行為や状態が自然であるとか不自然であるということは関連している」と言えるのではないかと僕は思いましたね。

Re: No title

> 名無しさん さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>「お金の心配はしなくていい、好きなことをしていいよ」と言われた時に

こんな仮定を置いちゃってるあたりが、恣意的で誘導的で臭いですね。脱社畜ブログさんは働くことが不自然な状況をわざと仮定してます。

脱社畜ブログから文章を引用する際には、まさかこのような仮定が置かれているとは思いませんでした。「脱社畜ブログ」にはベーシック・インカムに関する記事はほとんどないようですけど、恐らく脱社畜さんはそれが実現すればよいと思っている、即ち働きたくない人が働かなくて済む社会を望んでいるという印象を受けましたね。

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Re: ご参考までに

> 非公開コメントをくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>中野氏の著書にあるというロバート・レーン氏の論考は、おそらくこの本でしょう。
> http://books.google.co.jp/books/about/The_Loss_of_Happiness_in_Market_Democrac.html?id=CP0SmKgqQlMC&redir_esc=yちょっと通りますよさんはロバート・マートン氏のwikiを見たと書いていますが、この2人はもちろん別人です。

文献のご紹介&ご指摘ありがとうございます。後者のご指摘については、なぜか僕もスルーしてしまいました・・・。おっしゃるとおり、確かにその二人は別人ですね。

文献ですが、改めて中野剛志さんの本を読み返したところ、この記事で取り上げたロバート・レーン氏の論考は"The Market Experience”という本に書かれていることが分かりました。せっかくご紹介してくださったのにすみません・・・。

Re: No title

> ちょっと通りますよ… さん

こんばんは、コメントありがとうございます。2回に分けてコメント返信します。今回は後半部の「確か"ベーシックインカムは可能か"という本で~シンプルに一定の所得給付して自分で人生を模索させてくれよという思いがあります」という文章に対する返信です。

>確か「ベーシックインカムは可能か」という本で、萱野稔人氏が激しくベーシックインカムに反対しておりその理由が分ったような分らないような感じだったのですが(尊厳のためにオンリーワンの価値を強要されるとかそんな理由だったような… よく分らなかったので不正確でしょうがそのように理解しています)、おそらく今回の労働による自立心獲得と同様の立場なのだろうと思いました。


萱野稔人さんは全面的にベーシックインカムに反対する立場です。その理由は複数あり、①BIが「働きたくても働けない人」の問題を解決することができないから②BIが雇用や労働に対して国家がもつべき責任を免除することになるから③BIが「賃労働の外で社会生活を充実させるべし」という社会参加強迫観念を人々に植えつけ得るから④BIでは貧困問題すら解決できないからなどが挙げられます。

>私はこれに納得できませんでしたし、何より現実の制約として雇用量が減少していく未来に対して脆い社会であるように思います。 社会の責任として労働量が確保されなければならないならば、労働が本当に生産性があるのかを抜きにして所得保障として「労働」を提供しなければなりません。ただ生産性抜きした場合自立心の件はどうなるんだ(結局社会に養われているのを労働行為によって自立している錯覚を抱いているだけでは?)という疑問もありますし

萱野さんは、労働量の確保の方法として公共事業の創出を挙げています。「生産性抜きした場合自立心の件はどうなるんだ」という疑問に対しては次のように答えていますので、ご参考までに。

(POSSEの「マジでベーシックインカム!?」より引用開始)
公共投資による雇用対策などというと「労働は市場での競争にさらされるからこそ、個人に競争や社会的尊厳を与えられる価値を持つのであり、公共事業によって政府が人々に仕事を与えても、それはオママゴト以上のものではなく決して彼らの尊厳や社会的承認を満たすことにはならない」と主張する人がいます。どうやらそういった人たちは公共事業といえばすべて穴を掘って埋めるというような、単純でつまらない労働だとイメージしているのでしょう。しかし、それはまったくの無理解です。たとえば宇宙開発だって公共投資によって牽引されているわけですよね。いまは私立学校が増えたとはいえ、政府による財政支出がなければ多くの教員の仕事は成り立ちません。市場での競争にさらされなければ労働は社会的承認を与えられないというのは皮相的な見方です。市場に任せていては成り立たないけれども、社会的に必要とされているから価値をもっている労働はたくさんあるからです。
(引用終了)

要は、公共事業の創出によって労働量の確保はできるし、且つその労働に従事することをもって人々の尊厳や社会的承認は満たされえるということを言っているわけですね。

Re: No title

> ちょっと通りますよ…さん

上のコメント返信に引き続き、「不自然とか人間的とかいうのは個人の生き様~ITによって雇用量が減少していく未来の到来がよく言われています」への返信となります。

申し訳ないのですが、全体的に「ちょっと通りますよ…」さんがどのような点に引っかかっているのかがよくわからなかったので、改めて僕の記事の主張を簡潔にまとめますね。

僕の脱社畜ブログへの批判のポイントは、「"働かないほうが良い状態だ。働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だ"という考えが当たり前であり、その当たり前の考えを前提に仕事というものを考えるのが自然だとする姿勢」です。なぜこの姿勢を批判しようと思ったのかというと①「働かない方が人間的だ」という表現から脱社畜ブログが「日々働いている労働者が"人間性"を損なっている」と考えているように感じられたから②脱社畜ブログにある「社会貢献だとか、やりがいだとか、生きている意味だとかを問い始めて仕事を考えるよりかは、このような"当たり前なこと"を出発点として"仕事"というものを考えていくほうが余程自然だと僕は思っている」という記述から、脱社畜ブログが「本来働かない方が人間的な生活を送れるのが当たり前なのに、仕事に社会貢献だとか、やりがいだとかいうものを見出すのはおかしいんじゃないか?」と、まるで社会貢献ややりがいを胸に仕事に従事する人がおかしいかのようなスタンスを示しているように思えたからです。


この点、「ちょっと通りますよ…」さんは「労働が自立心を支えるという主張は今回の"自然かどうか"いう議論から」とコメントされていますが、僕は別に「労働が人に幸福感を与えるのが"自然"なのに、脱社畜ブログは働かないことを"自然"と言っている。それは間違っている!」というポイントに力を入れて論じたわけではない、即ち「(働くことが)自然かどうか」という点にさほど関心を持っているわけではありません。それはこの記事の「僕が違和感を覚えるのは、"脱社畜ブログ"見解が学術的見地から見て誤っている(と思われる)からではない」、「別に働くこと・働かないことのどちらがより人間的な生き方に資するのかなんて、そんなものはどちらでもよい。これは各々の価値観により異なるに決まっている」という記述から明らかだと思います。


記事でロバート・レーンの研究を取り上げたのは、「働くこと・働かないことのどちらが人間的なのかをあえて決めるなら、ロバート・レーンの研究という学術的根拠が備わっている"働くこと"なんじゃないか?」ということを言いたかったからという程度のものです。もっとも、この記事に「"働かない方が人間的"というのが当たり前と個人で思う分には自由だけれど」と記したように、別に「働かない方が自分は人間的な生き方が出来る」という感覚を否定したわけではありません。

>また、労働が自立心を支えるという主張は今回の「自然かどうか」という議論から排除されている前提だと思います

「労働が自立心を支える」という主張をコメント欄でしたのは、「ちょっと通りますよ…」さんがコメントで「労働は経済制度に乗っかって人間関係を作る方法としては容易であるというだけで、それを避けて同好の士でサークル活動をできれば、幸福という点でもそれに越したことはないのではないでしょうか」とおっしゃっていたので、それに対して「いや、"自立心を支える"という労働に従事すること特有の幸福感もあり、それはサークル活動で得られる効能では無いでしょう」と言うためにすぎません。


>生存ないし自立という観点から十分な資源が得られており、更なる労働が必要ない状態で、更に労働するのが自然かどうかが議論されている問題ではないでしょうか

そもそもこれは、僕がこの記事を書いた後に脱社畜さんがはじめて提起しだした問題です。「社会貢献だとか、やりがいだとか、生きている意味だとかを問い始めて仕事を考えるよりかは、このような"当たり前のこと(あらゆる面において、働かない方が人間的だといえるということ)"を出発点として"仕事"というものを考えていくほうが余程自然だ」という記述に、まさか「生存ないし自立という観点から十分な資源が得られており、更なる労働が必要ない」という非現実的な仮定が内包されているとは思わず、こちらとしては驚きました。そして僕としてはこのような議論にはそこまで興味ないです。僕の関心はあくまでも、脱社畜ブログの文章から「働かないことを神聖視して、働く人を下に見る姿勢」がうかがえたことにありましたので。

No title

なんだ…
長々と書いてあるけどただの社畜のグチじゃん

Re: No title

> なんだ…長々と書いてあるけどただの社畜のグチじゃん とコメントしてくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

> なんだ…長々と書いてあるけどただの社畜のグチじゃん 

あ、そうですか。

No title

まあこの世から働く人が一人もいなくなったら、世界は成り立たないわけで
あまりにも働かないことを正当化しすぎかなとは思うけど

あくまでもこれはブログという自分のコミュニティの中で主張してるだけでしょ
こういう主張を現実に社畜の皆さんに触れ回った時点で「社畜と同類」になるんじゃないかな

例えば、いくら社畜でも、他人の労働にとやかく言わない人は害がないでしょ

Re: No title

> 名無しさん@ニュース2ちゃんさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>あまりにも働かないことを正当化しすぎかなとは思うけど

「ニートの歩き方」という本の著者のphaさんはもっとすごいですよ(笑)「働いて社会に貢献することが大事」という言説に対して「一人の人間が何かしたことなんて、大体は3年もしたら消えてしまう。その人がそれをしてもしなくても、世界のほとんどには影響しない」なんて言ってますからね。その割に本の最初の方に「僕の今の生活は9割くらいがインターネットに支えられている」とか言っているので、何を考えているのか訳が分かりません。

>あくまでもこれはブログという自分のコミュニティの中で主張してるだけでしょ。こういう主張を現実に社畜の皆さんに触れ回った時点で「社畜と同類」になるんじゃないかな

なるほど。

競争のルール無法化が懸念される

市場競争のルール無法化を懸念してるのだと思う。
『やりがいある』ってのを理由に長時間労働している人を批判していかないと、労基法遵守している企業が淘汰されてしまう。
マクロで考えたら個人の思いを尊重してたらバランスが崩れるわけで。
つまり『やりがいある』→『いっぱい働きたい。それで幸福になりたい』→『俺がやりたいんだから、他人が否定する権利はないよな?』を肯定していてはダメってこと。
労使で争いがある方が社会のバランスは取れている。
つまり、労働者側は『働きたくない』スタンスを取ることが自然といえる。

Re: 競争のルール無法化が懸念される

>toito さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>市場競争のルール無法化を懸念してるのだと思う

僕が批判した「脱社畜ブログ」の「"やりがいのある仕事"という幻想」という記事にそんな視点があったとは思えないのですが。ただ、森博嗣さんの文章に賛同して「働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的」だから「働かない方が人間的」と言っているだけですよね。また、「脱社畜ブログ」における「それでもやはり、働かない状態のほうが"自然"だと僕は思う(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/28/212141)」という記事でも、「働かない方が人間的」というフレーズにおける「人間的」という文言を「生理機能が害されない、負にならないという点において、"人間的"」と説明しています。脱社畜ブログの管理人さんが「市場競争のルール無法化」について考えているわけがない・・・と言うつもりはありませんが、少なくとも僕が批判した記事にそういう視点が皆無であったことは間違いありません。 

はじめまして

みなさん真剣に考えてらっしゃるんですね。「とことん考察していくブログ」の看板に偽りなしです。
私は脱社畜ブログのまさしく今回引用した文章が書かれた回を最初に読んでそのブログの名を知った者です。
ただそれを読んだ時の私には酒場の愚痴レベルの、ガス抜きのための極論ぐらいに思っていました。
働くことのやりがいなど精神的意義を押しつけられるのは嫌でたまりませんが、実際働けばやりがいを感じることだってたまにあるし、働いた後に充実感を覚えることだってあるじゃありませんか。
なのであまり真面目にとらえず、一度読んだだけで「ああスッキリした、面白いブログだな」と満足してそれきり脱社畜ブログを読むことはありませんでしたが、真剣に読まれている方は沢山いらっしゃるようですね。
本当に脱社畜を必要としている人達にとっては、笑い事じゃないんですよね。

脱社畜を唱える人の中に社畜と同じ根性を見た、その失望はいかばかりか。
それが脱社畜(あまり『脱社畜』などという言葉を使い過ぎることも危険ですが)そのものへの失望や疑念や軽蔑を生むとすれば悲しむべきことです。

Re: はじめまして

>社畜失格メタボ牛さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>ただそれを読んだ時の私には酒場の愚痴レベルの、ガス抜きのための極論ぐらいに思っていました(中略)脱社畜を唱える人の中に社畜と同じ根性を見た、その失望はいかばかりか

(もしかすると次の記事で詳しく書くかもしれませんが)ちなみに最近では脱社畜ブログに対して「煽りすぎ」という批判の声が大きくなってきています。「脱社畜を唱える人の中に社畜と同じ根性を見た」というよりは、あまりにも強引な理屈で企業を批判する脱社畜ブログのスタイルが読者の反感を呼んでいるようですね(http://b.hatena.ne.jp/entry/dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/12/16/205946)。 
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