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脱社畜ブログと社畜は結構似た者同士なんじゃないか 後編

前回の記事で「脱社畜ブログ」の「"やりがいのある仕事"という幻想」というエントリーを取り上げた。今回の記事でもそのエントリーを引き続き取り上げたいのだが、エントリーの中で僕が一番意味不明だと感じたのは次の記述である。

一点、本書(※森博嗣さんの著書「"やりがいのある仕事"という幻想」のこと)で特に面白いと思った部分がある。「本当に仕事を楽しんでいる人は、それを殊更他人に語ろうとしたりはしない」といった趣旨の記述があって、なるほどこれは本当にその通りだと思った。「俺は今こんなに楽しい仕事をやっている」とか、「俺は仕事が好きだ」とか、そういうことを外に向けて発信したがっている人を見かけることがあるけど、これは何のためにやっているのだろう。本当に好きだったら他人に自慢をする時間すら惜しいはずで、その時間を仕事にあてたほうがいい。それをわざわざ自慢するということは、本当はそこまで楽しいと思っているわけではなくて、自慢を通して自分自身を納得させようとしているのかもしれない。もちろん、純粋に自慢が好きな人もいるのだろうけど。

この引用箇所は「本当に仕事を楽しんでいる人は、それを殊更他人に語ろうとしたりはしない」という記述からして既に信用に値しない。飯田泰之さんの著書「ダメな議論」における次の記述を見れば、その理由を分かっていただけると思う。

この「本当は○○はそんなものではない」という論法は何にでも使える便利な批判の方法です。例えば、自分が勤める会社の業務会議の席上で、Aさんの提案する作業の効率化策が自分にとって損になる、またはAさんを個人的に嫌いだという場合には「そのような小手先の手法で改善が果たせても、はたして本当の意味での効率化と呼べるのだろうか?」と批判すれば、頭をいっさい使わずになんとなく反論「っぽい」発言が可能となります

飯田さんの解説を踏まえると、森博嗣さんも「脱社畜ブログ」も「仕事が好きだと公言している人」への嫌悪感ありきで小手先な批判をしているだけなんじゃないか?という考えに至る。そもそも、なぜ森博嗣さんや「脱社畜ブログ」の言う「本当に仕事を楽しんでいる人」が真に「本当に仕事を楽しんでいる人」なのか、考えてみればそこにはきちんとした根拠が備わっていないではないか。


一応「脱社畜ブログ」には理由として「本当に好きだったら他人に自慢をする時間すら惜しいはず」とあるけれど、いくらなんでもこれは滅茶苦茶すぎる。これは例えば「最近、マージャンにはまってて好きなんだよね」とツイッターでつぶやいたら「本当にマージャンが好きだったら、そんなつぶやきをしてる時間があれば雀荘に行ってるはずだろう」という突っ込みを受けてしまうということか。そこまで没頭するレベルじゃないと「好きだ」と言っちゃいけないんですか?としか思えない。


この点これはあくまでも想像だけど、恐らく「脱社畜ブログ」も趣味やボランティア活動など仕事外の取組みを楽しいと発信することには異議を唱えないような気がする。しかしなぜか「仕事が好きだ」、「仕事が楽しい」という発言に対しては、上述のように「それをわざわざ自慢するということは、本当はそこまで楽しいと思っているわけではなくて、自慢を通して自分自身を納得させようとしているのかもしれない」という訳が分からない捉え方をしている。このような事情に加えて前回の記事のコメント欄に寄せられた「ななし」さんの意見を踏まえると、僕としては「脱社畜ブログ」が「仕事が好きだ」と公言する人を下に見て「働くのが嫌いな自分」を無理やり自己正当化しようとしているように感じられるし、そしてそれは所謂社畜が自己正当化のために働かない人・働くのが嫌いな人を下に見るのと同じなのではないか?と考える訳である。


多分"job is shit"のフレーズで有名になった海外ニートさんのブログを機に、日本の労働環境や仕事観に疑問の目を向ける動きは少しずつ活発になってきていると思うし、そういう言説が「ウケる」のも事実だろう。しかしいくら日本の労働環境がおかしいとしても、日本の労働環境・仕事観を批判してる言説がすべて的を得ているのかというとそれは違うはずだ。少なくとも僕は、「"やりがいのある仕事"という幻想」というエントリーから感じられる「脱社畜ブログ」の仕事観に関する理屈はめちゃくちゃだと思うし、それは批判すべきだと考えている。

「脱社畜ブログ」も「社畜」も向いている方向は違えど、結局は似た者同士なんじゃないかという意見に共感してくださった方は、もし宜しければクリックをお願いします
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No title

前回のエントリーの2番目のコメントの続きになりますが、

脱社畜さんの問題点は、働かない方が上だという選民思想があるのに、それを否定しようとしていることです。
選択の多様性を言っているのだ、というふうにごまかしていることです。
脱社畜さんの選民思想そのものについては、私は1つの考え方だと思いますが、それをごまかしているので、管理人様のような批判が出るのは当然だし、必要だと思っています。

脱社畜さんの思想を突き詰めると、労働は生活費のための苦役であるから、かつての貴族階級のような存在になって、多数の人に働かせ、自分は働かないという考え方に行き着くので、多様性という言葉でごまかしているのかもしれません。

その一方で、脱社畜さんの考え方だと、働く人も本当は働きたくないのに労働自慢して自分を納得させている、ということになるので、氏のめざすべき社会は、すべての人が労働をしないでいい社会ということになります。

現実には、先進国の人間が比較的よい働き方ができた時代は、19世紀末から20世紀末くらいまでで、それ以前は労働者階級は下層階級と呼ばれ、子供も女性も過酷な労働を強いられる時代でした。彼らの苦役の上で、上流階級がいい生活をしていました(私は英文学専攻なので、イギリス社会をモデルとして言っています)。

20世紀末までの1世紀では、労働者階級が地位を上げ、労働は生活のための苦役ではなくなってきました。そうした中で、やりがいなどの観念が生まれてきたのだと思います。上流階級だった人々も、働くようになります。

しかし、20世紀末あたりから変化が起き、これからはまた、多くの人の苦役のもとで一部の人が楽をする時代になっていくのではないか、すでにその兆候があるのでは、と考えます。
そうした中で、脱社畜さんのような主張をすることは、多くの人が苦役をし一部の人が楽をするかつての時代に戻るか、多くの人が働かなくていい世界(ユートピアですが)を実現するか、どちらをめざしているのかをはっきりさせる必要があります。

もちろん、多くの人は、人それぞれにふさわしい働き方で最低限の生活が送れる社会を望んでいると思いますが、脱社畜さんの思想はこれとは別の社会に行き着くのは間違いないでしょう。

No title

こんにちは。

私も、脱社畜ブログの【「やりがいのある仕事」という幻想】
を読んで、
「言っていることの各論は、各ステップごとにロジカルで
正しいように思えるのだけれど、全体として何だか気持ち
悪い感じ」を受けていたので、貴殿のこのエントリと
前エントリを読んで、その気持ち悪さが何なのかを
整理することができました。

そこで、私はひとつ、以下のような仮説を
持ち込みたいのです。

仮説:脱社畜ブログの筆者id:dennou_kurage氏は、
   実は、仕事からやりがいを得ていたり、
   仕事を通じて成長することのできている人の
   ことを嫉妬しているのではないか?

   しかし彼は、自分が社会人になってから
   今までの期間において、ついにそのような、
   「仕事とその人の人生が一体化するような
   矛盾のない人生」あるいは、「自分に
   対する誠実さと仕事が一致するような人生」
   を送る状況になれず、そしてこの先の限られた
   時間内で、そういった人生を手に入れることは
   不可能なのではないかと薄々予感していて、
   絶望しているのではないか?

上記は、あくまで仮説なのですが、この仮説が正しいと
したときに、私は、彼のエントリにそこはかとなく
漂うナルシシズムが、納得のうえ腹落ちするんです。

やや短絡的ですが、森博嗣のように、学歴の延長にある
キャリアパスを充実させたうえに、かつ、小説のような
アートワークでも名を上げ、金も稼いだ人に、彼は
嫉妬しているのじゃないのでしょうか?(嫉妬している
対象を採り挙げて、「私はこの人に賛成だ」というのは
プライドの高い人が、嫉妬を隠すためによくやること
なので)

上記のような嫉妬と絶望をもった高学歴、高身長男の吐く
毒ガスを観察できるという意味において、就活・労働まわり
のブログ論壇の中で貴重な存在ではあり続けると思って
いるので、引き続き、dennou_kurage氏には頑張ってブログを
更新して頂いて、これからも同氏の憂鬱を感じ取っていきたい
です。

No title

2回続けて就活とは関係ない記事を取り上げて、内容は揚げ足取り……。
別に不審に思うのは個人の勝手ですが、それならコメントで指摘すればいいのにわざわざブログで取り上げるなんて「アウェーで叩かれたくないからホームで信者に肯定してもらいたい」という風にしか見えません。

面白い記事かくなーと思って追ってましたが、幻滅しました。

No title

通りすがりさん

脱社畜ブログにはコメント欄がないのです

No title

「そういう意図はない」と脱社畜さんが普通に明言しているのに、「いや、実は心の底ではそう考えているはずだ」と細かな表現をよりどころにねちねちと、しかも2つもエントリを書いて批判するのって、不毛以外の何者でもないと思うんですがどうなんでしょうか。通りすがりさんも言ってますけど、ものすごく揚げ足取りっぽいです。

「実は選民思想の持ち主」とか「嫉妬心の裏返し」とかって、意見の批判ではなくもう人格批判ですよね。人格批判こそ議論の禁じ手ではないのでしょうか。管理人さんやコメント覧で大演説をしている人は、脱社畜さんに個人的な恨みでもあるのでは、と思ってしまいます。

貴ブログについては、結構いい問題提起するなーと思ってたので、正直、私も幻滅しました。

No title

後半部分はともかく、前半はちょっと違うと思います。
飯田さんの「本当の」は「真の」という意味ですよね。管理人様も前半はそのように使ってます。しかし、ここで脱社畜さんが使っている「本当の」は、「if」もし本当に好き「ならば」の意味だと思うので、飯田さんの意見はここでは使えませんよ。しかも、後半のマージャンの例では「if」に置き換えてしまっているので、この部分自体はまあ良いとは思いますが、前半と合わせるとちょっとずるいです。
おっしゃりたいことは恐らく後半部分だと思いますので、主張とは直接関係ないのかもしれませんが、気になったので。

No title

選民思想の持ち主であるということは、むしろ肯定的に捉えられるのですけどね。
それが人格批判とは驚きました。
マルクスの思想を批判したら、マルクスに対する人格批判なのか?

私は選民思想自体についてはニュートラルで、それ自体を批判しているつもりはありません。
確かに、脱社畜さんは、まだ選民思想といえるほどしっかりした思想をお持ちではないかもしれませんね。


ぽんさんのご意見ですが、「本当に仕事を楽しんでいるということを殊更に言う人は、本当は仕事を楽しんでいない」というふうに置き換えてみれば、管理人様の言うことはおかしくないと思いますが。

No title

水を差すような低レベルな話になって申し訳ないけど、
このブログで言う「社畜」の意味が独りよがりになってないか?
労働教布教信者みたいな意味合いなら実際のサラリーマンってよりも
どこぞの経営者だとかどこぞ出身のコンサルタントだかがそれにあてはまるわけで、

一部のブラック経営者・人事コンサルの物言いと「労働」(サラリーマンスタイル)そのものとを多かれ少なかれ重ねてるのが
そもそも話が拗れるきっかけな気がすんだよなあ。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: No title

> 通りすがり さん(「2回続けて就活とは関係ない記事を取り上げて~」というコメントへの返信です)

こんばんは、コメントありがとうございます。

>2回続けて就活とは関係ない記事を取り上げて、内容は揚げ足取り……。

2回続けて就活とは関係ない記事を取り上げることがなぜ悪いのかがよくわかりませんし、「内容は揚げ足取り」というのも、なぜそう感じられたのかはこのコメントからは理解が出来ませんでした。こちらとしては、飯田泰之さんの解説を取り上げたことをもって「揚げ足取り」のレベルは超えたと思っていますので。

むしろ「脱社畜ブログ」の記事における「本当に好きだったら他人に自慢をする時間すら惜しいはずで、その時間を仕事にあてたほうがいい。それをわざわざ自慢するということは、本当はそこまで楽しいと思っているわけではなくて、自慢を通して自分自身を納得させようとしているのかもしれない」という記述の方が揚げ足取りだと僕は思っています。だからこそ最終段落で示したように「仕事観に疑いの目を向ける記述ならなんでも良いわけではないはずだ」ということを記したかったのです。

>「アウェーで叩かれたくないからホームで信者に肯定してもらいたい」という風にしか見えません。

このブログには「その主張はおかしいのではないか」」という声もコメント欄に結構寄せられるので、そのような願望は抱きようがないです(笑)

Re: No title

> nonowaさん

お久しぶりです、コメントありがとうございます。

>「そういう意図はない」と脱社畜さんが普通に明言しているのに、「いや、実は心の底ではそう考えているはずだ」と細かな表現をよりどころにねちねちと、しかも2つもエントリを書いて批判するのって、不毛以外の何者でもないと思うんですがどうなんでしょうか。通りすがりさんも言ってますけど、ものすごく揚げ足取りっぽいです。

そういう感想を抱かれるのもわかります。ただ一番上で「ななし」さんが述べているような「脱社畜さんの問題点は、働かない方が上だという選民思想があるのに、それを否定しようとしていることです。選択の多様性を言っているのだ、というふうにごまかしている」という見方もあるわけです。「ごまかしている」ということは、脱社畜さんの「そういう意図はない」という発言を踏まえてもなお疑わしい点がその他の記述から浮かんでくるということを意味しているのであり、ゆえに脱社畜さんの言葉を鵜呑みにするのは違うのかなと思います。なお、僕は「脱社畜ブログ」が「選民思想」を抱いているとまでは思いませんが、立場としては「ななし」さんの考えに非常に近いです。

>脱社畜さんに個人的な恨みでもあるのでは、と思ってしまいます。

特に恨みはないですけど、純粋に主張内容がおかしいと思っているだけです。記事に書いた通り、<なぜ森博嗣さんや「脱社畜ブログ」の言う「本当に仕事を楽しんでいる人」が真に「本当に仕事を楽しんでいる人」なのか、考えてみればそこにはきちんとした根拠が備わっていない(にも関わらず「仕事が楽しい」と公言する人に対して「本当はそこまで楽しいと思っているわけではなくて、自慢を通して自分自身を納得させようとしているのかもしれない」という非常にネガティブな見方をしている)>という問題点があると僕は感じたので取り上げたのです。

Re: No title

> ぽんさん

はじめまして、コメントありがとうございます。

>飯田さんの「本当の」は「真の」という意味ですよね。管理人様も前半はそのように使ってます。しかし、ここで脱社畜さんが使っている「本当の」は、「if」もし本当に好き「ならば」の意味だと思うので、飯田さんの意見はここでは使えませんよ。しかも、後半のマージャンの例では「if」に置き換えてしまっているので、この部分自体はまあ良いとは思いますが、前半と合わせるとちょっとずるいです

ご指摘ありがとうございました。ただこれに対しては、下の「ななし」さんのコメントにある「"本当に仕事を楽しんでいるということを殊更に言う人は、本当は仕事を楽しんでいない"というふうに置き換えてみれば、管理人様の言うことはおかしくないと思いますが」という文章が僕が言いたいことをすべて言い表しています(笑)

Re: No title

> ななしさん

>脱社畜さんの問題点は、働かない方が上だという選民思想があるのに、それを否定しようとしていることです。 選択の多様性を言っているのだ、というふうにごまかしていることです(中略)そうした中で、脱社畜さんのような主張をすることは、多くの人が苦役をし一部の人が楽をするかつての時代に戻るか、多くの人が働かなくていい世界(ユートピアですが)を実現するか、どちらをめざしているのかをはっきりさせる必要があります。


脱社畜ブログの「それでもやはり、働かない状態のほうが"自然"だと僕は思う(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/28/212141)」というエントリーにおける「お金を稼がなければならないという問題が前提になかったとしたら、一体どれだけの人が自然に"仕事をしよう"という考え方にたどり着くのだろうか」という記述から、脱社畜さんは選民思想を持っているというよりは、ベーシックインカムの実現を望んでいると捉えるのが妥当だと思います。

>脱社畜さんの問題点は、働かない方が上だという選民思想があるのに、それを否定しようとしていることです

上述の通り、脱社畜さんは特に選民思想を持っているわけではないと思いますが、「働くより、働かない方が上」とは思っているのではないかと感じましたね。確かに脱社畜さんは僕の記事への反論記事で「前提として僕は働いている人を働かない人より劣っているとか、そんなことは全く思っていない。働きたい人や、仕事が好きな人は、仕事が嫌いな人に不利益が降りかからない範囲でどうぞご自由に、というのが僕の考え方だ」と書いています。しかしその割には、この記事でも触れた「本当に(仕事が)好きだったら他人に自慢をする時間すら惜しいはずで、その時間を仕事にあてたほうがいい。それをわざわざ自慢するということは、本当はそこまで楽しいと思っているわけではなくて、自慢を通して自分自身を納得させようとしているのかもしれない」と、相当滅茶苦茶な理屈を用いてまで仕事を好んでいる人に対してネガティブな視線を向けていますからね・・・。

Re: No title

> 名無しさん(私も、脱社畜ブログの【「やりがいのある仕事」という幻想】を読んで、「言っていることの各論は、各ステップごとにロジカルで正しいように思えるのだけれど、全体として何だか気持ち悪い感じ」を受けていたので、貴殿のこのエントリと前エントリを読んで、その気持ち悪さが何なのかを整理することができました~というコメントへの返信です)

>そこで、私はひとつ、以下のような仮説を持ち込みたいのです。

仮説:脱社畜ブログの筆者id:dennou_kurage氏は実は、仕事からやりがいを得ていたり、仕事を通じて成長することのできている人のことを嫉妬しているのではないか?

この仮説そのものの正誤は僕には判断できません。しかし「それでもやはり、働かない状態のほうが"自然"だと僕は思う(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/28/212141)」というエントリーを見ると、とにかく「仕事」という行為そのものが嫌いなんだなと感じましたね。

脱社畜ブログは「働かないこと」のメリットと「働くこと」のデメリットを比べて前者を肯定する傾向があるという印象を受けましたので、そういう点に気持ち悪さを抱く人がいてもおかしくないのかなと僕は感じています。

Re: No title

> コマンドーさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>脱社畜ブログにはコメント欄がないのです

フォローありがとうございました。ただ僕は、仮に脱社畜ブログにコメント欄があっても、記事への反論記事を自分のブログで書いたと思いますし、それをおかしいとは思いません。

上で「通りすがり」さんが「別に不審に思うのは個人の勝手ですが、それならコメントで指摘すればいいのにわざわざブログで取り上げるなんて"アウェーで叩かれたくないからホームで信者に肯定してもらいたい"という風にしか見えません」と述べていますが、その見方が本当に理解できないのです。というのも、脱社畜さんも僕の記事への異論を僕のブログのコメント欄ではなく自身のブログで記したわけですが(「それでもやはり、働かない状態のほうが"自然"だと僕は思う http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/28/212141)、僕はその事実を受けて「僕のブログのコメント欄じゃなくて、自分のブログに逃げ込みやがって!」とか少しも思いませんでしたからね。僕も脱社畜ブログも同じようなことをしているわけですが、別にどちらも批判されるべき理由はないと思っています。

Re: No title

> のさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>水を差すような低レベルな話になって申し訳ないけど、このブログで言う「社畜」の意味が独りよがりになってないか?労働教布教信者みたいな意味合いなら実際のサラリーマンってよりもどこぞの経営者だとかどこぞ出身のコンサルタントだかがそれにあてはまるわけで、


僕は過去に「そもそも"社畜"とは何だっけ?・・・"社畜のススメ"の著者、藤本篤志さんの定義と海外ニートさんの定義(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-253.html)」という記事を書いたことがあります。その記事で海外ニートさんの「社畜」の定義を取り上げ、且つその定義に従うことに賛成する旨を述べましたが、肝心の定義は「一介の雇われの身なのに何を勘違いしたのか経営者視線でモラル的、法律的にも間違った価値観(サビ残、休日返上当たり前。有給を使わせないなど)を押し付けて来るような連中」というものです。つまり経営者に限らず、一介のサラリーマンであっても「の」さんの言う「労働教布教信者」となっていることは十分考えられるということです。現実にそのようなサラリーマンがどれくらいいるのかは知りませんが。

Re: いつも非公開ですみません

> 非公開コメントをくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>脱社畜ブログが社畜を認めたらブログの主旨に合わないのではないのかなと思いました。また『わたしは〇〇だと思う』とか『××な人もいる』ばかりだと文章がくどいので、表現上の制約かなとも思います

表現上の制約というのは確かにそうかもしれません。加えて僕もブログを書いていて何度か経験がありますが、自分が書いた文章が、自分では気づかないうちに自分の考えを反映することに失敗していることもあります。

>脱社畜ブログが社畜を認めたらブログの主旨に合わないのではないのかなと

僕が引用したエントリーで「脱社畜ブログ」が認めなかったのは「"仕事が楽しい"と述べている人」だと思います。さすがに単に仕事の楽しさを語りたがる人を「社畜」というのは無理があると思いますので、おっしゃる様な擁護はあまり妥当ではないのかなと。

No title

ベーシックインカムですか、むむむ。

私の印象では、脱社畜氏とBIはあまり密接でない感じがしてならないのですが。

この脱社畜ブログの下の方のツイッターに、「全員が貴族にという脱氏の思想は」という表現があって、これがまさに私が脱氏に感じたことだったわけなのですよ(同好の士がいてよかった・ホッ)。

正直、ベーシックインカムでは、全員が貴族に、は無理ですね。
別に貴族じゃなくてもいい、質素に暮らせればいい、のかもしれないんですけど、脱氏はやっぱり貴族のような気がしてならんのですわ(自分が貴族だ、と思うのは一種の選民思想)。

脱氏のブログは論理が飛躍しているところが多くて、わりとフィーリングで書いてるな、ただ、一貫してるのは、働くことに対する敵視、という感じですね。敵がいる人は強いわ。

No title

>ブログ主さん

「社畜」が労働教信者とイコールになるのはあり得る話だけど
ブログ主さんの仰る「社畜の」肝心の定義は「雇われに過ぎないのに経営者目線」という滑稽さにあるわけだからなー。
結びつけすぎるのもどうかと。

あと自然だとか高尚な話してるみたいだけど
エサ取って生きていくために労働という手段を用いることはごくごく「自然」なことだと思うが。
労働しない批判って、不労所得があって納税してる人にはただの妬みでしかないし、
「(いい年して)自分で生活できず、パパママや社会のすねをかじってる奴はカッコ悪い」って感情的側面(あくまで感情であって、セーフティネットの削減という話ではない)でしょう。
要は自活できてりゃいいのです。

脱社畜さんは「カネのために働かざるを得ないなんて言えない世の中」って言うけど
それは日本の労働教というよりタテマエとホンネだとか、もっと別の風潮だろうな。

No title

いつもは賢いコメントをされる「の」さんですが、
今回は話題に全然ついていけてない感じが…

Re: No title

> ななしさん

こんばんは、またまたコメントありがとうございます。

>ベーシックインカムですか、むむむ。私の印象では、脱社畜氏とBIはあまり密接でない感じがしてならないのですが。

「脱社畜ブログ」には「"ベーシック・インカム入門"書評(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/02/01/200508)」という記事がありまして、その最後に「本書を読んだ時点で、ベーシック・インカムを僕が支持するかどうかという点については、"とりあえず賛成"ということになる」とあります。


ただ「脱社畜氏とBIはあまり密接でない感じがしてならないのですが」という感想を抱くのも分かるような気がしてきています。というのも、BIは最低限度の生活を保障するために全国民に一律に現金を支給する構想ですが、「脱社畜ブログ」の「それでもやはり、働かない状態のほうが"自然"だと僕は思う(http://dennou-kurage.hatenablog.com/)」という記事には次のような記述があるわけです。

(引用開始)
「お金の心配はしなくていい、好きなことをしていいよ」と言われた時に人類全員がこぞって「仕事」をしようとするというのであれば働いているという状態も「自然」なのだろうけど、まぁそういうことはない以上、お金であるとか、あるいは狩猟採集社会であれば食べ物そのもののために、不自然であるけど「仕事」という営みをしていると考えても、そこまで荒唐無稽ではないんじゃないだろうか
(引用終了)

「"お金の心配はしなくていい、好きなことをしていいよ"と言われた時に」という仮定をしていることから、「脱社畜ブログ」としては(恐らく理想論だと分かったうえで)BIのように「生存のために最低限必要なお金」ではなく「最低限度の生活を超えて、趣味など各人が好きなことに取り組めるだけのお金」が各人に与えられるべきだと考えているように思えます。この認識が正しければ、「脱社畜ブログ」のスタンスとBIの構想にはかなりの乖離があるといえます。

Re: No title

> のさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>「社畜」が労働教信者とイコールになるのはあり得る話だけどブログ主さんの仰る「社畜の」肝心の定義は「雇われに過ぎないのに経営者目線」という滑稽さにあるわけだからなー。結びつけすぎるのもどうかと。

すいません、「の」さんが何に引っかかっていて、且つ僕の主張をどう修正したらよいのかがよくわかりませんでした。

>あと自然だとか高尚な話してるみたいだけどエサ取って生きていくために労働という手段を用いることはごくごく「自然」なことだと思うが。労働しない批判って、不労所得があって納税してる人にはただの妬みでしかないし、

僕の脱社畜さんへの批判のポイントは「"働かないほうが良い状態だ。働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だ"という考えが当たり前であり、その当たり前の考えを前提に仕事というものを考えるのが自然だとする姿勢」だったのですが、向こうのブログを見ると、なんだか話が逸れていっているような気がしています・・・。

心が小さいねー

凄く心が小さいねー。
文章を書くのは上手いのに、文章から人を読み解く力は低すぎますね。
もっと美的感覚と想像力が必要です。
あなたの文章は、創造力は皆無で、早造力しかないです。

と、ここまで読んで、最後のジョークが解らなければ文章を人前に晒すのは辞めた方がいい。

Re: 心が小さいねー

>あきらさん

はじめまして、コメントありがとうございます。

>もっと美的感覚と想像力が必要です。 あなたの文章は、創造力は皆無で、早造力しかないです。

なるほど、美的感覚や想像力や創造力をもっと磨くべきと・・・。アドバイスありがとうございました。

No title

簡潔に言うと「仕事が好きな人たち(社畜?)」の意見が極端すぎて
脱社畜論も極端にならざるを得ないのだと思います。

天秤の片方が重すぎるのであればバランスを取るには
もう片方に極端に重い物をのせるしかないでしょう。

Re: No title

> 名無しさん さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>簡潔に言うと「仕事が好きな人たち(社畜?)」の意見が極端すぎて脱社畜論も極端にならざるを得ないのだと思います

なるほど。ただ僕はそのような意図・戦略があったとしても、別に「脱社畜論」の主張を極端なものにしなくても「仕事」という営みを相対化することは十分できると思うので「脱社畜論も極端にならざるを得ない」という見方には共感できないですね。

No title

こんにちは!
>社畜が自己正当化のために働かない人・働くのが嫌いな人を下に見るのと同じなのではないか?

とても面白い見方だと思いました。
思想的に対極にあっても、心理学的に見れば同じ病名の患者なのかもしれませんね。
イソップ寓話にあるすっぱい葡萄の話みたいです。
脱社畜さんにしろ、社畜さんにしろ、労働や会社の存在なくしてはその思想が成り立ちませんから
やはり似たものどうしなのかもしれません。

Re: No title

>名古屋在住 さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>イソップ寓話にあるすっぱい葡萄の話みたいです

僕の考えは少し違いますね。「すっぱい葡萄」は「手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を価値がない・低級で自分にふさわしくないものとみてあきらめ、心の平安を得る」ことを示すお話です・・・と今wikipediaを見て調べました(笑)それに対して、脱社畜ブログにしても、あるいは最新記事で取り上げた「ニートの歩き方」の著者のphaさんにしても、彼らは「(充実感をもって)働くこと」を「手に入れたい」と全く考えていません。したがって、「すっぱい葡萄」の話では脱社畜ブログの考えを説明できないと思われます。

No title

>「すっぱい葡萄」の話では脱社畜ブログの考えを説明できないと思われます。

その通りです!
ですが、あくまで「みたい」な話ですよ。
合理化することで心理的自己防衛をしているということが言いたいんです。
そして脱社畜ブログさんの考えではなく、その考えに至らしめた心の方を言っているのです。
あくまで想像の域を出ませんが。

Re: No title

> 名古屋在住さん

こんばんは、またまたコメントありがとうございます。

>その通りです! ですが、あくまで「みたい」な話ですよ。

なるほど、納得しました。誤った解釈をして申し訳ありませんでした。「手に入れたくてたまらない」という要素は当てはまらないけれども、「対象(※働くこと)を価値がないとみて、心の平安を得る」という心理的自己防衛は見られるだろうというご意見ですね。

>あくまで想像の域を出ませんが。

僕も断言はできませんが、少なくとも「名古屋在住」さんの見方が見当違いとまでは思わなかったです。

ある連中はそれをブーメランという

脱社畜ブログの人が働く人や働くことにやりがいを求める人を下に見て石を投げているかどうかは疑問ですが、なるほど、こうして引用された部分をクローズアップすれば「社畜」との類似点が一目瞭然。

「本当に仕事を楽しんでいる人は、それを殊更他人に語ろうとしたりはしない」ならば
働かないことが人間の自然な生活であることを強調する人はどうなんでしょうね?

私は「本当に仕事を楽しんでいる人は、それを殊更他人に語ろうとしたりはしない」ことは否定しません。
同時に「本当に麻雀を楽しんでいる人が、それを他人に語りたがることだってある」ことも知っています。
脱社畜ブログが「本当は論」を用いたからといってそれ自体が批判に値するとは思いません。

問題は、働かないことの自然さを殊更他人に語ろうとしたために、「仕事を嫌々やっているくせに、仕事の楽しみを殊更他人に語ろうとする人」のようなニオイを漏らしてしまったことです。

どちらも自分を偽っている人間のニオイがします。

「仕事嫌だな」という思いにとらわれ、さらにそのことに罪悪感をおぼえたとき、
「自分は本当は仕事が好き」と自分に言い聞かせるか、
「仕事が嫌なのは当たり前、恥ずべきことじゃない、自然なことだ」と自分に言い聞かせるか、
そこが分かれ目だと思います。

No title

一つ気になったのですが、森博嗣さんの書いた文章を引用しているわけではなくて、脱社畜ブログさんが森さんの文章を解釈した意見が書かれているだけですよね?
それなのに森博嗣さんの意見は小手先の批判なのではないかという意見はおかしいと思います。
森博嗣さんの考えに対する意見を書くなら、きちんと文章を引用するべきですよね。これだと森博嗣さんの本の内容が誤解される気がします。

Re: ある連中はそれをブーメランという

> 社畜失格メタボ牛さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>問題は、働かないことの自然さを殊更他人に語ろうとしたために、「仕事を嫌々やっているくせに、仕事の楽しみを殊更他人に語ろうとする人」のようなニオイを漏らしてしまったことです。どちらも自分を偽っている人間のニオイがします。

なるほど。確かに脱社畜ブログの記事では単に「自分にとっては、"働かない"ほうが人間的な生活ができる」、「"働きたくない"と考える人もいるのは自然だ」と言えば済むところを、一般論として「"働かない方が人間的"ということを出発点にして"仕事"を考えるのが自然な考え方」という主張を展開していた訳で、働かないことの自然さを殊更に訴えていたという見方は分かるような気がします。

Re: No title

>ゆうきさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>一つ気になったのですが、森博嗣さんの書いた文章を引用しているわけではなくて、脱社畜ブログさんが森さんの文章を解釈した意見が書かれているだけですよね? それなのに森博嗣さんの意見は小手先の批判なのではないかという意見はおかしいと思います。

僕は脱社畜ブログの記事から「本書(※森博嗣さんの著書"やりがいのある仕事"という幻想のこと)で特に面白いと思った部分がある。"本当に仕事を楽しんでいる人は、それを殊更他人に語ろうとしたりはしない"といった趣旨の記述があって」という部分を引用しています。この引用から「本当に仕事を楽しんでいる人は、それを殊更他人に語ろうとしたりはしない」という趣旨の文章が森博嗣さんの本にあることが分かるはずです(そして、僕は脱社畜ブログの内容を信用して森博嗣さんも批判しているということですね)。仮に、実際にはそのような内容の文章が無いのだとすれば、(僕も悪いでしょうが)それはそもそも脱社畜ブログの記事が「森博嗣さんの主張を歪めた」という意味でおかしいということになるのではないでしょうか。
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