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僕たちが現在享受している「豊かさ」は天から降ってきているわけではないはずだ

一昨日、消費税率が2014年4月に5%から8%に上がることが決まってしまった。消費税増税批判としてよく言われるのは、「1997年に消費税率が3%から5%に引き上げられた時、日本全体の税収は減った」というもので、この度の消費税増税に対しても専門家によってこのような批判が向けられることがあるかと思う。つまり、「増税=増収」となるとは必ずしも限らないということだ。


ただ、安倍総理はこの度の消費税増税の目的として「社会保障を安定させ、厳しい財政を再建するために、財源の確保は待ったなしです。だからこそ昨年、消費税を引き上げる法律に私たち自由民主党、公明党は賛成をいたしました」、「増税をせずに経済再生だけを優先すれば、将来の社会保障の安定と財政再建に疑問符がつくことになってしまいます」といった理屈を述べていた(http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/1001kaiken.html)。即ち、消費税増税によって税収を増やし、それが財源の確保につながるとの考えを持っていることが伺える。


これに対して、「増税ではなく経済成長によって税収を増やすべき」という主張がなされることがあり、僕はこちらの立場を支持している。その立場を唱える人は例えば三橋貴明さんなどだが、三橋さんは自身のブログで田中角栄氏の次の言葉を紹介している(http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10860244364.html)。

一部の人びとは「高度成長は不必要だ」「産業の発展はもうごめんだ」とか「これからは福祉の充実をはかるべきだ」と主張している。しかし「成長か福祉か」「産業か国民生活か」という二者択一式の考え方は誤りである。福祉は天から降ってくるものではなく、外国から与えられるものでもない。日本人自身が自らバイタリティーをもって経済を発展させ、その経済力によって築き上げるほかに必要な資金の出所はないのである

三橋さんも自身の著書でも「国民が企業などで懸命に働き、製品やサービスを販売し、付加価値が高まり、税収が増えた結果、政府が社会保障を拡大する。これが本来、資本主義経済のあるべき姿です」と述べている。


三橋さんのような立場にしても、あるいは消費税増税を支持する立場にしても、「福祉は天から降ってこない」という認識は共通していると思われる。「働いて、経済成長させるか」・「消費税を上げるか」という違いはあるにせよ、最終的には国民一人一人が何かしらの負担を担うことが必要だとしている。これは「福祉」に限ることではないが、現在自分たちが日々生活の中で受けている恩恵は当たり前に存在するものではなく各人の努力によって作り出されているものだし、今後も作り続けていくべきだろう。


この点、日本の仕事観に関する言説の中には「どうも能天気すぎないか?」と感じずにはいられないものがある。それは例えばphaさん著の「ニートの歩き方」における「これだけ科学や文明が発達しているのに、いまだに人間が労働しないと生きていけないとかなんかおかしい。もう21世紀なんだからそれくらいは文明で保障されてもいいだろ」という記述。あるいは、日野瑛太郎さん著の「脱社畜の働き方」にも、phaさんの問題提起に酷似した次のような記述があるらしい。これらはそれなりに耳心地の良い主張であると思う。しかし、そもそもphaさんや日野さんが高評価する「現在の科学・文明」が維持・発展しているのは、人の労働(それも週5日の)があるからなんじゃないか。つまり「文明が十分発達しきっているのに、わざわざ週5日働いている」のではなく「原則多くの人が週5日働いた結果として、文明が高いレベルで保たれている」というのが正しいのではないか。仮に人の努力なしに文明のレベルが永遠に維持されて社会が回っていくのならphaさんや日野さんの主張も分かる・・・という話になるのかもしれないが、そもそも「人の努力なしに文明のレベルが永遠に維持される」という前提が荒唐無稽のものであると僕は思っているので、phaさんや日野さんは「平和ボケ」しているのかなぁとも感じている。


そうはいっても、上記のツイートのように、日野さんの文章に「完全に同意!」と言っている人もいる。こういう人たちが多数派なのか少数派なのかは知らないが、もし多数派なのだとすれば一層「福祉は天から降ってこない」というフレーズを広める必要があるのかもしれない。「福祉」に限らず、僕たちが現在享受している「豊かさ」は決して天から降ってきているわけではない。このことを認識するべきではないだろうか。

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No title

それならその豊かさを支えていくために若い世代や全ての求職者がみんな仕事に就けるようにしてくださいよ。経済成長の担い手を増やすために。

自分が出来そうだと思ったから求人に応募しているのに、コミュニケーション能力だの志望動機だの何でもかんでも文句をつけて雇わない。働く場所が無いんだったら豊かさを支えるどころか自分が生きていくことすらできないじゃないですか。(無いなら起業して自分でつくれなんて無責任な論法は無しですよ)

その生きていくことすら最近の社会人を名乗る人たちは否定するんですか。自己責任だの生活保護を受けるなだの。
働かずに生涯を全うさせろなんて毛頭言うつもりはありませんが、仕事について社会を支えたがっている人の意思を踏みにじっているのは一体どっちなんですか。

社会人にとってはこういうことは共産主義的で気に食わないものなんですか。今働いていない人間にはすぐにでもこの世からいなくなってほしいというのが社会人の本音ですか。

そういう人達は自分が仕事を失ったら、すぐにでも自分でこの世から去ることが出来るんですか。

No title

労働も福祉と同様に天から降っては来ないし
働けないのは自己責任 もっと努力しろ ということでよろしいですかね

No title

pha氏や日野氏の「これだけ文明が発達したのに労働量がちっとも減らないのはおかしい」
という趣旨の主張は、感情的には大いに共感できる一方で、管理人様の仰るように、
現在の社会においては、荒唐無稽、机上の空論、非現実的な夢物語ということも理解できます。

月並みな議論になりますが、「これだけ文明が発達したのに労働量が減らない」のは、
資本主義社会が無限の経済成長を前提としているからで、日野氏の著書でも述べられて
いるように、技術の進歩で単位時間当たりにこなせる仕事量が2倍になったら、
経営者としては、従来の成果のまま労働時間を半分にするのではなく、
労働時間は据え置きのまま、従来の2倍の成果を出すことを労働者に求める訳ですね。
故に、労働時間は永遠に減ることはなく、要求される成果が無限に増え続けることになります。

どこの企業でも、毎年一定額の利益を上げれば良しとしするのではなく、前年度の何%増等、
必ず過去よりも多くの利益を上げることを目標としていることにも、それは表れていますね。

しかしながら、この「無限の成長」というのも「荒唐無稽」であって、やがて破綻するのでは
ないかという危惧を持っているのは、私だけではないと思います。
その危惧も単なる杞憂に過ぎない可能性もありますが、仮にそのような危惧を払拭するならば、
従来の資本主義経済には限界があるので、新たな概念を模索するべきではないか?
という話になる訳ですが、現時点では私にはその答えは思いつきません。

Re: No title

> それならその豊かさを支えていくために若い世代や全ての求職者がみんな仕事に就けるようにしてくださいよ。経済成長の担い手を増やすために。 とコメントしてくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>今働いていない人間にはすぐにでもこの世からいなくなってほしいというのが社会人の本音ですか。

なんでこの記事の内容でこういうコメントが付いているのか、正直よく分かりませんでした。僕が言ったのは「今働いていない人間にはすぐにでもこの世からいなくなってほしい」ではなくて「現在の豊かさは、自然に生まれているわけではない」ということに過ぎませんよね。要は「豊かさの創出に貢献していない奴はクズだ」という主張はしていないということです。

Re: No title

> 労働も福祉と同様に天から降っては来ないし 働けないのは自己責任 もっと努力しろ ということでよろしいですかね とコメントしてくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>労働も福祉と同様に天から降っては来ないし 働けないのは自己責任 もっと努力しろ ということでよろしいですかね

よろしくないです(笑)失礼ながら、なぜ記事の内容をこんな風に受け取っているのか全く分からないので、どうコメント返信したらよいか分かりません・・・。

Re: No title

> 通りすがり さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>pha氏や日野氏の「これだけ文明が発達したのに労働量がちっとも減らないのはおかしい」という趣旨の主張は、感情的には大いに共感できる一方で、管理人様の仰るように、現在の社会においては、荒唐無稽、机上の空論、非現実的な夢物語ということも理解できます

そうですね、僕としてはおかしいのはphaさんや日野さんの方だと思っています。

>月並みな議論になりますが、「これだけ文明が発達したのに労働量が減らない」のは資本主義社会が無限の経済成長を前提としているからで、日野氏の著書でも述べられているように、技術の進歩で単位時間当たりにこなせる仕事量が2倍になったら、経営者としては、従来の成果のまま労働時間を半分にするのではなく、労働時間は据え置きのまま、従来の2倍の成果を出すことを労働者に求める訳ですね。故に、労働時間は永遠に減ることはなく、要求される成果が無限に増え続けることになります。

長時間労働の実態については、その問題点を指摘していくべきでしょう。ただ「従来の成果のまま労働時間を半分にするのではなく、労働時間は据え置きのまま、従来の2倍の成果を出すことを労働者に求める」というくだりに関して、もし日野さんが「労働時間を半分にして、従来の成果のままでいいじゃないか」という議論をしているのなら、それに対する異議となるエントリーとして山形浩生さんの「経済成長は、ぼくたちの努力や成長の総和でしかない(http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061103/p1)」を読んでみると良いかもしれません。

>しかしながら、この「無限の成長」というのも「荒唐無稽」であって、やがて破綻するのではないかという危惧を持っているのは、私だけではないと思います。 仮にそのような危惧を払拭するならば、従来の資本主義経済には限界があるので、新たな概念を模索するべきではないか?という話になる訳ですが、現時点では私にはその答えは思いつきません。

僕も思いつかないです(笑)

No title

管理人様、ご返信ありがとうございます。

参考のリンク先も読ませて頂きました。少し攻撃的ではありますが、言い分は分かりました。

結局のところ、(多くの人にとって)人生に逃げ場はないということなのでしょうね。

できることなら働かずに暮らしたい、働くとしても楽な仕事がしたいと思うのが人情。
(勿論、社会の構成員としての実感を得るために働きたいと思う人もいるでしょう)
しかし、よほど裕福な家に生まれない限り、たいていの人は働かないと生活できないのが現実。

この世は椅子取りゲームのようなもので、ラクができる席は限られている。
運よくその席を確保できた者だけがラクができ、そうでない者は地道に働くしかない。
理不尽ですが、その現実は甘受するしかありません。

管理人様の
>「原則多くの人が週5日働いた結果として、文明が高いレベルで保たれている」というのが正しいのではないか。
という主張はまさにその通りで、pha氏や日野氏の(そして私も願望としては秘かに抱いている)
「これだけ文明が発達したのだから、労働時間が少なくなってもいいのに」という主張は、
そういう現実を無視した身勝手で自己中心的な幻想に過ぎないのかも知れません。

ただ、全体に対する割合は非常に少ないのでしょうが、働かずに、あるいは楽な仕事で
そこそこ生活できている人が存在するのもまた事実でしょう。
(賃貸不動産の不労所得、投資、ニート、生活保護など)

pha氏や日野氏はその数少ない層に入ることを目指して、いろいろと努力されてきたのだろうと思います。

しかし、労働することなく生活できるのは、その裏で一生懸命労働している人々の努力が
あるからとも言える訳ですが、それはFXのようなゼロサムゲームということなのでしょう。

「労働することなく生活できる」境遇にありつけるかどうかは、結局のところ「運」だと思います。
残酷ですが、人並みの労働をしないと生活できない人々は「運が悪かった」のであり、
「労働することなく生活できるのは、我々のおかげだ」というのは、僻みでしかないのです。

本記事のタイトルにある「豊かさは天から降ってきているわけではない」という主張も、
清貧の思想そのもので、これもルサンチマンの発露と解釈することもできます。

「みんなが汗水流して働いたから、今の豊かな社会がある」というのは確かにそうなのでしょう。
だからといって、労働することなく生活している人を「怠け者」と非難するのは、自分がそういう
境遇にありつけないことへの僻みという側面も否定できないと思うのです。

何故なら、そのように非難する人が労働しているのは、強制労働でもない限り、
あくまでもその人自身の自由意思によるものであり、嫌なら抜け出す努力をすれば良いからです。
勿論、今の過酷な境遇のまま、ラクして生きている人を軽蔑し続けるという人生もありでしょう。

今の日本はむしろ成熟しきっていると思う。人間だってある程度年齢を重ねれば身体の成長は止まるのになぜその人間が築き上げたこの豊かな社会が永久に成長し続けると思うのか。経済の衰退は良くないけど、停滞は認めてもいいんじゃないだろうか。人口の減少だってそうだ。今の経済状況に対して今まで人口が多すぎただけ。

No title

そう簡単に経済成長できるなら苦労しないんだけどね。
経済成長に疑問符つけてる人は海外企業との競争とそれに伴う国内企業の衰退、国内雇用の減少、賃金の減少だとか、
付加価値という名の労働者搾取みたいなのをイメージしているのかな。

だが経済の停滞、ゆたかな社会だって、
ブラックとされる業種が台頭した背景を見れば、適切な答えではないのも明らか。
生活保護、BIで生活できたとして、既存のブラック業種にいる人がみんなそっちに移っちゃえばどうなるだろうか?

どういう社会になろうが誰かにしわ寄せがくることには変わりないんじゃないか。
しょせん人間も動物の一種なんだし、一種の生存競争はあるわな。

No title

ここのコメント欄を見て、今働いている人達と働いていない人達は永遠に理解し合えないということがよくわかりました。

このまま社会が全く機能しなくなるまで言い争っているだけなんだろうな…

Re: No title

> 通りすがり さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>本記事のタイトルにある「豊かさは天から降ってきているわけではない」という主張も清貧の思想そのもので、これもルサンチマンの発露と解釈することもできます。

申し訳ありませんが、「"豊かさは天から降ってきているわけではない"という主張も清貧の思想そのもので」というくだりが全く意味不明でした。この主張は単なる事実の指摘に過ぎないと思うのですが。

>「みんなが汗水流して働いたから、今の豊かな社会がある」というのは確かにそうなのでしょう。だからといって、労働することなく生活している人を「怠け者」と非難するのは

僕がこの記事でphaさんや日野さんを批判したのは彼らが「怠け者」だからなんですか?記事を書いた僕としては、僕の2人に対する批判は「自分たちが日々の生活の中で受けている恩恵の元に対する意識が足りないように思われる」点にあったと思うのですが。

Re: タイトルなし

> 雨宮さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>今の日本はむしろ成熟しきっていると思う。人間だってある程度年齢を重ねれば身体の成長は止まるのになぜその人間が築き上げたこの豊かな社会が永久に成長し続けると思うのか。経済の衰退は良くないけど、停滞は認めてもいいんじゃないだろうか。

「通りすがり」さんへのコメント返信でも書きましたが、とりあえず山形浩生さんの「経済成長は、ぼくたちの努力や成長の総和でしかない(http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061103/p1)」というエントリーを読んだ方がいいと思いました。

Re: No title

> のさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>そう簡単に経済成長できるなら苦労しないんだけどね

そこで「デフレ脱却」が望まれていたはずなのですが・・・。

>経済成長に疑問符つけてる人は海外企業との競争とそれに伴う国内企業の衰退、国内雇用の減少、賃金の減少だとか、付加価値という名の労働者搾取みたいなのをイメージしているのかな。

「雨宮」さんが仰っているような「もう日本は成熟した。だから経済成長は見込めない」という話なのではないでしょうか。

>だが経済の停滞、ゆたかな社会だって、ブラックとされる業種が台頭した背景を見れば、適切な答えではないのも明らか

「経済成長さえ出来ていればそれでいい」という話ではないということを仰っているかと思います。それはそうなのですが、ただこれは「経済成長をする必要は無い」という話とは別のものです。

Re: No title

> ここのコメント欄を見て、今働いている人達と働いていない人達は永遠に理解し合えないということがよくわかりました。とコメントしてくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>ここのコメント欄を見て、今働いている人達と働いていない人達は永遠に理解し合えないということがよくわかりました。 このまま社会が全く機能しなくなるまで言い争っているだけなんだろうな…

そうなんでしょうね・・・。

No title

管理人様、ご返信ありがとうございます。

>「自分たちが日々の生活の中で受けている恩恵の元に対する意識が足りないように思われる」

本ブログ記事でも、
>現在自分たちが日々生活の中で受けている恩恵は当たり前に存在するものではなく
>各人の努力によって作り出されているものだし、今後も作り続けていくべきだろう。
と述べられていますが、これは結果論に過ぎないと思うんですよね。

多くの人は、「この文明社会を維持するために自分も一生懸命努力しないといけないんだ」
といった崇高な理想を持って働いている訳ではなく、各個人が日々の生活を送るために、
あるいはそれに加えて、少し贅沢をするために働いているというのが現実ではないでしょうか。
少なくとも私はそうです。

少子化問題が語られる時に「既婚者は子供を生むことで社会に貢献している」といった理屈で
独身者が批判されるのと同じ構図で、既婚者は何も社会貢献を一番の動機として結婚したの
ではなく、個人的な事情(たまたま運命の人にめぐり合った、世間体etc)で結婚した場合が
ほとんどでしょう。

個々人がそれぞれの個人的動機で働いたり結婚したりした結果、たまたまこの社会が維持・
発展されているだけのことであって、社会の維持・発展のためという動機が第一に来るという
のは、順序が逆というか、胡散臭い理屈だと思います。
(勿論、政治家や官僚、経営者といった指導者層になると、また違ってくるのでしょうが)

「自分たちが日々の生活の中で受けている恩恵の元に対する意識」の「意識」という言葉は
「感謝」に置き換えることも可能だと思いますが、上述で申し上げた意味において、
そういう「意識」を押し付けるのは、ナンセンスだと思うのです。

ルサンチマンという指摘は、「各人の努力によって豊かな社会が維持されている」という意識が
強い(管理人様のような)人が、そういう意識の薄い(pha氏や日野氏のような)人を非難する
動機の裏に、「あいつらだけラクしやがって」という「僻み」があるのではないか?という解釈
によるものです。

つまり、真面目に労働している人は、本人の事情=自由意思で働いているのだから、
楽して生活している人がいたとしても、「お前は意識が薄い」と非難するのは余計な
お節介ではないか?ということです。

管理人様は
>山形浩生さんの「経済成長は、ぼくたちの努力や成長の総和でしかない
>(http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061103/p1)」というエントリー
を他の方にも提示されていますが、安易に他ブログの引用に頼るのではなく、
もう少しご自分の言葉で語られた方が良いように思います。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: No title

> 通りすがりさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>多くの人は、「この文明社会を維持するために自分も一生懸命努力しないといけないんだ」といった崇高な理想を持って働いている訳ではなく、各個人が日々の生活を送るために、あるいはそれに加えて、少し贅沢をするために働いているというのが現実ではないでしょうか。少なくとも私はそうです。

それはそうだと思いますよ。

>個々人がそれぞれの個人的動機で働いたり結婚したりした結果、たまたまこの社会が維持・発展されているだけのことであって、社会の維持・発展のためという動機が第一に来るというのは、順序が逆というか、胡散臭い理屈だと思います。

主張を曲解してますよね。「社会の維持・発展のためという動機が第一に来る」というのは、この記事のどの記述から導かれたんでしょうか。僕がこの記事で言ったのは「人々は仕事をするにあたって"社会の維持・発展のため"という動機を第一に考えるべきだ」と主張ではなく、「現在社会が維持・発展している背景には、人々の仕事がある(そして、phaさんと日野さんにはその認識が足りないように思える)」という主張でしたよね。「通りすがり」さんがどういう読解をしてこういうコメントを残したのか、僕には理解できませんでした。


>ルサンチマンという指摘は、「各人の努力によって豊かな社会が維持されている」という意識が強い(管理人様のような)人が、そういう意識の薄い(pha氏や日野氏のような)人を非難する動機の裏に、「あいつらだけラクしやがって」という「僻み」があるのではないか?という解釈によるものです。

そうですか。この解釈に対する僕の考えについては、前のコメント返信にある「全く意味不明でした。この主張は単なる事実の指摘に過ぎないと思うのですが」という文章で示されているので、ここでは割愛します。

> 管理人様は山形浩生さんの「経済成長は、ぼくたちの努力や成長の総和でしかない (http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061103/p1)」というエントリーを他の方にも提示されていますが、安易に他ブログの引用に頼るのではなく、もう少しご自分の言葉で語られた方が良いように思います。

分かりました、ご意見ありがとうございます。

Re: タイトルなし

> 非公開コメントをくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>いつも非公開ですみません

いえ、全く問題ありません。気になさらないでください。

>記事で引用されている主張も、言いたいことはわかりますし、それが実現できないことはわかってつぶやいているんだと思いますけど

優しい解釈ですね。

>引用されているツイッターの方はどんな人かわかりませんが著名な人ですか?

「一般の方」と「著名な方」の違いがどこなのか分かりませんが、引用されているツイッターの方は完全に「一般の方」で、ツイッターで触れられている「脱社畜の働き方」の著者(日野さん)は本を出しているということでちょっとは著名と言えるのかもしれません。

>一般の方なら、「冗談でもテキトーなことつぶやけないな」というのが、この記事の一番の感想です 一般の方ならという仮定ですが、今回みたいに知らないところで、〇〇主義者みたいな紹介されると思うとネットって怖いなと思います

さすがに明らかに冗談の発言を、ブログで殊更に批判したりはしないですよ。ただ、このツイッターの方は「冗談」で脱社畜の働き方の記述に同意しているわけではないと思いますし、その意見に対する否定意見を述べるのは別におかしくないと思いますが。

>最後に、今回の記事の内容に触れておくと、福祉は天から降ってくるものではないというのはごもっともですが、殊更に感謝・意識する必要はないと思います

僕が最後の段落で言ったのは「すべての人が、日々の仕事に対して殊更に感謝・意識する必要がある」ということではなくて、「もし"福祉は天から降ってくるものではない"ことを認識していない人が多いのなら、そのフレーズを繰り返し発信してみるべきなのかもしれない」ということなのですが・・・。

No title

管理人様、度々のご返信ありがとうございます。

>僕がこの記事で言ったのは「人々は仕事をするにあたって"社会の維持・発展のため"という
>動機を第一に考えるべきだ」と主張ではなく、「現在社会が維持・発展している背景には、
>人々の仕事がある(そして、phaさんと日野さんにはその認識が足りないように思える)」
>という主張でしたよね。
まあ、それは言葉のあやというか、程度問題でしょうね。
確かに「第一の動機とすべきだ」というのは言い過ぎだったかも知れませんが、
少なくとも管理人様は、pha氏や日野氏には

>現在自分たちが日々生活の中で受けている恩恵は当たり前に存在するものではなく
>各人の努力によって作り出されているものだし、今後も作り続けていくべきだろう。

>僕たちが現在享受している「豊かさ」は決して天から降ってきているわけではない。

といった認識が足りないと考えられている訳で、それを強調する意味で、
先のコメントのような表現になったということです。

ただ、本記事で触れられている程度のことは、pha氏や日野氏もたまたまこれまで言及
してこなかっただけで、全く知らない訳ではないと思います。
まあ、それも憶測に過ぎませんが、であれば、pha氏や日野氏に上記の認識が足りない
というのも管理人様の憶測に過ぎないということになるかと思います。

管理人様は「豊かさは天から降ってきているわけではない」という言説について、
「単なる事実の指摘」に過ぎないという主張をされているのですが、私からすると、
本音に触れられたくないので、この辺で話を終わらせておきたいという意図を
感じられてならないのです。

確かに、現在の文明社会が維持・発展しているのは、過去および現在の人々の努力の賜物
だというのは事実なのですが、管理人様はその事実を強調するにあたって、何らかの意図を
お持ちのはずだと思うのです。
私には、管理人様がその意図をひた隠しにされているように思えてならないんですよね。

それは結局、pha氏や日野氏のようないわば「夢想家」に対する、「もっと現実を見ろよ」という
啓蒙ではないかと私は考えているのですが、いかがでしょうか。

本記事の最後の文章を再掲させて頂きますが、

>僕たちが現在享受している「豊かさ」は決して天から降ってきているわけではない。
>このことを認識するべきではないだろうか。

この先の展開が無いのが、ちょっと物足りない気がしますね。
認識した先に何があるのでしょう?「もっと認識しろ」とお説教がしたいだけでしょうか?
仮に、pha氏や日野氏も、この程度のことは織り込み済みだとすれば、余計なお世話ということになりますし。

日野氏の場合は、自身のブログでも「経済成長神話の終わり」という本を紹介されていることから、
管理人様が伝家の宝刀のごとく度々持ち出されている「山形浩生さんの「経済成長は、
ぼくたちの努力や成長の総和でしかない (http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061103/p1)」
というエントリー」に書かれているような言説、いわば「経済成長神話」への疑念が根底に
あるように思います。

このエントリーも結局は、経済は必ず成長する、成長するしかないといった精神論でしかないと思うんですよね。
信仰と言い換えてもいいでしょう。それを信じるか信じないかという話ですね。

Re: Re: No title

>通りすがりさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>まあ、それは言葉のあやというか、程度問題でしょうね。確かに「第一の動機とすべきだ」というのは言い過ぎだったかも知れませんが(中略)といった認識が足りないと考えられている訳で、それを強調する意味で先のコメントのような表現になったということです

前のコメント返信でも書きましたが、コメントを頂いた僕からすれば、「通りすがり」さんの文面は単なる「強調」を超えて、ただの「曲解」としか思えません。僕の主張内容を歪めているんですから。

>ただ、本記事で触れられている程度のことは、pha氏や日野氏もたまたまこれまで言及してこなかっただけで、全く知らない訳ではないと思います。まあ、それも憶測に過ぎませんが、であれば、pha氏や日野氏に上記の認識が足りないというのも管理人様の憶測に過ぎないということになるかと思います。

そもそも「憶測」とは「根拠もなくあてずっぽうに推し量ること」を言うと思います。この点、僕は記事で、phaさん・日野さんの「これだけ科学や文明が発達しているのに、いまだに人間が労働しないと生きていけないとかなんかおかしい。もう21世紀なんだからそれくらいは文明で保障されてもいいだろ」・「これだけ文明が発達しにも関わらず、いまだに人類が週に五日間も働かないと社会が回らないというのは、ちょっとおかしいと思う」という主張を根拠に据えているわけで、僕がやっているのは「憶測」というより「推測(ある事柄をもとにして推量すること)と言えるのでは。「通りすがり」さん自身認めているわけですが、「憶測」をしているのは何の根拠もなしに「pha氏や日野氏もたまたまこれまで言及してこなかっただけで、全く知らない訳ではないと思います」と言っている「通りすがり」さんの方だと思います。

>管理人様は「豊かさは天から降ってきているわけではない」という言説について、「単なる事実の指摘」に過ぎないという主張をされているのですが、私からすると、本音に触れられたくないので、この辺で話を終わらせておきたいという意図を感じられてならないのです。確かに、現在の文明社会が維持・発展しているのは、過去および現在の人々の努力の賜物だというのは事実なのですが、管理人様はその事実を強調するにあたって、何らかの意図をお持ちのはずだと思うのです。私には、管理人様がその意図をひた隠しにされているように思えてならないんですよね

「通りすがり」さんはすぐ上で僕の主張を「憶測に過ぎない」と批判していましたよね。しかし、「通りすがり」さん自身ここでは「本音に触れられたくないので、この辺で話を終わらせておきたいという意図を感じられてならない」・「私には、管理人様がその意図をひた隠しにされているように思えてならない」という憶測を仰っている。「通りすがり」さんが憶測をしてよくて、僕がしちゃいけない理由がよく分からないのですが(まぁ、そもそも上記のように、僕がこの記事でしたのは「憶測」ではなく「推測」だと思っていますが)。

勿論、僕が「"単なる事実の指摘"に過ぎない」と主張していたとしても「この記事の~という記述を鑑みると、その主張は絶対嘘ですよね」と突っ込むことが妥当な場合はあると思います。しかし、「通りすがり」さんのコメントでは、僕の文章のどの記述から「本音に触れられたくないので、この辺で話を終わらせておきたいという意図を感じられてならない」と感じられたのかが示されていません。ゆえに「通りすがり」さんのツッコミが妥当とは思えません。

そういえば、以前「通りすがり」さんは「あまりに言外の意図を詮索してしまうと、結局、幾重もの思い込みに基づいた憶測めいたものに陥る危険性が高まるように思うのです」・「自分は他人ではないのですから、日野氏の本心は日野氏しか分からないでしょう。それを好き勝手に詮索して、ごまかしているとか、本音ではないとか決め付けて批判するのはナンセンスではないかと思うのです」と僕を批判したことがありましたね(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-499.html)。この批判に照らすと、今回の件も僕が「単なる事実の私的に過ぎない」と言っているのに、それを好き勝手に詮索して「本音に触れられたくないので、この辺で話を終わらせておきたいという意図を感じられてならない」・「私には、管理人様がその意図をひた隠しにされているように思えてならない」とか決め付けて批判するのはナンセンスではないか・・・という話になると思うのですが。

>この先の展開が無いのが、ちょっと物足りない気がしますね。認識した先に何があるのでしょう?

例えば、この次の記事で書いた「ベーシックインカムの導入」について議論する際に「人が"働かない自由"を得る代わりに失われるものは何か」という視点を持つことにつながるかもしれません。

>日野氏の場合は、自身のブログでも「経済成長神話の終わり」という本を紹介されていることから、管理人様が伝家の宝刀のごとく度々持ち出されている「山形浩生さんの「経済成長は、「 ぼくたちの努力や成長の総和でしかない(http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061103/p1)」というエントリー」に書かれているような言説、いわば「経済成長神話」への疑念が根底にあるように思います。

そうでしょうね。ただ、そもそも山形さんのエントリーも「もう経済成長はいらないとか、お金だけがだいじなのではない、とかを他人に対して(それはたとえば「日本は」とか「人々は」とか「先進国は」といった表現になることも多い)口走る連中は、みんな衣食足りているどころか飽食している人々だということ。そしてその人々が、そのだいじでないはずのお金を手放そうとしたりすることはおそらくほとんどないということが、それより重要なこととして、そうした人々の多くは想像力が欠如していること。経済成長ってことの意味がまったく理解できていない」と始まっている、即ち山形さんも「脱経済成長」論への疑念から自身の論を展開しているわけです。即ち恐らく山形さんに限らず、現在経済成長の重要性も唱える人たちも、この記事のコメントにある「通りすがり」さんの「"無限の成長"というのも"荒唐無稽"であって、やがて破綻するのではないかという危惧を持っているのは、私だけではないと思います」・雨宮さんの「今の日本はむしろ成熟しきっていると思う」という立場は十分理解していて、その上で現在経済成長をする必要性を説いているのだと思いますよ。


立ち読みなのでうろ覚えですが、日野さんは確か「経済成長からの卒業」という章を本で書いていましたね。ただ、経済成長を追い求めるのを止めるべきは今なのか、それには大きな疑問が残ります(というか、「通りすがり」さんは僕に対して「清貧の思想そのもので」と言ってましたけど、そういう思想を持っているのはむしろ日野さんだと思いますが)。「もし経済成長しなかった時に、どうするか」を考えること自体は意義があると思いますが、そもそも現時点で「もう経済は成長しないんだ」とあきらめるのはおかしいと思いますね。 

No title

管理人様、ご返信ありがとうございます。

>そもそも「憶測」とは「根拠もなくあてずっぽうに推し量ること」を言うと思います。
>この点、僕は記事で、phaさん・日野さんの「これだけ科学や文明が発達しているのに、
>いまだに人間が労働しないと生きていけないとかなんかおかしい。
>もう21世紀なんだからそれくらいは文明で保障されてもいいだろ」・
>「これだけ文明が発達しにも関わらず、いまだに人類が週に五日間も働かないと
>社会が回らないというのは、ちょっとおかしいと思う」という主張を根拠に据えているわけで、
>僕がやっているのは「憶測」というより「推測(ある事柄をもとにして推量すること)と言えるのでは。
管理人様は、ご自身の主張は「推測」であるから、それは「憶測」よりも優れたものだ、
説得力があるものだという信念をお持ちのようなのですが、結局は五十歩百歩といいますか、
本人に真意を確認しない限り、「憶測」の域を出ないように思いますね。

「根拠」の有無にこだわられているようなのですが、「根拠」というのもいくらでも都合良く
でっち上げられるように思います。
私の「pha氏や日野氏もたまたまこれまで言及してこなかっただけで、全く知らない訳ではないと
思います」という意見も、真偽のほどはともかくとして、(私なりの)「常識」を「根拠」として述べた
とも言えるわけです。

ちなみに「憶測」をYahoo!辞書で調べると「自分でかってに推測すること。当て推量。」
とありますので、「憶測」も立派な「推測」の一つと言うことができますね。

>「通りすがり」さんが憶測をしてよくて、僕がしちゃいけない理由がよく分からないのですが
>(まぁ、そもそも上記のように、僕がこの記事でしたのは「憶測」ではなく「推測」だと思っていますが)。
決して「憶測をしてはいけない」と申し上げているのではありません。
「憶測に過ぎない」という事実を指摘しているまでで、それこそ「曲解」ではないでしょうか。
そして、私がそのような指摘をする意図は、管理人様が今回のような記事を書かれた意図を
より深く掘り下げたいという動機が根底にあります。

>この批判に照らすと、今回の件も僕が「単なる事実の私的に過ぎない」と言っているのに、
>それを好き勝手に詮索して「本音に触れられたくないので、この辺で話を終わらせて
>おきたいという意図を感じられてならない」・「私には、管理人様がその意図をひた
>隠しにされているように思えてならない」とか決め付けて批判するのはナンセンスではないか・・・
>という話になると思うのですが。
前述の続きになりますが、「事実の指摘に過ぎない」とことさらに強調されると、
余計にその裏に隠された真意を知りたくなるのが、私の正直な思いです。
「事実の指摘」というのは、そうなのでしょうが、では、管理人様がわざわざそのような
指摘をされた意図というのは一体何なのでしょうか?

たとえば、対象は何でも良いのですが、正義の名の下にある対象(政府、社会、組織、個人等)
をむやみやたらと攻撃的に批判する人がよくいますが、そういう人は批判の動機はあくまでも
正義の為(不正を正す、社会を良くする等)だと主張します。
しかし、それはあくまでも表向きの動機で、実際には批判対象に対する「恨み」を晴らすために
過ぎないといったことが、往々にしてあります。

管理人様がpha氏や日野氏に対して「恨み」というほどの強い感情をお持ちの訳ではないとは
思うのですが、多かれ少なかれ、何らかの感情を抱かれているからこそ、
「彼らには認識が足りない」という指摘をしたい欲求にかられるのではないでしょうか?

>ただ、経済成長を追い求めるのを止めるべきは今なのか、それには大きな疑問が残ります
>(というか、「通りすがり」さんは僕に対して「清貧の思想そのもので」と言ってましたけど、
>そういう思想を持っているのはむしろ日野さんだと思いますが)。
いわゆるルサンチマンというものは、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思います。
私をそれをむやみに否定する方が不自然だし、欺瞞的だと思ってしまうのです。

>「もし経済成長しなかった時に、どうするか」を考えること自体は意義があると思いますが、
>そもそも現時点で「もう経済は成長しないんだ」とあきらめるのはおかしいと思いますね。
まあ、こういってしまうと元も子もないのですが、結局は価値観の違いでしょうね。
日野氏も今すぐ経済成長ありきの社会を捨て去ろうとまで考えている訳ではなく、
将来的にどうしようかという観点で述べられているように思います。

No title

高齢化すると増税しないと無理じゃないでしょうか
税には再配分って重要な機能がありますから

100人の村で老人10人
この10人を食わせるために生産の10%の再配分が必要

100人の村で老人20人
この20人を食わせるために生産の20%の再配分が必要

高齢化するとそれだけ再配分する%があがるので、増税するしかない。

高齢化しているのに増税がいやなら、大幅定年延長(70歳になっても老人と認めず年金渡さない)
もしくは年金支給額の大幅カットしかないでしょう。(老人の総数が増えても、渡す年金額の総額は増やさない)

No title

>これだけ文明が発達しにも関わらず、いまだに人類が週に五日間も働かないと社会が回らないというのは、ちょっとおかしいと思う。
週5働く必要があるのかっていう問題意識はよくわかります。
山形浩生さんの「経済成長は、ぼくたちの努力や成長の総和でしかない」とも矛盾しない
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061103/p1
>ぼくたちが経済成長するということは、別にぼくたちがお金を貯め込むということではない。たくさん生産して、その分たくさん買うようになるということだ。

この一文ですべてをあらわしてると思います。
がんばって生産量を増やしただけでは経済成長しません。それを誰かが買って消費してはじめて経済成長。
そうでないと不良在庫になる。
だから、もし、みんなが、頑張って週7で働いたら、消費する余裕を失って逆にGDPが下がる。

これ以上、世の中の生産効率があがると、成長のボトルネックが世の中の生産力の不足ではなく、消費力の不足になるので
週5の労働を週4に引き下げて消費力を上げないといけない時代が確実にくる。(もしかして来てるかもしれない)

Re: No title

>  通りすがりさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>管理人様は、ご自身の主張は「推測」であるから、それは「憶測」よりも優れたものだ、説得力があるものだという信念をお持ちのようなのですが、結局は五十歩百歩といいますか、本人に真意を確認しない限り、「憶
測」の域を出ないように思いますね。

元々僕は「通りすがり」さんの「憶測に過ぎない」というコメントが「根拠もなくあてずっぽうに推しはかってるだけだ」という意味だと思っていて、ゆえにそれに対して「いや、根拠はあるんですよ」と返したということです。もちろん、「"根拠がある"と言っているけど、あなたの文章から説得力が感じられないんだ」という評価はあり得ると思いますし、そこは個々の読者ごとに評価が異なってくるのだと思います。

>決して「憶測をしてはいけない」と申し上げているのではありません。「憶測に過ぎない」という事実を指摘しているまでで、それこそ「曲解」ではないでしょうか。

「憶測に過ぎない」というのは事実の指摘だったんですか。僕はこれを「憶測に過ぎない文章で、ゆえにおかしい」という批判だと思っていて、ゆえに「通りすがり」さんに対して「僕の文章を"憶測に過ぎない"と批判しておきながら、なぜそのすぐ後で自分は憶測を語っているんだろう・・・」と感じたのです。そういう意図なのでしたら、すみませんでした。

>前述の続きになりますが、「事実の指摘に過ぎない」とことさらに強調されると、余計にその裏に隠された真意を知りたくなるのが、私の正直な思いです。

「通りすがり」さんは「"事実の指摘に過ぎない"とことさらに強調されると」と仰ってますが、それは元々、「通りすがり」さんが何度も「このエントリーには何らかの意図があるはずだ」と言うから、僕の方もそれを受けて「事実の指摘に過ぎないんですよ」と複数回言わざるを得ないという話でしょう。自分で勝手に同一の疑問を投げかけておきながら、それに対して僕が同一の返答を複数回したことを受けて「"事実の指摘に過ぎない"とことさらに強調されると、余計にその裏に隠された真意を知りたくなる」と言うなんて馬鹿げてますよ。一体、何を考えてコメントをしているんですか。

>いわゆるルサンチマンというものは、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思います。私をそれをむやみに否定する方が不自然だし、欺瞞的だと思ってしまうのです。

「通りすがり」さんは以前僕に対して「ただ、強いて言えば、本ブログ記事に限らないのですが、"弱者を食い物にしている"というような、弱者の立場からの強者批判には、どうしても強者へのルサンチマンを感じてしまいがちなのが正直なところです」と述べた、つまり僕の文章からルサンチマンを感じたことを否定的に捉えていましたよね(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-499.html)。しかし、日野さんがルサンチマンがあることに関しては「むやみに否定する方が不自然だし、欺瞞的だ」と言っている。以前「通りすがり」さんが「特に必死ということはありません」と仰っていたことを知りながら再度申し上げますが、やはり「通りすがり」さんは日野さん(脱社畜ブログ)擁護に必死だなぁと感じますね。

>まあ、こういってしまうと元も子もないのですが、結局は価値観の違いでしょうね。日野氏も今すぐ経済成長ありきの社会を捨て去ろうとまで考えている訳ではなく、将来的にどうしようかという観点で述べられているように思います。

これはうろ覚えなので違っていたら訂正して頂いて構わないのですが、「脱社畜の働き方」の「経済成長からの卒業」という項目で日野さんが言っていたのは「経済成長をずっと追わなければならないから、必要以上に働かなければならなくなって、それで逆に辛くなっている→もう高度な成長は望めないし、且つずっと経済成長していくというのも現実的ではない→だから今、安定化路線に向かおう(経済成長を追い求めるのは止めよう)」という主張だったと思います。このように思っているがゆえに、「日野氏も今すぐ経済成長ありきの社会を捨て去ろうとまで考えている訳ではなく、将来的にどうしようかという観点で述べられているように思います」という「通りすがり」さんの主張には今のところ違和感を覚えています。ただ、これは僕の記憶違いである可能性もあるので、違っていたら訂正してくださって構いません。 

Re: No title

> 高齢化すると増税しないと無理じゃないでしょうか~とコメントしてくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>高齢化すると増税しないと無理じゃないでしょうか。税には再配分って重要な機能がありますから

税収を増やすことは必要なのですが、そのために増税をするのは不適切だと考えています。この記事の始めでも書いたように、「増税=増収」となるとは必ずしも限らないからです。一方で「デフレを脱却して経済成長を」という立場があるわけで、僕はそちらの方が妥当な結論なのではと思っています。 

Re: No title

> この一文ですべてをあらわしてると思います~とコメントしてくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>この一文ですべてをあらわしてると思います。がんばって生産量を増やしただけでは経済成長しません。それを誰かが買って消費してはじめて経済成長。そうでないと不良在庫になる。だから、もし、みんなが、頑張って週7で働いたら、消費する余裕を失って逆にGDPが下がる。

「もし、みんなが、頑張って週7で働いたら、消費する余裕を失って逆にGDPが下がる」というのもそうだと思います。また、今問題視されているのはデフレで、デフレだと消費者が「もっと安くなるはずだから、その時に買おう」と考えがちになり、人々の消費活動が鈍化します。コメントの最後に「週5の労働を週4に引き下げて消費力を上げないといけない時代が確実にくる」とありますが、週休3日制よりもデフレ脱却の方が優先順位は高いのだと思っています。ただ、「働きまくった結果、休日は疲れて消費する気力が無い」なんて人が続出しても話にならないので、労働時間の問題についても考える必要があるでしょう。

No title

管理人様、ご返信ありがとうございます。

>「憶測に過ぎない」というのは事実の指摘だったんですか。
>僕はこれを「憶測に過ぎない文章で、ゆえにおかしい」という批判だと思っていて、
>ゆえに「通りすがり」さんに対して「僕の文章を"憶測に過ぎない"と批判しておきながら、
>なぜそのすぐ後で自分は憶測を語っているんだろう・・・」と感じたのです。
そうですね。憶測であるということ自体を批判する意図は特にありませんでした。
ただ、「~に過ぎない」という言い回しは、どうしても否定的な印象を与えがちですから、
誤解を招きやすい側面はあったかも知れません。

>「通りすがり」さんが何度も「このエントリーには何らかの意図があるはずだ」と言うから、
>僕の方もそれを受けて「事実の指摘に過ぎないんですよ」と複数回言わざるを得ないという
>話でしょう。
なかなかこちらの意図が伝わらなくて残念なのですが、「事実の指摘」を行うにあたって、
管理人様がどのような動機をお持ちだったのか?という点に興味があるのです。

管理人様が「豊かさは天から降ってきているわけではない」という「事実」を指摘しようと思われた
第一の動機として考えられるのは、pha氏や日野氏にその認識が足りないことではないかと
私は推測しますが、だとすれば、それを更に掘り下げると、管理人様は「認識が足りない」
ことについて、否定的な見解をお持ちだということになるかと思います。

それは、「豊かさは天から降ってきているわけではない」という認識をしっかり持っている人の方が、
何らかの点で優れている(これは人格的な優劣ではありません)ということの裏返しでもあるでしょう。

この「何らかの点」というのは、たとえば「この文明社会を維持・発展させていく」こととも考えられますが、
管理人様はどのようにお考えでしょうか。

「認識が足りない」ことも「事実の指摘に過ぎない」ということになると、それではこの世の中に
無数にある「事実」の中で、敢えてある特定の「事実」だけを抽出している理由は何なのか?
という疑問に行き着きます。

ブログを書くにあたっても、そこには何らかの動機があってこそ、そういう行動に出るのだと
思うのですが、私は単にそれと同じことをお伺いしたかっただけなのです。

>以前「通りすがり」さんが「特に必死ということはありません」と仰っていたことを知りながら
>再度申し上げますが、やはり「通りすがり」さんは日野さん(脱社畜ブログ)擁護に
>必死だなぁと感じますね。
正直なところ、現在の脱社畜ブログは以前に比べると切れ味も悪く、あまりピンと来る記事もないと感じています。
ブログ主が既に「成功者」となってしまったことも、白ける要因のような気がします。
ただ、日野氏の言説には概ね共感できるのも事実でして、失礼ながら管理人様の記事には、
日野氏に対する否定的な感情を多かれ少なかれ感じてしまうのも事実です。

勿論、管理人様の記事にも共感できる部分は多々ありますし、決して本ブログの存在意義を
否定するものではなく、管理人様にやる気がある限り、今後も続けて頂きたいと思うのも事実です。
特に、議論の内容はさておき、幾つものコメントに対して1つ1つ誠実に返信される姿勢は
大変評価に値するものだと思っております。

ですので、「必死だなぁ」という嘲笑めいた言い回しをされるのは少し残念でもあります。

>だから今、安定化路線に向かおう(経済成長を追い求めるのは止めよう)」という主張だったと思います。
これも言葉のあやと言いますか、「今」という言葉をどういう時間軸で見るかによって解釈が異なるということなのでしょう。
「今」という言葉には、文字通り今この瞬間、あるいはそこから数秒、数分以内といった非常に狭い
範囲の時間を表すこともあれば、数時間後、数日後といった比較的長いスパンを指す場合もありますし、
もっと長いスパンを漠然と指す場合もあるかと思います。

これも別に日野氏をことさらに擁護する意図はないのですが、「だから今、安定化路線に向かおう」
という文章を読んだ時に、この文中の「今」を「今すぐ」とか「明日からでも」などと解釈する人は
少数派ではないかと思います。
普通はもっと長い時間軸で、「これからは」という程度の意味で捉えるのが自然ではないかと思うのです。

Re: No title

> 通りすがりさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>なかなかこちらの意図が伝わらなくて残念なのですが、「事実の指摘」を行うにあたって管理人様がどのような動機をお持ちだったのか?という点に興味があるのです。管理人様が「豊かさは天から降ってきているわけではない」という「事実」を指摘しようと思われた第一の動機として考えられるのは、pha氏や日野氏にその認識が足りないことではないかと私は推測しますが

第一の動機は、今月の1日に消費税増税が決まったことなんですけど・・・。消費税増税が必要となったということは何か負担を担わないと社会が回っていかない現実を示しているわけで、ゆえにこのニュースが流れたことで改めて「豊かさは天から降ってきているわけではない」現実を書きたいと思ったわけです。その現実を記す過程で「もう文明は成熟しているから、(週5日)働かなくてもいいんじゃないか?」という、現実に反していると思われるphaさん・日野さんの意見に触れたにすぎません。

>ただ、日野氏の言説には概ね共感できるのも事実でして、失礼ながら管理人様の記事には日野氏に対する否定的な感情を多かれ少なかれ感じてしまうのも事実です(中略)「必死だなぁ」という嘲笑めいた言い回しをされるのは少し残念でもあります。

僕の文章から日野さんに対する否定的な感情を読み取るのは読者の自由です。実際僕は彼の文章を批判しているわけで、その批判を見て、僕が批判の対象となっている文章を書いている日野さん自身にも多かれ少なかれ否定的な感情を持っていると評価するのは自然なことだと思います。しかし、だからといって「通りすがり」さんが「ルサンチマンを持っている」という行為について、僕のことは批判するのに日野さんのことを擁護している点は全く理解が出来ません。どちらも擁護するか、どちらも批判するかじゃないとおかしいでしょう。


「嘲笑めいた言い回しをされた」と「通りすがり」さんは受け取っていますが、この認識は正しいといえます。嘲笑めいた言い回しをした時点では、正直僕は「通りすがり」さんの日野さん(脱社畜ブログ)評に対して「これ、もう"信仰"のレベルじゃん」と思っていましたから。勿論、「通りすがり」さんが「脱社畜ブログ」・「脱社畜の働き方」の内容に疑問を投げかけることもあることは知っています。しかし、それを差し引いても「通りすがり」さんは日野さんに肩入れしすぎというのが僕の印象です(上述のように、やはり同一の行為について、僕のことは批判するのに日野さんのことは擁護する・・・という「通りすがり」さんの姿勢がこのような印象形成につながっています)。


>これも言葉のあやと言いますか、「今」という言葉をどういう時間軸で見るかによって解釈が異なるということなのでしょう。

そもそも僕はこの点について「これはうろ覚えなので違っていたら訂正して頂いて構わない」と申し上げていました。これは「通りすがり」さんが「脱社畜の働き方」を持っているという事実を踏まえて(「日野氏の新著も購入して読みましたが、多くはブログの焼き直しで、1600円余りを出すほどの価値はないように感じました」と前に仰ってましたよね http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-499.html)、本に書いてある日野さんの「経済成長」に関する見解を教えて頂きたいという意図をもって書いた文章です。僕の記憶では日野さんが「もう経済成長を追い求めるのは止めよう(=現時点で安定化路線に入ろう)」という主張をしていたと思っているので、その真偽を問いかけたわけです。もう本を古本屋などに売ってしまっていたのなら申し訳ありませんが・・・。

>普通はもっと長い時間軸で、「これからは」という程度の意味で捉えるのが自然ではないかと思うのです。

じゃあ、日野さんは「まだまだ経済成長をして、その成長が見込めなくなった段階で成長を追い求めるのを止めよう」と言っていたということでしょうか?これは僕の理解とは違うのですが、もし本に書いてあるのがそういうことなら、僕が間違っているということになります。その点を教えて頂ければ幸いです。

No title

管理人様、ご返信ありがとうございます。

>第一の動機は、今月の1日に消費税増税が決まったことなんですけど・・・。
それは大変失礼致しました。
確かに本記事の冒頭で真っ先に触れられていますので、それを本記事を書かれた
最初のきっかけと考えるのが自然ですね。

>消費税増税が必要となったということは何か負担を担わないと社会が回っていかない
>現実を示しているわけで、ゆえにこのニュースが流れたことで改めて「豊かさは天から
>降ってきているわけではない」現実を書きたいと思ったわけです。
これも確かにその通りですね。
ただ、「社会が回っていかない」という文脈での「社会」とは、現在のような「成長し続けること」を
前提とした社会であって、日野氏の主張は、将来的にはそういう社会からの脱却が必要で
はないかというものかと思います。

>しかし、だからといって「通りすがり」さんが「ルサンチマンを持っている」という行為について、
>僕のことは批判するのに日野さんのことを擁護している点は全く理解が出来ません。
>どちらも擁護するか、どちらも批判するかじゃないとおかしいでしょう。
誤解させてしまい申し訳ありません。
私は「ルサンチマンを持つ」という行為を批判している訳ではなくて、先のコメントで申し上げたように、
そういう行為は人間としてごく自然なことだと思っています。
しかし、管理人様がその点について頑なに否定をされるので、そのことに不自然さを感じてしまった次第です。
ただ、これは内心の問題ですので、管理人様が「日野氏に対する僻みは一切ない」と仰られる
のであれば、そのように受け取るしかないですし、それを更に「いや、本当は違うのではないか?」
と追及し続けることも不毛ですので、この件について言及するのは一旦止めたいと思います。

>正直僕は「通りすがり」さんの日野さん(脱社畜ブログ)評に対して「これ、もう"信仰"のレベル
>じゃん」と思っていましたから。
>勿論、「通りすがり」さんが「脱社畜ブログ」・「脱社畜の働き方」の内容に疑問を投げかけること
>もあることは知っています。しかし、それを差し引いても「通りすがり」さんは日野さんに肩入れ
>しすぎというのが僕の印象です。
失礼ですが、それは管理人様の被害妄想が強すぎるのではないかと思います。
以前も申し上げたかと思いますが、私は日野氏と個人的な付き合いがある訳でもなく、
日野氏から何か特段の便宜を受けた訳でもありません。
脱社畜ブログも、数あるブログの中の1つに過ぎず、全ての記事に賛同している訳でもありません。

ただ、ある種の「成功者」ではあることから、管理人様のように、そういう「成功者」に対して
執拗に批判を繰り返しながらも、具体的な対案はあまり出されない人を見ると、こちらからも
逆に批判をしたくなってしまうのも事実です。

管理人様とのやり取りだけに限りませんが、議論に対する私の基本的な考えの1つは、
「相手の意見に対する批判は相手の人格に対する批判ではない」ということです。
つまり、誰の意見を批判/擁護したから、自分の意見が批判/擁護されたからといって、
感情的になるのはナンセンスだということです。

今回のケースで言えば、管理人様は、私が日野氏の意見を擁護することが多いことに関して
悪い感情を抱かれているのでしょうが、そのことで「もう信仰のレベルじゃん」と投げやりな態度
を取られるのは、ちょっと違うのではないか?と思うのです。

>僕の記憶では日野さんが「もう経済成長を追い求めるのは止めよう(=現時点で安定化路線に
>入ろう)」という主張をしていたと思っているので、その真偽を問いかけたわけです。
的確なお答えができておらず申し訳ありませんでした。
「脱社畜の働き方」はまだ手元にありますので、引用を交えて再度お答え致します。

まず、管理人様の記事
「「脱社畜の働き方」で提起される「プライベートプロジェクトのススメ」は、酷な労働環境に苦しむ人の助けになるのだろうか?」(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-494.html
で紹介されている、
脱社畜ブログの記事「『脱社畜の働き方』という本を書きました」(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/08/19/205255
において、同書の目次が紹介されていたことはご存じかと思います。

そこには「第5章 脱社畜の未来」と書かれており、まあ、これだけでは何とも言えませんが、
「未来」という言葉を使う時、多くの場合、「今すぐ」「現時点で」といった、そんなに差し迫った
時間ではなく、数年後、数十年後といった比較的長い時間が経った後のことを想定するもの
ではないかと思います。

同書13ページで、「第5章 脱社畜の未来」について以下のような説明がなされています。

>第5章は、未来の働き方について、僕が考えていることを少し書いてみた。
>将来的には、こんな働き方ができるような社会になってほしい、という僕の希望と提言だ。

また、第5章の本文中、236~237ページには以下の記述があります。

>そろそろ僕たちは、経済成長から卒業をしなければならないのではないだろうか。
>何だかんだ言って右肩上がりのグラフは気持ちがいいし、「もうこれ以上成長しない」
>と決めてしまうのは後ろ向きに見えなくもないけど、実際のところ、いつまでも右肩上がりの
>成長を続けられるという考え方は非現実的だ。資源は有限だからいずれ枯渇するし、経済活動
>による地球環境への影響だってバカにならない。どこかで、成長路線から安定化路線に
>舵を切らなければならない日は、必ずやってくる。

更に238ページには以下の記述があります。

>労働量削減の過程で、とりあえず最初に目指すべきは現在の週休二日制から週休三日制への移行だ。
>荒唐無稽に聞こえるかもしれないけど、僕は夢物語ではないと思っている。
>フランスの社会科学者であるドミニク・メーダは、法定労働時間を週32時間に短縮すべきだとしているし、
>思想家の吉本隆明も人類はいずれ週休三日制にシフトするだろうという予言をしていた。
>週休三日制を目指すことは、無茶でもなんでもない。

全文を引用することは困難ですので、「脱社畜の未来」の「未来」がどの程度の時間軸で
語られているかを想定しやすいと思われる箇所を一部引用させて頂きました。

以上の引用からすると、少なくとも「現時点で」とか、「今すぐに」といった、差し迫った将来
のことではなく、もう少し遠い先の将来を指していると考えるのが自然に思えます。

>じゃあ、日野さんは「まだまだ経済成長をして、その成長が見込めなくなった段階で
>成長を追い求めるのを止めよう」と言っていたということでしょうか?
そのような趣旨の記述は見当たりませんでしたが、前書きでも触れられているように、
文脈的には「成長が見込めなくなった時に困らないように、成長を追い求めなくても大丈夫な
社会を目指すべきではないか?」という趣旨ではないかと思います。

無限の経済成長を前提とした社会、低成長・無成長でもそれなりに生活できる社会の
どちらが良いのか、どちらに実現性があるのかは、現時点では私も判断ができません。
日野氏の語る「働かなくても良い社会」も、机上の空論・夢物語に終わりそうに思えなくもありませんし、
だからといって、少子高齢化・人口減少が止まらない日本において、無限の成長を前提とした
従来型の社会が継続できるかとえいば、それも大いに疑問です。

ただ、少なくとも我々の世代が生きているうちに「働かなくても良い社会」が実現している可能性は
限りなくゼロに近いのではないかと思います。
まあ、「自分が死んだ後の社会など知ったこっちゃない。とりあえず自分だけ逃げ切れればいい」
というのも正直な感情ではありますが。

Re: No title

> 通りすがりさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>誤解させてしまい申し訳ありません。私は「ルサンチマンを持つ」という行為を批判している訳ではなくて、先のコメントで申し上げたように、そういう行為は人間としてごく自然なことだと思っています。

前のコメント返信でも書きましたが、僕は「通りすがり」さんがそう仰っていることに違和感を覚えています。なぜなら、「通りすがり」さんは以前僕に対して「ただ、強いて言えば、本ブログ記事に限らないのですが、"弱者を食い物にしている"というような、弱者の立場からの強者批判には、どうしても強者へのルサンチマンを感じてしまいがちなのが正直なところです」と述べた、つまり僕の文章からルサンチマンを感じたこと(=僕がルサンチマンを持つこと)を否定的に捉えたことがあったからです。このことから、「通りすがり」さんから、同一の行為について、僕のことは批判するけれども日野さんのことは擁護するという首尾一貫の無さを感じるわけです。

>しかし、管理人様がその点について頑なに否定をされるので、そのことに不自然さを感じてしまった次第です。

僕が「頑なに」否定をしていたんですか?僕はコメント返信にて「(というか、"通りすがり"さんは僕に対して"清貧の思想そのもので"と言ってましたけど、そういう思想を持っているのはむしろ日野さんだと思いますが)」としか言っておらず、その後は「通りすがり」さんに対して「なんで僕のことは批判したのに、日野さんのことは批判しないんですか?」という疑問を投げかけただけだと思うのですが。僕からすれば、不自然なのは「通りすがり」さんのコメントです。

>今回のケースで言えば、管理人様は、私が日野氏の意見を擁護することが多いことに関して悪い感情を抱かれているのでしょうが

違います。上述のように、僕が違和感を覚えるのは「同一の行為について、僕のことは批判するけれども日野さんのことは擁護するという首尾一貫の無さ」です。

>また、第5章の本文中、236~237ページには以下の記述があります

記述のご紹介、ありがとうございました。「そろそろ僕たちは、経済成長から卒業をしなければならないのではないだろうか」という記述から、日野さんは出来る限り早期の路線変更(経済成長の追求→安定化路線)を望んでいると思われるのですが・・・。「通りすがり」さんのコメントにはありませんが、確か日野さんは他にも「これ以上経済成長を求めるとかえって辛くなる」・「成長という言葉が持つ美しい響きに騙されているのかもしれない」という趣旨のことを本で言っていたはずですし。

>文脈的には「成長が見込めなくなった時に困らないように、成長を追い求めなくても大丈夫な社会を目指すべきではないか?」という趣旨ではないかと思います

日野さんはもっと積極的に経済成長に批判的な立場を示していると思いますよ。つまり、「成長が見込めなくなった時に困らないように」というよりも「成長の追求こそが人々を困らせている」という立場と言えるということです。なぜなら日野さんとしては「経済成長の追求」にあたって「人々の長時間労働」が伴ってしまうと考えているからです。事実、脱社畜ブログでも「経済成長をずっと追わなければならないから、必要以上に働かなければならなくなって、それで逆に辛くなっているんじゃないだろうか」という記述がありました(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/06/20/201747)。つまり、彼は「経済成長が出来なかった時の妥協案」を言っているのではなく「経済成長の追求よりも、脱経済成長の方が人をより幸せにする」と考えている可能性が高いですね。 

No title

管理人様、ご返信ありがとうございます。

>なぜなら、「通りすがり」さんは以前僕に対して「ただ、強いて言えば、本ブログ記事に
>限らないのですが、"弱者を食い物にしている"というような、弱者の立場からの強者批判には、
>どうしても強者へのルサンチマンを感じてしまいがちなのが正直なところです」と述べた、
>つまり僕の文章からルサンチマンを感じたこと(=僕がルサンチマンを持つこと)を否定的に
>捉えたことがあったからです。
「ルサンチマン」という言葉に否定的なニュアンスが含まれるのは確かなのですが、
管理人様の記事からルサンチマンが感じられること自体は、管理人様もよく仰られていた
「事実の指摘」に過ぎず、そのことに対して、例えば「単なる僻みでみっともない」などと、
貶めるような意図は全くないということです。

>このことから、「通りすがり」さんから、同一の行為について、僕のことは批判するけれども
>日野さんのことは擁護するという首尾一貫の無さを感じるわけです。
現時点の事実としてそのような傾向があるにせよ、それは偶然そうなっているだけで、
そのこと自体に特別な意味は無いと考えています。
つまり、私は管理人様のことが特別憎い訳でもなく、日野氏に対して特別惚れ込んでいる訳でもなく、
あくまでも、お二方それぞれの「意見」に対して、こちらの率直な意見・感想を述べているまでです。
それを、「日野氏ばっかり擁護して、自分(管理人様)のことばかり批判するのはおかしい」と
批判されるのは、あまり意味の無いことだと思います。

確かに、管理人様ばかり批判されるのは、あまり気分の良くないものかも知れませんが、
それは、管理人様が自分の意見が批判されたことを、自分の人格まで否定されたように
お感じになっているからではないでしょうか。
特に日本人の場合、そのような感受性を持つ人が多いため、純粋に真理を追究するために
冷静な議論をするのが困難になりがちです。

管理人様は、私が日野氏の意見に対して比較的肯定的なことに関して、少し執着し過ぎではないでしょうか。

批判であれ、擁護であれ、そこには、批判された方が劣り、擁護された方が優れているといった、
優劣の関係は全くなく、単なる評価に過ぎないということです。

それは、管理人様のブログ記事に対する反論として日野氏が投稿されていた
「それでもやはり、働かない状態のほうが「自然」だと僕は思う」 (http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/28/212141
という記事における以下のような記述とも一致する言説かと思います。

>そして、もうひとつ大事なことは「自然」であるとか「不自然」であるということは、
>人間の価値の優劣を決めるものではないということだ。

>価値があるとかないという話と、行為や状態が自然であるとか不自然であるということとは、
>直ちに関連付けられるものではない。

「また日野氏擁護じゃないか」と批判されそうですが、決して日野氏を個人的に贔屓する意図はなく、
あくまでも、たまたま私がその「意見」に対して共感するだけのことなのです。


>日野さんはもっと積極的に経済成長に批判的な立場を示していると思いますよ。
>つまり、「成長が見込めなくなった時に困らないように」というよりも「成長の追求こそが
>人々を困らせている」という立場と言えるということです。なぜなら日野さんとしては
>「経済成長の追求」にあたって「人々の長時間労働」が伴ってしまうと考えているからです。

リンクして頂いた脱社畜ブログの該当記事には、

>本書は様々な事例を挙げて「脱成長による繁栄」についてのビジョンを示そうとしているが、
>「経済成長をずっとしていけないというのは分かった、でもじゃあ具体的にどうすればいい?」
>という質問をされたら、本書の内容だけで答えるのは難しそうだ。

という記述があり、日野氏自身も経済成長から脱却した社会を実現するための具体策については、
まだはっきりしたビジョンを持っていないように思われます。
そういう点では、日野氏の言説にも「机上の空論」的な側面があると言えます。

一つ前のコメントで、少なくとも私たちの世代が生きているうちに、そういう社会が訪れる可能性は
限りなく低いと申し上げましたが、それでは個人レベルではどうすれば良いか?というと、
あまり感心できる考えではないと思うのですが、当面は、他人を出し抜いて自分が得をする
チャンスを虎視眈々と狙うしかないのかな・・・と私自身は考えています。
しかし、運悪くそういうチャンスに恵まれなかった場合は、これも宿命なのだと割り切るしかないでしょう。


>つまり、彼は「経済成長が出来なかった時の妥協案」を言っているのではなく「経済成長の
>追求よりも、脱経済成長の方が人をより幸せにする」と考えている可能性が高いですね。 
これについても、同記事において、

>何をもって「幸福」であると感じるかは人それぞれで違う、というのもまた問題を難しくしている。
と述べられており、結局は価値観の違いというところに行き着いてしまうのでしょうね。

これからも無限の成長を追求する社会、成長から脱却する社会のどちらが実現可能性が
高いのかは現時点では分かりませんし、どちらがより幸福なのかも人それぞれでしょう。

ある意味、原発と似たようなものとも言えるかも知れません。
資源問題を気にしなくて良い夢のエネルギーとして期待された原子力ですが、
この日本で数十年動かしてみて、どういうものかようやく分かってきたように、
成長追求型社会と成長脱却型社会も、どちらかを長期間試してみないことには、
結論は出せないのでしょう。

成長脱却型社会について否定的な見解を述べるとすれば、ある意味、共産主義社会と
紙一重に感じられるところでしょうか。また、全国民が善良な人間であれば良いのですが、
現実はそうはいかず、結局一部の人間が富を独占してしまう危険が大いにあると思います。

Re: No title

> 通りすがりさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>「ルサンチマン」という言葉に否定的なニュアンスが含まれるのは確かなのですが、管理人様の記事からルサンチマンが感じられること自体は、管理人様もよく仰られていた「事実の指摘」に過ぎず、例えば「単なる僻みでみっともない」などと、貶めるような意図は全くないということです。

「通りすがり」さんはこの記事のコメントで日野さん擁護として「いわゆるルサンチマンというものは、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思います。私をそれをむやみに否定する方が不自然だし、欺瞞的だと思ってしまう」と仰っていましたね。しかし、「通りすがり」さんは僕に対しては、同じくこの記事のコメントで「残酷ですが、人並みの労働をしないと生活できない人々は"運が悪かった"のであり、"労働することなく生活できるのは、我々のおかげだ"というのは、僻みでしかないのです。本記事のタイトルにある"豊かさは天から降ってきているわけではない"という主張も、清貧の思想そのもので、これもルサンチマンの発露と解釈することもできます。"みんなが汗水流して働いたから、今の豊かな社会がある"というのは確かにそうなのでしょう。だからといって、労働することなく生活している人を"怠け者"と非難するのは、自分がそういう境遇にありつけないことへの僻みという側面も否定できないと思うのです。何故なら、そのように非難する人が労働しているのは、強制労働でもない限り、あくまでもその人自身の自由意思によるものであり、嫌なら抜け出す努力をすれば良いからです。勿論、今の過酷な境遇のまま、ラクして生きている人を軽蔑し続けるという人生もありでしょう」と仰っていましたね。

このコメントが言っているのは「努力して労働する生活から抜け出せばいいのに、労働することなく生活している人を批判するのは僻みに過ぎない」ということで、明らかに「僕がルサンチマン・僻みを持っていること」を否定しにかかってますよね。こういうコメントを残しているのに、今さら「管理人様の記事からルサンチマンが感じられること自体は、管理人様もよく仰られていた"事実の指摘"に過ぎず、例えば"単なる僻みでみっともない"などと、貶めるような意図は全くない」と言うのは通りませんよ。

>確かに、管理人様ばかり批判されるのは、あまり気分の良くないものかも知れませんがそれは、管理人様が自分の意見が批判されたことを、自分の人格まで否定されたようにお感じになっているからではないでしょうか。特に日本人の場合、そのような感受性を持つ人が多いため、純粋に真理を追究するために冷静な議論をするのが困難になりがちです。

僕が違和感を覚えるのは「同一の行為について、僕のことは批判するけれども日野さんのことは擁護するという首尾一貫の無さ」だと上のコメント返信でも言いましたよね。いつの間にか僕が「意見への批判を人格批判と勘違いする人」になってしまっていますが、話をすり替えないで頂けますか。

>現時点の事実としてそのような傾向があるにせよ、それは偶然そうなっているだけで、そのこと自体に特別な意味は無いと考えています。つまり、私は管理人様のことが特別憎い訳でもなく、日野氏に対して特別惚れ込んでいる訳でもなく、あくまでも、お二方それぞれの「意見」に対して、こちらの率直な意見・感想を述べているまでです。


「通りすがり」さんはこのコメントで「純粋に真理を追究する」ことの大事さを語っていましたが、同一の行為について僕への評価と日野さんへの評価が異なることについて、上で「偶然そうなっているだけで、そのこと自体に特別な意味は無い」と片づけるのは自己矛盾なんじゃないですか。真理を追究する姿勢が全く感じられないのですが。


>日野氏自身も経済成長から脱却した社会を実現するための具体策については、まだはっきりしたビジョンを持っていないように思われます

そうでしょうね。ただ、「経済成長から脱却すべき」という結論だけは確かに持っていると思いますよ。あくまでも、「脱却してからどうするか」という点の考えが深められていないというだけで。そして、この点についての考えを深められている人なんてそもそもほとんどいないでしょうし、ゆえに日野さんのビジョンの無さも仕方がないことだと思っています。

No title

管理人様、ご返信ありがとうございます。

>このコメントが言っているのは「努力して労働する生活から抜け出せばいいのに、
>労働することなく生活している人を批判するのは僻みに過ぎない」ということで、
>明らかに「僕がルサンチマン・僻みを持っていること」を否定しにかかってますよね。
>こういうコメントを残しているのに、今さら「管理人様の記事からルサンチマンが感じられること
>自体は、管理人様もよく仰られていた"事実の指摘"に過ぎず、例えば"単なる僻みで
>みっともない"などと、貶めるような意図は全くない」と言うのは通りませんよ。
なかなか的確に真意をお伝えできず申し訳ありません。

「努力して労働する生活から抜け出せばいいのに、労働することなく生活している人を
批判するのは僻みに過ぎない」という言説が、まさに「事実の指摘」であって、
「僻みを持っている人」の人格を否定するものでは決してないということです。

管理人様は、「僻みを持つこと=悪」のようにお考えのようなのですが、決してそうではなく、
僻みを持つこと自体は、人間としてごく自然な振る舞いだと考えています。

ですから、仮に管理人様が日野氏に対して僻みを持っていたとしても、そのこと自体は
ごく自然なことであって、私自身も日野氏のようなある種の「成功者」には多かれ少なかれ
僻みの感情を持っていることは否定できません。

ただ、僻みに基づく批判というのは、実りある議論に進展しにくく、感情のぶつけ合いや
人格攻撃に終始しがちな側面もあるかと思います。

>「同一の行為について、僕のことは批判するけれども日野さんのことは擁護するという首尾一貫の無さ」
「同一の行為」というのは、一例としては、10月9日に頂いた以下のコメントで述べられている
「ルサンチマンを持っている」という行為のことですね。

>しかし、だからといって「通りすがり」さんが「ルサンチマンを持っている」という行為について、
>僕のことは批判するのに日野さんのことを擁護している点は全く理解が出来ません。
>どちらも擁護するか、どちらも批判するかじゃないとおかしいでしょう。

日野氏が管理人様のブログ記事に対して言及したのは、私の記憶では昨日のコメントでお示しした
「それでもやはり、働かない状態のほうが「自然」だと僕は思う」 (http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/28/212141
という記事だけだったと思うのですが、少なくともこの記事からは、「ルサンチマン」を感じることは
できませんでした。

一方、上記の日野氏のブログ記事の発端となった管理人様の記事
「脱社畜ブログと社畜は結構似た者同士なんじゃないか」(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-456.html
には、以下のような記述があります。
太字になっているので、管理人様が特に強調されたいことなのだろうと思われます。

>結局「脱社畜ブログ」も「社畜」も自分の価値観を絶対視し、その価値観の対極にいる人を
>下に見るという点では同じなのではないか?ということだ。
>「社畜」は「働くこと」を、「脱社畜ブログ」は「働かないこと」を神聖視し、
>その上で自分の価値観にそぐわない生き方を下に見るかのようなことを言っているように
>感じられる。

これに対する反論として、日野氏は
>前提として僕は働いている人を働かない人より劣っているとか、そんなことは全く思っていない
と述べており、更に、

>もうひとつ大事なことは「自然」であるとか「不自然」であるということは、
>人間の価値の優劣を決めるものではないということだ。

>価値があるとかないという話と、行為や状態が自然であるとか不自然であるということとは、
>直ちに関連付けられるものではない。

とも述べています。

この主張を額面通りに解釈する限り、日野氏には「働かない人>働いている人」という選民思想
はないということになります。
また、この言説は、例えば「ルサンチマンを持つこと」が人として自然であることと、そのことに
対する優劣の評価は別だということにも繋がるかと思います。

しかしながら、管理人様は、それでもしきりに日野氏の言説に「選民思想」を見出そうとされており、
むしろ、管理人様がそうやって執拗に相手を追及する姿勢こそが、ルサンチマンの発露に見えて
しまうのです。
つまり、これはある種の逆説で、選民思想の持ち主を糾弾する者自身が、「自分には彼のような
選民思想はない」という逆の意味での「選民思想」に陥っているということです。

>「通りすがり」さんはこのコメントで「純粋に真理を追究する」ことの大事さを語っていましたが、
>同一の行為について僕への評価と日野さんへの評価が異なることについて、
>上で「偶然そうなっているだけで、そのこと自体に特別な意味は無い」と片づけるのは
>自己矛盾なんじゃないですか
上述の通り、管理人様と日野氏の間に「同一の行為」に該当するものは見られないので、
そのような批判はあたらないように思います。

「同一の行為」については、私の解釈が間違っているかも知れませんので、その場合は
ご指摘頂ければ幸いです。

Re: No title

>通りすがりさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>なかなか的確に真意をお伝えできず申し訳ありません。「努力して労働する生活から抜け出せばいいのに、労働することなく生活している人を批判するのは僻みに過ぎない」という言説が、まさに「事実の指摘」であって、「僻みを持っている人」の人格を否定するものでは決してないということです。

そうなんですか。「通りすがり」さんはこの記事のコメントで僕が僻みを持っていることについて(まぁ、そもそもなんで僕が「日野さんに僻みを持つ人」になっているのかもよく分からないのですが)、「今の過酷な境遇のまま、ラクして生きている人を軽蔑し続けるという人生もありでしょう」と言って、僕を「過酷な境遇のまま、ラクして生きている人を軽蔑し続ける人生を送る人」と規定しようとしていましたよね。これは僕を挑発しにかかったり、あるいはバカにしにかかってたりした(貶めようとしていた)としか思えないんですけど。申し訳ないですが、個人的には「通りすがり」さんの説明に納得することは無く、逆に「嘘つけ」と思っています。

>僻みに基づく批判というのは、実りある議論に進展しにくく、感情のぶつけ合いや人格攻撃に終始しがちな側面もあるかと思います

「通りすがり」さんの中では、もう僕の脱社畜ブログ批判は「僻みに基づくもの」と確定しているんですね(笑)いつまでもそう考えて、脱社畜ブログ擁護に精を出せばよろしいのではないでしょうか・・・と言いたいのですが、正直その認識に基づく不毛なコメントに返信するのもそろそろ時間の無駄だと思っているので、もしかしたら今後そういう認識に基づくコメントには返信しないかもしれないです。

>日野氏が管理人様のブログ記事に対して言及したのは、私の記憶では昨日のコメントでお示しした「それでもやはり、働かない状態のほうが「自然」だと僕は思う」 (http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/05/28/212141)という記事だけだったと思うのですが、少なくともこの記事からは、「ルサンチマン」を感じることはできませんでした。

なんで脱社畜ブログの過去記事を持ち出しているのか、全然理解できませんでした。そもそも、この議論(まぁ、「議論」と呼べるようなやり取りには全くなっていませんが)に関するこれまでもやりとりをざっと書くと・・・

通りすがり「"豊かさは天から降ってきているわけではない"という主張も、清貧の思想そのもので、これもルサンチマンの発露と解釈することもできます」

僕「"通りすがり"さんは僕に対して"清貧の思想そのもので"と言ってましたけど、そういう思想を持っているのはむしろ日野さんだと思います(※ちなみに、これは日野さんが経済成長に否定的であることを受けて書いたコメントでした)」

通りすがり「いわゆるルサンチマンというものは、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思います。私をそれをむやみに否定する方が不自然だし、欺瞞的だと思ってしまうのです(※まぁ、そもそも「清貧の思想を持っているのはむしろ日野さんですよね」というコメントに対する返信が、なぜ「私はルサンチマンをむやみに否定する方が不自然で欺瞞的だ」というものになっているのか全然分からないのですが)

僕「え?僕に対しては"ルサンチマン"を持つことに否定的だったじゃないですか。なんで日野さんがルサンチマンを持つことについて"むやみに否定する方が不自然だし、欺瞞的だと思ってしまう”と評価しているんですか?」

つまり、このやり取りは「通りすがり」さんが「清貧の思想を持つ=ルサンチマンがある」という構図を立てたことから始まっていて(僕はこの構図自体、意味が分からないのですが)、この構図に基づき「日野さんが清貧の思想を持つ=日野さんにルサンチマンがある」という話になっていった(「通りすがり」さん自身、僕の「清貧の思想を持っているのは日野さんの方では?」という言葉に対して「ルサンチマンというものは、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思います」と答えていましたね)。即ち、脱社畜ブログの過去記事はこのやり取りを進めるにあたって何も関係がないわけです。したがって、その過去記事を持ち出して「少なくともこの記事からは、"ルサンチマン"を感じることはできませんでした」と言うのは全く無意味です。


>しかしながら、管理人様は、それでもしきりに日野氏の言説に「選民思想」を見出そうとされており、むしろ、管理人様がそうやって執拗に相手を追及する姿勢こそが、ルサンチマンの発露に見えてしまうのです。つまり、これはある種の逆説で、選民思想の持ち主を糾弾する者自身が、「自分には彼のような選民思想はない」という逆の意味での「選民思想」に陥っているということです。

もう主張が訳が分からなすぎますね。前半部は、「日野さんの文章を批判したことは何度もあるけれど、日野氏の言説から"選民思想"を見出そうとしたことは"しきりに"と表現されるほどあるか?」という疑問が湧きました。後半部は「選民思想の持ち主を糾弾する者自身が、"自分には彼のような選民思想はない"という逆の意味での"選民思想"に陥っている」という文章の意味が分かりませんでした。


こういうことをコメントをくださる方に言うのも失礼かと思うのですが、せめてもう少しきちんとしたコメントを書いていただけますか?これまでも「通りすがり」さんは、記事の文章を読み落としたり、事実を曲解したりして、そういういい加減なコメントへの返信に時間を割くのは端的に不毛としか思えないのです。 

No title

管理人様、ご返信ありがとうございます。

>「通りすがり」さんはこの記事のコメントで僕が僻みを持っていることについて
>(まぁ、そもそもなんで僕が「日野さんに僻みを持つ人」になっているのかも
>よく分からないのですが)、「今の過酷な境遇のまま、ラクして生きている人を
>軽蔑し続けるという人生もありでしょう」と言って、僕を「過酷な境遇のまま、
>ラクして生きている人を軽蔑し続ける人生を送る人」と規定しようとしていましたよね。
確かに私は管理人様がそのようなスタンスで記事を書かれたりコメントされたりしているように
感じたので、そのように感じたままを申し上げているだけであり、そこには当然私の誤解や
思い込みもあり得ますし、私の認識が間違っているというのであれば、それは違うとご指摘して
頂ければ済む話だと思うのです。
しかしながら、管理人様から「私は日野氏に僻みを持っているわけではない」というような
反論は一切ないので、こちらとしては「そうなのか」と思ってしまったのです。

「努力して労働する生活から抜け出せばいいのに、労働することなく生活している人を
批判するのは僻みに過ぎない」という言説そのものへの評価も、管理人様からは一切なく、
あくまでも自分のことを貶されている=人格攻撃されているといった受け取り方しかされて
いないようで、これでは「真理の追究」は困難と言わざるを得ないと思います。
「嘘つけ」という投げやりな言葉まで飛び出して、まさに感情論に陥ってしまっています。

上記の言説の具体例としては、たとえば下記の動画(7分頃~)で、株で一財産を築いたBNF氏の
ような生き方についてどう思うか?という質問に対する岡野代表(青い作業着をきたおじさん)の
「嫌だね」「気の毒だな」「お金お金だもん」といった回答が、まさに好例かと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=La-WIYNjgoY
岡野代表のこのような反応は、「働かずに楽して生活している(ように見える)人」への僻みの表れであり、
「マネーゲームで儲けるよりも、汗水流して働く方が尊い」という清貧の思想そのものなのです。

>「通りすがり」さんの中では、もう僕の脱社畜ブログ批判は「僻みに基づくもの」と確定しているんですね(笑)
上述の繰り返しになりますが、管理人様の脱社畜ブログ批判に限らず、まず一般論として、
弱者が強者を批判する場合、弱者にはルサンチマンが伴う場合が多いということです。
その言説には同意頂けますでしょうか?

そして、管理人様の脱社畜ブログ批判においては、そういう一般論は該当せず、
ルサンチマンは一切ないと断言できるのであれば、そのように仰られば良いだけのことだと思うのです。
私が管理人様の脱社畜ブログ批判にルサンチマンを感じる理由は、例えば「脱社畜ブログとイケダ
ハヤトさんを一緒にするよ」といった挑発的な言い回しや、自らの言葉ではないものの、
「脱社畜のロジックスカスカじゃねーか。バカ騙して小銭稼ぐのをもてはやす意味あんのかよ」
といった荒々しい文章の引用によって、日野氏への鬱屈した感情を爆発させているように見えても
仕方ないように感じられるところです。

事実の指摘、矛盾点の指摘によって、純粋に真理を追究するのであれば、このような相手を罵倒
するような乱暴な言い回しは、たとえ引用であれ控えるべきではないかと思うのです。

勿論、このような提言を管理人様が受け入れる義務は全くないので、「そんなことを言われる筋合いはない」
「嫌なら読むな」ということであれば、それはそれで仕方のないことだと思います。

>「清貧の思想を持つ=ルサンチマンがある」という構図を立てたことから始まっていて
>(僕はこの構図自体、意味が分からないのですが)、
まず、「ルサンチマン」という言葉の意味をはっきりさせることにしましょう。
簡単に言えば「僻み」と同義ですが、もう少し厳密に定義するために、Wikipediaからの引用に頼れば、
ルサンチマンとは「主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。」です。
下記のリンク先
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%9E%E3%83%B3
をお読み頂ければ、だいたいお分かり頂けるかと思いますが、かいつまんで引用させて頂くと、

>ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応する
>ことが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩である。

>社会的に強者であれば、嫉妬や反感といった感情に主体的に行動することができるため、
>フラストレーションを克服することができ、そのため、仮にルサンチマンの状態に陥ったとしても、
>一時的なものでしかないとされる。
>反対に社会的な弱者はルサンチマンから逃れられない。フラストレーションをむしろ肯定し、
>何もできないことを正当化するようになる。社会的な価値観を否定したり、反転した解釈を
>行うようになる。こういった自分の陥っている状態を正当化しようとする願望こそ、奴隷精神の
>最大の特徴であるとする。

>敵として想定される存在は、自分が無力だと感じさせる対象が選ばれる。
>例えば、貧しさに無力を感じるルサンチマンの敵は資本家や大企業となる。

>さらに、そのルサンチマンの敵が拡大すると、対象が社会全体になる。
>「世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが
>世界より優れている」と拡大解釈されるようにもなる。

といった記述によって、ルサンチマンの大部分の意味はお分かりになるかと思います。
上述の引用でも少し触れられていますが、次に「清貧の思想」がルサンチマンに結びつく
理由について申し上げましょう。
これも「清貧 ルサンチマン」などで検索して頂ければ参考になるサイトが沢山ヒットするのですが、
例えば以下のようなサイトでも的確な説明を読むことができます。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/4991/doc/2003030903.html

引用ばかりに頼るもの何ですので、私自身の言葉でご説明致しますと、
「清貧の思想」とは簡単に言えば、「金持ちよりも貧乏人の方が尊い」という思想です。
普通、多くの貧乏人は、金持ちに対して羨望の眼差しを持つものです。
「自分ももっとお金が欲しい」「金持ちが羨ましい」というように。
しかし、現実には、様々な事情により金持ちに這い上がることができず、現在の過酷な境遇を
甘受しなければならない。
つまり、経済力においては、決して「金持ち」に勝つことはできない。
そんな惨めな自分を慰め、少しでも平穏な精神を保ちたいがためには、「貧乏でも幸せなんだ」
と思い込むしかありません。
そして、そのような思考は容易に「貧乏の方が金持ちよりも幸せなのだ」という「すり替え」に変貌し得ます。
この「すり替え」=「強者に勝てないがために、勝敗の基準(金持ち>貧乏)を無理やり
逆転(貧乏>(金持ち)させること」こそが、ルサンチマンに他ならないのです。

これはかなり一般的な言説だと思っていたので、管理人様から「僕はこの構図自体、
意味が分からないのですが」という言葉が出ること自体が意外でした。

管理人様は中島義道氏の「働くことがイヤな人のための本」はお読みになったことはおありでしょうか?
もしまだお読みになっていないのであれば、是非お勧めしたいと思います。
この本にもルサンチマンに関する記述(たとえば「引きこもっている自分の方が、外であくせく
働いている人よりも優れている」という感情に陥る話など)は随所に見られます。
また、本書は脱社畜ブログでも紹介されており(私はその何年も前に既読でしたが)、
脱社畜ブログの記事も本書に書かれていることの焼き直しに思える箇所が多かったりします。

Re: No title

> 通りすがりさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>確かに私は管理人様がそのようなスタンスで記事を書かれたりコメントされたりしているように感じたので、そのように感じたままを申し上げているだけであり、そこには当然私の誤解や思い込みもあり得ますし、私の認識が間違っているというのであれば、それは違うとご指摘して頂ければ済む話だと思うのです。


今ここで問題になっているのは「通りすがり」さんの認識の真偽ではなく、「通りすがり」さんが僕を「過酷な境遇のまま、ラクして生きている人を軽蔑し続ける人生を送る人」と規定することで「日野さんに僻みを持つ僕」を否定しにかかっているか、バカにしにかかっているかという点だと思いますが。「通りすがり」さんは僕が僻みを持つことについて「事実の指摘に過ぎない」と言っているけれども、僕はそれに対して「他の文章を見る限り、そうは思えない(=事実の指摘というよりも、「日野さんに僻みを持つ僕」を否定しにかかっているか、バカにしにかかっている)」と言い返していて、そこに認識の差異があるということですね(勿論、前に述べたように、そもそも僕が日野さんに僻みを持っているという点から話がおかしいのですが)。まぁ、これ以上話してもただの水掛け論にしかならなそうですが。


>しかしながら、管理人様から「私は日野氏に僻みを持っているわけではない」というような反論は一切ないので、こちらとしては「そうなのか」と思ってしまったのです。


6日のコメント返信で、僕は「通りすがり」さんの「ルサンチマンという指摘は~解釈によるものです」という文章を「意味不明です」と切り捨ててたんですけど・・・。


>「嘘つけ」という投げやりな言葉まで飛び出して、まさに感情論に陥ってしまっています。


「嘘つけ」という言葉を発するにあたって、その言葉を発した理由もコメント返信で書いているはずなのですが、それでも僕は感情論に陥っていることになっているんですね・・・。「嘘つけ」という言葉だけ拾って、それを感情論として片づけるのもおかしなことだと思いますけどね。


>岡野代表のこのような反応は、「働かずに楽して生活している(ように見える)人」への僻みの表れであり、「マネーゲームで儲けるよりも、汗水流して働く方が尊い」という清貧の思想そのものなのです

動画を見てみましたけど、別に岡野代表が僻んでいるとは思いませんでした。マネーゲームに嫌悪感を抱いていることは確かでしょうが。


>まず一般論として、弱者が強者を批判する場合、弱者にはルサンチマンが伴う場合が多いということです。その言説には同意頂けますでしょうか?


「多い」かは知りません。ルサンチマンを伴っている場合もあれば、そうでない場合もあるだろうということしか言えません。


>私が管理人様の脱社畜ブログ批判にルサンチマンを感じる理由は、例えば「脱社畜ブログとイケダハヤトさんを一緒にするよ」といった挑発的な言い回しや、自らの言葉ではないものの、「脱社畜のロジックスカスカじゃねーか。バカ騙して小銭稼ぐのをもてはやす意味あんのかよ」といった荒々しい文章の引用によって、日野氏への鬱屈した感情を爆発させているように見えても仕方ないように感じられるところです。

「挑発的な言い回し」や「荒々しい文章の引用」がなぜ「ルサンチマンを持っている」という評価につながるのか、僕にはよく分かりませんでした。

>「清貧の思想」とは簡単に言えば、「金持ちよりも貧乏人の方が尊い」という思想です。

そうですか。そうなると益々、「通りすがり」さんの「本記事のタイトルにある"豊かさは天から降ってきているわけではない"という主張も、清貧の思想そのもので」という指摘の意味が分からないですね。「豊かさは天から降ってきているわけではない」というフレーズのどこに「貧乏人>金持ち」という思想があるのでしょうか。加えて、僕はこの記事・コメント欄で「経済成長路線」支持を示していた訳で(つまり「もっと豊かになろう」という立場)、この点からも「通りすがり」さんが僕が「清貧の思想」を持っていると評していることの理由がさっぱり分かりません。「よくこんな評価ができたなぁ」というのが正直な感想です。 

No title

結局あなたも人々に社蓄化を推し進めて世の中を不幸にしたい側の人間だったんですね、残念です。
働き続ければ幸せになれるんですかねぇ?

No title

いくら過剰労働を批判してても思想の根底にマチズモがあっちゃなあ・・・

No title

久しぶりにこのブログを見てみたが、一番新しい記事の最新コメント、就活を終えた学生のコメントが一番腑に落ちた。
ブログ主氏はある時期から特定の個人を攻撃することがブログの目的になってしまった。
だから、何をテーマにしても、最後は個人攻撃になる。
その個人は常見だったり日野だったりするが、最後は個人攻撃になるという記事の構成が、通りすがり氏には僻みと見えたのだろう。
ルサンチマンを僻みととらえるのは私は反対であり、通りすがり氏の意見には首をかしげるところが多い。
しかし、どんな話題も最後は特定の人物への攻撃になるということが、このブログの記事をだめにしているのであり、個人攻撃が最終目的なのはブログ主の僻みだと感じる人も出るのだろう。
そしてまた、最後は個人攻撃になるために、最初にあげたテーマはすべて個人攻撃のために存在し、ブログ主にとってはどうでもいいものになっているのである。だから、どの主題もブログ主自身の深い考察が見られない、個人攻撃の道具にされてしまっている。

ブログ主は学術論文にあこがれているようだが、学術論文とは、ただ資料を引用すればいいのではなく、引用した上で、さらに深い考察や調査のもと、新たな知見を見出すものである。
ブログ主の記事はその深い考察や調査が決定的に欠けていて、論文のまねごとにすぎなくなっている、という点も気になっていた。

他山の石とさせていただきます。

No title match

確かに引用だけなら、清貧とルサンチマンが何故繋がるかはニーチェ、
豊かさは天から降ってきているわけではないは、大衆の反逆を読めばいい。
ただしそれを受け容れろというわけでなく、新たな展開が必要。

だが今の階級としてのエリート層に、本当のエリートはいるのだろうか?
ザ・マンばかりにしか見えない。
http://bookstore.yahoo.co.jp/shoshi-555307/

フリーターや日雇い労働者や派遣社員を排斥し、
剰えニートや浮浪者になれば、自己責任と正当化までする政治家は
かつて彼らの作ったインフラにただ乗りしてるではないか。
これを恩知らず以外の何物でもない。

そうならないよう、何らかの中間団体に属し、
話し合いと行動を通じて、地道に変えていくのが大事なのではなかろうか?
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