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脱社畜ブログ流「やりがい搾取」批判のおかしさ

これまでこのブログでも何度か触れたことがある「やりがい搾取」という概念。この概念をどのように理解しているかは人により異なるかもしれないが、一応この概念を生み出した本田由紀先生の説明を参考に概念の定義を説明する。この概念は、企業が職場に①趣味性②ゲーム性③奉仕性④サークル性・カルト性といった要素を用意することを通じて、労働者が自己実現のために長時間労働に従事するための仕掛けを作り、ひいては企業が「安定雇用の保障や高賃金という代価なしに、労働者に高水準のエネルギー・能力・時間を動員させる」という意味で労働者からの「搾取」を実行することを言う。


このような企業が得をして労働者が損をする概念に対して、日本の労働環境・仕事観に異議を申し立てる「脱社畜ブログ」は当然憤りを覚えている。実際「給与・待遇に比例しない責任がなぜ正当化されるのか」という記事は、ヨーカ堂の「正社員半減」に関するニュースを「要は"どれだけ安い給料で、見返り以上の仕事をさせられるか"の限界値を探っている、という話である。あまりにも典型的な"やりがいの搾取"であり、小学校・中学校あたりで注意喚起のために進路指導の時間に教材として使ったらいいんじゃないか、と思うぐらいである」と評している。最近の記事でも、「やりがい搾取」について否定的な立場を示す記述がある(http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/11/18/204709)。


ここで脱社畜ブログが「企業が労働者に給与・待遇に比例しない責任を課すこと」・「企業が労働者に安い給料で見返り以上の仕事をさせること」を「やりがい搾取」として批判していることが分かる。この点、「企業を叩き、労働者を擁護する」という意味では脱社畜ブログのスタンスは何もおかしくないと言えるかもしれない。しかし過去記事の内容と照らすと、脱社畜ブログがヨーカ堂の取り組みを責める形で「やりがい搾取」を批判するのは筋が通らないのではないか?と思える。


問題となるのは、脱社畜ブログの「経済合理的に行動することが、なぜ批難されなければならないのか」という記事である。その記事は去年起きた「埼玉県の公立学校教員110名が、退職手当減額の前にかけこみ退職を希望した」ニュースを扱っているもので、早期退職を希望した教員を「無責任だ」と責める声に対して次のように述べている。

「学年の途中で教員が辞めたら、生徒は混乱する」という意見はごもっともだが、これで辞めた教員を批難するのは筋違いだ。退職希望を出している教員は、ただ単に合理的に行動したに過ぎない。批難すべきは、経済合理的に行動すると学年の途中で教員の交代が生じざるを得ないようなシステムの方である。

僕はこのニュースを巡る詳しい事情を忘れてしまったので脱社畜ブログの記事を確認したところ、早期退職をせずに働き続けるよりも早期退職をした方が70万円多くもらえるという状況があったらしい。だからこそ脱社畜ブログでは、早期退職を希望した人は単に経済合理的に行動したのに過ぎないのであって、それは当然であると考えていたという訳だ。


この記事では埼玉県の教員たちの行動の是非を検討したいわけではない。取り上げたいのは、上述の脱社畜ブログの記事における「退職希望を出している教員は、ただ単に合理的に行動したに過ぎない。批難すべきは、経済合理的に行動すると学年の途中で教員の交代が生じざるを得ないようなシステムの方」という記述。なぜならこの記述に照らすと、上述のヨーカ堂が行った「"どれだけ安い給料で、見返り以上の仕事をさせられるか"の限界値を探っている」という行為も経済合理的に行動したものとして肯定するべきなんじゃないか?もしその結果ヨーカ堂の労働者が損をするとしても、それはヨーカ堂が経済合理的に行動したら労働者が損をするシステムが悪いのであって、ヨーカ堂を責めるのは筋が違うのではないか?このような疑問が浮かぶからである。


これは「やりがい搾取」を提唱した本田先生の理論の問題点だと思うのだが(そして、これまでこの問題点をスルーしてきた僕の問題でもあるのだが)、「やりがい搾取」を批判する人は企業が「仕事に見合わない低い賃金・待遇」しか労働者に与えない行為を責めながら、その「低い賃金・待遇」がどういうものなのかをはっきりと示さない。確かに「この仕事だったら、普通はこれくらい金をもらえるだろう」という相場があるのは分かるし、その相場を下回ることを「搾取」というのも気持ちとしては理解できる。しかし仮に企業の待遇が相場を下回っていたとしても、それも「合法」だったら企業を「搾取している」と責めるのは筋が違うのではないか。つまり、企業が労働者に高水準のエネルギー・能力・時間の提供を求めていても、それが最低賃金法などの法律に違反していなければその企業を責める余地は無いのではないか?


勿論「法律に反してなくても、問題視すべき行為をやっている主体を批判する余地はあるだろう」という理屈は考えられる(そして、その理屈に沿って「やりがい搾取をしている」と問題視し得る企業もあるだろう)。というか、「法律に反しているわけでもない行為をする主体を批判するべきではない」とここで僕が主張しだしたら、これまで書いてきた採用担当者・面接官批判の記事は何だったんだという話になる。ただ脱社畜ブログの場合は、上述のように、早期退職を希望した教師に対する「無責任だ」という声に対して「経済合理的に行動したら、早期退職するに決まっているでしょ」と擁護して批判の矛先を教師からシステムに向けるべき立場を示していた訳で、その立場に立っていながら(法律などのシステムではなく)経済合理的に行動することで他者(労働者)に不利益をもたらす行為をしている「企業」という主体を批判するのはダブルスタンダードといえる。


脱社畜ブログでは上記のように「批難すべきは、経済合理的に行動すると学年の途中で教員の交代が生じざるを得ないようなシステムの方である」と言ったり、他にも「人を責めるのではなく、システムを変えよう」と題した記事を書いたりしているが、実際にその「システム」にメスを入れた記事があったかというとちょっと思い浮かばない。しかし考えるべきは「企業が経済合理的に行動したら、労働者が不利益を被るシステム」の存在である。「そのシステムを改めれば良いじゃないか」と言っても、労働者の待遇を保証するようにすれば今度は企業が厳選採用に走る危険性を生み出しそうである。「システムを変えよう」・「システムを考え直そう」・・・言うのは簡単だが、実際に落としどころを見出すのは難しい。

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Re: これは…

> 非公開コメントをくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>今回の記事の批判の大半が同意しかねるのですが、ボクだけなんでしょうかね… 他に同じ感想を持った方がいなければ、中身も書こうかな

他に同じ感想を抱く人がいようがいまいが、その中身を書いた方が話が早いと思うのですが(笑)

Re: これは…

> 非公開コメントをくださった方へ

先ほど返信した後に、本文の内容を一部修正しました。主張の要旨自体は変わっていないと自分では思っていますが、もし批判を書き込むようであればもう一度記事本文に目を通すことをお勧めします。

No title

就活生に甘える」が「脱社畜」と争う意味がわからないです。
いくつか気になる点があるので質問・指摘させてください。

>ヨーカ堂が経済合理的に行動したら労働者が損をするシステムが悪いのであって、ヨーカ堂を責めるのは筋が違うのではないか?

そもそも、ヨーカ堂がおこなった、労働対価のダンピングが経済合理的な行動といえるのでしょうか?

デジタル大辞典より
—経済的合理性—
経済的な価値基準に沿って論理的に判断した場合に、利益があると考えられる性質・状態。

ヨーカ堂の件ですが、経済的な価値基準に沿った論理的な判断がなされているとは思えません。
「今まで正社員がやっていた職務と同レベルの職務を非正規雇用者が行うならば、非正規雇用者の賃金は正社員の賃金と同レベルに扱うべきだ。」
これが、経済的な価値基準に沿った論理的な判断ではないでしょうか?
経済的でもないし、合理的でもないし、単に狡猾なだけではないでしょうか?

>「やりがい搾取」を批判する人は企業が「仕事に見合わない低い賃金・待遇」しか労働者に与えない行為を責めながら、その「低い賃金・待遇」がどういうものなのかをはっきりと示さない。

「低い賃金・待遇」とは、主にサービス残業などの違法行為、労働対価の明らかなダンピングのことだと示されていると思うのですが。

>「合法」だったら企業を「搾取している」と責めるのは筋が違うのではないか。

「合法」ならば責めるのは筋が違うということならば、このブログで責めている諸々の内容も筋が違うということになるのではないでしょうか。
「合法」「違法」問わず、おかしいことにおかしいと言及することは、筋違いとは思いません。

No title

私もこのエントリーはかなり問題がある記事だと思います。
私は21日昼にこのエントリーを読んだのですが、どこをどう変えたのは書いてもらわないと、これだけの長い文章を昼間一読して今また一読したただけでどこが変わったかわかるほど私は記憶力がよくありません。
でも、論旨は変わっていないということなので、問題は変わらないと思いますが、管理人様のこれまでの反応から見て、反論しても意味がないと思うし、このエントリーがどんなに間違っていても世の中に悪い影響は与えないと思うので、私は反論はしません。
ただ、おかしいと思うのは自分だけなのか、と思う人に、あなただけではない、ということが言いたくて、コメントしました。

なお、ヨーカドーの件に関する脱社畜氏のエントリーの記事も論述の仕方に問題があります。
ヨーカドーの件をやりがい搾取という言葉で表現するのは的外れです。
ただ、それを指摘する管理人様の論述の方向が、脱社畜氏の何倍も的外れなので、脱氏の的外れの方がまだましだと感じてしまいます。

やりがい搾取のターゲットはバイト主婦なのだ

追記です。

ヨーカドーの件をやりがい搾取と呼ぶのは間違い、と書きましたが、やりがい搾取の側面はありますね。
なんつーか、バイト主婦をターゲットにしたやりがい搾取がたくさんあって、ヨーカドーもそうかな、と思った。
これまで正社員がやってた接客とか仕入れとかをバイト主婦にやらせ、バイト主婦だけど責任ある仕事、自分の能力が生かせる仕事できる、と思わせて、賃金は時給900円、ボーナスもなしとか。
妻子養ってる男には安くてできない仕事が主婦やニート女性にはできる、というのが確かにあります。
翻訳なんかその最たるもの。
英語が生かせる、訳がほめられた、本の表紙に名前が出た、というやりがいで、コンビニのバイトより安い時給で翻訳。それどころか、1円ももらえなかったり。
生活費をあまり稼がなくていい女性をねらったやりがい搾取の業種は実はたくさんあるのですが、脱社畜氏はヨーカドーの件についてやりがい搾取を持ち出しながら、こういう女性たちの現実を知らないので、見当違いな方向の文章になってる感じはします。
そして、それに反論する管理人氏は、こともあろうに、バイト主婦からやりがい搾取してるかもしれないヨーカドーを擁護。
やっぱり、高学歴の男性には、こういう世界でやりがい搾取される女性たちのことはわからないのかな、と感じました。(反論というよりは感想として)

どっちもどっちなんだけど、ヨーカドー擁護はないよな、と私も思う。

No title

私は少なくとも、埼玉県の教員の行動は間違っていないと思っていますし、それに対する脱社畜ブログの意見も同意できます。

また、ヨーカ堂の件については具体的なやりがい搾取の手法が分からないので、正直私は何ともいえないです。

ただ、後者の例ではヨーカ堂の経営陣が経済合理的に動いた結果、会社は良かった!でも、労働者はそれによって疲弊したというのであれば、明らかに被害者が出ていますね。会社としては経済合理的に動く過程で労働者を道具として酷使している。

前者の例では経済合理的に動く主体は教師で、彼らが経済合理的に動いても別にこれといった被害者がいるわけではない。強いて挙げるなら生徒たちとも言えますが、彼らに今後一切教師がつかないという事態ではなく、またその被害の関連性も間接的なものであるのです。

結果として起こる問題が、最悪の場合、過労死などと人の生命にもつながりかねないものと、「生徒が混乱する」といった非常に微細な問題であるこの両者を単純比較するのはあまり適切ではない気がします。

No title

脱社畜ブログの主張は
”給与・待遇に比例しない責任がなぜ正当化されるのか ”

つまり給与・待遇と責任は比例すべき
と主張してるわけで

「埼玉県の公立学校教員110名が、退職手当減額の前にかけこみ退職を希望した」件は
学年末まで責任を持って勤めるとと待遇が下がるわけで

つまり給与・待遇と責任が比例していない
だから教員が辞めるのは正しいとなる

給与・待遇と責任が比例しないシステムを作った側を非難という一貫性がある

労働者と企業では圧倒的に力の差があるのを忘れてはいけないと思います。アメリカのように企業規模に応じて賠償金が跳ね上がるシステムがない日本では同じレベルで論じるのは無理があるのではないでしょうか。

Re: No title

>toitoさん
 
こんばんは、コメントありがとうございます。

>ヨーカ堂の件ですが、経済的な価値基準に沿った論理的な判断がなされているとは思えません。「今まで正社員がやっていた職務と同レベルの職務を非正規雇用者が行うならば、非正規雇用者の賃金は正社員の賃金と同レベルに扱うべきだ。」これが、経済的な価値基準に沿った論理的な判断ではないでしょうか?

ここでいう「経済的な価値基準に沿う」というのは「"自己の利益を最大化する"という価値基準に沿う」という意味だと思うのですが。そしてヨーカ堂は「パートを主戦力にして、正社員を削減することで人件費を抑制する」ことが自社の利益の最大化につながると考えてそういう方針を採ったということでしょう。

>「低い賃金・待遇」とは、主にサービス残業などの違法行為、労働対価の明らかなダンピングのことだと示されていると思うのですが。

仰る通りですね、そこは勘違いしてしまいました。ご指摘ありがとうございました。ここで僕が問題視したかったのは、サービス残業などの違法行為はともかく、「労働対価の明らかなダンピング」が法律の範囲内ならばそれを責めるのはどうなのか?勿論、責めることは可能だしケースによっては強く責めるべき場合もあるだろうけれども、脱社畜ブログのスタンスに沿えば批判の対象は企業じゃなく法律に向けるべきという話になるのではないか?(にも関わらず、脱社畜ブログの批判の対象は企業なのでおかしい)ということです。


>「合法」ならば責めるのは筋が違うということならば、このブログで責めている諸々の内容も筋が違うということになるのではないでしょうか。「合法」「違法」問わず、おかしいことにおかしいと言及することは、筋違いとは思いません。

はい。だから僕も記事本文で<勿論「法律に反してなくても、問題視すべき行為をやっている主体を批判する余地はあるだろう」という理屈は考えられる(そして、その理屈に沿って「やりがい搾取をしている」と問題視し得る企業もあるだろう)。というか、「法律に反しているわけでもない行為をする主体を批判するべきではない」とここで僕が主張しだしたら、これまで書いてきた採用担当者・面接官批判の記事は何だったんだという話になる>と書いているじゃないですか。ただこう考えたとしても、同時に「最低賃金法などの法律に違反していなければその企業を責める余地は無いのではないか?」という問いは考えるべきだと思っていますが。

Re: やりがい搾取のターゲットはバイト主婦なのだ

>ななし@No title さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>ヨーカドーの件をやりがい搾取という言葉で表現するのは的外れです(中略)ヨーカドーの件をやりがい搾取と呼ぶのは間違い、と書きましたが、やりがい搾取の側面はありますね。

???

>それに反論する管理人氏は、こともあろうに、バイト主婦からやりがい搾取してるかもしれないヨーカドーを擁護

「toito」さんへのコメント返信で書いた文章をここでも書きますね。

(転載開始)
だから僕も記事本文で<勿論「法律に反してなくても、問題視すべき行為をやっている主体を批判する余地はあるだろう」という理屈は考えられる(そして、その理屈に沿って「やりがい搾取をしている」と問題視し得る企業もあるだろう)。というか、「法律に反しているわけでもない行為をする主体を批判するべきではない」とここで僕が主張しだしたら、これまで書いてきた採用担当者・面接官批判の記事は何だったんだという話になる>と書いているじゃないですか。ただこう考えたとしても、同時に「最低賃金法などの法律に違反していなければその企業を責める余地は無いのではないか?」という問いは考えるべきだと思っていますが。
(転載終了)

ヨーカ堂の待遇が詳しくは分からないですが、「ヨーカ堂を問題視すべきではない」とまでは思っていないです。ただ僕の理解は、ヨーカ堂の方針は法律に反しているわけではないというものなので、そうなると「法律に違反していなければその企業を責める余地は無いのではないか?」という問いからも逃げてはいけないと感じるということです。 

Re: No title

>あらいさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>前者の例では経済合理的に動く主体は教師で、彼らが経済合理的に動いても別にこれといった被害者がいるわけではない。強いて挙げるなら生徒たちとも言えますが、彼らに今後一切教師がつかないという事態ではなく、またその被害の関連性も間接的なものであるのです

「あらい」さんのそういう評価は一つの考え方として分かります。しかし脱社畜ブログの本文では「"学年の途中で教員が辞めたら、生徒は混乱する"という意見はごもっともだが、これで辞めた教員を批難するのは筋違いだ」とある、即ち「混乱する生徒」という被害者が出ると仮定し、且つ「生徒の被害の程度」という点を考慮することなく、労働者が各々の経済合理性を追求する姿勢を肯定しているのです(そして批判の対象をシステムに向けるべきと主張している)。僕はこれも一つの考えとして分かりますが、この考えを持ちながら企業が(ルールの範囲で)経済合理性を追求する行為を批判するのはおかしいと感じます。

>結果として起こる問題が、最悪の場合、過労死などと人の生命にもつながりかねないものと、「生徒が混乱する」といった非常に微細な問題であるこの両者を単純比較するのはあまり適切ではない気がします

そう考えるのも分かりますが、それでも脱社畜ブログの理屈で言うと批判の対象は企業ではなくシステムでなければならないはずです。このことから「企業がルールの範囲内で行動したら労働者がダメージを被る」という事実を見つめ、既存の法律で大丈夫なのか?ということを考える必要があると感じています。 

Re: No title

>とおりすがり さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>給与・待遇と責任が比例しないシステムを作った側を非難という一貫性がある

記事本文に書いたように、僕は<早期退職を希望した教師に対する「無責任だ」という声に対して「経済合理的に行動したら、早期退職するに決まっているでしょ」と擁護して批判の矛先を教師からシステムに向けるべき立場を示していた訳で、その立場に立っていながら(法律などのシステムではなく)経済合理的に行動することで他者(労働者)に不利益をもたらす行為をしている「企業」という主体を批判するのはダブルスタンダードといえる>と言っていました。それと別の観点から「脱社畜ブログの姿勢に一貫性がある」と見出しても別に意味は無いと思うのですが・・・。
 

Re: タイトルなし

>ままん さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>労働者と企業では圧倒的に力の差があるのを忘れてはいけないと思います

でも今回の記事で取り上げたヨーカ堂はルールの範囲内で動いているわけです。脱社畜ブログの理屈で言えば、その「ルール」というシステムを批判しなければならないはずなのですが、ヨーカ堂の例では批判の対象が「企業」となっているのでおかしいと感じるわけです。 

No title

返信ありがとうございます。

>ここでいう「経済的な価値基準に沿う」というのは「"自己の利益を最大化する"という価値基準に沿う」という意味だと思うのですが。

私はそうは思いませんでした。脱社畜ブログもそうは思っていないかもしれません。
もし、脱社畜ブログがそう思っていないのならば、脱社畜ブログはダブルスタンダードではないということになります。
つまり、脱社畜ブログがダブルスタンダードかどうかは、脱社畜ブログがヨーカ堂の行動を経済合理的と判断したかによります。
ようするに、脱社畜ブログのいう経済合理的な行動というものが、管理人様の認識する経済合理的な行動とマッチするならば、脱社畜ブログはダブルスタンダードということになります。
ただ、ここの証明をせずに、脱社畜ブログはダブルスタンダードだと決めつけるのは、少々乱暴なのではないでしょうか?

>だから僕も記事本文で<勿論「法律に反してなくても、問題視すべき行為をやっている主体を批判する余地はあるだろう」という理屈は考えられる(そして、その理屈に沿って「やりがい搾取をしている」と問題視し得る企業もあるだろう)。というか、「法律に反しているわけでもない行為をする主体を批判するべきではない」とここで僕が主張しだしたら、これまで書いてきた採用担当者・面接官批判の記事は何だったんだという話になる>と書いているじゃないですか。

ここは追記した箇所ですよね?
私が本文を読んだ際には記載がありませんでした。
私のコメント記述とすれ違いがおこったようです。

>「最低賃金法などの法律に違反していなければその企業を責める余地は無いのではないか?」という問いは考えるべきだと思っていますが。

それは考えるまでもありません。責める余地はあります。
もし、責める余地がないならば、「法律に反しているわけでもない行為をする主体を批判するべきではない」ということになってしまいます。それは管理人様が自ら否定したじゃないですか。
責める余地があるだけで、その責めが適切かどうかは、管理人様のおっしゃる通り、考えるべきだと思います。

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Re: No title

>toitoさん
 
こんばんは、コメントありがとうございます。

>私はそうは思いませんでした(中略)ただ、ここの証明をせずに、脱社畜ブログはダブルスタンダードだと決めつけるのは、少々乱暴なのではないでしょうか?

こちらのpdfファイル(http://www.i.hosei.ac.jp/~okunishi/eop0401.pdf#search=')の3ページ目には「経済合理性」が「ある行動をとったときの"便益"(benefit)と"費用"(cost)を比較して、前者が後者よりも大きければ、その行動をとる。逆であれば、その行動をとらない(※つまり、自己の利益の最大化を図っているということですよね)」という意味であると説明されています。また、「経済合理性」とはどういう意味か?という質問に答えている一般の方も「経済合理性」を「自分の最大利益の獲得だけを目的に、徹底的に理詰めで考え行動する傾向」のことと説明しています(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1437150079)。一般的に「経済合理性」とはそういう意味で用いる言葉ですし、正直toitoさんの「私はそうは思いませんでした」という反応に驚いています。

>ここは追記した箇所ですよね?私が本文を読んだ際には記載がありませんでした。私のコメント記述とすれ違いがおこったようです。

そうです。僕は22日の0時過ぎに非公開コメントをくださった方に「先ほど返信した後に、本文の内容を一部修正しました」と書きましたので、追記したのはその直前ですね。したがって、確かに22日の0時10分過ぎにコメントをくださったtoitoさんが追記の文章を見ていないというのはもっともです。大変失礼しました。

>それは考えるまでもありません。責める余地はあります。もし、責める余地がないならば、「法律に反しているわけでもない行為をする主体を批判するべきではない」ということになってしまいます。それは管理人様が自ら否定したじゃないですか。

「責める余地はあるけれど、それと同時に"最低賃金法などの法律に違反していなければその企業を責める余地は無い"という主張についても考えておくべき」ということです。別に「責める余地はある」という立場にたってもこの立場と反する見解についても思いを巡らせてその見解の是非について考えることは可能だし、且つ必要だと僕は思っているわけです。

Re: タイトルなし

> 非公開コメントをくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>違う問題なのに、両方を管理人さんの言う経済的合理性で判断しなくちゃいけないっていう理屈がよくわかりませんでした

逆に、(ルールの範囲内で)経済合理性を追求した結果他者に損害を与える労働者は責められなくて、(同じくルールの範囲内で)経済合理性を追求した結果他者に損害を与える企業が責められる意味がよく分からないです。上で「ままん」さんは「労働者と企業では圧倒的に力の差があるのを忘れてはいけないと思います」と言っているわけですが。

>前者の件はやりがい搾取でなく単なる搾取

そう見るのは分かりますし一理あるとは思うのですが、一方でルールに乗っ取ってやっていることを「搾取」と評価してよいのか?ということも同時に考えるべきだと思っています。

すみません…
一度書いたコメント消しちゃいます

返信が意図しない方向に行ってしまい、ボクの拙い文章能力では管理人さんにうまく伝えられないようなので…1つだけ

一口に合理的って言ってますけど、
教職員の早期退職問題とヨーカ堂の社員削減の話を同じ基準で考えるのは変に思いますよ

No title

こんにちは。(少し長くなります。)

「ダブルスタンダード」ですが、同一のものに対して全く異なる基準を設けることだと、私は理解しており、
一番いいのはサラリーマン (扶桑社文庫) [文庫]堀 紘一
サラリーマンなんか今すぐやめなさい [単行本]堀 紘一 (著)
こういうのがダブルスタンダードだと思っています。

会社でよくあることが、
「ひとに聞くな(何度も同じ質問せず仕事を覚えろ、それくらい自分で考えろ)」
「ひとに聞け(実際に間違い、勝手な自己判断をするな)」
これは一見、矛盾した話のようなのですが、状況がそれぞれ異なり、
取るべき優先順位が異なるために、その都度、判断も異なるということで、
これをダブルスタンダードとは私は思っていません。

私も、教職員の早期退職問題とヨーカ堂の社員削減の話は別の問題と思っており、
なぜか擁護派が多いが、教職員の早期退職は、状況にもよるが、年度の途中で担任を投げ出し、後任の迷惑を顧みないのならば、、、少なくとも私は実社会で関わりたくない利己的な人間だと思う。
ヨーカ堂の件は、「やりがい搾取」なんて用語をよく作り出したな、という感じです。私は同じ仕事をするならより楽しく、やりがいを持ってやったほうがいいと単純に思うが、やりがいを持っている人、持たせようとする企業に対する悪意を感じます。

Re: タイトルなし

> のそさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>教職員の早期退職問題とヨーカ堂の社員削減の話を同じ基準で考えるのは変に思いますよ

この記事で僕は「なんで労働者と企業で基準が異なっているんだ?」と言っているわけで、そんな僕に対して単に「同じ基準で考えるのは変に思いますよ」と言うだけで僕が「なるほど、そうですか」と納得するわけがないと思うのですが。

Re: No title

>えむけいさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>「ダブルスタンダード」ですが、同一のものに対して全く異なる基準を設けることだと、私は理解しており

wikipediaの説明の中にある「二重規範(※ダブルスタンダード)の端的な例は、ある概念(例:言葉・文・社会的規範・規則など)を一方のグループに対して適用することは許容され、もう一方のグループに適用することは許容されない」という文がこの記事における僕の「ダブルスタンダード」という言葉の使い方を表しています。ゆえに、恐らく僕の言葉の使い方は間違っていないのではないかと思うのですが・・・。

>なぜか擁護派が多いが、教職員の早期退職は、状況にもよるが、年度の途中で担任を投げ出し、後任の迷惑を顧みないのならば、、、少なくとも私は実社会で関わりたくない利己的な人間だと思う

こうした批判に対して脱社畜ブログは「辞めた教員を批難するのは筋違いだ(中略)批難すべきは、経済合理的に行動すると学年の途中で教員の交代が生じざるを得ないようなシステムの方である」と言っていた訳ですね。これは一つの考え方として分かるのですが、こう言うんだったらヨーカ堂の件も「経済合理的に行動する企業を非難するのは筋違いだ。批難すべきは、企業が経済合理的に行動すると労働者が不利益を被るシステムの方である」と評価しないとおかしいんじゃないか?と思っています。 

ご返信ありがとうございます。


>「私はそうは思いませんでした」という反応に驚いています。


私がそう思わなかったというのは"「パートを主戦力にして、正社員を削減することで人件費を抑制する」ことが自社の利益の最大化につながると考えて"の部分です。

そもそも企業の利益って何ですか?

労働者も企業のステークホルダーの一員なのに、労働者の利益は企業の利益に含まれないのですか?

労働者をないがしろにして、企業の最大利益なんてありえない。ゆえに、ヨーカ堂の取った行動は、経済合理的でない。というのが私の考えです。

(※経済を語る人間は労働者=消費者であるという、事実を喪失しすぎなのです。短期的にみれば、帳簿上の純利益などは増しますが、労働者の賃金を削減することは、市場規模の縮小につながり、長期的にみれば、利益を減らします。この点からみても、ヨーカ堂の行動は経済合理的でない、と私は考えます。)


論旨がぶれました。そもそも、ここで重要なのは経済合理的の意味ではありません。ヨーカ堂の行動が経済合理的かどうかでもありません。

脱社畜ブログがヨーカ堂の行動を経済合理的と判断したかどうかです。上述の通り、その行動が経済合理的であるかどうかなんて、個人の解釈でいくらでも変わってくるのです。

先のコメントでも述べましたが、脱社畜ブログがヨーカ堂の行動を経済合理的と判断していないのならば、少なくともこの件に関しては、脱社畜ブログはダブルスタンダードではないということになります。

脱社畜ブログがこの件に関してダブルスタンダードだと決めつけるのならば、脱社畜ブログがヨーカ堂の行動を経済合理的と判断したという論拠が必要になります。

本文では、その論拠は示されておりません。それにもかかわらず、脱社畜ブログはダブルスタンダードだと決め付けています。

脱社畜ブログがダブルスタンダードであるという主張を貫くのならば、脱社畜ブログがヨーカ堂の行動を経済合理的と判断したという論拠を示してください。



>「責める余地はあるけれど、それと同時に"最低賃金法などの法律に違反していなければその企業を責める余地は無い"という主張についても考えておくべき」ということです。別に「責める余地はある」という立場にたってもこの立場と反する見解についても思いを巡らせてその見解の是非について考えることは可能だし、且つ必要だと僕は思っているわけです。 


理解できました。私の理解力不足でした。「考えるまでもない」と言ったのは誤りでした。申し訳ございません。

ただ、責める余地があるという事実が現実に認められる以上、考えることは可能でも、考える必要性は薄いと思うのですが。

例えば、「鳥は存在する派」と「鳥は存在しない派」がいたとします。

鳥は実存するため、「鳥は存在しない派」の主張について、考えることは可能でも、考える必要性は薄いでしょう。

上記を踏まえて、管理人様の<"最低賃金法などの法律に違反していなければその企業を責める余地は無い"という主張についても考えておくべき>という主張がどこに向かって、何のために放たれているのか、わかりかねます。

"考えるべき"程の、必要性を感じません。"考えるべき"とまで主張する必要性とは、いったいどこから来るのでしょうか?

Re: タイトルなし

>toitoさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>私がそう思わなかったというのは"「パートを主戦力にして、正社員を削減することで人件費を抑制する」ことが自社の利益の最大化につながると考えて"の部分です。そもそも企業の利益って何ですか?

「そもそも企業の利益って何ですか?」って・・・。ヨーカ堂は「会計上の利益」を追求しているに決まっているじゃないですか。人件費という費用を抑えることで利益を上げようとしているということでしょう。日経の記事によるとヨーカ堂の取組みにより「3年かけ正社員を半分に減らし人件費を約100億円圧縮する。売上高販管費率を抑え店舗運営を軽量化。実現すれば一定の売上高でも利益を稼げる体質になる」そうですよ。


>労働者も企業のステークホルダーの一員なのに、労働者の利益は企業の利益に含まれないのですか?

じゃあ、人件費をどんどん上げていけばそれだけ企業の利益はどんどん拡大していくんですね。あるいは経営が危なくなっている企業は人件費を上げることで、倒産の危険から解放されやすくなるんですね。

>労働者をないがしろにして、企業の最大利益なんてありえない。ゆえに、ヨーカ堂の取った行動は、経済合理的でない。というのが私の考えです。

「toito」さんは「企業の利益」を「企業のステークホルダー皆がハッピーな状態」と捉えてますよね。「toito」さん個人がそう捉えるのは自由ですけど、正直「知らんがな」という感想しか出てこないです。本来「企業の利益」というのは僕が言ったような意味合い(ざっくりいえば「収入-費用」。そして上述のように、ヨーカ堂は「費用」を抑えることで利益を上げようと試みている)のことを指すのであり、「toito」さんは勝手に言葉の意味をこねくり回しているだけです。

>(※経済を語る人間は労働者=消費者であるという、事実を喪失しすぎなのです。短期的にみれば、帳簿上の純利益などは増しますが、労働者の賃金を削減することは、市場規模の縮小につながり、長期的にみれば、利益を減らします。この点からみても、ヨーカ堂の行動は経済合理的でない、と私は考えます。)

これは「合成の誤謬」というやつですよね。コトバンクというサイトでは「合成の誤謬」が「個人や個々の企業がミクロの視点で合理的な行動をとった結果、社会全体では意図しない結果が生じること」と説明されています(http://kotobank.jp/word/%E5%90%88%E6%88%90%E3%81%AE%E8%AA%A4%E8%AC%AC)。


経済評論家の三橋貴明さんも「合成の誤謬」について説明していますが、彼はその例として「例えば、景気後退に直面した企業が率先してリストラクチャリングに励み、自社のスリム化を図ったとする。これ自体は、その企業にとっては合理的な判断なのだが、国家経済の視点から見ると、失業率の上昇や、個人消費の低迷を招いてしまうわけだ」というケースを挙げています(http://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2009/07/15/006120.php)。ここで「これ自体は、その企業にとっては合理的な判断」と言っているように、後にマクロのレベルで見た場合に「個人消費の低迷」といった問題が起こったとしても、企業がリストラをして人件費を抑えようとした行為それ自体は「合理的に行動した」と評価されるわけです。「toito」さんは「長期的にみれば不利益が起きるのだから、企業の行為は合理的とは言えない」という趣旨のことを言っているわけですが、これは単純に「toito」さんが「合成の誤謬」という言葉の意味を理解し損ねていることの現れだと僕は思います。


>そもそも、ここで重要なのは経済合理的の意味ではありません。ヨーカ堂の行動が経済合理的かどうかでもありません。脱社畜ブログがヨーカ堂の行動を経済合理的と判断したかどうかです

脱社畜ブログの主観を考慮する意味がよく分かりませんが・・・。ただ一応僕の考えを述べると、脱社畜ブログはヨーカ堂の行為を「あまりにも典型的な"やりがい搾取"」と評しています。ここで「搾取」という言葉を用いている時点で、搾取する側(ヨーカ堂)が搾取される側(労働者)を利用して利益を得ている構造を読み取っていると言えます。労働者の視点から見るとこれはとんでもないことと言い得ますが、ヨーカ堂にとっては「労働者に"やりがい"という餌を与えることで、人件費を抑えながら正社員並みの仕事をさせる」という意味で自己の利益の最大化を図れています(そもそも上で言ったように「経済合理的に行動する」とは「"自己の利益を最大化する"という価値基準に沿って行動する」という意味ですよね)。このことから、脱社畜ブログがヨーカ堂の行為を「やりがい搾取」と評していることが「ヨーカ堂は経済合理的に行動している」と考えていることの証と言えるのではないでしょうか。


>上記を踏まえて、管理人様の<"最低賃金法などの法律に違反していなければその企業を責める余地は無い"という主張についても考えておくべき>という主張がどこに向かって、何のために放たれているのか、わかりかねます。"考えるべき"程の、必要性を感じません。"考えるべき"とまで主張する必要性とは、いったいどこから来るのでしょうか?

いや、だから一応は法律に沿った行動をしている企業を責めてよいのか?という話なんですが。ずいぶん前に「法律の範囲内においては原則としてどのような労働状況も許され、その中で各々が"納得"して働くべきだと考えます」というコメントを頂いたことがありますが(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-320.html)、こういう考えを持つ人もいるので(そしてその考えは一理あると思うので)、それに対する反論を考える必要はあるでしょうということです。

No title

>「そもそも企業の利益って何ですか?」って・・・。ヨーカ堂は「会計上の利益」を追求しているに決まっているじゃないですか。人件費という費用を抑えることで利益を上げようとしているということでしょう。日経の記事によるとヨーカ堂の取組みにより「3年かけ正社員を半分に減らし人件費を約100億円圧縮する。売上高販管費率を抑え店舗運営を軽量化。実現すれば一定の売上高でも利益を稼げる体質になる」そうですよ。

だから私は、労働者がステークホルダーの一員であるということを踏まえて、「会計上の利益」だけが「企業の利益」ではないといっているのです。


>じゃあ、人件費をどんどん上げていけばそれだけ企業の利益はどんどん拡大していくんですね。あるいは経営が危なくなっている企業は人件費を上げることで、倒産の危険から解放されやすくなるんですね。

???
そんなこと誰がいいましたか?
ステークホルダーの利益を最適化(最大化)しろと言っているのですよ。労働者だけ優遇しろとなんて言っていません。


>「toito」さんは「企業の利益」を「企業のステークホルダー皆がハッピーな状態」と捉えてますよね。「toito」さん個人がそう捉えるのは自由ですけど、正直「知らんがな」という感想しか出てこないです。本来「企業の利益」というのは僕が言ったような意味合い(ざっくりいえば「収入-費用」。そして上述のように、ヨーカ堂は「費用」を抑えることで利益を上げようと試みている)のことを指すのであり、「toito」さんは勝手に言葉の意味をこねくり回しているだけです。

「知らんがな」でいいですよ。
先のコメントでも述べましたが、このあたりは個人の解釈でいくらでも変わるものですし。

ただ、私自身は言葉の意味をこねくりまわしているとは思いません。言葉の意味って多様性を持っていると思うのですが。
その多様性の範囲内で語っていると思いますが。

wikipediaより
りえき - 本項で詳述
利すること。利得。得分。もうけ(儲け)。とく(得)。「利益を得る」
ためになること。益になること。「公共の利益」(この意味の場合、利益を得るための活動を「営利(えいり)」という)

以上より、私は「企業の利益」という言葉を広義に解釈し、「ステークホルダーのためになること」と考えました。


>経済評論家の三橋貴明さんも「合成の誤謬」について説明していますが、彼はその例として「例えば、景気後退に直面した企業が率先してリストラクチャリングに励み、自社のスリム化を図ったとする。これ自体は、その企業にとっては合理的な判断なのだが、国家経済の視点から見ると、失業率の上昇や、個人消費の低迷を招いてしまうわけだ」というケースを挙げています(http://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2009/07/15/006120.php)。ここで「これ自体は、その企業にとっては合理的な判断」と言っているように、後にマクロのレベルで見た場合に「個人消費の低迷」といった問題が起こったとしても、企業がリストラをして人件費を抑えようとした行為それ自体は「合理的に行動した」と評価されるわけです。「toito」さんは「長期的にみれば不利益が起きるのだから、企業の行為は合理的とは言えない」という趣旨のことを言っているわけですが、これは単純に「toito」さんが「合成の誤謬」という言葉の意味を理解し損ねていることの現れだと僕は思います。

私がいいたかったことは、視点が変われば合理的かどうかも変わるということです。

ミクロの視点では「合理的に行動した」と評価されることが、マクロの視点では「合理的に行動した」とは評価できない。「合成の誤謬」という言葉自体が、合理的かどうかなんて視点が変われば変わるということを表していますよね。

別に、ヨーカ堂の経営陣の主観で経済合理的であった、ということは否定していません。


>脱社畜ブログの主観を考慮する意味がよく分かりませんが・・・。

脱社畜ブログの主観を考慮しない意味がわかりません。
そもそも、退職した教員の行動を経済合理的と評価したのは脱社畜ブログですよ。

脱社畜ブログより引用
- 経済合理的に考えれば、退職金が減額されるのを手をこまねいて見ているよりかは、さっさと辞めてしまったほうが間違いなくよいということになる。僕が同じ立場なら、躊躇せずに退職するだろう。 -

上記の通り、その行動が経済合理的であると評価したのは脱社畜ブログ氏です。

退職した教員の行動は脱社畜ブログが経済合理的と評価しているのに、なぜヨーカ堂の件はヨーカ堂経営陣の主観で経済合理的かどうか評価しないといけないのですか?それでは、比較する基準がおかしくないですか?

もしかしたら、脱社畜ブログがマクロの視点でヨーカ堂の行動は経済合理的でないと評価したかもしれませんよ。


>ただ一応僕の考えを述べると、脱社畜ブログはヨーカ堂の行為を「あまりにも典型的な"やりがい搾取"」と評しています。ここで「搾取」という言葉を用いている時点で、搾取する側(ヨーカ堂)が搾取される側(労働者)を利用して利益を得ている構造を読み取っていると言えます。労働者の視点から見るとこれはとんでもないことと言い得ますが、ヨーカ堂にとっては「労働者に"やりがい"という餌を与えることで、人件費を抑えながら正社員並みの仕事をさせる」という意味で自己の利益の最大化を図れています(そもそも上で言ったように「経済合理的に行動する」とは「"自己の利益を最大化する"という価値基準に沿って行動する」という意味ですよね)。このことから、脱社畜ブログがヨーカ堂の行為を「やりがい搾取」と評していることが「ヨーカ堂は経済合理的に行動している」と考えていることの証と言えるのではないでしょうか。

なぜ、管理人様の考える"自己の利益を最大化"="会計上の利益の最大化"で考えないといけないのでしょうか?
結局、管理人様の主張は、俺様理論ですよね?管理人様の主張をまとめると以下のようになります。

ヨーカ堂が取った行動は経済合理的だ。ここでいう経済合理的とは、何人たりとも、ミクロの視点、かつ、会計上の利益の最大化として捉えなければならない。
当然、脱社畜ブログもヨーカ堂の行動を経済合理的と評価しないといけない。
だから、脱社畜ブログはダブルスタンダードだ!

あまりにも乱暴すぎますよ。


>いや、だから一応は法律に沿った行動をしている企業を責めてよいのか?という話なんですが。ずいぶん前に「法律の範囲内においては原則としてどのような労働状況も許され、その中で各々が"納得"して働くべきだと考えます」というコメントを頂いたことがありますが(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-320.html)、こういう考えを持つ人もいるので(そしてその考えは一理あると思うので)、それに対する反論を考える必要はあるでしょうということです。

そういう話ならば、責めていいです。
"法"で定められている労働条件に対して、抗議していいっていう"法"があるのですから。法律に沿った行動をしている企業を責めていい権利が労働者には認められているのですから。
「法律の範囲内においては原則としてどのような労働状況も許され、その中で各々が"納得"して働くべきだと考えます」という意見はナンセンスです。

つまりは、法律を絶対視する立場にいようが、法律を絶対視しない立場にいようが、最低賃金などの法律の定める範囲内で労働条件を定める企業に対して、責める余地はあるということです。

Re: No title

>toitoさん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>だから私は、労働者がステークホルダーの一員であるということを踏まえて、「会計上の利益」だけが「企業の利益」ではないといっているのです

上で説明した通り、そもそも「経済合理性」とは「自分の最大利益の獲得だけを目的に、徹底的に理詰めで考え行動する傾向」のことです。ここで問題になるのは、ヨーカ堂が「自分の最大利益」を何だと考えたかであって、「toito」さんの考えは関係ありません。

この点前回のコメント返信で触れた日経の記事(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1902K_Z11C12A2000000/?df=3)を参照すれば、ヨーカ堂は「"3年かけ正社員を半分に減らし人件費を約100億円圧縮する"という策をもって、一定の売上高でも利益を稼げる体質を実現すること(ひいては会計上の利益を高める)」を「自分の最大利益」に定めています。「toito」さんは以前「労働者も企業のステークホルダーの一員なのに、労働者の利益は企業の利益に含まれないのですか?」と問いかけていましたが、それに対しては「はい、ヨーカ堂は含んでいないようです」と言うしかありません。また、「労働者をないがしろにして、企業の最大利益なんてありえない」とも仰っていましたが、ヨーカ堂にとっては「労働者をないがしろにすること」が自分の利益につながるという考えなんでしょう。ヨーカ堂が追い求める「利益」と「toito」さんが追い求めるべきと考える「利益」は異なるわけです。


>なぜ、管理人様の考える"自己の利益を最大化"="会計上の利益の最大化"で考えないといけないのでしょうか?結局、管理人様の主張は、俺様理論ですよね?ヨーカ堂が取った行動は経済合理的だ。ここでいう経済合理的とは、何人たりとも、ミクロの視点、かつ、会計上の利益の最大化として捉えなければならない。当然、脱社畜ブログもヨーカ堂の行動を経済合理的と評価しないといけない
「僕の考える"自己の利益を最大化"="会計上の利益の最大化"で考えないといけない」ではなくて、他ならぬヨーカ堂が考えている「自己利益の最大化」が「"3年かけ正社員を半分に減らし人件費を約100億円圧縮する"という策をもって、一定の売上高でも利益を稼げる体質を実現すること(ひいては会計上の利益を高める)」だから、その尺度で考えなければいけないわけです(だから、脱社畜ブログもその尺度で考えないといけないし、さもなければ「経済合理的に行動する」という言葉の意味を無視することになる)。むしろ、ヨーカ堂の意思を無視して「ステークホルダーの利益を最適化・最大化することこそ"企業の利益の最大化"なのに、ヨーカ堂はそれを追求していない。ゆえに、ヨーカ堂の取った行動は、経済合理的でない」という趣旨のことを言っている「toito」さんの方が「俺様理論」を振りかざしているのではないでしょうか。別に「toito」さん個人がヨーカ堂の動きに共感しないことは自由なんですけど、「自分はヨーカ堂の行動を支持できない」=「ヨーカ堂は経済合理的に動いていない」では全くないですからね。

「toito」さんがやっていることを例えるならば・・・。「インターネットを何時間も楽しむ」ことを「自分の最大利益」と捉え、その意思に基づき「何時間もインターネットをやっている」人に対して、「読書を何時間もすることこそ利益を得られる行為なんだ!インターネットをやっているお前は経済合理的に行動できていない」と言っているようなものといえます。インターネットをやっている人からすれば「いや、あなたはともかく私はインターネットに没頭することが好きだから、インターネットをやっているんだけど・・・」としか思えないでしょう。 

>私がいいたかったことは、視点が変われば合理的かどうかも変わるということです。ミクロの視点では「合理的に行動した」と評価されることが、マクロの視点では「合理的に行動した」とは評価できない。

「マクロの視点から見て問題がある結果が生じること」と「マクロの視点では"合理的に行動した"とは評価できないこと」をイコールで捉えている見方がおかしいと思います。「合理的に行動した」というのはあくまでも「自分の利益を最大化するための行動をした」ということであって、「自分の利益を最大化する結果が現実に出た」ということじゃないですし。多分世の中は複雑なので、確かに自分の利益を最大化するために必要な行動をしたはずなのに、他者の動向などの結果として利益を最大化できないこともあり得る。しかし、利益を最大化できなかったからといって、利益を最大化できなかった主体が「合理的に行動しなかった」ということにはなりません。単に「合理的に行動したけど、利益を得るのには失敗した」というだけの話でしょう。

>脱社畜ブログの主観を考慮しない意味がわかりません。そもそも、退職した教員の行動を経済合理的と評価したのは脱社畜ブログですよ

なぜ脱社畜ブログが退職した教員の行動を経済合理的と評価したか。それは、退職した教員たちが「自分の利益を最大化する」という価値基準に沿って行動したからでしょう。つまり、脱社畜ブログは「僕が経済合理的だと評価するから、教員の行動は経済合理的なんだよ」という俺様理論を言っているのではなくて、退職した教員の行動が「経済合理的に行動する」という言葉の意味に合致していたから経済合理的と評価したんでしょう。脱社畜ブログの記事には「退職希望を出している教員は、ただ単に合理的に行動したに過ぎない」とありますが、これを言い換えると「退職希望を出している教員は、ただ単に自分の利益を最大化するために必要な行動をしたに過ぎない」というものになります。そして、ここで脱社畜ブログが擁護している価値は「自分の利益を最大化するために必要な行動をする自由」と言えます(且つ脱社畜ブログは、その自由を行使した結果不都合が生じたら、その自由を行使した主体ではなく、不都合が生じてしまうようなシステムを責めるべきだとも主張しているわけですね)

一方で、脱社畜ブログはヨーカ堂の行動には嫌悪感を抱いています。しかし、脱社畜ブログは教員については「自分の利益を最大化するために必要な行動をする自由」を認め、その自由の行使を擁護していました。この考えに従えば脱社畜ブログがヨーカ堂の行為をどう評価しようが、「ヨーカ堂は自分の利益の最大化のために動いている」という事実がある以上ヨーカ堂が経済合理的に行動していることは否定しようがないし、且つ経済合理的に行動したヨーカ堂を責めるのもおかしいはずです。また、ヨーカ堂が自分の利益を最大化しようとする結果として不都合が生じても、それはその不都合が生じてしまうようなシステムが悪いと考えないとおかしい。にも関わらず、脱社畜ブログはヨーカ堂を批判しているのでおかしい。これが、この記事で書いた主張です。 

>そういう話ならば、責めていいです

だから責めていいんだけれども、「責めちゃいけない」という論理についても考えるべきだと言っているんですが・・・。

>「法律の範囲内においては原則としてどのような労働状況も許され、その中で各々が"納得"して働くべきだと考えます」という意見はナンセンスです。

別にナンセンスというほどのものでもないでしょう。何度も言っている通り、この場合企業は法を犯しているわけじゃないんですから。「法律の範囲内においては原則としてどのような労働状況も許され、その中で各々が"納得"して働くべき」という意見からは「企業が法に合致した行動をしている以上、その企業が労働者に与える待遇に不満があるなら企業を責めるのではなく労働者の方が別の会社に移るべき(職場環境に不満があるのに移らない労働者の方が悪い)」だとか「企業はルールに沿って動いているだけだから、責めるのは企業ではなく、企業が合法的に動いてもなお労働者が不利益を被る構造になっている現行法であるべきじゃないか?」などの見解が導けそうですが、これらの見解には一理あると思っています。僕個人は「いくら法に沿っているからと言って、そんな待遇はあり得ないだろう」と主張し得る場合もあると思っていますが(例えば、現在の法制度上は企業が合法的に過労死ラインを超える残業を課すことが可能ですからhttp://biz-journal.jp/2013/07/post_2569.html)、同時に上記の見解にも一理あるという考えを持っています。  
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