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日野瑛太郎さんが語る「頑張らなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という趣旨の主張はただの気休めではないか?

脱社畜ブログの管理人・日野瑛太郎さんはブログのスタンスを非常に簡潔にまとめた次のようなつぶやきをしたことがある。 見ての通りこれは昨年5月のツイートだけれど、脱社畜ブログには最近「意識が高くても別にいいんですよ、それを他人に押し付けなければ。」という記事がアップされているし、ツイートに示されている考えは変わっていないと言って良いと思う。記事にある「意識の高さにしても、アンテナ感度にしても、一番大切なことは"押し付けない"ことだと思う」という記述はツイートと同様「意識を高く持ちたい人は持てばいいけど、持ちたくない人は持たなくてもいい」という趣旨のメッセージを発しているし、それが「てめえが勝手に意識高く生きる分には全く問題ないけど、それを人様に押し付けんなって話。価値観は人によって千差万別」という共感を呼んでいると言える(http://b.hatena.ne.jp/entry/dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2014/03/15/140948)。


ただ、日野さんの著書「あ、"やりがい"とかいらないんで、とりあえず残業代ください」を読んだ人の中には上記の日野さんのメッセージに違和感を覚える人もいるかと思うし、かく言う僕は違和感を覚えている。どういうことかというと「日野さんの認識に基づけば、"意識低く生きる"という選択をする自由なんて無いって話になるんじゃないの?」という疑問が浮かぶのである。


本によると、日野さんの現状認識は「経済のグローバル化も進み、企業間の競争はどんどん激しくなってきています。こういう状況で、数十年先の安定した経営が保証できるような企業は、もはやどこにもありません(p.59)」というものである。その上で「"社畜"になってただ真面目に働いてさえいれば、それで幸せになれるという時代は終わったのです。これからの会社員は、会社と自分の人生を切り離し、会社とそれなりに距離をとって働くことが必要です(p.62)」と主張がなされ、加えて、日野さんは終身雇用を匂わす会社やそれを信じる人たちに対して「そろそろ現実を見ないと、未来は無い」とも言っている。


そして、本の最後の方では次のような提言がなされている。

すでに述べたとおり、これからの時代の会社員は、ひとつの会社の「一員」として一生勤めあげるのではなく、会社を「取引先」ととらえて適切に距離を保ちながら働く必要があります。しかし、このような働き方をすることは、決して容易なことではありません。たとえば、会社が理不尽な働き方を強制してきた時に、「それならいいです、他の会社で働きます」といったように、強い態度に出るためには、いつでも会社(取引先)を移れることが前提になります。そのためには自分の労働市場における価値を高めておかなければなりません(中略)キャリアデザインの際には、このような「労働市場における価値」を常に把握して、極力市場価値が高くなるような業務選択や資格取得、そして勉強を行っていかなければなりません(中略)今の会社ではどうしても市場価値を高められないという場合には、なんとかプライベートで勉強時間を捻出するなどして、自分の価値を高める手段を講じる必要があります。複数の会社において需要があり、かといって陳腐化しているわけでもないようなスキルを身につけることができれば、会社に対してもある程度強い立場で交渉が出来るようになります

これに対して、本の書評を書いた「fujipon」さんは上記の引用部分に対して「本気で"自分にしかできないスキル"とかを追い求めていったら、ワークライフバランスと両立していくことは可能なんだろうか?」という疑問を発しているけれど(http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20140210)、これは日野さんの文章を読んでいたら自ずと抱くはずの真っ当な疑問だと思う。要は、日野さんの一連の文章を見ると「頑張らなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という方向性の主張と努力・自己研鑽の必要性を訴える主張が共存しているので、そうした点に違和感を覚えるのは自然だということだ。本の記述に従えば、人々は好むと好まざるとにかかわらず意識を高く持ち、頑張ってスキルを伸ばしていかなければならないという話になるはずなのだが・・・。


この点、瀧本哲史さんは「いまや大企業に入ったからといって"一生安泰"ということはありえません(武器としての決断思考 p.13)」と日野さんと同様の前提に立ちつつ、その前提ゆえに、人々が「誰とでも交換可能な人材(コモディティ人材)」ではなく「交換不可能な人材」となるべき必要性を説いている。「これから益々厳しい社会になっていくのは間違いないから、それに対応できるだけの能力を身につけよう」というのは、少なくとも主張の筋は通っていると言える。日野さんの主張も瀧本さんの主張と大体方向性は同じなのだが、日野さんの場合は彼の主張を総合すると「これから益々厳しい社会になっていくのは間違いないけど、努力ができなくても落ち込まなくていいし、意識を高く持ちたくない人は持たなくていいよ」というおかしなものになるので「一体何を言っているの?」と感じる。


日野さんが本で記した認識・提言に従えば、日野瑛太郎さんが語る「頑張らなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という趣旨のメッセージは結局のところただの気休めではないかと感じる。そのメッセージに同意したり喜んだりする前に、メッセージの内容とこの記事で触れた本の引用部分との整合性を確認した方が良いのではないかと僕は思う。

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No title

矛盾しているように見えるのは
ミクロな問題解決とマクロな問題解決がゴチャゴチャしてるんじゃないですかね?
ここを分けないと矛盾してることをいっているように聞こえる

「交換不可能な人材」を目指すはミクロな解決策
「交換不可能な人材」は世の中でごく一部しか存在は許されない
世の中が「交換不可能な人材」だらけだったら、それは非常に不安定な社会
だから、マクロな解決策ではない

ミクロな解決策は個人レベルで実行可能
しかし、それが社会を救うわけではない

マクロな解決策は「交換可能な人材」でもそこそこの暮らしができる社会にすること
しかし、個人レベルでは実行不可 完全に政治の世界

意識の高さを押し付けるなって記事のタイトルで、
いつも変な思想を押し付ける人がなにいってんだと思いましたが、
著書で意識の高さを押し付けていて笑いました。

最新記事でも自分に合わなかったらすぐ別のところを探しに行けと促しています。
実際、そう簡単に別の現場に行こうと決意することは難しいと思います。
日野さんがおっしゃる『脱社畜』を目指すためにも意識の高さが必要ですね。

Re: No title

>何も さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>ミクロな問題解決とマクロな問題解決がゴチャゴチャしてるんじゃないですかね?

日野さんが言う「努力ができなくても落ち込まなくていい」・「意識は高くなくてもいい」は「マクロな問題解決」の文脈で語られているというよりは「ミクロな問題解決」の文脈で語られている気がするのですが・・・。つまり、これらの言葉は「努力ができなくても落ち込まなくても済む社会にしていくべきだ」「意識が高くなくても済む社会にしていくべきだ」という問題提起として投げかけられているというよりは、単に(ツイートやブログを見た)個人に向けたものに過ぎないと感じます。

ただ、(現状は違うけど、これから)「努力ができなくても落ち込まなくても済む社会にしていくべきだ」「意識が高くなくても済む社会にしていくべきだ」というのなら話は分かりますし、その議論を進めていく価値はあると思います。例えば、海老原嗣生さんや濱口桂一郎さんが提唱する「ノンエリート論(高処遇ではないが雇用契約が限定された新しい正社員をつくる)」はその議論を進める上で参照すべきものだと言えるでしょう。 

Re: タイトルなし

>やりがい欲しいマン さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

>意識の高さを押し付けるなって記事のタイトルで、いつも変な思想を押し付ける人がなにいってんだと思いましたが、著書で意識の高さを押し付けていて笑いました(中略)日野さんがおっしゃる『脱社畜』を目指すためにも意識の高さが必要ですね

本を読んだ後だと、日野さんの「努力ができなくても落ち込まなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という言葉に対して「よくこんなこと言えるなぁ」と感じてしまいますよね。正直、日野さんの「頑張らなくていい」系のメッセージは胡散臭いです。

No title

断片的な情報ですが、そこから見出される私の解釈を
まず日野さんの主張の前提は
・意識的に努力しなければ生き残れない社会になる。
・意識の高さとか努力を押し付けるのは良くない。
というのが2つの柱になっていると思います。私の解釈ではその「意識」がどこから芽生えるのかに着目すれば、この主張は理解できると考えます。
つまりこの主張「意識は高くなくていい」というのはあくまで「意識の押し付け」に対する反論の文脈であり、他者から「意識高くしろ、努力しろ」と押し付けられることに対して労働者は反発して良い という意味合いだと考えれば良いかと。
そうすれば自分から自発的に「厳しい社会になるから努力しよう」と考えて行動しなければ生き残れない という主張とも矛盾しません。

また別の解釈では、「意識を高く持たないで、厳しい時代に社会的にドロップアウトしても構わない」という解釈も可能です。
これはつまり、
(生き残りたいなら)意識が高くないと生き残っていけない、だけど(別に社会からドロップアウトしても構わないなら)努力も意識も要らない。
という事です。

Re: No title

>断片的な情報ですが、そこから見出される私の解釈を~とコメントしてくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>また別の解釈では、「意識を高く持たないで、厳しい時代に社会的にドロップアウトしても構わない」という解釈も可能です。これはつまり、(生き残りたいなら)意識が高くないと生き残っていけない、だけど(別に社会からドロップアウトしても構わないなら)努力も意識も要らない。

僕が記事を書きながら思っていたのは「日野さんの主張に従えば、努力できない人は生きていけなくなるんじゃないの?にも関わらず、"努力ができなくても落ち込まなくていい"、"意識は高くなくてもいい"と言うのはただの気休めなんじゃないの?」ということでした。なので、もし日野さんの主張に「社会的にドロップアウトしても構わない」という意味が含まれているなら、「あぁ、やっぱりそうなんだ」という感想です。そして、「努力ができなくても落ち込まなくていい」・「意識は高くなくてもいい」という考え方の先に「社会的にドロップアウトしてしまう」という結末が待っているのなら、結局のところ「努力ができなくても落ち込まなくていい」・「意識は高くなくてもいい」というメッセージは気休めに過ぎないと感じます。

私は気休めではなくて、諦めのように感じました。
頑張らなければ生き残れないし、頑張ったとしても多くの人が生き残れない。
どっちみち生き残れない可能性の方が高いのだから、最初から諦めて生き残らないって選択肢も検討の余地があるのでは?って事かもしれません。
社会的に生き残れないってだけで、生物として生き残れないわけじゃないですからね。

Re: タイトルなし

>私は気休めではなくて、諦めのように感じました。 ~とコメントしてくださった方へ

こんばんは、コメントありがとうございます。

>私は気休めではなくて、諦めのように感じました。頑張らなければ生き残れないし、頑張ったとしても多くの人が生き残れない。どっちみち生き残れない可能性の方が高いのだから、最初から諦めて生き残らないって選択肢も検討の余地があるのでは?って事かもしれません。

「ニートの歩き方」の著者のphaさんはまさにそういう考えの持ち主と言えます。日野さんもその本から大きな影響を受けているので、おっしゃる様な考えを持っている可能性はあるかもしれませんが・・・。ただ、phaさんははっきりと「色んなことをあきらめよう」と言っているのですが、日野さんがそういう主張を述べたことがあったかというとそんなことは無いように思うんですよね。

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