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就活問題・労働問題・教育問題などをとことん考察していくブログ。たまに、就活生・労働者を擁護する言説を批判することも。「日本の就活って何だかおかしい!」と漠然と感じている人から「就活のおかしさをきちんと勉強したい」と考える人まで是非御覧下さい。
僕が見る限り前者のコメントは「このブログの文章と脱社畜ブログの文章などは"ブラック企業を批判している"という点で通じているのだから、その共通点がある文章を批判すべきではない」という意見を発しているもので、後者のコメントは「このブログの文章と脱社畜ブログの文章などは"ブラック企業を批判している"という点で通じているのに、なぜその共通点がある文章を批判しているのか?」という疑問を発しているものと思われる。どちらにしても、ブラック企業を批判する記事を書いている僕が同じくブラック企業を批判する脱社畜ブログの文章を批判していることに違和感を覚えているコメントと言える。・あなたも脱社畜氏も日本の労働環境を改善したいと言う点で目的は一致しているように思うのです。状況を改善したいのであれば、批判ではなく協力することが必要です(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-538.html#cm)。
・「日野さんはワタミ支持者だった!」など、明らかに管理人さんと対立する立場ならまだしも、「ブラック企業撲滅」という点では同じじゃないですか。 なぜ「日野さんの主張は、根拠に疑問がある(≠日野さんの主張に疑問がある)」から「日野さんが嫌いです」になってしまうのか(http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-548.html#cm)。
脱社畜おじさんを叩いてるので俺がブラック企業推進してると思われるかもしれないが倫理に背く企業は本当に許さないしダメなことはダメと言いたい
脱社畜おじさんを叩くのは記事があまりもおかしいから
それとうんこ記事まとめた本で飯食ってるから
— Χほうぐん (@kaihoug) 2014, 4月 5
断っておくと、僕はこの人の脱社畜ブログ批判の詳細は知らないし、且つこの人の批判の方が妥当性を欠いている可能性も否定しない。しかし少なくとも、この人の「ブラック企業を問題視しながらも、おかしな"日本の労働環境批判"にはダメと言う」というアプローチには本当に共感する。思えば、この記事が属する「ダメな就活生・労働者擁護論」というカテゴリにて書いてきたのは、まさにこのツイートに書いてあるようなことだった。 文脈を考慮することだけが重要とは思わない。判断材料の一つ。ある方が良いとは後から何とでも言える。自分は瀧本氏の氏の意見に近いが日野氏は違ったのだろう。またアスペ等中傷言葉の使用を軽く考えない方が良い。 / “「経営者目線を持って仕…” http://t.co/asrdl77kQ2
— velvetten (@velvettened) 2014, 5月 2
これは前回の記事について言及するツイートである。その中に「文脈を考慮することだけが重要とは思わない。判断材料の一つ」という文があるけれど、これは前回の記事で述べた「ある言葉の意味を解釈する際にはその言葉単体を抜き出して判断するのではなく、言葉が発せられた文脈を考慮することが重要だろう」という主張にかかった批判だと思う。批判を頂いた僕からすれば、これは「読解力不足」・「ただのいちゃもん」と感じているのだが、この記事では僕がそう感じた理由を書いていくことを通じて前回の記事の補足としたい。正直、個人的には文脈を考慮しても「経営マインドを持つ」の意味を確定するのは困難だった。しかしそれでも「今までのように、会議に時間を使っていてはいけない。状況に素早く対応して、必要な態勢を組んでいかなくてはいけません!」という発言を踏まえると、要は「だらだらやるのではなくて、会社全体の利益を考えて動いて」という意味であるような気はするし、少なくとも日野さんが言っていたような「サービス残業をしろ」・「有給をとるな」という意味だと捉えることは無理筋だということは分かるかと思う。この社長の発言に対して「もっと分かりやすい表現をしろよ」と批判するのはアリだと思うけれど、一方でいくら社長の発言に不明瞭な点があるからといって、聞き手がトンチンカンな解釈をしてよいのかというとそれはダメだろう。グローバル化の中、会社の力が真に試される時代となりました。ここ数年、わが社の業績が思うように伸びなかったのは、まことに遺憾です。わが社は、今年度が正念場。この未曾有の危機に、“組織一丸となって”立ち向かわねばなりません!そのためには、会社組織が一体とならねばいけません!今年はトップも不退転の決意で臨むつもりであります。それを受けて、従業員の皆さんも一人ひとりが経営マインドを持って、頑張ってほしいと思います!上司も部下も心をひとつにしてほしいのです!トップが決めたことを、素早く間違いなく実行できるようにしていただきたい。グローバル化では、何よりもスピードが大切です。今までのように、会議に時間を使っていてはいけない。状況に素早く対応して、必要な態勢を組んでいかなくてはいけません!上の命令を部下が間違いなく理解して、一糸乱れずに行動する。そういう正確さが必要なのです!
賛同こそしないが解釈の一つだとは思うが。全部体験した事だとは書かれていない。解釈されても仕方がない所はある。意見の封殺。アスペとか中傷でしかない過激な言葉を持ってくる限りこのブログも程度が知れている。 / “日野瑛太郎さんによる「…” http://t.co/2iuxkHsTUC
— velvetten (@velvettened) 2014, 4月 30
まさか前回の記事を読んでなお「解釈の一つだとは思う」・「解釈されても仕方がない所はある」なんて言う人が現れるとは思わなかった。そういう訳で、簡単に前回の記事の補足を書きたいと思う。仮に話題の件で時季変更権が行使されていた場合に有効かというと、微妙な気がする。形式的な行事に過ぎず誰が出席しても正常に運営できると考えれば「事業の正常な運営を妨げる」場合にはあたらず無効という方向に傾くし、式典の重要性や生徒との最初の接触の機会の重要性を強調するなら有効に傾く。
— ystk (@lawkus) April 14, 2014
これが小学校の話ならば初日に顔を出して児童と接触することの重要性というのは確かに大きそうだから、時季変更権行使は有効になりやすいかも。しかし高校だからなあ。生徒も小さな子供じゃないんだし、副担任でもいれば充分じゃないかね。どちらかに決めろと言われたら無効説かな俺は。微妙だけど。
— ystk (@lawkus) April 14, 2014
@lawkus 時季変更権を行使すべきだという批判はありうるが当人を批判しても意味ない。で、時季変更権の行使の有効性だが俺も微妙だと思う。
— 坂本正幸 (@sakamotomasayuk) April 14, 2014
前回の記事で取り上げた社労士の榊裕葵さんは「学校側が時季変更権を行使することの正当性は認められる可能性が高い」との判断を示していた。しかし一方で、上記のツイートをした弁護士の方は「どちらかに決めろと言われたら無効説かな俺は。微妙だけど」と学校側が時季変更権を行使することが難しそうであると考えている。前回の記事の最後で「学校側は"入学式だから"という理由で、1年生の担任を持つ教師の休暇の申請に対して時季変更権を行使できるか否かが知りたい」と書いたけれど、この問いに対する正解はなく、「できる」・「できない」両方の解釈が成り立つということなのだろう。Copyright © 就活生に甘える社会人 All Rights Reserved.